オレンジページnet
このブログは、
『オレンジページnet』の
オリジナルブログです。

『オレンジページnet』はこちら>>
 
profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
profile:山本さんの本
不便のねうち 不便のねうち
足りないくらいがおもしろい 足りないくらいがおもしろい
片づけたがり 片づけたがり
おいしい くふう たのしい くふう おいしい くふう たのしい くふう
こぎれい、こざっぱり こぎれい、こざっぱり
人づきあい学習帖 人づきあい学習帖
親がしてやれることなんて、ほんの少し 親がしてやれることなんて、ほんの少し
まないた手帖 まないた手帖
朝ごはんからはじまる 朝ごはんからはじまる
わたしの節約ノート わたしの節約ノート
おとな時間の、つくりかた おとな時間の、つくりかた
家族のさじかげん 家族のさじかげん
子どもと一緒に家のこと。 子どもと一緒に家のこと。
台所あいうえお 台所あいうえお
元気がでるふだんのごはん 元気がでるふだんのごはん
子どもと食べる毎日のごはん 子どもと食べる毎日のごはん
わたしの献立帖 わたしの献立帖
●こちらもおすすめ!
 『オレンジページ』のブログ
オレンジ進行中
オレンジページ定点観測
堤信子さんの文具びより (ときどき雑貨)
ワンツー☆スリーピース
からだの本ネット日誌
『花カレンダー』のブログ
オレンジページnet エディターズ・ボイス
オレンジページnet
『オレンジページnet』はこちら。

『オレンジページ』に関するご意見、お問い合わせはこちら。

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月

2007年9月28日 (金)

「細部」の改善が、ちょっとしたテーマです。

 「いいじゃない、そんな小さいことにこだわらなくってさ」
 と、思うことがある。
 ひとがひとを許せない、という話のとき、そんなふうに感じることがある。
「めくじらを立てる」ということばもあって、それは、他人の欠点をさがしだす、という意味だけれど、同じことなら、欠点よりイイトコをさがしたほうが気持ちがいいだろう、と思う。

 しかし。
 これが家のなかのこととなると、話がちょっと変わる。
 家のなかに、ちょっと気になるところ——欠点といえば、欠点かな——というのが、ある。誰にでも、あるのじゃないだろうか。
 畳を板の間にかえたい、とか、キッチンをとり換えたい、とか、そういう話じゃない。うちの「あれ」、ちょっと使いにくい、とか。「あそこ」がこうなってたらいいのにというくらいのこと。
 ひととひとの関係には、あんまり「めくじら」立てないほうがいいと考えるわたしだけど、家のなかのこととなると、細部が大事だなあと思わされる。
 日日そこに暮らし、そこで働くわけなので、小さい部分の不具合が身にこたえる。

 先日、こんなことがあった。
 冷蔵庫の扉の内ポケットから、煎りゴマの入った瓶をとり出そうとして、おとなりの七味唐辛子の筒をひっかけ、床に落としてしまった。落としたのは、このときが初めてだったが、これまでも、煎りゴマ氏を呼びだすたび、七味唐辛子、一味唐辛子、山椒諸氏をなぎ倒し迷惑をかけてきた。
 煎りゴマ氏は出番も多いので、呼びだすたび、なんとかならないものかなあ、と思っていた。
 その日はめずらしく、頭が澄んでいたようだ。
 ふと、煎りゴマ氏をもうひとまわり大きい瓶に入れておけば、煎りゴマ氏が働きに出たあと、七味、一味、山椒さんたちに迷惑をかけることもないわけだ、と心づく。空き瓶をためておく棚をさがすと、調度よさそうなのが、あった、あった。
 瓶をもうひとつ瓶に収め、「いままで、すみませんでしたね。これからは、煎りゴマ氏不在のときにも、すっきり立っていていただけますから」と七味、一味、山椒各氏に、挨拶。

 うふふ、なかなか、いい具合。
 こんなことが、どうしてこうもうれしいんだろう、と思う。

Photo

持ち上げているのが、煎りゴマ。
となりの「七」:七味唐辛子、
「一」:一味唐辛子、「山」:山椒です。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年9月21日 (金)

けんちゃんは、はたらき者です。

 けんちゃんがうちにやってきたのは、5年前のクリスマスだった。
 サンタクロースに手をひかれて、きた。

 けんちゃんってのは、食器洗い乾燥機。
 夫が、クリスマスにプレゼントしてくれたのだ。あと片づけを手伝ってくれる手をひとつ贈られたようで、とてもうれしかったが、「またか」とみじかくため息もつく。
 夫から、初めて贈られた誕生日プレゼントは、「かつおぶしけずり」だった。木屋製の、じつにいい「かつおぶしけずり」だったが、わたしはおおいに面食らった。なにせ、初めての誕生日プレゼントだ。小さなアクセサリーとか、ハンドバックとか、なんというかもうちょっと甘美なものでもいいんじゃないか、とね。
 つぎの誕生日には、前からほしかった風変わりな植木鉢をもらった。
 そのつぎの年は……、まあ、いいや。
 この話を友だちにうち明けると、「そりゃ、ちょっとやだね」というひとと、「いいじゃない、実直な品。へんてこなアクセサリーやスカーフもらったりしたら、目も当てられないわよ」というひとと、意見はふたつに割れる。

 けんちゃん。
 家につくなり、彼は、どんどんはたらいてくれた。
 食事のあとにゆとりが生まれたような気がして、うれしかった。しかし、それにも慣れると、「洗い上がったら、それぞれ、自分でけんちゃんから出て、食器棚の定位置にもどってくれるといいんだけどな、と思うようになったりする。いやはや感謝知らずの女である。
 けんちゃんの仕事がすみ、わたしが洗い上がった食器をとり出して片づけるまでは、けんちゃんには何も入れられない。ここのところが、不都合といえば、ちょっと不都合だ。
 あるとき。
 システムキッチンのパンフレットを見るともなく見ていた。すると、食器洗い乾燥機が上下に2台ついたキッチンの写真があるではないか。いつでも洗い物を引き受けられるシステムなんだそうだ。貧乏性のわたしは、ちょっと、ぜいたく過ぎやしないか、と思う。
 とにかく、けんちゃんのおかげで、わたしはやっぱりずいぶん楽をさせてもらっている。

 どうしてけんちゃんという名前か、って? 
 まだけんちゃんの影もないころ、そうして、娘たちがいまより5、6歳若かったころのこと。
 晩ごはんのあと、食器を洗いながら、ふと、
(娘たちのうちの誰かに彼氏ができたら、食器洗いを手伝ってくれたりするだろうか)
 と思いつき、それを入口に、妄想の森へと歩みだす。
(食器は洗わないけど、食器を洗うおかあさんのそばで、歌をうたいますよ、なんていうのもいいねえ。くくくくく)
 そこで、ラジオから流れてきたのが、「平井堅」うたう「大きな古時計」。
(ああ。手伝ってくれなくっても、こんなふうに近くで歌ってくれたら、うれしいかも……)

 しかし、あと片づけを手伝ってくれそうな彼氏も、わたしの横で歌ってくれそうな彼氏もなかなか登場しないうちに、食器洗い乾燥機がやってきた。
 かの日、食器を洗いながらうっとり聴きほれた「平井堅」の歌声にちなんで、「けんちゃん」と命名。

 けんちゃん、毎日、ありがとうね。きょうは、わたしが何か、歌ってあげるよ。

Photo
けんちゃんです。
けんちゃんの前には、けんちゃん稼働中に出た「使用済み食器」を、
手で洗ってのせておく小さな棚があります。
何もかも、けんちゃんに洗てもらおうしないで、
このごろは、わたしも洗うんです。


Photo_2
けんちゃんの下(流しの奥)には、
手を洗うせっけん、金だわし、スポンジがいます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年9月14日 (金)

絵はがきを、つくりました。

 ちょっと忙しいことが重なっても、「食べる」と「眠る」に関する時間だけは、確保(死守かな)しようとする。忙しいぞ、というとき、仕事をがんばろう!という気概よりも、よく食べ、よくよく眠るぞ、という決心のほうが幅を利かせているような。
 少しくらい忙しくっても、じゅうぶんに食べ、じゅうにぶんに眠っているから、日日の暮らしにはあんまりしわ寄せがこない。ような気がしている。

 しかし、先日。
 ついに、しわ寄せ=しわのたまり場を発見。
 それは、書棚にかけた小さな黒板の隅っこの、いただいたお手紙返事や、便りを書きたい、または書かないといけない方方のお名前のつらなり。
 これこそは、日日のしわ寄せだわ、と思わされ、深深とため息をつく。
 もともと、ペンをもって字を書いたり、下手な絵を描くのは好きなのだ。はがきを書きだせば、どんどん書ける。書いているうちに、だんだん楽しくなってきて、「メールなんかより、ずっといいなあ、はがきはね」と、ひとりごとを言ったりする。

 けれども、ひとたび余裕をなくすると、だ。はがきに手がのびない。はがきを書くためのペンや色鉛筆を、見て見ぬふり。いただいて、梨のつぶての書状にいたっては、視界に入らなくなる。
 仕事をして、家のことをして、家族にむかってにっこりして、料理して、食べて、眠って、日が過ぎていく……。ああ、きょうもまた、はがき1枚書けなかった。やれやれ。

 わたしね、便せんはあんまり使わない。
 和紙や、昔ながらのうつくしい紙の便せんも、少しは持っている。いちばん最近、便せんをひきだしの奥からひっぱり出したののは、半年ほど前。
 娘の大学の教授に宛てて、家の用事で試験日に東京にいられず、できれば再試験を受けさせてやっていただきたい、という嘆願の書状をしたためたときだった——教授から、保護者からの手紙が必要だとお達しがある——。こうしてみると、便せんの登場は、あんまりよく知らないえらいひとに、慇懃な手紙を書くときになるようだ。
 たいていは、はがきサイズの紙に、書く。
 目上の方に書く場合と、書ききれないときには、裏表に書き、封筒におさめて投函する。はがき1枚書き上がると、玄関のげた箱の上に、置きにいく。ここが、家のポスト=「出がけに、ポストの投函してくださいね」のコーナーだからなのだが、このときの気持ちは、達成感と呼んでもいいと思う。

 はがきを書くのはきらいではないのに。
 いや、むしろ楽しみと言ってしまってもいいほどなのに、取っつきがわるいのはなぜだろう。
 もしかしたら……。
 はがきを書くとき、字も書いて、絵も描く、という両方をするのことが、かさ張っているのかもしれない。それなら、時間のあるとき、絵ばかりを描いておこう。
 そういうわけで、きょうは、どしどし、絵はがきをつくった。愉快。
 
 
Photo

こんなことせずに、かわいいポストカードを買いだめしたりすれば
いいのにね。そう思いつつ、絵も描きたくなってしまうのです。
色紙や新聞紙をちぎったりして、貼り絵にすることもあります。
相手の贔屓の役者や、タレントの写真を切り抜いておき、貼りつけると、
喜ばれること請け合い。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年9月11日 (火)

石が、活躍しています。

 山や川に行くと、石が気になる。
 気になって眺めているうち、たくさんの石のなかから、とっても気になる石がみつかって、またじっと見る。拾って、てのひらにのせ、感触をたしかめる。
 そんな自分を、このごろ「石泥棒」かもしれないと、思いはじめている。
 自然界の石には、ひとつひとつ存在理由があり、それより前に石が生じた理由もあるのだと思う。こういう石を、持ってきてしまうのは、いけないじゃないだろうか。
「ね、石って、山や川から持って来ちゃっても、いいもの?」
 そう友だちに尋ねると、たいてい、
「少しならいいんじゃない?」
 という答え。
「石、拾うとき、罪の意識におののかない?」
 の質問には、
「おののかないよ。拾わないもの」
 という答え。
 そうか、みんなはあんまり拾わないのね。そこで、1つめの質問の答え:「少しならいいんじゃない?」を頼みとし、このごろは、いちどきに1個だけいただくようにしている。

 玄関の火打ち石。
 正確には、火打ち石のはたらきをする石ころだ。これは、もう15年ほど前に伊豆・今井浜の海岸で拾ったもの。
 玄関から、家の者たちが出かけるとき——訪ねてきてくれたひとが帰るときにも、つい——「いってらっしゃい」と言いながら、肩先でふたつの石を打ち合わせる。夫も子どもも、これを「かちかち」と呼び、誰かが出かけようとするとき、「わたしが、かちかちするね」などとと言ったりする。
 かちかちだなんて。かちかち山みたいだ。
 いまでも、職人、芸人、あるいは危険な仕事に就くひとびとのおかみさんが、火打ち石の切り火で送りだす習慣が生きているという。相手の無事は、祈るほか手だてはないが、出がけに、火打ち石で威勢よく送りだすというのは、そこから1歩、前に踏みだす行為のような気がする。相手のためにできることの、ぎりぎりの線まで。 

 さて、約1年前、3階建ての、縦にひょろ長いこの家に越してきたとき、この「かちかち」に変化が生じた。誰かが出かける気配を追って、2階(台所も居間も、わたしの部屋も、みんな2階にある)から駆け降りても、「まだ行かない、ちょっと髪とかしてから」「電話、1本かけてから」など、タイミングがずれるのだ。そのたび、2階に戻り、また駆け降りて……。運動にはなるかもしれないが、わたしには、途切れさせたくない仕事だってある。
 そこで、昨年、千葉県を旅したとき、拾った石を2階用の火打ち石とすることにした。2階の居間のあたりで「いってらっしゃい」と言い、かちかちする。インチキのようだが、インチキでもなんでも、かちかちやらないことには落ち着かなくなってしまったのだから、仕方ない。

Photo

玄関で、子どもを送りだす。かちかち。


1a

これが、玄関の火打ち石です。
長年、かちかちやってたら、
少し、やせてきました。


2

2階の、火打ち石。
居間の入口の、ピアノの上に置いてあります。


Photo_2

レースのカーテンが、風でめくれないように、
重石としてカーテンの裾に石ころを
入れています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 4日 (火)

「これ、ちょっといいねえ」と、評判のいい鍋ラックです。

 この夏は、お客さんが多かった。
 とくに、女のお客さん。
 なんだかんだと食べるもの、飲むものを持ちよって、おおいに飲み、食べて、うんとこさ話をする。

「友だちの家に遊びに行くより、友だちが遊びに来てくれるほうが、ずっと多いな」
 と、末の子が言う。
「へえ。わたしも、そうだよ。来てくれるのを迎えるほうがずっと多い」
 そう言うと、末の子があはは、と笑う。
「お母さんが、誰かが家に来るの、好きだから、友だちが来てくれるんだよ。うちの友だちも、お母さんの友だちも」
「好きなのかな、わたし」
「きらいじゃないでしょう」
 そうか、と思う。
 だけどね、これでも、おひとが来てくれるということになると、やっぱり、ちょっとは身構えるのよ。と、言いたくなる。
 身構えて……、まず何をするかというと、掃除(大掃除なんかはしない、ちょっと、するだけ)。そのつぎは……。食べてもらうもの(=つくるもの)を決める。
 あれー? これだけで、もう「これで、みんなを待つばかり」という気持ちになっているみたい。
 掃除、も、ちょっと。
 食べてもらう、も、ふだんうちで食べているものを、いつもより多めにこしらえるだけ。
 おひとを迎えるときの心がけは、きどらないこと。きどっても、すぐ底が割れる。

 話は脱線したが、この夏のお客さんたちに、評判がよかったのが、食卓の脇にある鍋ラック。ほんとうなら、台所に納めたいところだが、納まらなかった。  
 この、言ってみれば、はぐれ者たちが、なぜか目を引く。
「これ、いいねえ。どこで買ったの? もうちょっと背の低いのも、あった?」
 とか。
「道具が陳列してあるっていうの、いいわよ」
 とかね。
 わたしは、実直でうつくしい道具が好きだ。
 なるべく、そういうものを選びたい、と思っている。現に、収納せずに見せちゃおう、という置き方(密かに、「飾り置き」と呼んでいる)をしている道具もある。
 そうは言っても、飾るにはふさわしくないモノも少なくはない。そういうモノたちは、「隠し置き」にする。
「隠し置き」と「飾り置き」を使いわけると、収納は、案外うまくいく。


1

「飾り置き」
これが、うわさの鍋ラックです。
ラック下に、いちご(うちの黒猫)に午後4時に出してやる、缶詰めのごはんの容器
があります。ちょっと時間が過ぎると、この容器を、指さすような仕草。
そんなときは、「いま、あげようと、思ってたのよ」と言いわけしながら、よそいま
す。水も、いちごの飲み水。

2

「隠し置き」。
義母が、嫁入り道具として持ってきたという火鉢。
このなかには、ごちゃごちゃとモノ(イヤホン。ちょっとのあいだ、とっておきたい
チラシ。へんな色のメトロノーム。へんな色のえんぴつ削り器)が隠してあります。

| | コメント (4) | トラックバック (0)