根拠は、どこに……でも、まあいいか。
こと掃除に関して、わたしは、ほんとうに信用がない。
家の者、とくに娘らに、言われる。
「ほんとに、掃除、きらいだよね」とか。
「掃除、下手だよね」とか。
それでも、掃除らしいことを、ぎりぎりで——というのは、いい加減掃除しないと、という限界のちょいと手前で、の意——やるのは、わたしだ〜。
わたしの掃除嫌い、掃除下手をいち早く見抜いた長女は、この家の掃除に関して、自分が責任をもたなければならない、と決心した。らしい。そこには、自分は掃除が嫌いではなく、掃除のセンスもある、との揺るがぬ自信がある。らしい。
しかし、その根拠は、どこに……?
まあ、いいか、と思う。
ここは、自信を持たせておいて、せいぜい掃除をしてもらおうじゃあないの、と。
とはいえ、彼女は、たいして掃除はしない。
しないくせに、腕を腰に当て、ここ埃だらけ、とか、カーテン洗ったほうがいいんじゃないの? とか、言う。ドラマでしか見たことがない意地悪で、口うるさい姑みたいだ。
まあ、昨年の4月、社会人になり、いろんな意味で人生駆出しの身。自分の家の掃除にまで気持ちも手もまわらないのは、わかる。わたしが、そうだった。
あのころ、駆出し時代には、まったく余裕がなかった。
きのうのことだ。
「きょうは休み。さて」
と言って、長女は、いきなり髪をしばって耳の下から口にかけてをバンダナで覆うという、ものものしい拵(こしら)えであらわれた。
「スズキサンの掃除する」
スズキサンとは、掃除機につけた名前である。
こういうことを、居間のまんなかではじめるあたりに、エンターテイメント性を感じる。
とりいだしましたる——、
湯を入れたバケツ。古新聞紙。使い古しの歯ブラシ。ボロ布。重曹。
その前にどっかとあぐらをかき、スズキサンのフィルター類を、スズキサンのダストケースからはずし、バケツの湯に浸して洗っていく。ふふん、と鼻歌まじりで。観察するともなく観察していると、たのしそうだ。
ダストケース、フィルター類、パイプの先についているタービンブラシをすっかり洗い、ボロ布で拭って新聞紙の上に干していく。
翌日のスズキサンは、快調そのもの。すいすいびゅんびゅん、ゴミや埃を吸いこんでいく。
こういうことで、少しだけど、掃除が好きになる。びゅんびゅん、ぐいーん、とね。
わたしにもダストケースみたいなものがあったとしたら、こんなふうに掃除してもらいたいものだなあ。嫉妬とか妬みのようなものはあまりないが、たとえば「怠けたがり」はかなりたまって、目詰まりを起こしているのじゃないだろうか。などと、思う。
乾燥ちゅうの、品々です。
これまた、居間に展示してあるかのごとく、
置いてあります。
恐れ入るしかないって感じ。
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