profile:山本ふみこ
エッセイスト。1958年北海道生まれ。つれあいひとり、娘3人、猫1匹との5人と1匹暮らし。おいしく作り食べる生活術を描いたエッセイで読者の支持を集める。最新刊は、このブログをまとめた『こぎれい、こざっぱり』。そのほかの著書に、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『子どもと一緒に家のこと。』(ポプラ社)など。
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2008年5月

2008年5月27日 (火)

弁当箱こもごも

 家のなかで働いていると、ふと、妙なことをしている自分に、気づくことがある。
 動線の「ぶれ」とでも、言ったらいいだろうか。
 頻繁(ひんぱん)に使うモノを遠くの方までとりに行くかと思うと、たいして使わないモノを身近な戸棚にかくまっていたり。

 引っ越しのときの、とにかくモノを収めてしまおうという、とりあえずの収納が、数年間、どうかすると何十年ものあいだ、そのままになっている、ということがある。これも、「ぶれ」の原因のひとつ。
 あるいはまた、同種のものをひとところに収めようと思い立ち、同種をひとつ戸棚に押しこむことがある。これも、時として「ぶれ」につながる。「ともかく同種」というこだわり方に、無理が生じるからだ。

 先週末、ひとつの収納を見直した。
 その戸棚には、弁当箱や水筒を収めている。
 弁当箱のほか、飲み物を入れて持ち運ぶことのできる、あらゆる筒型の容器が、一堂に会している。
 なにしろ、正月の重箱から、おひとがうちに集まるとき使う2段重ねの弁当箱、学校や仕事場に持っていく弁当箱まで、すべてを収めていたので、窮屈(きゅうくつ)なこと、この上もない。
 重箱や、とくべつなときに使う弁当箱を別に収めることにした。
 それだけで、うれしや、新しいスペースが生まれる。

「おひとがうちに集まるとき使う2段重ねの弁当箱」というのは、たまにしか使わないが、頼みになる存在だ。食卓を囲む人数がふえればふえるほど、わたし自身は、台所に立って何かをつくりながら、話の輪にも加わる、ということになりやすい。そうではなしに、わたしも立ったり坐ったりせず、どかんと腰をおろして話しこみたいというとき、この弁当箱に登場してもらう。
 上の段にも下の段にも、おかずを、いろいろ少しずつつくって詰め、銘銘に配るのだ。おかずの一部を、その日やってくる友だちに助けてもらうこともある。
 食卓のまんなかに、おむすびやら、大阪寿司、にぎり寿司やらをでんと置く。実だくさんの汁ものでもあれば、言うことなしの食卓となる。
 この、春慶塗の2段重ねの弁当箱と重箱を、段ボール箱に収め、納戸の比較的とり出しやすい棚にしまった。

 弁当箱を戸棚と、段ボール箱に分けて収めなおしながら、こういうものを使わなくなる日も、来るのかもしれないなあ、と思う。
 そうなったら、「卒業!」と言ってばんざいしようか。
「さびしいなあ」と、ため息をつこうか。
 その両方だという気がするが、どちらにしても、だ。
 そういう日の来るまで、おもしろがりながら、弁当作りがしたいなあ。


Photo
これが、ふだん使っている、持ち運びの
弁当箱です。


Photo_2
重箱と、
「おひとがうちに集まるときに
使う2段重ねの弁当箱」です。


Photo
弁当箱の写真を撮った日、
すでに外に働きに出ていた1個と、
写しそこなった籠たちが、
「ぼくたちも、撮っておくれよぉ」
と、申します。
籠は、おむすび、パン、サンドウィッチ用です。
そうして、1枚目の写真にある、
韓国製弁当箱(入れ子/ステンレス製)におかずを
つめて、入れます。

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2008年5月21日 (水)

宝探し

  「あ〜、どこにかくしたんだろう」

 大事な拝借ものを、なくしたくない一心で、突飛な場所にかくす癖がある。 
 もちろん、かくしているわけではなくて、お返しするその日まで、そこに置いておく、というつもりなのだ。
 わたしがものをなくすときは、たいてい、しまい込むことが原因だ。
 自分のもちものは、置き場所、しまい場所が決まっているから、なくすことはないが、
・ とつぜん所有することになり、「定位置」を決めるまでの品物。
・ 変則的に手元にやってきた品物。
・ 拝借した品物。
これらは、ときどき、しまい込んで忘れる。

 ここにしよう、と定める先が、品物との関連性の薄い、連想すらむずかしい場所になるのは、なぜだろう。
 宝探しじゃあるまいし。
 宝探し……。
 そうだった、わたしは子どものころ、その遊びが好きだった。友だちとおかしなところにモノをかくすので、母にはいやがられたが。しかも、最終的な「宝」にたどり着くまで、数か所に、つぎのかくし場所を暗示する紙片をかくすのだ。
 あのころの感覚が、ぽこっとでているのかな。

 このたびの探しものは、たびたび季節のジャムをこしらえては届けてくださる奇特な友だちの、ジャムの瓶。
「なかみのジャムは、たーくさんあるんだけど、瓶が足りなくなるから、そう言える友だちには、瓶だけ戻してもらうの。お願いね」
 という、瓶。
 おいしいブルーベリーのジャムを入れてくれたあの瓶。
 わたしは、どこにかくしたんだ〜。
 自分でかくしておいて、それがどこかを忘れるところは、子ども時代とちがう。もの忘れ。

・仕事部屋の戸棚?
・書架の写真立てのうしろ?
・発芽を待つ豆の木の鉢のかげ?
・いちご(猫)のごはんの缶詰めをしまう箱のなか?

 わたしがかくしそうな場所を、端からさがす。が、みつからない。
 空き瓶をためている場所を覗く。
 ここにも、見当たらない。
 しかし、このなかから、ブルーベリーの瓶にかわるものを、お返しするとしよう……。

 さて。
 空き瓶たちのフタには、ボタンを貼りつけてある。
 ちょっと愉しい眺め。
 頭の上にボタンをつけておしゃれをし、空き瓶たちは、あたらしい仕事を待っている。

 
 
 

Photo
空き瓶は、常に10個くらいは持っています。
空き瓶のフタには、ボタンを貼りつけておきます。
その存在を、尊んで。
そのほか、海辺で貝殻、
使わなくなったアクセサリーの一部なんかも貼りつけます。

Photo_2
ボタン好きの話は、
前にも聞いていただきましたねえ。
子どもにも、それは伝染したらしく、
末の子どもは、3年生の夏休み、
父親に手伝ってもらって、
「自由研究」として、木の枝でボタンをつくりました。
これは、そのボタンでそのときつくってくれた「洗濯ばさみ」です。
細長いのは、ならの小枝でつくったボタン。
まあるいのは、庭のつるバラの枝のボタン。

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2008年5月13日 (火)

平安時代の赤ん坊

 今朝のこと。
 その日、まんなかの娘とわたしが、それぞれほど近い場所に出かけることを知って、
「お互いの用事がおわって、会えそうだったら、お茶でも飲もう」と相談。
 ところが。
「(携帯電話で)メールするね」
 と言いのこし、先に出かけた娘の部屋の机の上に、携帯電話を発見!
 これを忘れて出たら、待ちあわせて、お茶を飲むなんて無理じゃないの……と、がっかりする。
 出先での仕事が思いのほか早く片づき、以前、一度おいしい紅茶を飲んだことのある喫茶店の客になる。紅茶を1杯飲んだら、晩の買いものをして、さっさと帰ろう。
 そこへ。見覚えのあるグレーとピンクの模様が近づいてきた。
 見覚えがあるのも道理で、それは、朝送りだしたときに見たワンピースを着た娘だった。
「用事が早くおわったから、来てみたの。知ってる店、ここだけだったし。……携帯電話、忘れて、ごめんね」
 へえ。
 携帯電話で連絡をとろうとすると、電話に出そこなったり、メールの行き来がもどかしかったり、と、うまく通じ合わないことが多い。この子にも、「どうして携帯電話に出ないの? 話にならない!」と、幾度文句を言ったことだろう。
 ふたり、向かい合って紅茶を飲みながら、
「携帯電話より、勘とテレパシー!」
 という話をする。

 こんなことがあって、ふと、わたしに携帯電話は不要か・も・し・れ・な・い、と考えるようになる。
 そも、番号もアドレスも、きわめて限られたひとにしか、おしえていないのだし。通信は、自宅の電話と、いまのところ仕事上、どうしても必要になっているパソコンに集約するとして。
 携帯電話をやめたら、晴れ晴れとするんじゃないかな。……という気がしている。

 生まれたときは、平安時代の赤ちゃんと変わりないのに、現代人は、大人になるまでのあいだに、おぼえなければならないことがいっぱいだ。
 たとえば。
 テレビやDVDプレーヤーの扱い。
 パソコンの扱い。
 携帯電話の扱い。
 その他……。
 どれも、たいていは、わからずに使っている。
 どうしてそれに画(え)が映るのか。どうして音が鳴るのか。どうして本1冊分の文章がぴゅっーと一気に、海外にまで飛んでいくのか。どうして線につながっていない電話が、ここかしこで使えるのか。

 必要ないものまで持つことはないだろう。
 少なくとも、何が必要で、何が必要でないかは、考えたい。うまく使うにはどうしたらいいかを、考えたい。……考えなければ、現実と、また、生身のひとと、向きあうことを忘れてしまいそうだ。
 徒(いたずら)にすべてを使いこなそうとし、また、実際に使いこなしていい気持ちになっているあいだに、ひと同士のあいだの機微(きび)に鈍感になり、手仕事がばからしく思えてきたりするのであれば……。
 いろんなことがいかに「進歩」であり、「進化」でも、わたしは、生まれたときの平安時代の赤ん坊のままでも、いい。

Photo
小物(靴下や、ハンカチーフ、ミニタオルなど)専用の
洗濯干し。これも、かなり年季が入っていまして、
もう10年はたっていますかね。
さすがにこのごろ、
洗濯ばさみが欠けたり、
本体から、くさりが取れたり。
こういうのをなおして使おうとするのなんかは、
わたしの趣味みたいなものだろうか、
と思ったりしています。
こんな作業をしながら、
「洗濯したものをどう干すか」
というようなことは、平安時代よりももっと前、
弥生時代のひとも考えていただろうなあ、と
思ったことです

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2008年5月 7日 (水)

真昼のホタル

 夫は、煙草を吸う。
 ひとから猛然と「やめさせたほうがいい」と言われることがあるが、煙草をやめろとは言えないし、そうしたほうがいい、とも考えていない。

 夫がやめたい、と言えば、協力しないでもないが。

 それでも夫は、ひと知れず、外に出て煙草を吸う。
 自分の仕事部屋から小さな庭に出て、煙草を吸っているときの背中を、なんだかわたしは、ちょっと好きなのだ。
 それがこのごろ、なぜだろう。
 わざわざ階段を上がり、2階のベランダに出て吸うようになっている。何かを見下ろしているような様子。
「何か、見えるの?」
「真昼のホタルが……」

 なんだなんだ、真昼のホタルって。
 ベランダの手すりにつかまって、下を覗く。
 あ、ホタル。

 なんという名の草かわからないけど、黄色い花がいっぱい咲いている。
 ホタルみたいに見える。
「花が開くのは日中だけで、夕方から朝にかけてつぼんでるんだ」

 そういえば、数日前、夫とのあいだに、こんなやりとりがあった。
「庭の草とり、しなくちゃね」
「もうしたよ」
 だけど庭には雑草がぴょこぴょこ生えていて、草とりをしたようには、とても見えなかった。あのときは、草とりなまけて「もうした」なんて、何さ、と思った。

 そうか、真昼に、きいろいホタルを飛ばすためだったんだなあ。

 

Photo_5

2階のベランダから見た小さな庭(ほんとは、駐車スペース。
車をもたないわたしたちにとっての、空き地)。



Photo_3

ほんとうに、ちょっとホタルみたいです。

 
 
Photo_2

この花、何だろう。
繁殖力をもつ怪獣のような草だったら……?。
何にも知らない相手。
少しは知りたい相手。



Photo_4

朝、まだ起きていない花。
午前8時くらいから、ゆっくり花が開きはじめます。
夕方は、暗くなる前に、また閉じます。
眠るんでしょうね。
雨が落ちてくる直前にも、なにかを予感するように、
閉じます。

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