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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2008年7月

2008年7月29日 (火)

夏の味噌汁

 夏は気が揉めてしかたがない。
 何と言って、味噌汁のはなしだ。
 年がら年中、味噌汁をたのみに暮らしているが——朝ごはんには、ともかく味噌汁を、と決めている。たとえ、主食がパンでも、めん類でも——、夏になると、味噌汁がその気質をかえる(ような気がする)。
 ふだんおっとりしている味噌汁が、とつぜん、速足になるような。
 かっかっかっかっと、音を立てて走りだし、しまいにはつんのめる。

 朝こしらえた味噌汁は、こうして、すぐにあやしくなる。
 気がつくとその表面に、白っぽい膜が張る。こうなったら、もういけない。
「み」も加担して、饐(す)える。

 夏の味噌汁を、なんというか、立て直そう、とこころを決める。
 朝、涼しいうちに、味噌汁をこしらえる。
 半分は、朝ごはんに。
 残りの半分は専用の密閉容器にうつし、あら熱をとって冷蔵庫へ——これは晩ごはんの分だ。
 朝、2種類の味噌汁をつくってしまうわけだ。
 立て直しなんのと言っても、結局、手を抜く話にもなっていくのだけれど。こうしておくと、夕方の晩ごはんの仕度のなかから、火をつかう仕事をひとつ抜くことができる。
 味噌汁をつくるときに、朝と晩の「み」に、ちょっと変化をつける。ひとつ鍋のなかでつけられる範囲の変化だから、晩ごはん用に掬(すく)いとるときの、「み」の掬い方も、腕のみせどころ。「薬味」のつかい方も、ものを言う。

 夕方。
 冷蔵庫から出して、もう一度あたためなおしてもよし。冷たいまま食べてもよし。
 冷たい味噌汁は、不思議に味噌の味が立っている。 

 

Fumikosan080729

皆さんへの、夏のメッセージにかえて——。
これは、もう20年近く前、先輩におそわった料理です。
持ちよりの食卓に運んだり。お弁当に。
いろいろおたのしみくださいね。

□ 鶏のふた身焼き

材料(4-5人分)
鶏もも肉………………………………………………2枚
〈鶏もも肉のつけ汁〉
 しょうゆ……………………………………………50cc
 みりん………………………………………………50cc
鶏ひき肉………………………………………………200g
〈鶏ひき肉の味つけ〉
 砂糖…………………………………………………小さじ2
 卵……………………………………………………1個
 鶏もも肉のつけ汁…………………………………大さじ1
 塩……………………………………………………少し

① 鶏もも肉の、皮の面にフォークを、ブスブスとつきさし、つけ汁につけておく——もも肉は1枚の大きさのままに。
② オーブンを200度にあたためておく。
③ ひき肉と、卵、調味料を合わせ、よくよく混ぜる。
④ もも肉の肉の面に、ひき肉をのせてひろげる。
⑤ ひき肉をのせた面を上にして、オーブンで20分焼く。ときどき、つけ汁を刷毛でぬる。
※ 食べやすい大きさに切ります。
※ フライパンで焼くこともできます。この場合は、仕上げに、オーブントースターで焼き色をつけると、ぐっとおいしそうに出来上がります。

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2008年7月22日 (火)

そうだったのか……。

 これ、何とかならないかなあ。
 何ともならないよねえ。
 と、長く思いこんでいたことが、ある日とつぜん、すっとほどける。

 たいした話ではないのだ。
「悩み」というほどのことでもなければ、「解決」と呼んでみるほどのことでもない。 
 しかし、こうした類いの思案のいくつかを抱えるのが、生活というものだろうと思う。
 このたびのそれは、コースターである。コップ敷き。
 茶托、コースターが、好きだ。
 湯呑みやコップを平らな皿や、敷きものの上にのせて供する手厚さに、ちょっとときめく。

 湯呑みの下に敷く茶托は、ほとんど木製か、陶製だから問題ないが、コースターは、多くが布製なので、汚れる。すぐと、お茶や酒類のシミがつく。
 このシミが、なかなかにしぶとく、洗ったつもりでも、うっすらとシミの残像が見えるようで、気が引ける。お茶を、と思いながら、コースターのひきだしから、きれいそうなコースターを探すなんて、それこそ、しみたれている……。

 夏のはじめ、真っ白い綿製のコースターをもとめた。
 うつくしさに惹かれて選んだのにはちがいないが、どこかに、捨鉢な思いが潜んでいた。どの道、すぐにシミだろう、と。ひと夏、もたないかもしれないなあ、と。
 ところが、だ。
 純白のコースター、思いがけないことに、具合がよかった。
 たしかに、すぐにシミがついた。シミの目立つことにおいては、天下一品。
(……だろうと、思った)。
 しかし、ふと気がついて、塩素系(白もの専用)漂白剤の力を借りてみた。 
 おおっ。ふたたび、純白。
 布巾や、食器類の漂白のついでに漂白できるところが、具合がいいのだ。
 純白の扱いやすさに、こころづく。

 そうだったのか……。

 
 

Photo
これが、白コースターです。


2
長いこと探していた、硝子のコースターに、
やっとめぐり遭いました。
これは、白コースター以上に、手入れが楽です。
どこでみつけたかというと……。
100円ショップで、です。

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2008年7月15日 (火)

何度も、何度も。

 ちゃぶ台が、好きだ。

 過去にずいぶん長いこと、食卓といえば「ちゃぶ台」、という暮らしをした。
 ちゃぶ台は、暮らしのまんなかで、「質実」に生きたいという願いを、励ましつづけてくれた。
 ごはんがすむと、ちゃぶ台をたたんで、部屋の隅にたてかけ、ひとつの空間をつくりだす。そこで子どもたちと、猫の親子のようにころげたり、カルタやダイヤモンドゲームをしたり。 ——ああ、なつかしいこと。
 テーブルを居間兼食堂のまんなかに置き、そこを食卓と呼ぶようになったいまでも、何かというと、ちゃぶ台をひっぱり出す。
 場面を変えるとき。
 少ない人数で話しをするとき。

 ちゃぶ台の上で、花札やトランプをしたり、手仕事を持ち寄るときには、お互いが近くて、おでこや頭がこつんとぶつかることもある。
 いたたた、と笑いながら、また、手元のことに興じる。

 10年前のある日のこと。
 朝、起きると、すでに夫が起きだしていて、螺子回(ねじまわ)しを使って、何かを何かに、ぎゅっととめ付ける作業をしていた。
 思いつくと、思いついたことが逃げないうちに、という勢いで、突然、ことをはじめるひとだ。何か作っているんだなあ、と思いながら、完成を、待つともなく待つことにする。
 つぎに様子を見たときには、夫は板の表面に、真っ白いペンキを塗っていた。
(真っ白なのね)と、思う。

 起きだしてきた子どもたちの前に、朝方からつくっていたそれを、「ほいっ」と置く。おはよう、を言うよりも先に。

「えー、これ、いいね」
「うれしいよ」
 という、反応。

 末の子どもは、これに絵を描いた。
 上のふたりの子どもたちも、何やら描いている(英単語のスペルや、数式を書くようなことも、あった)。
 白いのは、画用紙の意味だったのか、と気づく。

「そういうこと?」
 と、夫に尋ねる。
「まあね」
 子どもたち専用の座卓をつくりたかった、という。

 ときどき、表面はペンキで白く塗りかえられる。
 そのたび、座卓は新しく生まれるのだった。
 何度も、何度も生まれかわる……。
 見えないだけで、さまざまな記憶を白ペンキの下に、大切に秘めながら。
 なんでもない「簡易座卓」なのに、ときどき「あれ、いま、誰のところ?」などと、探しに探されたりして、この子ども専用座卓は、家具としたら、とてもしあわせな人生を送っている。


Photo
こんな簡単な、折りたたみ式座卓なのです。
末の子どもが中心になってつくった
「双六」が描いてあります。

友だちが遊びにきてくれたとき、
自分たちの部屋に、この座卓を出し、
おやつを食べたりしています。

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2008年7月 8日 (火)

暮らしをデザインする

 ある仕事場。
 午後のひととき。
 微光あふれる室内でお話を聞きながら、なんともいえない気持ちになっている。尊敬してやまない、あこがれの先輩のお話に耳かたむけることの幸福に酔う。
 この方の存在のおかげで、発見した。
 年を重ねていくことを愉しむようになった自分、をだ。

 この方のことは、いつかゆっくり書くとしよう(思わせぶりも、たまには、いいかな、と思って)……。
 きょうは、そのお仕事場の大きな机の上の、不思議なモノのものがたり。

 お話に熱中しながら、見せていただいた画集に魅入りながら、どうしても目が机の端の「そこ」へいく。
 でも、気になりはじめると、どこまでも気になって、今度は左手が「そこ」へのびていこうとする。

 やわらかい触覚がのびた、真四角のもの。
 透明感のある白色。
 素材は……、シリコン、かな。

「それ、つんつんっていうのよ。愉しいでしょう。ソープディッシュなの」
 とうとう、わたしの挙動は読み取られ、その方が言う。
「つんつん、ですか」
 ひらがなで思うから、不機嫌にとげとげしい態度になるときの「つんけん」を連想し、へ? と思わされる。けれどもお話によると、それは「TSUN TSUN」とのことだった。

 一目惚れだった。
 入手方法と、ついでにそれをデザインした高橋美礼(たかはし・みれい)さんという方のことも、ちょっとおしえていただく。
 一点物ではなく、大勢のひとが気持ちよく使えるモノをつくりたい、という考えをもった若手のデザイナーなのだそうだ。
 美礼さん(お目にかかったこともないのに、あんまりきれいなお名前なので、そう呼ばせていただくが)は、短いコラムのなかで、
「日常的に目が届く場所に置くものは、機能だけでなく『佇まい』をもとめたい」
 と書いていらして、はっとする。
 そういう意識は、デザイナーでないわたしも持ち得るのではないかと思って。そして、それは、大仰な言い方になって気恥ずかしいが、暮らしをデザインすることに、つながるのではないかな。
 一目惚れに理由などはいらないと思いつつ、理由があるとしたら、それだな、と思う。

 なんでもない存在の、なんでもなくない存在感。


Tsuntsun1
これが、TSUN TSUNです。
うつくしいでしょう。
なぜでしょう、眺めているだけで、
不思議なほど、こころが和みます。

机の上に置いて、
カードをはさんだりしても……。


Tsuntsun2
石けんをのせておくと、水切れも早いし、
石けんを支える「突起」が、やさしい……。

サイズ 105×105、高さ45mm
重さ  136g
材質  シリコーン
色   海(ブルー)、華(紅)、カフェ・オレ、
    淡い色のもの、ほか
価格  1,260円

デザイナー 宮城壮太郎 高橋美礼

発売元 アッシュコンセプト

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2008年7月 4日 (金)

七夕まで

 さあ、七夕。
 地上での七夕のものがたりは、「笹」からはじまる。昔は、そこにも、ここにも、笹がさわさわと揺れていたし、そうでなくても、近所のお宅に行き、
「いただけますか?」
 と言いさえすれば、笹の1本や2本、すぐに手に入った。
 しかし、年年、笹を手に入れることはむずかしくなっていく。
 近年は、花屋でもとめている。
 店先にはならんでいない。笹は、時間がたつとあっけなく萎(しお)れ、瑞瑞しさをうしなうから、花屋の冷蔵室のなかで、声のかかるのを待っているのだ。

 何年か前の、あのときもそうだった。
 笹を手に入れることができないまま、7月7日が近づいていた。仕事で出かけた谷中(やなか/東京都台東区)の花屋で、笹をみかけた。
「ああ、笹」
 と、うれしさのあまり、後先を考えずに1本もとめた。
 夕暮れがそこまでやってきていた。
 そろそろ混みはじめた電車に、笹を持って乗ることはいかにも憚(はばか)られたが、わたしは、その年の七夕を想って、えいっとばかりに笹を抱いて乗客になった。
「そういえば、もうすぐ七夕。いいお母さんなのねえ」
 それが、なつかしそうに笹を見る老婦人のコトバだと気づくまで、じっと肩をすくめていた。
「いいお母さんだなんて、とんでもないことです」
 と恥じ入りながら、周囲の視線が七夕に染められていくことに、驚く。
「いいなあ、笹」
「うちも、うちも」
 と呟く子どもの声も聞こえる。
 最寄り駅で電車を降りてからは、肩に笹をかついで、胸を張って歩く。
 そうそう、皆さん、七夕の願いをかけましょうよ、てな気分(お調子者)。

 6月の終わりになると、うちにやってくる子どもはみんな、短冊にてんでに願いごとを書く。一応ひとり3枚という約束だけど、
「ことしはピアノの発表会があるの。それが無事にいきますようにっていうの、別に1枚書いていいことにして」
 という申し出があれば、あっさり、いいことにする。
 この期間、自分がまるで願いごとを天に届ける番人のように過せるのが、うれしい。
 しかし、ちょっとは弁(わきま)えてもいるつもり。
 それぞれ書いた願いごとを、公言したりはしない。そっと、天に届ける日まで、色紙の短冊を預かり、緊張している。


31

1階から2階への階段の踊り場に
「七夕コーナー」は、あります。
棚の上、
左側がすでに願いごとを書き込んだ短冊、
右側が、新しい短冊です。
子どもばかりでなく、
大人の友だちも書きます。
もちろん、わたしも。
短冊は、7月7日の、前の日曜日にいっぺんに
笹の葉に和紙のこよりで吊るすことにしています。
七夕の数日後、
番人が願いごとの短冊を燃やし、
天にそれを伝えるんです。


2

なにしろ短冊の数が多いので、
七夕飾りは、毎年これ1本。
ことしはタイの古新聞紙と紅い色紙で
こしらえてみました。
七夕の料理は、そうめんなんだそうです。
天の川に見立てているのかもしれませんね。

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2008年7月 1日 (火)

竃(かまど)でご飯炊き。

 静岡県のとある里での出合い。
 出合った相手は、竃である。
 こちらは、わたしと、十歳の末娘。
 静かな里に移築した古民家の厨(くりや)で、ご飯を炊き、味噌汁をつくるという機会の尻尾を、ただ、つかまえている、という心持ちだ。
 末の子どもにとっては、初めての竃でのご飯炊きだった。

 こういうとき、うまくいくか、いかないかを心配しちゃだめなのよ、わーい、うれしいってね、そういう気持ちで、はじめちゃうの。ね、聞いてる? と、演説。
「わかってるって」
 たき口(ぐち)は2つだが、まんなかにもう1つ小さな羽窯(はがま)がかかるようになっており、2つのたき口でもやした火で、そこには湯が沸く仕組みだ。
 マッチや付け木がすこうし湿っていて、なかなか火がつかない(このあたりでは新聞紙は使わない約束。火の粉が煙突から上がってあぶないからだ)、夢中で、火をおこす。顔も手足も煤で汚れるが、そんなことはかまわない。
 子どもは、火吹き竹を口にくわえ、口元をおさえて(息がもれないように)吹く。燃焼に必要な酸素を送りこみ、燃焼を妨げる灰を吹きとばす役目をする。
 煙で、目がしみる。
 思わず「タンマ!」と、叫ぶ。
 火がついた!
「ついた、ついた」
 と、ふたりではしゃぐ。

 はじめチョロチョロ。
 中パッパ。
 じゅうじゅう(または、ぐつぐつ)いったら火を引いて。
 赤子泣いてもふた取るな。

 これは羽窯で、上手にご飯を炊く、炊き方のうた。
 ほんとうに、このうたの通りだ。
 ご飯が炊けるのを、味噌汁の実が煮えるのを待つあいだ、火を褒める。なんて、うつくしくて、たのもしい、火。
 ご飯のほうの羽窯のなかみが沸騰し、分厚く重い木蓋を持ち上げんばかりに、「おねば」が吹いてくる。これが、「中パッパ」にあたるところだ。
 わたしのうちの台所のたき口はガス台ではあるけれど、毎日ご飯を文化鍋で炊いているせいか、竃でのご飯炊きの感覚——とくに火を引くタイミングは、子どもにもわたしにもなんとなくわかるような気がしている。
「それ、いまだ」
 すっと、火を引く。

 ご飯。おいしく炊けた。
 野菜たっぷりの味噌汁——大根、にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、かぼちゃ、そのほか、輪切りにしたとうもろこしも入れた——も、できた、できた。

 末娘とわたし。
 からだを使って働くよろこびに満ちて、ことばもない。

 

Photo

これが、竃です。
わくわくするでしょう。



Photo_2

竃・たき口の火です。
この火を、皆さんに見ていただきたくて。
なんだか、元気になるでしょう、
「火」を見ると。

※つぎのブログの更新は、7月4日(金)です。

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