はたきの行列
いいものを買った。
羽二重(はぶたえ)のはたき。
ことし最後の掃除にこれをおろそう。
1年の塵を払う気持ちで。家のも、わたしのなかのも、塵を。
はたきに頬ずりしていると——こういうことができるのも、いまのうち——なんときれいなはたきだろうか、とうれしさが満ちるようだ。
感じ入っていると、はたきの向こうに行列が見えてきた。何の行列だろうか、と目をこらす。
わたしの記憶のかなたからやってきている。
たとえば、ことば。
たとえば、道具たち。
たとえば、遊び。
そして、作法。
分野も区分も異なっているようでいて、じつは共通の場所で生きてきたものたち。それだからこそ、はたきの存在をよすがに、ぞろぞろと連なって出てきたのだろう。
行列の先頭のはたきは、どこか得意そうだ。
「わたくしを思いだしてくだすったのなら、この連中のことも思いだしてくださいましよ」
と、言わんばかり。
「日本語」という存在を考える1年だった。
たくさんの仕事のなかで、忘れたふりをしていた「きれいな日本語を……」という主題と、何度も何度も鉢合わせした。「あ、」と声を上げて、目をそらす。影をみつけては、顔を合わせぬよう、急いで道をまがる。そんなくり返しだった。
「きれいな日本語」へのあこがれは、忘れたことにしておいたほうが、仕事が捗(はかど)る。能率が、上がる。
——何をいまさら、きれいだなんて。
ことしの途中ではじめた英文の翻訳の勉強も、英語の勉強のようでありながら、煎じ詰めれば、日本語の勉強だった。なんとか英文の意味を拾ったわたしが、つぎに突きつけられるのは、拾ったそれを日本語、それもきれいな日本語に置き換えるというつとめ。
ここへきて、はたきが行列をつくってまで、きれいなことば、きれいな道具、きれいな遊び、きれいな作法をと、訴える。
ほんとうにそうだ。
来年は、わたしが目をそらしていた「きれい」を思いだそう。
——澄んで、きよらかなさま。さっぱりしているさま。いさぎよいさま。あとに余計なものを残さないさま(広辞苑第5版より)。
机の上で、台所で、室内で、そしてわが身にもとめる「きれい」とは、何か。
ひととのあいだに、そっと置きたい「きれい」とは、何か。
羽二重のはたきのおかげで、「きれい」に対する、このところの気恥ずかしさが、払われた。その柄を、くっと握る。
*
はたきの柄をにぎったまま、謹んで申し上げます。
ことし1年、どうもありがとうございました。
佳い年を、お迎えください、みなさま。 ふ
羽二重正絹のはたきです。
乏しい掃除ごころを、
励ましてくれるよう……。
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