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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2009年1月

2009年1月27日 (火)

如月(きさらぎ)——暦日記

◆ 節分の豆まき(2月3日)

 この日が近づくと、そわそわする。
 いや、うきうきと言ったほうがいいかもしれない。
 そうして、恙(つつが)なく節分の豆まきが終えられるだろうかと、どきどきしても、いる。
 そう、そわそわ、うきうき、どきどき。
 こみ入っている。

 子どものころの節分の思い出は、偏(ひとえ)に、父のはりきりだ。
「福は内。鬼は外。鬼の目ん玉、ぶっつぶせぇ」である。
 父は、家長としての、父親としての威厳のようなものを重んじるタイプだし、崩れを見せないひとだけれど、鬼の目ん玉は、「ぶっつぶせぇ」とくる。近所のひとは、さぞ驚いていることだろう。
 思えば、父は行事のなかでも節分をことのほか大事にしているような気がする。たのしんでもいた。
 何かしようというときには、たのしんでしまうのがいいんだな、ということを、わたしは父からおそわった。「やれやれ」なんて言っていないで。
 父は会社から帰ると、いつものように背広から着物姿にかえるや、「さあ、豆をまくぞぉ」と言い放ち、家じゅうの電気を消して歩く。おたおたしていると、暗闇のなかにとり残されてしまう。さあ、大変。

 子どもの頃の豆まきの記憶は、わたしを駆り立てる。
 そうして、おもむろに叫ぶのだ。
「豆をまくぞぉ」
 つづけて「鬼の目ん玉ぁ」と声を上げるが、「ぶっ……」というあたりで腰がくだける。こんなことでは逃げかけた鬼が、「いま、何てお言いだったかのぉ」と言って、戻ってきてしまうかもしれない。
 ともかく。
 節分に威勢よく豆がまけると、こころからほっとする。

◆ 立春(2月4日ごろ)

 この日は、わたしにとっては正月のやり直しをする日。
 密かにその年2度めの元旦のつもりで、屠蘇(とそ)を用意しておくくらいだ。やり直しという言い方をしなくても、その日はわたしの正月。が、いろいろなことをとりこぼしやすい自分の、かすかな心残りが挽回できる機会だという思いは、やはり少なからず、ある。
 やり直しだから、仕度は、そっと。
 ことしの心づもりは、なますをつくることだ。
 おせち料理のなかに、どうしてもあってほしいなますを、昨年の暮れにつくり損なっている。なますのなかった寂しさは、こころの底につもった。
 でもだいじょうぶ。わたしは立春の日を待って、なますをつくろう、と胸のなかでくり返している。なます、なます、と。

〈なます〉
材料(4人分)
大根(皮をむいて4cmのせん切りに)…10 cm(400 g)
にんじん( 〃 )…………………………………1/2本
鯵(あじ)の酢〆……………………………………4枚
塩………………………………………………………適宜
合わせ酢
 だし汁…………………………………………大さじ4
 ゆずのしぼり汁………………………………大さじ6
 砂糖………………………………………大さじ11/2
   塩……………………………………………………少し
ゆずの皮(せん切り)………………………………適宜

作り方
① 大根とにんじんのせん切りは、塩でもむ。しんなりしたら水気をしぼる。
② これを合わせ酢に一晩漬ける。
③ かるく水気をきった大根とにんじんと、幅5mmに切った鯵を加えて、さっと混ぜる。
④ ゆずの皮をちらす。
※ 鯵がなくてもおいしい「紅白なます」ですが、ここに鯵が加えるのは、
 なんというか、おめでとうごころです。
 下記に、かんたんな酢〆の方法を記しましょう。
 このなますに加える酢〆には、ほんのり甘み(みりん少し)を加えることをおすすめします。
 鯵はちょっとという向きには、干し柿を細切りにしたものを。

〈鯵の酢〆〉
① さかなを3枚におろす。
② これをざるにならべ、多めに塩をふる。
③ ラップで覆おって、1時間冷蔵庫に入れてる(=〆める)。
④ さっと洗って、10分ほど酢につける(=酢〆め)。
⑤ 皮をひく(※ご心配なく、皮はするりとむけます)。
※ これは、鯵や鰯(いわし)の酢〆です。
 身の厚いさかな(鯖〈さば〉)は〆めるのに5〜6時間、  
 酢〆めには30〜40分かけます。

◆ 針供養(2月8日)

 1本の針の働きに思いを馳せる。
 この発明がなければ、わたしたちは、ふたつ以上の重なりを、ただ重ねただけの離ればなれのものとして、着ることもならぬ、容れることもならぬそれぞれ1枚ずつの存在としてしか見ることがなかっただろう。
 しかし、針のおかげで、前見頃と後見頃は見事に縫い合わされ、鞄はまちをはさんで容れものとなり……。けれども反面、針には怖い一面がある。
 若いころに聞いた話だ。
 その方は幼い日、1本の針を踏み抜いたのがもとで、身体に不自由なところができてしまった。職人として佳いお仕事を重ねる日日のなか、針の事故を戒めにして、弟子たちには道具の扱いだけは厳しくおしえている、と言われた。
 滅多にあることではないけれど、起こらないとはいえない針の事故。
「たった1本の針で?」と、思う。
 すぐれた道具のもつ宿命ともいえようか。
 そうだ、道具をおろそかに扱ってはならぬということなのだ。

 「針供養」は、日頃使う針に感謝する意味で、古い針や、折れた針を豆腐やこんにゃくにさして供養する日。
 わたしは針仕事というほどのことをしていないけれども、この日、1本の針の大事なこと、道具の扱いの大事なこと、それを若いひとたちに伝えたい。

 

Photo
豆まきがおわると、
それぞれ歳の数(ことし、なる歳)の
豆を半紙に包み、
それを、ひとりずつの
からだにかざして、願をかけます。
 ——(頭)禿げませんように。
 ——(歯)虫歯になりませんように。
 ——(手)ちょっとはピアノがうまくなりますように。
 ——(お腹)お腹をこわしませんように。
という具合に。
ここまでが、わたしの節分の役目です。

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2009年1月20日 (火)

ハッキヨイ

 お誘いを受け、大相撲一月場所へ。
 相撲といえば。 
 若い頃に一度、東京両国の国技館の隅っこで見物したことがあるだけで、あとは相撲部屋のある町や駅のホームで力士を見かけては「あらあ」と言うくらい。
「あらあ」と言いながら、そのたび、力士は自分が力士であることを隠せない存在なんだな、と思わされる。もちろん、その体格と髷(まげ)姿は身分証明にもなるだろうが、実際にはかなりきびしい面もあるだろうことを想像する。そして、手帖にこう書きつけた記憶がある。
「力士は、力士であることを隠せない。つねに」

 国技館の土俵は、大きさこそテレビで見るのより幾分小振りに見えたが、おごそかな華がある。お相撲さんばかりでなく、そこで働くひとたちも、粋でうつくしい。「力士」が塩をまいたり。「呼び出し」が取組み前に土俵を掃ききよめたり。そこらじゅうが「祓いきよめる」という方向にむかっているからなのか。
 別世界のひとたちであるにはちがいないけれど、じかにその姿を見ると、ああ、お互い生きる者同士だなあというふうに思えてくるから不思議だ。そう思うだけで、このひとたちの都合やら、こころの動きが伝わってくる。都合というのは、いまの時代に国技を守り抜く苦労というのもだし、怪我をして膝が痛いのだ、というようなことも、だ。
 ところで。
 枡席(ますせき/四人でひとつの枡席)は、じつにこじんまりとしている。
 昔の日本人が、いまより小柄だったから、と、どこかで聞きかじったことがある。このたびは、誘ってくだすったおひとの配慮で、3人で出かけたから楽だった。昔のひとは小柄だった上に正座にも慣れていたし、行儀がよかった。それに、我慢づよくもあったのだろう。

 その日は文句なしの客の入り。十両の取組みがはじまるや、吊り屋根の上に「満員御礼」のたれ幕が下がった。
 相撲が好きで好きでたまらないというひと、どうしても好きでいたいと願っているひと、この雰囲気にときどき身を浸したいというひと、わたしのような新参者、いろんなひとが土俵を幾重にもかこんでいるのだった。そうして思いがけないほど国技館は、相撲への愛情に満ちていた。このところつづいた不祥事や、その影響もあっての不人気をくり返し耳にしていた身にとっては、ほんとうに思いがけなかった。わたしたちの隣りの枡席には、空威張(からいば)りの無骨な客がいたけれど、そういう手合(てあい)もまた、本場所を愛して止まないのだということがわかる。それに免じて、多少の無作法には目をつぶる。

 『チカラビトの国』(※)という本を、いま、読んでいる。
 わたしの相撲熱はそうかんたんには去りそうでないが、それでも大急ぎで、相撲のことを知る機会と自分とをつなげたかった。
 この本を読みながら、そうかそうかと何度も膝を打ち、膝が痛くなる。そんななかのひとつに、軍配を手にした行司のかけ声がある。「ハッケヨイ」と聞こえるあれは、じつは「ハッキヨイ」であり、「発気揚揚(ハッキヨウヨウ)」というのが、その語源なのだそうだ。
「発気」とは、気合いを入れて、とか、やる気を出して、という意味でつかわれることば。土俵の上で力士の動きが止まったままになると、この声がかかる。
「ハッキヨーイ、ヨイ」と。
 さあ、もうひとがんばり、と行司は促しているのだ。
 なんとも、いいことばではないか。ときに、こんなことばで励まそうか、自分を。

「ハッキヨーイ、ヨイ」
「ノコッタ、ノコッタ」(まだ勝負はついていない、気を抜くな、という意味とのこと)
 そうして、得意の「独(ひと)り相撲」を? 
 うふふ、愉快だ。

※『チカラビトの国』(乃南アサ著/新潮文庫)

 

Photo
枡席でわたしは、

取組みを目で追いながら、
やきとりに噛みつき、

シュウマイや、幕の内弁当を

ほおばっていたのだ。

これも、たのしかった。

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2009年1月13日 (火)

遊ぼ!

 羽根つきが好きだ。
 何かと言うと、羽根つきだ。

 外国の友人が遊びにくるようなときも、さっと羽子板を出す。
 たとえば花札はうつくしいし、トランプも好きだが、説明するのがむずかしい。そこへいくと羽根つきには説明なんかいらない。羽子板を手にして向かい合って立ちさえすれば、すぐとお互いのあいだに羽根がゆき交う。かん、かん、かん、と。
 外国人相手に羽根をつきながら、まるで国際試合だな、と思う。
 アメリカ、台湾、中国、韓国、タイのひと、みんな滅法うまかった。日本の国技だなどと思って手加減などすれば、たちまち勝ちをさらわれる。手に汗握る国際試合になること請けあいだ。
 そういうわけで。
 羽子板と羽根だけは、正月の箱にはしまわず、わたしの部屋の戸棚のなかに置いてある。

 なぜか忙しい時代だが、ことしは遊ぼうと思う。
 不景気で大変なのだそうだが、それでも、遊ぶ。
 不景気という状況を与えられるのなら、そこでなにかを学ぼうじゃないの、と思う。こういう時代だからこその生き方がしたい。

 遊ぼ!
 羽根つきしよう!
 花札しよう! 
 トランプしよう! 
 ダイヤモンドゲームしよう! 
 メンコにおはじき、石蹴りも。

 暇をみつけては……、いやちがう、時間をこしらえては、いま、羽根をついている。相手と向きあい、あれやこれや話しながら。羽根の行き来がつづくと、笑いたくなる。大声で笑う。げらげら笑う。
 こういう笑いのもとには、「福」だって来てみたくなるんじゃないかな。

 遊ぼ!

Photo
子どものころから使い慣れている
羽子板は、いまも実家で大活躍。
そういうわけで、これは5年前に
浅草でもとめたものです。

羽根。
写真にある細長いのは(家のなかでは)
跳び過ぎます。
花びらがひらいたような
羽根をさがしているのですが、
なかなかなくて……。
そうそう。
羽根のおもりの部分は無患子(むくろじ)
という実なんですって。

★おしらせ
東京都豊島区の地域文化創造館で
「葬儀」についての講座を2回、
受けもつことになりました。
6年前に刊行の『わたしの葬儀』という
拙著をもとにして、お話する予定です。
めずらしい機会なので、お知らせしてみようと
思った次第です。

2009年2月9日(月)・2月16日(月)
〈時間〉  午後2時〜3時30分
〈会場〉  駒込地域文化創造館 第2会議室
〈受講料〉 1000円
〈持ちもの〉筆記用具 教材費500円

〈お問合せと申しこみ〉
駒込地域文化創造館
東京都豊島区駒込2-2-2
でんわ     03-3940-2400
ファクス 03-3940-2401

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2009年1月 6日 (火)

睦月 ———暦日記

 あけましておめでとうございます。

 ことし。
 こういう時代にこそ、という生き方を学び、たのしみたいと思っています、ご一緒に。
 そういうわけですから、ますますよろしくお願い申し上げます。

 月のはじめに、日本の行事を思いだしたり、準備する意味で、「暦」について書いてみることにしたいと考えました。地方色ゆたかな行事、またはおうちごとの行事———もっと言えば、行事の発明もあるかな———を、皆さん、どうぞおしえてください。お待ちしております。
 それでは、そろそろ。
 2009年の茣蓙(ござ)をひろげるとしましょう。

            *

◆ 七草 (1月7日)

 1年のなかで、「七草がゆ」ほど、あわてさせられたり、結局しくじる行事もめずらしい……。
「えー、もう1月7日!」と、毎年毎年約束のように、叫んでいる。そんな叫びの手元に、ナズナやゴギョウ、ハコべラの集うはずもなく、わたしはまた、毎年毎年約束のように、「七草がゆ〜」と悲鳴をあげる。
 そうしてまた、決まったことのように毎年、
 ———いったい、七草って何なのよっ。
 と、独(ひと)り言(ご)つのだった。

 正月7日に、七草を入れた粥(かゆ)を食べると、その年病気なしで過ごせるそうな。ものの本には「中国から伝わり、平安時代に宮中の儀式となる。庶民に広まったのは、江戸時代」とある。
 セリ、ナズナ(ペンペン草)、ゴギョウ(ハハコ草)、ハコべラ(ハコベ)、ホトケノザ(タビラコ)、スズナ(カブ/葉を食べる)、スズシロ(ダイコン/葉を食べる)。
 何年か前、七草にこだわるのをよした。
 なぜと言ってこの時期、霜をその身に受けて葉ものはいっそうおいしくなる。
 せり(これは七草のメンバーだ)、小松菜、ほうれんそう、春菊。
 こうした皆さんから元気をもらわない手は、ない、という気がして。七草がゆ用に、葉ものの葉さきを、暮れのうちから心づもりして、チャック付きの袋にためておくのだ。
 なんということもないけれど、袋に葉さきを詰めるだけで、なんとはなしに七草に気持ちが向いていく。そこが、おもしろい。
 おもしろい……。
 おもしろがる……。
 そうだ、おもしろさこそは、いまの時代に暦ごころを育(はぐく)むめあてかもしれない。

〈七草がゆ〉      
材料(4人分)
米(といでおく)……………………………………1カップ
水………………………………………………………8カップ
青菜(せり、みつば、小松菜、ほうれんそう、春菊、
 大根の葉、かぶの葉など)…………………………適宜
塩……………………………………………………小さじ1/2

作り方
① 青菜は塩(分量外)を入れた熱湯で、さっと茹でて水にとり、ぎゅっとしぼって、細かく刻む。
② 鍋に米と水を入れ、ふたをして強めの火にかける。ねばねばが上がってきたら、弱火にして30分炊く。
③ 青菜と水少少を加え、塩で味つけをする(ごく薄味に)。
④ 煮上がったら、火を止める。

◆ 鏡開き (1月11日)

 ほうら、忙しい。
 11日には、鏡開きだ。正月のあいだそなえていた鏡餅をおろして、しるこにして食べるならわし。
 わたしはここでも、ちょっと脇道にそれる。小豆がゆをこしらえて、鏡餅を入れるのだ。どう言いつくろってみても、自分が甘いものをあまり欲しないからにちがいない……。

◆ 成人式 (1月の第2月曜日)

 3人の子どものうち、2人まで、成人式をすませた。
 この日の忙しさったら、ない。まだ暗いうちから起きだして、着付けだ美容院だ、成人式だという騒ぎになり、その昔、振り袖には見向きもせず、デニムを履いて友だちとラグビーを観に行ったわたしは、もしかしたら親孝行だったかもしれないと、思いかけたものだ。
 最近の若者は、素直だなあ。あのころは、わたしばかりでなく「振り袖素通り組」が、かなりいた。
 が、ともかく。
 振り袖の母はやったのだ、2回も。その日、子どもを成人させたよろこびに浸る暇(いとま)などない。「きもの百科」とかいう分厚い事典を見ながら、振り袖を畳むときには、へとへとになっていたな……。

 あれは、長女が迎えた成人の日。
 夕方、目上の友人から荷物が届いた。
 箱のなかから出てきたのは、おいしそうな鰻(うなぎ)の蒲焼きだった。
「きょうは、さぞ忙しかったことでしょうね。でも、ほんとはお嬢さん以上に、あなたにとって、成人式はおめでたい日なのよ。おめでとう、おめでとう」
 うれしかったなあ。
 鰻を頬張りながら、しみじみする。
 以来、成人式に立ち向かう友人をねぎらうことにしている。あの日の先輩のやり方をまねて。 

Photo

七草がゆの貯蓄袋。
七草がゆが、7日に食べられなかったとしても、
翌日にでも、「きょう、七草を」と
おちついて言ったらいいんじゃないかな。
わたしね、ことしはそういうひとになろうと、
思うんです。
「行事を忘れる→あわてる→がっかりする→とりやめ」
というのをくり返していたのでは、
進歩がないですから。

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