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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2009年2月

2009年2月24日 (火)

弥生 ——暦日記

◆ ひな祭り

「忙(せわ)しい」というのと、「忙(せわ)しない」というのと。
 前者は「そうだ」と言っていて、後者は「そうではない」と言っているのに、意味はどちらも「事が多くて暇がない」「おちつかない」。辞典にあたれば、「忙しない=忙しい」とある。
 そういうわけなので、忙しなく、忙しい状態に陥るときいつも、そうなんだかそうでないんだか……、と思うのだ。手前勝手に、「忙しい」ほうはこころをなくす、と、「忙しない」ほうはこころをなくしてはならぬ、というふうに解釈している。「忙」の「立心偏(りっしんべん)」はこころという字、つくりは、無にする、うしなうという意味の「亡」である。
 どんなに忙しく、いかに忙しなくとも、こころはなくしてはならない、と戒める。

 節分を終えた翌日、さて、と腕まくりをしてひな人形を飾る。ここらあたりが、1年のなかでもっとも忙しなく、忙しいところだろうか。
 それでも、かじかむ指先に春をあつめる心持ちだ。
 指先はふるい立つが、胸のほうは少しちがっていて、幾分怖がっているような。1年間眠っていただいていた人形に会うのが、怖いのだ。
 納めた茶箱の奥の奥で、人形たちは耳をこらして、いいや全身をそばだてていて、何もかもを承知しているような気がする。だいいちおでまし願えば、すぐと前の年、しまったときの自分のこころの有り様(よう)がわかる。ひと目で。そのふくらみを保つため、ぼんぼりのなかに入れるはずの綿を入れ損なっている……。樟脳を忘れている……。そんな事ごとに気づくたび、自分の昨年のぼんやりや忙しなさが、おひな様の皆さんに、どんなふうに障っただろうかと思っただけで、人形の目をまっすぐとは見られなくなる。
「すみませんでした」
 いつもこんな調子だ。
 すみませんのこころで、ひな人形を飾ったその日は、晩ごはんを小皿によそってお出しする。ごちそうではなく、いつものうちのごはんを、だ。飾っているあいだ、ときどき供す。ひとの世に出ておいでのあいだ、ひとの世のごはんを召し上がっていただけば、なんとはなしに……、ええと、なんとはなしに申しわけなさが減る。
 しまい方の落ち度もそうだけれども、飾ってあるひな人形の前で、ばたばたと騒騒しいことに対する申しわけなさもある。ごはんくらい供しなければ、とても追いつくものではない。

 3日にはちらし寿司と潮汁(うしおじる)をこしらえる。
 しまうのは3日が過ぎたその週末までに、というつもりでいる。早くしまわないと、娘の婚期がおくれる、と考えているからでは、ない。まるきりちがう。結婚はしたければするがいいし、しないとなればしないでもいい、と思っている。すべては、その生き方のままにどうぞ、である。
 ひな祭りのあとには、また、めぐってくるものがある。春の彼岸(「春分の日」を中日にした7日間)や、卒業など。つぎの気配を招くためにも、前のことは遅れをとらずにお見送りを。
 ひな人形をしまう日には、蕎麦を供する。
「末長いおつきあいを」というねがいをこめて。

「ややっ、蕎麦がない」と気づいた末に、うどんを供したことがある。
 おひな様方のため息が聞こえるようだったが、知らん顔で、ため息もろともさっさとしまわせていただいた。
「すみません」と、こころでは詫びながら。

〈はまぐりの潮汁〉 
材料(4人分)
はまぐり(塩水に3時間つけておく)…………………………8個
昆布をつけておいた水………………………………………6カップ
酒………………………………………………………………大さじ2
塩…………………………………………………………………少し
しょうゆ…………………………………………………………数滴
みつば、または小ねぎ…………………………………………適宜

つくり方
① 塩水からとり出したはまぐりは、よく洗い、昆布につけた水とともに火にかける。
② 煮立ったら昆布をとり出す。
③ はまぐりの口が開いたところで、酒を加え、味見をする。
④ 塩で味をととのえ、しょうゆをたらす。
⑤ 椀によそい、みつばや小ねぎ(小口切り)をのせる。
※ すぐ出来上がりますし、貝は何度も火がとおるとかたくなるので、食べる間
際につくります。
※ 潮汁、船場汁は、さかなや貝からでるだしの力だけをたのみに、ほかのだしをとらずにつくります。が、はまぐりの場合は、そうたくさんは入りませんから、このたびは「昆布をつけておいた水」を使いました。昆布はちょっぴり、3〜5cmくらいでいいと思います。
※ はまぐりが手に入らなかったら、しじみのおすましがおすすめ。しじみは真水で砂を吐かせます。ほかのつくり方は、はまぐりの潮汁と同じです。


Photo
おひなさまのごはん。
豆皿や、杯(さかずき)にちょっとずつ、
こんなのを。


Photo_2
いま、うちには、
娘3人がそれぞれに持っている、小さなひな人形と、
彼女たちが幼い日につくったひな人形が、
あちらこちらに飾ってあります。
         
わたしは、実家からこの豆雛を持ってきました。
内裏様の全長が、3,3cmという大きさ。
初めてお会いしたときから、内裏様の
お顔はなかったのでした。
「ねずみが齧ったのかしら」
と、祖母がこの人形を見るたび、
つぶやいたものです。
お顔のない人形をお目にかけるのは……、
と思いましたが、愛着深き古くて小さな
ひな人形です。

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2009年2月17日 (火)

味噌、やすみます。

 この季節になると、こころが大豆を追い、麹(こうじ)を追い、てのひらが塩を想うのだ。
 その感覚が、ああ、またその季節がめぐってきたんだなあ、とおしえる。
 順道なら1月のおわりにはすんでいるはずのそれは、味噌の仕込み。

 ことしは、やすむことに決めた。
 つづけるのも選択だけれども、やすむのも選択。同じ選択なら、やすむほうを選んでみるのもいいかもしれないな、と、ふと思った。なんとなく自然に、ちょっと呑気にそう思えたことがたのしかった。たのしいというのは、つづけるも、やすむも、どちらのこともあたりまえに選べる自分になれそうなことが、だ。
 一瞬、えいやっと仕込んでしまおうかな、と考えたのである。でも、よした。どうしてもことしは、やすむほうを選ぼう。えいやっと? いや、やすもう。……そのくらいの揺れはあった。
 暮らしがいろいろなことで混んでいた、というのが、やすむことに決めた理由。
 10kgの味噌づくりには、そのための1日が必要だ。ずうっと見守ったり、ずうっと手を動かしていなければならないというわけではないけれど、全身をそこへ向ける日はつくらないといけない。
 その1日をつくるのに、歯をくいしばらなければならないというのは、ちょっと味噌にも申しわけなかった。しかし「やすむ」に慣れていないわたしは、まるで、歯を食いしばってやすんだような有様(ありさま)だったけれど。

 さびしかった。
 空の甕(かめ)を見るたび、自分が未練がましくため息をつくと困るので、甕は納戸の床下にしまって、来年まで忘れることにした。

 おもしろかったのは、「味噌、やすみます」と告げたところ、家人たちが「えらいっ」とか、「勇気ある決断」と、ほめてくれたこと。
 みんなで手を出し、口を出す仕込みの日のたのしみと、食べはじめの秋口の近づくうれしさを知っているひとたちが、そう言ってくれるのが、ありがたい。
 いまひとつは、味噌友だちの仕込みの知らせだ。
「やっと仕込みました。秋が待ち遠しいです」
「お休みだって? わたしのを食べてね。おたのしみに」

 残念ながら休んでしまったけれども、なんだか、豊かな味噌が手もとに集まってきそうな予感。
 そうして来年は、きっと味噌を仕込めるようにしよう。

2
そういうわけで。
ここには、仕込みのすんだ味噌の写真、が
ありません。
そのかわり……。
皆さんとともに仕込んできた末の、これを。

このブログの本の第2弾が生まれました。
本日(2月17日)ごろから、書店にならぶ予定です。
見慣れている皆さんにも、お手にとっていただきたく、
お願い申し上げます。
ブログには掲載しなかった、小さなレシピも
収録しました。
お役に立つと、うれしいです。

日頃の感謝の気持ちをこめて、
お知らせいたします。

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2009年2月10日 (火)

おっとっと

 一輪車の少女が、目の前をすいすいっと行く。
 うしろから、競歩の選手よろしく腰をふり足を運ぶ、お父さんとおぼしきひとが行く。少女は涼しい顔だが、お父さんのほうは、寒空のもと大粒の汗をかいている。
 一輪車すいすいは、ほんとうに不思議。
 バランス感覚がいいんだなあ。

 あんなふうに、左右のバランスをうまくとってすいすいっといきたいが、わたしはいつも「おっとっと」だ。しかし、そう反省しかかった手の先で広辞苑を繰り、「おっとっと」の項を見て、もうはずんでいる。
「酒をこぼしそうになったり、」という書きだし。こりゃあ、いい。

「酒をこぼしそうになったり、事を仕損ないそうになったりしたときに発する語」 ——「岩波 広辞苑 第5版」

 酒がこぼれるのは、困る。
 事を仕損なうのは、いつものことだが。

 このごろ気がつくと、「つりあい(balance)」ということに、こころをもっていかれている。
 何かをしようとして、つりあってないな、と思ったり。
 無謀なことに走りだしながら、バランスがわるいよね、とつぶやいたり。それは自分への言い訳でもあるけれど、つりあいをとって暮らしたい、バランスのいい計画を立てたい、という気持ちのあらわれでもある。
 考えなしに走りだす質(たち)である。
 脳みそが足にむかって文句を言う。
「こっちの指令どおりにやってくれよ」と。
 足が言い返す。
「指令が遅くていけないや。もうちょっと、素早くたのむ」と。

 しかしいったい、何と何とのあいだで、どんなバランスをとろうとしているのか、わたし。
 バランスといえば、こうか。
・職業と、家の仕事と。
・仕事と、休息と。

こんなのもある。
・ 満足と、不満足と。
・ 目標の達成と、不達成と。
・ 明るいのと、暗いのと。
・ いい気分と、わるい気分と。

 項目はいくらでもあげられるけれど、結局わたしはどんな場面でのバランスのとり方も、「おっとっと」だ。
 それなら。
 つまりすでに少し酔っているくせに、酒だけはこぼさぬように細心の注意をはらうときのような調子で、いこうじゃあないの。と、思う。小手先でバランスをとろうとするのではなしに、そう、あれだ。
 酒を注ぐときコップに生じる「表面張力」のような。
 筆洗(大きめの缶からに、針金で持ち手をつけたのを使っている)を振りまわしても、なかの水が落ちてこない「遠心力」のような。
 下敷きを脇の下で何度もこすり、頭のてっぺんにくっつけるとき、髪が立ちあがる摩擦のような。
 そんな風にいこう。
 いや、少しは落ちついて考え、計画を練るというのが大人のやり方だと思いはするが、計画どおりに事が運ぶなんていうこと、もともと、少しも考えていない。願ったとおりにならなかったことに、ことさらの慈(いつく)しみをおぼえることも、しょっちゅうだ。
 バランスは、どこか遠くの誰かさんが結果としてとってくれるだろう、というくらいの心持ちで。

 自分が決めたバランスにこだわり過ぎると、ときどきまわりのひとを困惑させる。もっとわるくすると、それが自分自身を傷つける。
 自分を大切にするってのは、そういうところから、もうはじまっているのかもしれない。そんなことで自分を傷つけないと、誓うところから。

Photo
好物、柿の種です。
ピーナッツとの割合は、こんな感じが
理想です。
これも一種のバランスかな、と。


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2009年2月 3日 (火)

ダーイジョウブ!

 この数か月、遮二無二(しゃにむに)仕事をした。
 こういうのを遮二無二と言うのだ、と思った。それはがむしゃらに、とか、めくらめっぽうに、という意味の言い方だから、ひとつずつの仕上がり具合には触れずに話をすすめることができるのが、まさに、と思える所以でもある。
 これほど忙しい日がつづいたこともないけれど、たぶん、一種の試験だろうと思わされている。いちどきにたくさんの仕事とどんなふうに向き合うか、家の仕事とどんなふうに釣り合いをとるか、の試験。これまで、ぬらりくらりとやってきたのが、雲の破れ目からみつかって、このたびの仕儀になったんだなあ、と。天の試験官の意図は……。
 そのことは考えまい。試験はもうはじまっていて、とにかく「やっちゃわないと」。

「やっちゃわないと」と決心したのにもかかわらず、自分でも気づかないうちに、ひとりごとを言っていたものらしい……。
 ご飯茶わんを持ち上げながら、ふと。 
 ——ほんとにできるかなあ。

 洗濯ものを干しながら、ふと。
 ——間に合うかなあ。

 最初は末の子どもだった。
 となりでごはんを食べていたのが、わたしのひとりごとを聞いて、箸を置き、
「ダーイジョウブ!」と言う。そうして右てのひらで自分の胸をとん、と叩くのだ。
「ダーイジョウブ!」の言い方はちょっと芝居がかっていて、はじめの「ダ」と、つづく「イ」のあいだに長音符「ー」が入る。
 ——あ、ああ。ありがとう。だいじょうぶだと、わたしも思うよ。

 つぎは二女。
 アルバイトに出かけて行く玄関先で、言う。
「わたしもがんばってくるわ。お母さんもね。ダーイジョウブだよ!」
 そしてまた、手で自分の胸をとん、と。

 最後が長女だった。
 これはパソコンのメールで、勤め先から。
「ダーイジョウブ! お母さん、がんば」
 え……。

 いま、若いひとのあいだで、「ダーイジョウブ・とん、」がはやっているものらしい。
 夜、子どもたちに挨拶。
「あなたたちのダーイジョウブ!のおかげで、ほんとにだいじょうぶに思えてきた。ありがとうね。それ、いまのはやり? ダーイジョウブ・とん、っていうのは」
 きょとんとする3人。
 笑いだす3人。
「お母さんの真似だよ、それ」
「試験があったり、気の重いことがあるとき、いっつも言うでしょうが、『ダーイジョウブ!』って。胸、叩きながらさ」
「ぜんぜん根拠ないけど、それ、言われると安心する」

 そ、そうだったのか。
 わたし、そんなことを……。何か言って励ましてやりたいけれど、いい文句がみつからなくて、そんなことを。
 そこがわたしの軽はずみなところ——根拠なんかなくっても平気で「ダーイジョウブ!」なんぞと言うような——なのだが、それ、わるくないじゃあないの、と思う。いい台詞じゃあないの。
 そうとわかれば、「放出大サービス」だ。
 気弱なひとりごとなんかはよしにして、
「ダーイジョウブ!」「ダーイジョウブ!」の連発である。

 それにしても。
 自分の口癖に気づかずにいたことは、心配しなくてもいいものだろうかなあ。


 

2
夕方、浴室に行ったら、
こんなものが……。
ガムテープの表示も、なんだかチープで
可愛い。
「今日の入浴ざいです」ですって。
まんなかの子どもがみつけてきた入浴剤を、
末の子どもがこうした模様。
おもしろいなあ、若いひとってさ。

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