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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2009年3月

2009年3月31日 (火)

卯月 ---暦日記

◆ 春の草

 子どものころの春の記憶は、「池にはまる」、「川に落ちる」、そして「ころぶ」。
 池はオタマジャクシ。それをすくおうとして、足をすべらせ、どぼん。
 川はザリガニとドジョウだ。捕ろうと夢中になり、気がつけば川のなかのひとである。
 ころぶのは、春にかぎったことではないが、芽吹きと花にうかれて、ことさらにころがる。わたしが子どもだった時分には、切り傷には赤チン(マーキュロクロム液の通称)、と、相場が決まっていた。年中、膝小僧は赤チンに赤く染まっていた。肘も。
 はまるも、落ちるも、ころぶも、慣れっこだから、放っておいてもらいたいようだったが、まわりとしたらそうもいかない。散散大騒ぎをされて、心配もされ、たしなめられる。そのくり返しだった。

 ことし、ふと赤チン時代の気分がもどってきている。
 まだ池にもはまっていないし、川にも落ちていないけれど。膝も肘も、いまのところ無事だけれど。
 春の草と、子どものころのように、ええと、真面目に向き合いたい気持ちがつのっている。
「やっと春らしくなってまいりましたねえ。ほほほほ」
 などときどった挨拶をしていないで、あのころのように里や野を歩きまわりたい、と。

 思いきって一日(ひとひ)をつくり、埼玉県の里にでかけた。子どものころ、ときどき遊んだ寺や川岸を、思いだし思いだし、歩く。ずぶ濡れになった子どものわたしが、向こうで手を振っているような。
 なんという種類なのか、うす紫色のスミレが無数に咲いている。あ、オオイヌノフグリ。小さな小さな青い花にときめく。「この花、好きだ」とつぶやき、オオイヌノフグリの上にかがみこんでいる子どものわたしが、また見えた。
 この日。
 お転婆時代(ああ、それはつづいているかもしれないが)のわたしにも負けぬ愉快な野心を、密かに抱いていた。
 そうしてみつけた、みつけた。ナズナ。レンゲソウ。ノビル。ヨモギ。タンポポ。シロツメグサ。ハコベ。ツクシ。———これらは、みーんな食べられる、食べられるばかりではない、食べておいしい野草たちだ。そうなのだ、わたしが抱いていた野心とは、野草を食べようというもの。「野心」と呼ぶにふさわしいこころのような気がして、思いきりときめく。
 ことしは、できるだけ、いろんな野草を食べてみたいと思っている。乱獲はいけないので、このたびは、ツクシ。
 子どものころ、あんなにあったツクシが、いまはほんとうにほんとうにめずらしくなってしまった。河原で最初の1本をみつけたとき、思わず瞳がうるみそうになる。
 ———久しぶりだね。
「つくしや」という看板を出して、友だちと団子屋になったっけ。ツクシやヨモギを摘んできて、石ころですりつぶしそれをまるめてならべるという、ままごとの商いだ。
 あのころは、そこら一面がツクシとヨモギだったから、すりつぶして遊んでも気がとがめることはなかったが、いまはちがう。少しだけいただいてきて、煮てみることとする。

 愛しいと言いながら、それを食べようとするわたしを、ツクシはどう思うだろうか。どうも思うまい。そんなかすかな揺れを、ひとの宿命と呼ぶのか、と思いながら、鍋のなかにそっとツクシを横たえている。
 春は何につけても、もの思いの季節でもある。

Photo
ハコベの群生をみつけました。
ハコベも、おいしい野草です。
生のまま、汁ものに散らすこともできます。
漬けもの、おひたしにもします。
(根は、はずすこと)。


Photo_2
ツクシを煮ました。
しばらく新聞紙の上にひろげていると、
青緑の胞子がたーくさんおちてきます。
それをはらって、水につけ、はかまをはずします。
昆布だしでそっと煮ました。
味つけは、砂糖(ほんの少し)としょうゆです。
苦いけど、春の味わい。

このほか、
佃煮(こってり煮る)や、炒めものもおいしいです。

スギナも食べられます。
炒めもの、煮ものに。

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2009年3月24日 (火)

しんきゅう

 卒業。入学。進級。

 そういうことばに、つつかれている。
「卒業おめでとう」
「入学おめでとう」
「進級すると、ええと何年生になるの?」
 と言いつつ、くっとうらやましい気持ちになるのだ。

「そういうさ、新しくなるチャンスみたいな状況に身をおきたいなあ」
 と、焼酎を飲みながらつぶやく。
「進級しようじゃないの、わたしたちも」
 と、卓の向こうで友だちが言う。
 以前から、気づいていた。
 この友だちとわたしが、共通の癖をもっていること、にだ。ひとりでいることには慣れているし、それが好きでもあるし、ときどき人嫌いか? と、自分を疑いそうになることもあるし、それでいて、頼まれればいやとは言えないところもある。
 とつぜん、知人友人から問題を聞かされたり、頼みごとをされると、なんだか、奔走してしまうのだ——気づいたときには、すでに奔走。

「だいたいその忙しさで、やり過ぎよ」
「見ていて、ときどき、そこまでしなくても、と思うけどね」

 と言い合って、笑った。
 お互いに、自分の姿は見えにくく、相手のことを、「まったく、どうかと思うよねえ……」とあきれつつも、心配していたというわけ。
 ひとのためになることをする、しようとする、というのはわるくない。そうだ、わるいはずはないのだ。が、過ぎるのはいけない。求めにほいほい応じるだけでは、相手との関係を浅くする結果にもなろう。それに……、過ぎれば、どうしたって自分自身が消耗する。
 無駄なことはできるだけしない。人間関係を刈りこむ。という話ではないのだ。すべては、おそらくこちらの姿勢。そこを見直すことのような気がしている。

 ところで。
 わたしの好きな随筆にこんなのが、ある。
 「幸田文」の「人ぎらい」というのである。これから、一部を写させていただくが、文中の「父」は言わずとしれた「幸田露伴」のことで、「先生」というのは「永井荷風」をさす。

   私はそのとき最初に、亡父の葬式の日のお礼を言った。人づてに聞くと、
  先生はわざわざ来られたのだが、その横町から入らず、そこで頭をさげて
  帰られたというのである。そのお礼を言ったとき私は先生の人嫌いにはは
  にかみも一部分は入っているらしいと思った。
   父の亡くなる何カ月か前、先生と父と両方を知っているある人が、先生
  が父の病床をたずねて見えると伝えてきた。けれどもそのことはなくて終
  った。先生はそれについても話された。「なぁに、あなたのおとうさんにし
  ろ、こちらにしろ、そんなに心の中はがさつな出来じゃないからね。そこ 
  いらの人がちょいと考えついたようなことに乗って、ずけずけしたまねは
  おたがいにいやだものねえ。齢(とし)をとっては、なかなか若い人の思
  うようなもんじゃない」ということを言われた。それはその当時、父の言
  っていたことと同じだった。
                     『雀の手帖』(新潮文庫)より

 しんきゅうしたい行き先は、ここらあたりだ。
 まだまだのわたしは、「進級」と漢字で書くのもはばかられて、机の横に、小さく「しんきゅう」と書いて貼る。

Photo
ほら、こぶしが満開です。

皆さーん、
それぞれの「しんきゅう」めざして、
てくてく行きましょう!

     *

そろそろ、書店に新刊
『おとな時間の、つくりかた』(PHP)が、
ならぶことと思います。
時間のつかいかたについて、書きました。
『おいしいくふう たのしいくふう』ともども、
よろしくお願い申し上げます。

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2009年3月17日 (火)

そうならないのも、また。

 入学試験の季節は、もう過ぎただろうか。
 新年度からの居場所という意味においては、一大事。
 どこの学校の生徒になるかは、家からそこまでの道のりや、ともに学ぶ友だちといったような事柄をその懐に抱いているもの。教室の窓から見える景色や、学校のなかでもっとも好きな場所も、見えないだけできっと待っていてくれるもの。

 入学試験では、ちょっと得難い経験をしている。
 いまから6年前になるだろうか。
 まんなかの子どもの高校受験の春のこと。わたしは受験生の母親として、冷静に、できるだけふだん通り存在したいと考えていた。子ども自身は、ちょっと冷静が過ぎるというような佇まいで——つまり、もうちょっと興奮したり、心配して追い込みの勉強をするというふうでもいいのに、と思ってその様子を見守っていたということ——いた。呑気だなあ、この子ったら、と。
 公立(東京都立)の高校受験日の前前日、子どもが熱をだした。風邪には気をつけていたのに、と思いながら病院に行かせる。すると、伝染病の疑いがあるという診断。デ、デンセンビョウって……と、驚く。かかりつけ医の紹介状をもって赤十字病院に向うときには、子どもの熱はさらに上がって呼吸も苦しそうだった。
 当時15歳。15歳というのは、小児科さいごの年齢なのだとは、そのとき初めて知ったことだ。風船やお菓子の模様の壁の、どこもかしこもかわいい拵(こしら)えになった部屋に通される。そこは、感染症の疑いのある子ども専用の部屋だった。検査を受けて、かなり長いこと待たされ、やっとくだった診断は「はしか」。
 幼い日、予防注射も受けているし、そんなはずがあるだろうか、と思う。

 でも、ほんとうにはしかだった。
 それが証拠に、その日の夜には発疹がでてきて、ぐっとはしからしくなった。 
 試験当日は、保健室にて、ひとり隔離されての受験とあいなる。
 試験結果は「不合格」。高熱でアタマも朦朧としていたし、起きているのがやっとという状態だったのだから、それも無理からぬことなのだ。思いがけず、併願していた私立の女子校に彼女は進学することになった。
 受験の日に起きたこととしては、ほんとうに不運な事態だった。が、子どももわたしも、その事態に、どこか人生のおもしろい一面をみつめていた。
 めざすとおりになればすばらしいが、そうならないのもまた、いいものだ、と思ったのだ。
 そのあとも、いろんなことが起きた。インフルエンザになって修学旅行に行き損なったり。大学受験のときには健康そのものだったが、めざすのとはちょっとことなる道をいくことになった。しかし、わたしたちは、高校受験のときに、めざすとおりにならないこともまた、いいか、という考え方を得てしまった者同士だった。あれからというもの、その境地を学んだことを支えとするわたしたちだった。

 この春、めざしたとおりの道にすすめないことになった誰かさんに——。

 自分のめざすとおりになればすばらしいが、そうならないのもまた、おもしろいんじゃないかな。                

Photo
そのまんなかの子どもは、
女子校に進学して、
洋裁を勉強するようになりました。
いまでは、総裏のワンピースやスーツ、
コートも縫います。
不器用だけど、このことは、
自信につながっているのじゃないかと
思います。

いつだったか、縫ってくれた雑巾です。
ワンピースやコートの写真は、
許可が出ませんでしたので、雑巾(笑)。

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2009年3月10日 (火)

はぐれる

 はぐれやすい体質は、子どものころすでにもっていた。どこへ行っても、すぐ迷子になったし、幼稚園のときもひとりで、みんなとちがうことをしていたらしい。
 当時の集合写真を見ると、笑顔のなかに、ひとつだけ、へーんな顔がある。その顔がわたしだった。
 そういう、全体の空気に気持ちをそろえられないのは、注意が散漫なせいだと思っていた。もちろん、それもある。が、いつか、自分のはぐれ志向に気づくようになる。
 ——わたし、はぐれ好きだ。

 ひとが集まる場が苦手だから、どうしても出かけて行かなくてはならないときのほかは決して行かない。行くと、「現場存在証明」を立て、役目を果たしたら、もう、はぐれて消えることばかり考えている。そして、うまくはぐれたときは……、ほっとするというより、そう、ときめく。

 はぐれ好きだなどと公言できるようになったのは、自分に居場所があるからだ。家。台所。仕事場。はぐれて、帰りたいのはそこなのだ、と思う。

 さて。
 はぐれることには寛大なわたしだが、はぐれてもらっては困る、そんなモノたちがいる。どうにも居場所の決めにくい、モノたち。
・ 子どもたちが食卓に置き放した小さながらくた、おまけ。
・ 誰のものがはっきりしないから預かっておこうか、という小物。
・ 家に帰ってきて、台所ではずした自分のピアス。
・ 入浴前に、子どもたちがはずしたアクセサリーたち。
 こういったモノたちのむずかしさは、いちばんには、小さいので見えなくなりやすいところ。
 捨ててはまずそうな佇まい、というのもある。まずそうな、というのには2種類あって、「ここに置いといたあれ、知らない?」と言われそうだというのと、もしかしたらこれはいつか役に立つかもしれないと思われるというのと。

 ある意味では、一時避難所のような場所ということになるけれど、この場所をもつことは、片づけたい気持ちを励ます。

Photo_3
・子どもたちが食卓に置き放した
 小さながらくた、おまけ。
・誰のものかはっきりしないから
 預かっておこうか、という小物。
をしまっておく、ひきだしです。
わたしの仕事場のたんすのなかに、
これはあります。
       *  
ここにしまったモノたちが、
ときどき、とても役に立つのです。
何かこしらえようとするとき(工作)。
代用品をさがしているとき。
このひきだしには、英雄が眠っている、
というわけです。


Photo_2
・家に帰ってきて、台所ではずした自分のピアス。
の、一時避難所です。
わたしは、出かけるとき、
片耳にだけちょっと下がって揺れる
ピアスをします。
お守りのつもり。
帰ってくるなりはずしたくなるのも不思議です。
帰ってくるなり駆けこむのが台所なんだなあ……。
その証拠みたいです、この一時避難所は。


Photo
・入浴前に、子どもたちがはずしたアクセサリーたち。
の、居場所です。
ヘアピン、ゴムの類いは、洗面台むかいのラックの上に、
専用の容れものがあります。

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2009年3月 3日 (火)

桜もちを買いに、てくてく

 ひな祭りのことでは、もうひとつ決めごとがある。
 決めごと、というほど堅苦しいものではないけれど、脳みそのなかの「決めごと」の項目に組みこんでおかないと、すぐ、忘れる。そういう意味での、決めごと。

 いまのところはまだ、こういう具合だ。
 3月3日が近づくと、「何かすることがあったはず」と、アタマのどこかで豆電球のようなものが点滅をはじめる。何かって、何……。
 やっとのことで、「桜もちを買いに、てくてく」というところに行きつく。

 わたしは、じつのところ甘いものを滅多に食べないし、近くにも極めつけの甘党がいない。いや、いた。夫の父は甘党だ。酒は一滴も飲まないかわりに、晩ごはんがすんでから、「大福を1個だけ食べてもかまわないかな」と口ごもる。口ごもるのも道理で、大福なら、すでにおやつに食べている。義母(はは)の顔をそっと見ながら、小さく「大福」と訴える姿は微笑ましい。
 そんな様子を眺めると、甘党が愛しく思える。
 というわけなので。
 甘いものはたんとはいらないそのかわり、ぽっちりの甘みを大事にしたい、という想いが湧く。
 その象徴のような日なのである、「桜もちを買いに、てくてく」は。
 家から、隣り街の吉祥寺(きちじょうじ)まで、歩く。すたすた行けば25分だが、もう少しゆっくりと行く。あちらのあれをたしかめ、こちらのそれを覗きながら。春が冬の背中をぐいぐい押そうという季節だから、あたりの変化はこの上もなくおもしろい。
 前の週には固くつぼんでいた花の芽が、いつの間にか動いていて、じき咲きだそうかという風情。あららら、とあわてる。あわてたってだめである。相手は、待ってはくれない、少しもだ。

 このたびのてくてくの道すがら、いちばんうれしかったのが、こぶしの木だ。昨年、「花芽がほとんどついていない」と友人におしえられ、あわてて駆けつけ見上げた老こぶし。この1年、「どうか元気になって、来年は花を咲かせてください」と、通りがかるたびに念じ、「お加減いかがですか?」と、幹に手をおきささやいた。
 そのこぶしが、どうだろう。ことしはたくさん花芽をつけている。来週のうちに、ほとんど咲きそろうという勢い。
 樹木のお医者さまが治療を施したのかもしれないし、どこからか不思議な作用も降りそそいだものかもしれぬ。何にしても、この世の、まだまだ見捨てられてはいない証のような気がして、畏れいる。自分たちがくりかえしてきた無慈悲にもかかわらず、これは、と。

 さて、桜もち。
 ここでもとめる、と決めているその店は古くて、昔のままのかまえで立っている。こちらも、できるだけ昔風——折り目正しく、と言ったらいいだろうか——に、その店の客になろう。
 包みを胸に抱きながら、てくてくやってきて桜もちを得、またてくてく帰ろうとするその幸いを噛みしめる。

Photo
こぶしの木です。

 

Photo_2
近づいてみると、花芽がいっぱい。
いっぱいなんです。

 

Photo_3
東京吉祥寺にある老舗の、
こんな包みを抱いて、帰ってきました。


Photo_4
なんともいえない風情です。

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