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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2009年5月

2009年5月26日 (火)

ちゅんちゅん

 子どもの頃には、動物も虫もそうは好きでなかった。草や木は、それよりは近しく、なんというか、手に馴染んだ存在だった。草を摘み、木にもよく登ったから。それでも、好きか嫌いかと、分類してみることはなかった。

 それがどうだろう。
 いまは、動物や虫や、植物が慕わしくってたまらない。
 ひとつには、13年前にわたしたちのもとにやってきてくれた猫——うちに暮らしている黒猫のいちごのことだ——のおかげで、動物に対する目がひらかれた。それまで、猫という存在は知らないのに等しかった。どこでまるくなっていても、歩きまわっていても、たとえすれちがっても、目に入らなかったものらしい。ああいうのを「猫」というのだと、知っているだけだった。
 いちごは、わたしに動物の存在を伝えてくれたばかりでなく、わたしに、自分も動物のうちの一種類だということを、いつのまにか得心させた。
 そうなってみると、わたしには案外、動物にも虫にも、あまり苦手はないことがわかった。へびやトカゲ、蜘蛛なんかは、むしろ好きらしかった。出合い頭に気持ちを奪われて、じっと観察していることに気づき、ああ、好きなんだなとわかった。子どもの頃にはおそろしかった毛虫やイモムシも、年年平気になっていく。
 年年平気に、というのは、わたしが年年、毛虫やイモムシといった方面に傾いているからかもしれない。東京の都下の住宅街に住んでいても、耳や目が、ひとのほかの生きものの気配をもとめている。
 すずめの声を、ちゅんちゅんとうるさく鳴く声を、もとめている。
 庭木や植木鉢にやってくる虫を、もとめている。
 葉のみどりを。土を。それにまみれて汚れる自分の手足を。

 このところのちゅんちゅんは、ますます盛んになっている。それは、春先に生まれたのが若すずめになって、やってくるようになったからだ。大人よりも、怖いもの知らずで、見方によってはずうずうしくふるまっている。ひとのことなど、そうは怖れていない、といった様子なのである。
 毛虫やイモムシは音をたてないので、わたしには、いまのところ、ちゅんちゅんが、その方面への傾きを思わせる合図になっている。
 今朝もちゅんちゅんの合図は、夜明けとともに聞こえていた。
 ——わたしは、どこまで動物、植物、虫たちを好きになるだろうなあ。
「ちゅんちゅん」
 ——ますます、ひととしては生きにくい種類のひとになってしまうかなあ。
「ちゅんちゅん」

Photo
植えつけ1 週間たった、
左からセージ、イタリアンパセリ、ローズマリーです。
ささやかな、キッチンガーデン……。


Photo_2
使い方が荒くて、ホーローの鍋をだめにしました。
底(内側の)にキズをつけ、そこから錆が……。
この春、鍋から植木鉢に転職(ごめんね)。
しそとイタリアンパセリが、元気です。
鉢穴がないので、水をやり過ぎないように気をつけています。


Photo_3
こちらは、左がバジル、右がしそです。
むこうに、すすめが見えます。


Photo_4
ちゅんちゅんがきましたっ。

ここは、えさ場でもあります。
すずめさんたちが集まり過ぎると
いけないんで、内緒ね。

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2009年5月19日 (火)

夕陽とそら豆

 急ぎ足になっていた。
 一刻もはやく家にたどり着いて、晩ごはんの仕度をはじめたい、と思った。わたしはいつも、こうだ。夕方になると、そわそわする。
 ———ごはんをつくらなくちゃ。
 ———ごはんをつくらなくちゃ。
 これは、癖、思い癖のようなもの。
 この日も、だから急ぎ足で、家にずいぶん近づいた道へとまがった。いきなり、目が眩(くら)む。
 ———あ。
 光があふれていた。
 ふだんは、わりあい人通りの多い道なのに、どうしたことか、わたしのほかには人っ子ひとり、猫の子1匹見当たらない。ただ光だけがあふれて、5メートル先が見通せないほどだ。
 道を、曲がったところで、どこかちがう星に切り替わったか。
 ———まさかね。
 思い癖も忘れ、急ぎ足も忘れ、今し方思いついた原稿のネタも忘れ。晩ごはんの献立の心づもりも、忘れた。ゆるゆると歩きながら、自分も光に染まって、異星人になってしまったような……。
 ———なんてね。
 光を超えて発光するそれは、夕陽だ。

 家に帰ると、こんどはそら豆がたくさんわたしを待っていた。なんて、きれいなさやだろうか。ほら、また、思いだした。
 昔ばなしだ。そら豆と、わらと、炭が、そろって「お伊勢参り」に出かけるという話。

        *
  
  川にたどり着きました。
  けれども川には、橋がありません。
  わらが言いました。
  「わたしが橋になりましょう。そら豆さん、渡ってください」

        *

 ええと、このあとどうなるのだったかな。先に渡りたがった炭が駆けだしたのはいいが、途中、自分の熱(熾き火だったのかな)がわらに燃えうつり、炭とわらが川に、ぼちゃんと……というのだったかな。

        * 

  見ていたそら豆は、笑いました。
  あははははははは。笑って笑って、とうとうそら豆のお腹ははじけてしま
  いました。
  そこへ通りがかった……、

        *

 あれ、通りがかったの、誰だっただろう。
 とにかく。糸と針を持ったひとが通りがかり……、

        *

  そら豆のお腹を黒い糸で縫ってくれました。
  そら豆に黒い筋ができたのは、そのときからです。

        *

 なんだか、ちょっと怖い物語だ。子どものころも、「そこで笑っちゃうの? そんな場面で?」と思った。お腹がはじけるというのも恐ろしかった。恐ろしくて、しばらく大きな口を開いて笑えなかったような。
 だけど、そら豆は好きだ。どんな過去があったって、そら豆はそら豆だもの。
 短い期間だけの、あなたのわたし。そう幾度も食べられない。食べられないこともないだろうが、大事に少しだけ、という気持ちがどうしても湧く。

 出先での仕事に、思いのほか時間がかかり、急ぎ足で帰ってきたその日、わたしを慰めてくれた夕陽とそら豆。お疲れさん、と? いや、ちがう。ただただ包まれた。
 ひとの慰め、労りもありがたいが、夕陽とそら豆は無言だ。コトバもなく、包むなんてね。

Photo
そら豆。
わたしは、豆だけ茹でるのと、莢(さや)ごと焼くのと、
半半くらい。
こうして見ると、そら豆って、ほんとうにきれいですね。
豆もいいけど、莢もいい、立派です。


Photo_4
そら豆の莢からの連想をひとつ……。
   
娘の本棚の下に、
こんな包みが置いてありました。
仕事先で拝借した資料なので、ふた月預かるのだそうです。
この身なりは……。


Photo_3
こういうものを包むのは、紙がいいです。
そうして、なかみを鉛筆で、書いておく。

家のなかのそこにも、ここにも、
塩化ビニールで包んだものを置いておくと、
あずましくありません。
そら豆みたいに、感じのいい莢を、と思うんです。

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2009年5月12日 (火)

泣きたい

 手仕事———くつ下の穴の繕(つくろ)いどっさりと、雑巾縫いどっさり———をしようと、ひとり、居間の床の上に坐りこむ。ぺたんと。
 ———あ、テレビ、観よ。
 なにしろ早寝だから、夜のテレビ番組を実時間で観ることがない。午後9時からのだって、10時からのだって、わたしにとっては深夜番組だ。観たいなあと思う番組(そうは、ないけど)は録画しておく。

 さてこの日、わたしはドラマが観たかった。これは、かなりめずらしいことで、どうやら、こころがふくらんでいたものらしい。胸のこのあたりにふくらみがないと、ドラマに描かれた哀しみや、しんどさや、はらはらどきどき、感情の昂(たかぶ)りが収まらない。そういうのは、現実だけでたくさん。と、思うからか。そうでもあるまいが。
 端的に言うなら、この日、余裕があったということだ。時間にも、こころにも。
 仕事部屋の、DVDの隠し棚をあける。ふふふっ。
 すーっと、指がひとりでに細ーいDVDの背をたどりはじめる。すーっが、ぴたりとひとつところで止まるのを待つ。
 こうして選んだドラマは、数年前に放送された学園ものだった。保存してあることさえ、忘れていた。これを選んだかあ、わたしの指は。ちょっとした感慨が押しよせ、しばし、そのなかに浸る。
 ———これを選んだかあ……。

 針をもつ手が止まっている。
 ものがたりに、台詞に、ひきこまれているらしい。はっとして針をもち直しても、また止まる。
「ほらほら手がお留守になってるわよ。テレビ観ながら手仕事なんて、だめ! だめ!」などとたしなめるひとはいないのに、はっとする。
 ちょっとはなれたテーブルの、ひとの気配にふと気づく。
 つれあいが、坐って、テレビを観ているのだった。
「お帰りなさい。気がつかなかった」
 年明けからずーっと忙しくて、このひとのゆっくりしているところを、長いこと見ていない。それが、椅子の背にもたれてテレビを観ているのだ。
 ———仕事、ひと区切りついたんだな。
 そう思って、まじまじと顔を見る。
 え、なに? 頬をつたうそれは、何? え?
「泣いてんの? ちょっと。どうして?」

 聞けば、今し方、1本の映像作品を仕上げてスタジオから帰ってきたのだそうだ。このたびの仕事がまずまず無事に終わって、「気を、ゆるめたかったんだ」と言う。
「帰ってきてみたら、あなたがドラマに熱中しているからさ。ぼくも観るともなく観てたわけ。そしたら、ゆるんだ。……泣きたかったのかもしれないな」
 わかるなあ、泣きたかった気持ち。
 ゆるめたかった気持ちも。
 ついつい目をやったドラマの助けもあったのだろう、なみだが、するすると、流れていく。
 なみだを流すのは、浄化作用だ。

「どんどん泣きなさいよ、ほら」
 そう言って、近くにあった、じきに雑巾になろうというタオルを手渡す。 

 

Photo
涙を流しているつれあいに、
「じきに雑巾になろうというタオル」を
渡したりしちゃあ、いけないんでした。
うちには、ハンカチーフだって、タオルハンカチだって、
あるんです。
1階と2階のあいだの階段のおどり場に、
そのひきだしは、あります。
ここに暮らす全員共有のひきだしです。
上から、
・ハンドタオル
・タオルハンカチ
・ハンカチーフとバンダナ
・ポケットティッシュと、そのカヴァ
・風呂敷、袱紗(ふくさ)、金封袱紗
       *
出がけにみんなここを通るので、この場所に。
降りた先が、玄関です。


Photo_2
これは、タオルハンカチのひきだしです。
         *
つれあいは、ハンドタオルとハンカチーフ
(またはバンダナ)2枚1組で持っていきます。
ご心配なく、
花模様じゃないものも、あります。

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2009年5月 5日 (火)

片づけられない子どもだった……。 〈3〉

 いよいよ子どもたちの話。
 3人とも、わたしが子どものころ片づけられなかったのよりは、いくらかずつは片づけられるようだ。そうは言っても、比べる片づけられなさが相当なものだったから、たいしたものではない。
 わたしの子ども時代とのいちばんのちがいは、片づいているときがあること(それぞれの自室)、片づいた状態が好きなことだろう。
「あー、部屋、片づけなくちゃ。なんか、運気が下がりそうな散らかり具合だあっ」
 と、叫んだり。
「はいはいはいはい。いま、片づけますっ」
 と、自分自身にむかってつぶやいたり。
 そういう独り言を聞くにつけても、ちょっと感心する。そういうこと、「アタシはぜんぜん、思わなかったなあ」という感心。
 とはいえ、いまはなんとか片づけられるひとに変身したわたしとしては、言いたいことがないわけでは、ない。助言というか。

・ 脱いだ服をかける。
・ ごみを捨てる。

 子どもの片づけなんか、それで、じゅうぶんだと、わたしは思う。
 うちの3人のうち、上の2人はもう大人だし、それなりに荷物がふえている
———本やCD、衣類、仕事や勉強関連のものなど———し、ということで助言の項目を少し加えるとしても、あと2つだ。

・ すべてのものに置き場所を決める。
・ 使ったら、置き場所にもどす。

 モノの持ち方、持つ数について。それは自分の好きなように決めてよ、と考えている。あまり持たないという持ち方も、適度に持つというのも、いっぱい持つというのも、それぞれの生き方、暮らし方だから、口は出せない。どんなふうな持ち方をするようになるのか、興味はあるが。

 わたしは子ども時代、家とは片づいてすっきりとしたものだと思いこんでいた。自分自身は片づけられない子どもだったのにもかかわらず。片づけている母の姿、置き場所の決まったモノたちを見ていたことが、すっきりとした空間のなかで過していたことが、そう思いこませたわけだ。
 3人の子どもたちも、きっとわたしのしまい方、持ち方を見ているだろうなと思う。見ていてわたしと同じように暮らすとは考えていないけれども、わたしの暮らしをひとつの型紙として、頭の片隅にひろげる日もめぐってくることだろう。たぶん。
 片づけに対する「伝授」は、そこに尽きている。

「伝授」したところで、口うるさく片づけを促(うなが)したところで、子どもが自分の「片づけ力」を、この家にいるあいだに発揮することはないだろうと思う。それはおそらく、この家から巣立ち、自分の家をもつときに初めて遺憾なく発揮され、自分の暮らしが実現する。
 わたしがそうだったもの。 


1
子どもたちの部屋は3階にあります。
紙のごみ箱、プラスチック類のごみ箱、
再生できる紙類
(ざつがみ)を入れる袋はそれぞれ、
共通のものを
使用(置き場所は、廊下および、廊下の棚のなか)。
というわけなので、自室での手もとのごみ箱として、
紙の箱を使っています。

紙の箱用紙は——
折り込み広告(金曜日の朝刊に入る自動車とマンションの
広告が、厚手で丈夫!)はじめ、四角い紙ならなんでも
いいのです。
ただし正方形でないほうがいいです、こんがらかるし、
かたちが決まりません。長方形の紙で折ることです。

★ 紙の箱の折り方
2
① 紙を半分に折ります。
  そうしてまた、もう半分に折ります。
  もとの大きさの1/4になるわけです。
  半分に折ったところにもどり、
     写真のように、紙の「まんなか」に
  指を入れて開きながら折ります。


 
3

② 同じように裏の面を折ります。
  両面それぞれ片方の端を、
  もう片方の端に合わせて折ります。
  こうすると、両面ともちがう面があらわれるわけです。
  写真のように、片面ずつ、端を中心線に合わせて折ります。

 

4
③ 下1/3の、四角い部分を折り上げます(両面とも)。


5

④ このままでもかまわないのですが、
  ③で折り上げた部分のまんなかにはさみを入れ、 
  箱の側面にできた三角部分に折り込むと、
  おさまりがよくなります。


6
⑤ ほら、こんなふうに。
  羽根を折り込むと、写真手前のようになり、
  そのままだと、向こう側のようになるわけです。
          *
  箱の姿には開かずに、
  とがった頭を底辺まで折り下げ、四角いかたちにして
  溜めておきます。
          *
  ちなみに、わたしの机まわりのごみ箱も、これ、です。
  食卓にも、出先にもこれがあると重宝します。

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