葉月---暦日記
◆ゆかた
「きょう夕方、花火大会に出かけるから、ゆかた着せて」
いきなり、そんなことを云われたってね……、と文句を云いかけて、そのじつ、こころが湧く。
きもの。
日本という国がもっていたもっともあさましくない、もっと云うなら、気概を感じさせる「衣」の領域だと思わされてもいる。いまのわたしのがさつな暮らしのなかに、かたちだけ入ってきていいものだとは思わないし、かといって、すこしも掠(かす)めないのは、哀しい。
いまのところ、ゆかたが唯一の「掠め」なのである。
自分で着ることはできないし、ひとを着付けることもかなわない。が、ゆかたなら、わたしにも着せてやれ、帯も結べる。それが、夏を、そっと湧かせるのだ。
わたしにできる、ささやかなきものの仕事、夏の仕事、というわけだ。
だいいち、幼い日にはわたしが選んでもとめておいたものを、大喜びで身につけていたはずの子どもたちの「着る」には、もう、ほとんどかかわれなくなっている。「好み」がはっきりしてきているし、先日などは、長女から「わたしが、女っぽさを踏み外したのは、ひとえにお母さんの影響よねっ。そこを、まぬがれたK(二女)は女らしくなったし、その真似をしているS(三女)はまた、小6にして女らしくなって……」と、恨み言を。
そんなようなわけだから、末娘の「着る」からも、そろりそろりと後ずさりしつつあるような有様。おお、つまらない。
しかしね。
ゆかたになると、話がかわってくる……。
ゆかたや帯をもとめるのも、小物も、わが身ひとつの算段でとりしきれる。
——まかせておいてよね。わるいようにはしないから。
帯の結び方は、初めて長女にゆかたをもとめたとき、呉服屋の気のいいおばさんに着付けの過程を、ひとコマひとコマ、撮影させてもらってつくった手引きがある。もの覚えがよくない上に、忘れることにかけて人後に落ちないわたしだからと、あのときは、微に入り細にうがって撮影したのだった。
取材をしながら、ああ、きものは「着る」というだけのこととは、少しちがう、と思った。ひとの「そのとき」に添った「表現」と、何より「心がけ」だと。
そのときからの、ゆかた仕事なのだ。
子どもたちは誰も彼も、出かける間際に、髪だけ自分で——末娘は、姉たちの思い入れの弾んだ調達で——工夫してこしらえ、「さあ、着せてちょうだい、早くお願い」という差し迫ったなかにあらわれる。
こちらも急(せ)いた勢いで、しゃっと帯を結びあげる。もうもう、このときには、最後まで着崩れがしませんようにという一念にとりつかれて。
ことしは、きょうまでのあいだに、2回ゆかたを着せている。
そういえば、自分自身はいったいゆかたを着る日がくるのだろうかと思いつつ、気がつくと自分の「着る」よりも愉快そうな、あたらしい夏の夢をまとっていた。
わたし好みの白地に藍ひと色のゆかたを、この夏とつぎの夏のあいだに縫ってみようという夢である。決して正装にならぬゆかただけれども、さいごには孫のおむつに縫いかえた祖母たちの想いも受け継いで、縫ってみたいものだ。
——お母さん、急でわるいんだけど、明日ゆかたを……。
——へーい。黒いのにしましょうか? それとも花模様のに?
長女が生まれたとき、やえばあが染めて(紅型染め)
縫ってくれた浴衣です。
3 人がそれぞれ、くり返し着た上、四半世紀がたっているので、
色は褪せてきましたが、たからものです。
ごく小さいときには、帯は、大人の帯揚げをつかいました。
いざ……。
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