香川県高松市丸亀町へ。
これから1年間、月に1度は通うことになる町だ。持てる礼節をかき集めるようにして向かう。緊張している。
いちばん印象にのこったのは……、リムジンバスだった。
高松空港から行き先までの足にバスを選んで乗りこんだら、初老の運転手に声をかけられた。「大きいお荷物はありませんか」スーツケースでもあれば、バスの下部に収納してくれようということらしい。「ないです、ないです。こんなのひとつだけ」と、かばんを掲げて見せる。
ここで、運転のお方がこう云ったのだ。
「ほかに用事があれば、云ってください。そのときにはお役に立ちますから」
唖然とした。この親切。このもの云い。いったい、どういう国のどういう種族だろうか、と思う……。
初っ端(しょっぱな)で、ついこころをつかまれたため、肝心なことを尋ね忘れ、途中、バスが信号待ちをしているときに立っていって、「丸亀町商店街は、どこで降りたら近いでしょうか」と尋ねる。「兵庫町で降りてください」
「兵庫町」でバスを降りるとき、運転のお方はバスのステップまで降りてきて、「これが、このあたりの地図ですから、お持ちください」とA4サイズの紙を手わたしてくれた。
「この信号を向こうに渡れば、そこがもう丸亀町商店街です。お気をつけて」
*
一足(いっそく)飛びに帰路である。
こんどは高松駅からリムジンバスに乗りこむ。
——もう、行きのような運転のお方には会うまいな。そういう徒(むだ)な期待は戒めておくのにかぎる。
しかし。帰りの運転手は、行きのお方と年の頃も似ていて、かつ、親切なところまで……。
お母さんの急ぎの買いものを待つあいだ、バス停に残されていた子どもに「1 、2 分なら待てるからね」とそのひとは云い、子どもとならんで立っている。そしてお母さんが駆けてきた。
(このお母さん、バスに乗りこむなり「お待たせをして、すみませんでした」と一礼。拍手)。
——高松って、高松って、高松って。
あたまがぐわんぐわんする。一種の衝撃にはちがいないけれどももちろん、心地よいぐわんぐわんだ。
途中のバス停で、「このバス、◯◯へは行きますか?」という質問に、「行くんだけどもね、これ高速バスだから通過しちゃうんです。ごめんなさい。ここで待って『△△行き』がきたら、乗ってください。ほんと、ごめんなさいね」と応える。
空港で料金を払うときには、先に「おつりでしょうか?」と尋ねられる。
「いえ、ちょうどありました」
「それは助かります。どうぞお気をつけて」
高松のリムジンバスはすばらしい、という短絡的なはなしは、少ししかするつもりはない。
けれど、わたしはこのたびの「ぐわんぐわん」のなかみを、書いておかなければ。
ひとのふるまいは、そのひとのまわり半径10メートルほどの空気をつくる。気持ちのいいふるまいをするひとが多ければ、半径10メートル同士がかさなりあって、そこら一帯が気持ちのいい空気になる。
反対に……、これは、割愛。
身近な大人のふるまいの、子どもにあたえる影響も大きいが、一度きりしか会わない大人のふるまいは、ともすると、それよりもさらに影響の大きくなることが少なくはない。
袖振り合った大人の、素敵さは子どもたちをして「早く大人になりたいなあ」と思わせるだろう。そればかりか、「大人になったら、自分もまわりに、とくに子どもにこういうふうに接するんだ!」という風に自然に考えるようになるだろう。
だから……というわけではないけれど、やっぱりだから、日頃のふるまいを見直したい。
そう思わせてくれた、このたびの高松発「ぐわんぐわん」。
高松港から直島にわたりました。
瀬戸内海です。
漫漫とした海を、皆さんへのお土産に。
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