オレンジページnet
このブログは、
『オレンジページnet』の
オリジナルブログです。

『オレンジページnet』はこちら>>
 
profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
profile:山本さんの本
不便のねうち 不便のねうち
足りないくらいがおもしろい 足りないくらいがおもしろい
片づけたがり 片づけたがり
おいしい くふう たのしい くふう おいしい くふう たのしい くふう
こぎれい、こざっぱり こぎれい、こざっぱり
人づきあい学習帖 人づきあい学習帖
親がしてやれることなんて、ほんの少し 親がしてやれることなんて、ほんの少し
まないた手帖 まないた手帖
朝ごはんからはじまる 朝ごはんからはじまる
わたしの節約ノート わたしの節約ノート
おとな時間の、つくりかた おとな時間の、つくりかた
家族のさじかげん 家族のさじかげん
子どもと一緒に家のこと。 子どもと一緒に家のこと。
台所あいうえお 台所あいうえお
元気がでるふだんのごはん 元気がでるふだんのごはん
子どもと食べる毎日のごはん 子どもと食べる毎日のごはん
わたしの献立帖 わたしの献立帖
●こちらもおすすめ!
 『オレンジページ』のブログ
オレンジ進行中
オレンジページ定点観測
堤信子さんの文具びより (ときどき雑貨)
ワンツー☆スリーピース
からだの本ネット日誌
『花カレンダー』のブログ
オレンジページnet エディターズ・ボイス
オレンジページnet
『オレンジページnet』はこちら。

『オレンジページ』に関するご意見、お問い合わせはこちら。

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2009年9月

2009年9月29日 (火)

神無月 ---暦日記

 10月といえば、体育の日だ。

 自分にも子どもたちにも(現在のところ)、運動部に所属して日夜練習に励む、というような経験がない。学生時代、夫はバスケットボールと陸上をやっていたというけれど、わたしはその時代を知らない。知っていたなら、どんなにかおもしろかっただろうに、とも、また、さぞ熱をこめて応援しただろうに、とも思うけれど、残念なことだ。

 そういうわけなので、わたしが「体育の日」から連想するものはといえば——。 

 

運動靴のひもを結ぶ


ひもを結ぶのを、わたしにおしえたのは父だ。

 こういう役目を父がするとは、両親相談尽(そうだんづく)のことだったのかどうか、ひもを結ぶ、はさみを使う、鉛筆を削る、雑巾をしぼる、ものを拭く、といった類のことは、ほとんど父からおそわった。いつも、いきなり手ほどきがはじまる。

 ひもの結び方のときは、とつぜん泉屋のクッキーの缶の四角いふたが目の前に置かれたのだった。それと、1本のひも。

 わたしの時代のひとで、泉屋のクッキーを知らないひとはいないだろう。当時、到来物のクッキーといえば、泉屋のだった。白地に紺色のロゴの入った缶を見るだけで、こころが踊った。

 ——ひもを、こういう具合に十字にかけて、ひもの交わるここで蝶結びをするんだ。

 そう云いながら、父はわたしの隣りにやってきて、同じ向きで、缶にひもを十字にかけ、蝶結びをする仕草を見せた、何度も何度も。実際にやってみると、なかなかうまくいかない。できるようになるまで、かなり時がかかった憶えがある。おぼつかぬ手もとを、じっと見守ってくれた末に「それでいい」とひとこと云うと、缶のふたとひもを持って、どこかへ行ってしまった。

 そののち、たいていのものが結べるようになっていたのに、我ながら驚く。わけても、初めて買ってもらったアップシューズの、むずかしそうに見えた靴ひもを、難なく結べたときは、ほおっとなった。小学1年のときのことだ。

 わたしが子どもに、そろそろひもの結び方をおしえようというときには、なつかしい泉屋のクッキーをもとめてきて、その四角いふたで練習したのは、云うまでもない。何もかもがすぐと変わってしまうこの時代に、何ひとつ変わらないクッキーに再会したこともうれしかった。

 

てるてるぼうず


 気象衛星の力を借りて、やけにくわしい天気予報がなされようと、いまもって、子どもばかりでなく大人までもが、遠足や運動会の前の日にてるてるぼうずをつくろうとするのは、じつに愉快だ。「てるてるぼうずごころ」が消えずにあるうちは、ひとのなかに自然や天候を敬(うやま)う気持ちが残っている証拠のような気がするからだ。

 わたしも、ときどきこしらえる。

 白い布(紙)をひろげたまんなかに、まるめた紙を置き、それを頭に見立てて首をつくり、ひもでしばる。これを窓辺にぶら下げるのだ。

 そうそう、願いをこめてぶら下げるときには、てるてるさんの目鼻は描かない。

 ——願いどおり、天気になったら、初めて顔を描くのよ。

 と、祖母におそわった(※)。晴れて顔をつけたあと、昔は「金の鈴をあげたり」、「甘い酒をたんと飲ませたり」したものらしいが、わたしは、数日窓辺に坐ってもらうだけである。

 

 あれは上の子どもが中学生のときのことだ。

 めずらしく神妙な顔をして、てるてるさんをつくっていた。

 ——怪我をした先輩がちょっとでもバスケットボールの試合に出られますように。たとえ出られなくても、こころが元気でいられますように。

 と云いながら、軒先に吊るしている。

 ——てるてるぼうずって、「あした天気にしておくれ」と願うための存在で、あなたの願いは、その領域からずれてるんじゃあ……。だいいちバスケットボールはインドアの競技ではないか。

 そう思いかけて、はっとする。

 願いは、こころが晴れるということだな、と気がついて。翌日の夕方、てるてるさんは、少しすました顔をして、子どもの机の上に坐っていた。ちょこんと。

 

 てるてるぼうず、てるぼうず、あした天気にしておくれ。

 

※祖母は、このとき「雨を願うときには、さかさに吊るすのよ」とおしえてくれました。ものの本には、黒い布(紙)でつくると雨を願うことになる、とあります。


友人に、運動靴の結び方をおしえてもらいました。

オーソドックスな蝶結びです。

わかりやすいように、

赤いひも(左)と白いひも(右)を結んでみます。

靴の先は上です。


1

結び目をつくります。


2

②左右のひもを、写真のように輪にする。


3_2

③ちょっとわかりにくいですが、

 このとおりに2つの輪っかを組み合わせると……。

4

④③で組み合わせたふたつの輪っかを、

左右にひっぱると……、具合のいい蝶結びに、

なります。

 

        *


友人のおかげで、靴ひもの結び方に、

いろんな種類があることを知り、驚いています。

運動靴の上部に編みこみが広がるような、

芸術的な結び方まで見せてもらいました。

が、わたしには、とてもとても。

 

| | コメント (28)

2009年9月22日 (火)

もう少し先のこと

  何に躓(つまず)いたのだか、ころんだ。両手両膝をついてころんと、まるで子どもみたいに。街中(まちなか)だったが、そこは、ころび慣れているわたしのことだ。そうは恥ずかしくない。

 ——あはは。またころんじゃったー。

 

 道の上でもよくころぶが、生活上でも、よくころぶ。別の呼び方をするなら、それは失敗だ。

 自分に落ち度があるから失敗するわけだけれど、わたしはここに、密かにちょっとした自負を感じている。自負というからには、己(おのれ)の才能や仕事に誇りをもつ、ということになるわけだが、そう、わたしは自分の落ち度に、落ち度の多さに、自負をもっているのである。

 落ち度があまりに多いので——どうしてそうであるかは、この際、棚上げさせていただくとして——ひとを非難しないし、怒ったりもしない(つもりだ)。ましてや、ひとの失敗を嗤(わら)うなど何をか云わんや。嗤おうったって、たまにひとの失敗を見かけることがあっても、自分よりひどいのは滅多に見ないからだ。もっとすごい過去の自分の失敗を思いだし、嗤いかけた口元が、すぐと引き攣(つ)る。してみたくても、非難もできなければ、怒ってみせることもできはしないというわけだ。

 そんなことに誇りをもつなどとは、負け惜しみであり、さらには反省の足らない証しでもあるのだけれど……、しかし、もうちょっと、ひとはひとを緩(ゆる)く許す存在であったらどうか、という思いの募(つの)るきょうこのごろ、わたしは自分の落ち度に免じて……許しと、許されに傾きたいと、希(ねが)う者だ。

 

 恥知らずな落ち度自慢はさておき、今し方ころんだ理由について考えている。膝をこすりながら。目の前ばかり見過ぎていたかもしれないな、と思い返す。

 足もとも大事だが、そこにばかり気をとられていると、かえって足をとられることがある、とは、山の道を行き慣れた岳人の回顧録で学んだのだった。

 視野は広めに、遠目を利かせて、と。

 

 最近、こころがつんのめっていた。いや、倒れる一歩手前、つんのめりそうになっていた、と思う。

 視線低く、空はおろか、木木の梢すら見上げず、行き交うひとの顔も見ずして、わたしは履いている靴の先を見ていた。仕事のことを考えはじめると、おのずと視線が低くなるし、このところ、そうでなくてもちょっとくたびれてしょんぼりしていた(ような気もする)。

 

 ——春を思おう。

 と、とつぜん、ひらめく。

「また、何を、いきなり春なんて!」とひきとめにかかる、もうひとりの自分の腕を乱暴にも振りほどき、もう一度、「春を!」と、小さく叫ぶ。

 めぐってきたばかりの秋、つぎの冬を飛び越して、春。秋蒔きのタネを土に埋めたり、球根を選んだり。この季節、園芸作業は春の準備をむかえる。春を思って土にまみれることで、かじかんだ視線——いったい、そんな表現があるものだろうか——を、ほぐそう。

 そうだ、もう少し先が見たい。

 

Photo

ラベンダーを育ててみようと思っています。

タネの袋って、きれいですね。

 

このほか、

球根類も植える計画です(1011月/東京)。

 

球根類を庭に埋めると(うちのは、とくに猫の額ですし)、

スペースをとられてしまうので、

鉢やコンテナに植えることにしています。

花がおわったあとも、養分が球根にもどるまで

そのままにしておかなくてはなりません(葉が枯れるまで、

というのを目安にしています。花茎は、花のあとすぐ切ります)。

とすると、鉢植えは移動もできるし、具合がいいわけです。

花をたのしんだあとは肥料をやって、そのまま庭やベランダの

隅で来春を待ってもよし。掘りあげて冷暗所に置くもよし。

(ただし、球根類は原種系以外のものは、翌年はいい花を

つけないので、変わり種を植えた場合は、花がおわったら

抜いてしまいます)。

 

さて、なんにしようかなあ。

黄花の水仙、チューリップ、ムスカリ……?

| | コメント (44)

2009年9月15日 (火)

紙の風船

 子どもの頃、その男(ひと)を、大好きだった。

 そのひとは「ポチにい」と呼ばれていた。野良犬をたすけ、ポチと名づけて一緒に暮らすようになったから、「ポチにい」。誰も、ほんとの名前を知らなかった。

 近所に住んで、ごくたまに見かけるときは、いつでも原っぱにつながる石段にすわって、ぼんやり空を見上げていた。夜働くひとだったらしく、夕方になると、すたすたと足早に出かけていく。すたすただったけれど、それでもどこかにゆっくりとした穏やかなものを漂わせている。

「ポチにい、今度、いつがお休み?」

 と、年上の子どもが尋ねると、「さあな」と云う。

「石段のところにすわってる日が、休みだよ」

 ポチにいが、石段のところにすわってる日は、いつも、子どもが何人か一緒だった。誰も彼も、原っぱに野球や草摘みをしに行く途中、ポチにいのもとで立ちどまり、ひと休みだか、ひと遊びだかしていく。幼かったわたしはだから、いつも誰かの肩越しにポチにいを見ていた。

 ある日、折り紙の「風船」のつくり方を、わたしは、ポチにいからおそわった。ポチにいは、細くて長い指をしていた。

 それからどのくらいたった頃だろうか、とつぜん、ポチにいが消えてしまった。どこかへ越したらしかった。大好きな風景が、ある日ブルドーザーで削りとられて、すっかりなくなってしまったみたいな気持だった。

 

 何年も過ぎて、当時、近所に住んでいた双子のきょうだいに再会したとき、彼女たちから思いがけないことを聞いた。

「ポチにいって、おぼえてる? あのとき、ポチにい、ほんとは亡くなったの。ね」

「そうなの。自死だったんですって」

 そのとき、わたしはすでに大人になりかかっていたが、「え、」と云ったきり、告ぐべきことばをみつけられなかった。その日の晩、風船を折ってみた。色紙がなかったから、新聞紙を真四角に切り、それで、何度も何度も折ってみた。

 どうしたことか、何度やってみても、風船のかたちにもっていけない。忘れてしまっているのだ、折り方を。指はもうもう、新聞紙のインクに染まって、真っ黒だった。黒く染まった手のまんま、目をごしごしこする。

 

                  *

 

 これを書いている9月10日は、「世界自殺予防デー」。そういう日のあることを知らずにいた恥ずかしさから、いま、これほどふえている自殺について、知りたい、学びたい、考えたい、と思っている。

 ひとが抱くかなしみ、くるしみ。それが原因で起こる病。

 それらが、ひとを自ら死の淵に立たせる。想像しても、想像しても、隠れた現実には追いつかない。現実のほうが、はるかに深くかなしいのだと思う。だからこそこの機会に、決してこのことが自分と無縁でないことを自覚したい。あらゆる意味で。

 

「ポチにい」の話。彼の年齢、職業らしきもの、わたしとのかかわりを、少しずつ変えて書いている。過去のかなしみが、あたらしいかなしみを生まないようにこころを配ったつもりなだけで、「自殺」に偏見をもっていないことは、記させていただいておきたい。

 ひとは、きびしい状況に立ちつづけると、身を守るため自らをにぶくする傾向があると聞く。感性も、理性も。それはどれほどむごいことか。知らず知らず、にぶくならなければと追いつめられていくさまは、わたしにも想像できる。

 

 原っぱで空を見上げる日のある暮らし。

 原っぱの草や虫たちと、ひとはおなじ生きものだと思えること。

 紙の風船の折り方を知っていることを、いいなあ、と思える価値観。

 

 そういう環境を、つくりたい。

 

※9月10日に因み、日本でもその日から1週間を、「予防週間」と制定している(2007年より)。


皆さんは、おぼえておられるでしょうか……?

紙の風船の、折り方。

 

Dsc03479

1(左)半分に折ります。

2(右)もう半分に、折ります。

 


Dsc03489

3(左)写真のように、三角に折ります。

4(右)反対側も、同じように。

 


3dsc03493

5(左)三角を、頂点に向かって折り上げます(両方)。

6(右)反対側も、同じように。


4dsc03508

7 折り上げたところを、半分まで折り下げ

  折り線をつけます(黒い線で印をつけてみました)。

     ふたたびもとに戻し、折り上げた三角のとんがりを、

     折り線まで折ります(中心線に沿って折る)。

 

Dsc03517

8(左)左右を写真のように、中心線に向かって

   折ります。反対側も、同じように。

9(右)折り線まで折り下げておいた小さな三角を、

  8で左右から折ったところ(袋状になっている)に、

 折 り込みます(このとき、折り込む部分を折って

 折り線をつけておくと、うまくいきます)。

  4つの折り込み部分を、すべておさめます。

 

 

6dsc03525

10 穴のあるほうの角から、ふうっと、

  吹いて息を吹き込みます。 完成!

 

| | コメント (48)

2009年9月 8日 (火)

もやしよ、もやし

 気がつくと、もやしをもとめている。

 食感も、あってないような、なくてあるような味も好きだし、とてもとても頼りになる。しかも、値段が安い。

 日持ちがしないのだけが困るところだけれど、どしどし食べればすむことだ。麺類との相性もよく、酢のもの、サラダ、炒めもの、何でもござれだ。

 いつだったか、休日に夫とラーメンを食べに行き、追加注文の「もやし」を頼んだところ、店のお兄さんが忠告してくれた。……親切ごころで。……たぶん。

「追加のもやしの量は半端じゃありません。加えなくてもじゅうぶんのっていますから、そのままいかがですか?」

 そんなものかな、とおとなしくひきさがる。

 ひきさがって通常のもやし入りのラーメンをすすりこみながら、向こうの卓を見て、はっとする。大男が、もやしをてんこ盛りにしたラーメンを食べているのだ。

(ああ、やっぱりあれくらいのっけて食べたかったー)。

 そのとき気づいたのだった。わたしはラーメンを食べたかったのだが、同じほどの期待で、もやしも食べたかったのだ、と。

 若いひとからときどき、「料理のレパートリーがなかなかふえない」「冒険(料理の)ができない」と打ち明けられるようなとき、「もやしを道連れにすると、一気にレパートリーがふえるし、冒険だってできる」と云うことにしている。

 30円台から70円くらいまでのもやしで、どんな思いきったことをして、たとえ失敗したとしても、悔やむこともないだろう。失敗が失敗にならないのも、もやしの実力だ。涼しい顔して何かに化けてしまう。茹で過ぎて食感を失っても、それなりにいける(そのかわり、ビタミンCは流れ去ってしまうけれども)。

 わたしが異国の料理に挑戦しようというときも、なぜだか、いつももやしが出てきて、道案内をしてくれた。韓国・朝鮮料理のときは、「もやしのナムル」。タイ料理のときは、「汁そば(もやしたっぷり)」。ベトナム料理のときは、「生春巻(もやし、生のまま)」。

 北京の「春餅(チュンピン/こねた小麦粉を薄く焼いたもので、炒めたもやしを包んで食べる)」も好きな食べ方だ。そのほか、スペインオムレツやパスタにもするし、インド料理の「サブジ(炒めもの)」にも、もやしを入れる。

 ええと、どうしてもやしの話になったのだったか。

 夏がおわり、覗いてみたら、財布尻が僅(わず)かだったからかもしれない。それは、ビンボーと呼んでしまえそうな有様で。(ほんとは、これを貧乏と呼ぶのはまちがいだ。が、自戒の意味で「ビンボー」と、呼ばせてもらうこととして)。

 重要なのはここだ。

 もやしひと袋で、ビンボーを省(かえり)みることもできれば、ぜいたくを演出することだってできるのところ。ひと袋数十円を、わたしたちは縦横無尽(じゅうおうむじん)に味わい尽くす。

Photo

カイワレダイコンを育ててみました。

ある時期、光を遮断したほうがいいのかもしれません。

丈は、のびませんでした。が、美味。

もやしも、育ててみたいなあ……。

〈春餅〉 

何年か前に新聞でみつけた、料理研究家ウー・ウェンさんのレシピを参考につくっています。ウーさんの「小麦粉料理」はとてもおもしろく、とてもおいしいです。『ウー・ウェンの北京の小麦粉料理』(高橋書店)もおすすめしたいと思います。

材料(2人分)

 薄力粉………………………………………200g

 熱湯…………………………………………160cc

   サラダ油……………………………………適宜

つくり方

薄力粉をボウルに入れ、熱湯を注ぎ、菜箸で混ぜる。

手でさわれるほどさめたら、手でこねてひとかたまりにし、

布巾をかけて冷蔵庫でしばらく冷やす。 

まないたの上に出し、よくこねる。

棒状(長さ50cmほど)にして、20等分に切る。

小さな餅のかたちの生地を21組にして重ねる(上になるほうの餅の下側に、サラダ油を塗っておくこと)。

21組のまま、めん棒で薄くのばし(直径1618cm)、2枚重ねのままフライパンで焼く。2枚重ねで焼くのは、「春餅」がせんべいのようにぱりぱりにならないようにするため。

強めの火で片面焼き、ふくれてきたら表面をフライ返しで軽くおさえて、ひっくり返す。もう片面も、ふくらむまで焼く。

熱いうちに2枚をはなす(すぐはがれる)。

フライパンは、フッ素樹脂加工のものには油はいりません。その他の場合は、薄くサラダ油を敷きます。

具はなんでもおいしいですが、もやしがいちばん! もやしをさっと炒めて塩こしょうし、包んで食べます。

包むものに味つけをすれば、たれはなしでもいけますが、酢じょうゆか、そこにすりごまを加えたたれを添えても……。

〈スペインオムレツ〉 

材料(4人分/もやし1袋で)

 もやし………………………………………1袋

 卵……………………………………………4個

 牛乳…………………………………………50cc

 塩・こしょう・オリーブオイル………各適宜

つくり方

卵に牛乳と塩(少少)を加えて、といておく。

フライパンでもやしをさっと(3040秒)炒め、塩こしょうする。

といた卵を流しこみ、菜箸で大きく混ぜる。ふたをする。

とき卵にチーズを加えてもおいしいです。

焼き上がりにけずり節をかけると、風味が変わり、これもおいしい……。

〈ザブジ〉

ザブジは、インドの野菜料理です。やっぱり香辛料が決め手になります。


材料(4人分/もやし1袋で)

 もやし………………………………………1袋

 しめじ………………………………………1パック

 玉ねぎ………………………………………1/2個

 トマト(小さめ)…………………………1個

 しょうが(せん切り)……………………1片

 ししとう……………………………………4個

 パプリカパウダー…………………………小さじ1

 ターメリック(ウコン/粉)……………小さじ1

 ガラムマサラ(粉)………………………小さじ1

 塩……………………………………………小さじ1/2

 カイエンペッパー…………………………小さじ1/2

 サラダ油……………………………………大さじ2

つくり方

①香辛料と塩を合わせておく。

鍋にサラダ油を熱し、しょうがを炒める。

もやし以外の材料をすべて鍋に入れて、強火で炒める。

最後の30秒というあたりで、もやしを入れて炒める。

ターメリック、ガラムマサラはカレー粉でも代用できます。

カイエンペッパーは唐辛子の粉なので、代用する場合は、唐辛子を使います。

なすを加えてもおいしいです。

| | コメント (32)

2009年9月 1日 (火)

長月 - - -暦日記

防災の日 〈1日〉

91日が近づくと、そわそわする。

防災訓練の日である。

 長女が0歳で保育園に入ったその年から毎年、保育園とつづく小学校の「引き取り訓練」に参加してきた。大地震発生予知による「警戒宣言」の発令を想定しての訓練だ。保育園の「引き取り」は夕方、迎えの時間を繰りあげて行われ、小学校のは午前11時過ぎに子どもを引き取りにいく。

 勘定してみると、24年間、連続してそれに参加してきた。今年の25年めで、卒業だ、しみじみしている。

 引き取りを忘れたことがある。

 あれは、長女が小学校に上がった初めての91日だった。朝から緊張して、緊張し過ぎて、仕事が手につかなかった。そんなことでどうする、と思い直し、机に向かっているうちに、緊張が薄らいだ。そうして、大事な時間をすぽっと、ほんとにすっかり、すぽっと忘れる。

 自分に、こういうところのあるのを知った日にもなった。苦い記憶だけれども、途中まで送ってくだすった担任の先生の、「なんでもないですよ。お母さんが無事でよかったです」のひとことは、記憶に温かいもの、尊敬の念を加えた。まだ若い、お姉さんのような先生だったが……。

 勇んで出かけていったはいいが、副校長の演説に縮みあがったこともある。ちょっとおっかない女の先生だった。

「引き取り訓練には、日頃の心がけが問われます。サンダル履きなど論外です」 

 おそるおそる下を見ると、まがうかたなきサンダル履きの足がある。「……うう」

 阪神淡路大震災のあった年だった。

 水や非常食を買い置くこと、近しき者同士避難の考え方や、集合場所を話し合っておくことは大事だ。もうひとつ。動じないこころというのがほしい。災害時動揺するのにちがいないだろうけれど、そして、わたしなど、思いきりあわてるだろうけれど、戒めていたい。こころを失うほど動じてはならない、と。

重陽の節句 〈9日〉

菊が好きだ。

 目で褒めるのも好きだけれど、むしゃむしゃ食べるのは……もっと好きかもしれない。

 菊花のようなものがどうしてこれほど好ましいかと考えると、前世は虫だったような気もしてくる。だいたい、ひとが「なんてうつくしい……」とため息をついているそばで、「おいしそう」と考えているのなんかは、かなり虫的だ。

「重陽(ちょうよう)の節句」というのがあるのを知ったのは、大人になってからだった。もとは中国の行事だったそうな。中国で、もっとも縁起のいい数字とされる「九」がふたつ合わさった日に、不老不死の思想に縁ある菊を浮かべた酒を飲む。日本に伝わって、さまざまな菊にまつわる祭りになっているそうな。

 祖父が庭先で、菊を育てるのを見ていたから、それがどれほど苦心のいるものか、少しはわかるつもりだ。菊に魅せられてそれを育て、好みの姿に育て上げていくとき、おそらくひとは、まめに世話することの値打ちに目覚めていくのだろう。もの云わぬ相手に、こちらの気持ちを通わせるのには、それしかない。毎日、毎日の……。

 祖父が菊に向かいながら、口のなかでぶつぶつとつぶやいていたあれは、菊に何かを語りかけていたものかもしれない。

 そう思いつつも、わたしはこれだ。

〈青菜と菊の花の和えもの〉

青菜は、ほうれんそうや小松菜でも、春菊でも、つる菜、明日葉でも……。

つくり方

青菜は茹でて、水にとってよくしぼり、34cmほどに切る(※1)。

菊の花は、酢を少し落とした熱湯にくぐらせてすぐ水にとり、よくしぼる。

青菜と菊の花をそれぞれほぐして合わせ、合わせ調味料で和える(※2)。

※1

肉厚の葉、ごわっとした感触の青菜は、もう少し細かく切るか、縦(葉脈に沿って)に包丁を入れるとよい。菊の花と合わせる繊細な和えものなので。

※2

〈合わせ調味料・2案〉

A.だしじょうゆ →だしとしょうゆを半半に合わせたもので和える。

B.ごま和え、くるみ和え →ごまもくるみも、すり鉢であたって、だし(少少)、 砂糖、しょうゆを加え、青菜と菊の花を和える。

Photo

散歩の途中、栗をみつけました。

夏のおわりの栗、いえ、秋のはじめの栗。

青くて、ちくちくです。

| | コメント (32)