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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2010年3月

2010年3月30日 (火)

『富士日記』(武田百合子) 本のなかの暮らし〈3〉

 夕方から陽が射してくる。管理所で小麦粉、ミツカン酢、パイナップルと桃のかんづめを買う。計三百七十円。
 夜 やきそば(キャベツ、牛肉、桜えび)。
 私は一皿食べたあと、二皿めを食べていたら、急にいやになって、残りは明日の犬のごはんにやることにする。「百合子はいつも上機嫌で食べていて急にいやになる。急にいやになるというのがわるい癖だ」と主人、ひとりごとのように言ったが、これは叱られたということ。
 夜は星空となる。遠くの灯りと星とは、同じ位の大きさにみえる。色も似ている。
 この頃、やきそばやお好み焼きをするので、桜えびを沢山使う。今日納戸の整理で出てきた、かびた桜えびに熱湯をかけてざるにとり、夕方西陽のあたっているテラスに出して干してみた。
       『富士日記』武田百合子著(上中下 3巻/中公文庫) 


 どうしてこの本がこれほど好きなのか、とときどき、自分の胸に向かって問うてみる。問うても問うても、結局「好き」という以外、わかることはない。
 たとえば、あのとき。
 末の子どもを授かったとき、つわりで1週間のあいだに7キロも体重が減ってしまい、一時入院ということになったあのときだ。入院するなり、たちまち元気になって、出されるごはんもうれしく食べ、とにかく本が読みたくてたまらなくなった。検診にきてそのまま入院が決まったこともあったし、何より読書をたのしめる元気がなかったので、本を持たずにいたのだったが。
 病院の売店には本が置いてなく、仕方がないので「入院のしおり」というのをすみからすみまで読んで、暗記してしまった。病院の赤電話から夫にたのんだのが『富士日記』の上中下3巻だった。すでに読んでいたが、ああ読みたい、と喉から手がでていた。
 13年前のはなしだ。
 当時、病院のベッドの上でつけていた日記には、こんなことが書いてある。

                 *

『富士日記』をもう一度、ひらいている。上巻では武田泰淳氏がとても元気で、缶ビールをどっさり飲み、わかさぎのフライやうなぎ、カニコロッケなど、どしどし食べている。それがうれしくて、にこにこ読んでしまう。

                 *

 この本は、「武田百合子」(1925−1993)が夫で作家の「武田泰淳」(1912−1976)と過した富士山麓での13年間を記した日記である。武田百合子さんの文体は、「天衣無縫」ということばで評されることが多く、そうにちがいないのだろうけれど、とわたしは思う。天衣無縫という、それもひとつの技巧なのではあるまいか、と。
 技巧ということばがふさわしくなければ、天性の腕前(うでまえ)ではどうか。この腕前を一途に鍛える感性。その純度は云うまでもないけれど、魅惑的な毒と残酷が潜む。
 芸術家、文筆者が欲してやまぬ「毒」と「残酷」——わたしも、ほしい。いや、ほんとう云うと、かすかには持っているつもりなのだが、感性のゆるみが、その出現を阻(はば)むことが少なくない。

 1963年(昭和63年)の暮れ近く、富士山麓に建った山小屋に、翌年の晩春から通いはじめ、それから東京と山を往復する暮らしになった。日記がはじまった当初は、泰淳氏も記している。
 地元のひとたちとの交流、自然の変化、散策、買いもの(品物と値段が記してあるのも、おもしろい)、食べたもののこと。こんなになんでもないことの連なりを、どうしてこれほど好きなのか、というわけである。
 しかしたとえば、「コンビーフ茶漬けって何? 食べてみよう」と思ったり、「三時に、パンにマヨネーズをつけて食べる。牛乳ゼリー。主人『バターより味があるし、するする塗れて面倒臭くなくていい』と言う」(下巻)とあれば、つい真似してやってみたくなる。

 暮らしというもののもつ、まばゆいほどの独創性をひたすら、ひたすら追いかけたくなる。

Photo
◯月△日
朝ごはんに、必ずつける味噌汁。
主食がご飯のときはもちろん、パンでも、
麺類(そばのときもある)でも、お粥でも、必ず。

先日、買いものにでた折り、大振りのカップをみつけた。
「ああ、これ、パンのときの味噌汁にいいかもしれない」

朝食の時間はそれぞれずれるから、2つ買う。

杯(さかずき)や、香港で買った小振りの湯呑みも、
使おうと思いつく。
ちょっとの味噌汁、というときに。

     

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2010年3月23日 (火)

不足好き

 先達て、子どものころの荷造りのはなしのくだりで、わたしは「じゅうぶんよりも、不足のほうがおもしろい」と、書いた。
 何気なく、すっと書いたのだったが、もしかしたらこれは、わたしの暮らしの指針のようなことばではないのか、と、いまごろになって思わされている。
 不足に思いを寄せることを「節約」と云ってみても、「エコ」と呼んでみても、結局は、足りないのが好きなのだと思う。

 けれども、そのことに、なかなか気づけなかった。
 自分のことを、じゅうぶん志向で、贅沢好きなんじゃないかと考えていたのだ。自分へのそうした評価を、どこでどんな風に植えつけたかはわからない。おそらくそれは、おそろしくぼんやりとした思いこみだった。
 時を経るごとに、自分をみつけていく。

 ああ、あなたは、不足を好きなのですね。
 足りないことをおもしろいと考えるひとなのですね。

 昨日のこと。
 友人が「卒業式、もうすぐね。何を着るの?」と云うので、揚揚(ようよう)として答える。「とりまぎれて準備してないと思ったんでしょ。したよ、しました。ブレザーにチェックのスカート」卒業式とは、末の子どもの小学校の話である。
 友人は、胸の前で小さく手を振りながらことばを重ねる。
 ——ちがうちがう、あなたの話。何を着るの?
 ——え? わたし?
 ——とりまぎれて、準備してないんでしょ。
 そう云って、友人は笑う。
 考えていなかった、自分の着るもののことなんて。……大変!
 家に帰るなりわたしは、自分のワードローブを開いてうなる。何を着よう。黒いパンタロンをとり出してみながら、そうだ、とひらめく。このパンタロンの上に娘の黒いミニのワンピースを着て、以前、ひとから贈られた不思議な細い帯を巻こう。友人が尋ねてくれなければ、卒業式の朝までとりまぎれつづけていたかもしれない。やれやれだ。

 こんなふうにちょっと気の張る場での服装を考えるようなときや、その日そのとき特別な何かが入用になったとき、すわ買いもの、とは考えない。そのこころは、買わず、ふやさず仕度したい、である。納得のいく拵(こしら)えが、買わずふやさずできたときは、楽しい。

 そうなのだ、「じゅうぶん」は、わたしを楽しませない。少しでいい、不足を埋めるために働かせてほしいというような心持ちがふっと湧くのだった。
 そして、自分の「不足好き」に気づくまでは、この楽しみの前を素通りしていたわけだった。

1
チェックのスカートです。
長女、二女、途中友だち、とこれまで
長きにわたり、用いられてきました。
「卒業式に、このスカート?」と思いましたが、
「制服風」(なんちゃって制服)がはやっているそうですね。

まんなかの子どもが、裾を切って、上げておいてくれました。
「上を折って履くと、ウエストまわりが
ごろごろするから」と云って。
こういう手が加わっただけで、古いスカートが、
いい風に見えてきます。不思議。


Photo

こちら、わたしの仕度です。
ワンピース+パンタロン+帯。
帯の飾りのひとつをはずして、首まわりに止めようか、と。
帯を腰骨の少し下に巻くのがポイントかなあ、と
考えています。
ほんと、寄せ集めだけど、この組み合わせは、
まずまず気に入りました。

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2010年3月16日 (火)

がらん

 ——みんなのうちと、うちんちのいちばんちがうところって……。
 と、末の子どもが何気なく云ったのは、いまから3年前のことだ。どきりとした。何を云いだすのかしらんと思いつつ、おうむ返しだ。
 ——みんなのうちと、うちんちのいちばんちがうところって……?

 ——れいぞうこ。
 ——へ?

 冷蔵庫?
 聞けばこういうことだった。
 お友だちの家に遊びに行き、何かの拍子にそのお宅の冷蔵庫のなかを見てしまった。「よもやアナタ、勝手に冷蔵庫を開けたんじゃないでしょうね」と問いつめるも、そういうことではないらしい。
 お友だちのお母さんがおやつを出してくださるときに、見えたんだとか。そして、目に飛びこんできた冷蔵庫の扉の向こうには、驚きの光景がひろがっていた。
 ——食べものがぎっしり入ってるの。お菓子もジュースもたくさん。
 子どもは、うっとりとした表情で、云う。

 そうかそうか、と可笑しくなる。
 うちの冷蔵庫のなかはといえば、「ぎっしり」どころか「がらん」だもの。
 子どもは、よその「ぎっしり」を見て、うちの「がらん」を、さぞ儚(はかな)くもさびしくも思い返したことだろう。
「けれどねアナタ、冷蔵庫もそうだけど、食糧を溜めこむことが、お母さんの安心にはつながらないのよ」と、末の子どものうっとりをもみ消すように、云う。
 献立と材料をすり合わせるという、緻密(ちみつ)な台所生活を送っているわけではないからえらそうなことは云えないけれど、「持ち過ぎれば使いきれない」というのが実感だ。
 缶詰も、乾物も、買い置きの調味料も、それぞれ決まった場所(かご、ひきだし)におさまる分しか持たないことにしている。
 ときどき、雑誌やテレビでおいしそうなものをみつけて、作り方を書きとったりすることもあるけれど、そこにわたしが持っていない調味料が登場したとしたら……、買わない。なぜといって、たとえ買っても、その1回きりしか使わないことが目に見えているからだ。こういう場合は、ない知恵をしぼって代役を立てたり、「それ」がなくてもすむやり方を考える。

 冷蔵庫も同じで、わたしには「ぎっしり」を使いきれない。「ぎっしり」の奥からは、なんだかわからないが佃煮らしきもの(?)、珍味らしきもの(?)が出てきて、そのたびぎょっとさせられるのに決まっている。
 そういえばその昔、冷蔵庫の野菜室の下のほうから、ビニール袋に入った緑色の液体が出てきたことが、あったなあ。
 ……なんだろうこの緑のものは。……ええと、ええと。
 ——きゅうりだ(がっくり)。

 そういう苦い緑色の記憶があるからこそ、自分の守備範囲を知ることもできたわけだろう。その範囲の広くないことは、ほんの少し哀しかったが。
 常連の居場所は、すべて決まっている。おかげで、ここ十何年間は、怪しいモノにも、それが何だったか思いだせないようなモノにもお目にかかっていない。
               *
「ぎっしり」にあこがれるアナタの気持ちもわかるけど、わたしは「がらん」しか、守りきれない。許してね。
 そして、アナタの目からは「がらん」としか見えないかもしれないこの台所には、じつは10日間、家にとじこめられても食べるものに困らないだけの蓄えがあるんだ。ほんとよ。
 とじこめられる日はこないほうがいいのにちがいないけれど、もしもよ、もしもきたら、「がらん」が底力を発揮するところを、見られるよ。


Photo
冷蔵庫のなかには、定番の容器が、
時としてカラッポで入っています。
「ゼリーのジュース」という名札を下げているペットボトル。
これは、ゼリー(冷蔵庫のなかの、定番ちゅうの定番)を
つくるためのジュースの容れものです。
1ℓ入りジュースをもとめたとき、1単位500ccでつくれるので、
残りはこのペットボトルに入れておくわけです。

右の容器は、ドレッシング専用の瓶です。
同じモノが3つあります。

ここでも、プラ板が活躍しています。


Photo_2
これは、油っぽいものを冷蔵庫に入れるときの
座布団(瓶や缶のフタ)です。
冷蔵庫の掃除は、そうたびたびはできないので
(したくないので?)、こういう座布団が威力を発揮します。
キッチンペーパーを四つ折りにしただけの座布団だって、いいのです。

写真右は、
長ねぎの青いところを刻み、オリーブオイル(サラダ油でもよい)に
漬けたもの(冷蔵庫の定番/万能のタレです)。
どんな風に万能かというと、野菜(生でも、茹でたものでも)の上に
これをかけ、しょうゆをちょっとたらすというのがドレッシングの
働きをするのです。
その他、炒めもの、焼飯にも活躍します。
万能でも、秘伝でも、ちょっと油気が瓶の底にまわりますから、
座布団が必要になります。

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2010年3月 9日 (火)

思いがけないがんばり

 子どものころから、荷物を持つのがきらいだった。自分の部屋は散らかし放題だったくせに、出かけるときには、どうしたら荷物を少なくできるか、荷物を軽くできるか、そういうことばかり考えていた。
 持つか持たないかと迷うときには、持たないほうにしたし、困ったら、持っている誰かに貸してもらえばいいや、と思った。じゅうぶんよりも、不足のほうがおもしろかった。

 そんなわたしが、どうして持つことにしたのだか、思いだそうとしても思いだせないものがある。
「期待」。
 時代の影響もあるだろうし、そうでなくても生真面目な ― 生真面目と四角四面は、ふたつで一組である場合が多い ― 人生観をもつひとがやけに多い、そんな環境で育った。そうした環境に育ちやすいのが、「期待」だ。そうして、気づかぬうちに、自分に向けられた「それ」を抱えこんでしまった。
 思わず抱えこんだ「期待」は、といえば。
 宛行扶持(あてがいぶち)の服装。にこやかな挨拶。はきはきとした受け答え。こんなものにはじまり、気がつけば、目の前に引かれた線のように細い道をはみださずに歩くことを期待されるようになっていた。「女の子だから」という理由で、勉強のことはそれほど期待されなかったけれども。何よりほんとうは「女の子だから」というのが何かの理由になるのなんて、ばかみたいだ。
 それがどんな風にばかみたいか考えるゆとりも、自分がへんてこ好みだということに気づく暇(いとま)ももてなかった。「期待」を背負い、一本の張りつめた綱の上に、わたしはたったひとり立っていたからである。
 いつもの荷造りのときみたいに、「これは要らない」と云って、自分の部屋の戸棚にでも押しこんでしまわなかったのは、なぜなのかな。

 たぶん、「期待」にちょっと、こたえてみたかったんだろうと思う。結局、あまりこたえられなかったが。こたえられる項目が、ほんとうに……、ほんとうに少ししかなかったのだもの。

 おくればせながら、わたしは学んだ。
「期待」はときに、重過ぎる。
 そしてときに、ひとから自由を奪う。

「期待」という名の荷物を投げだしたのは、30歳をいくつか過ぎたころだった。「やーめた」とこころで叫び、そしてこの先自分も、自分の価値観を主体にして、ひとに期待するのはよそうと思った。
 そう誓ってみると、わたし自身にはひととして「こうあれかし」という確固たるものも、目標のようなものも、ないのに等しいことがわかってきた。こりゃいいや、と思った。
 子どものころ、荷物を少なく、と、いや、できれば手ぶらで、と考えていたのは、わたしの本質なのかもしれなかった。

 さて、わたしにはもうひとつ、学ぶべきことがあった。
 たとえ期待されても、そしてそれがどんなに大きくて、自分に向けられる「期待」として見当ちがいだとしても……。そっとまたぐかくぐるかして、すたすた歩いてしまえばよかったのだ。そも、「期待」がわるいわけではないのだし。

 こうして朝から、昔のことを思いだしたり、「期待とは何だろうか」と考えたりしているわたしの目の前に、風変わりな山がある。子どもたちがそれぞれ学童クラブに通っていたころ、雨が降って外遊びができないような日につくった「プラ板(ばん)」の山だ。
 透明プラスチックの薄い板に油性ペンで絵を描き、オーブントースターで焼いてつくる札のようなもの。穴をあけてひもを通したそれが、ざくざくあるのだ。きっと、ときどきとり出し眺めては、こころ和ませてもらうんだろうな、と思いながら空き箱にためたのだった。ところがこのプラ板、和みを超えて、たちまち大活躍するようになる。
 旅支度の衣類を分類する(1日め、とか2日め、とか。あるいはまた、「下着」とか「タオル類」とか)印として使ったり、調味料や酒類の名札にしたり。いま、こうして目の前に山になっているのも、また新しい使い道ができたからだ。
 初めて見たときには、プラ板がこれほどがんばるとは思わなかった。まったく期待していなかった、と云ってもいい。

 人生には、期待しないほうがうまくいくことも、ある。

Photo
すでに、いろんなところで働いている仲間の
残りの、……いえ、出番待ちのプラ板たちです。


Photo_2

こんな風に、働きます。

 

 
 

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2010年3月 2日 (火)

別れ

 たてつづけに、戦争に巻きこまれた子どもが過酷な日日を生き抜く姿——西アフリカが舞台のものと、ハンガリーが舞台のものと。前者はドキュメンタリー、後者は小説——を、本で読んだせいだろう。ある日とつぜん、運命が激変するという有り様(よう)が胸に貼りついた。

 過酷な日日のなか、子どもたちは強くなっていかざるを得ない。本のページをめくるたび、子どもたちは強くなる。強くならなければ生きていかれないことを思い知り、まず「冷静さ」を身につけ、それを「冷徹」へ、ついには「冷酷」へと育てていく。痛みも、悲しみも、恐怖も、失望も、もう恐れたりはしない、と覚悟を決めるのだ。
 過酷な状況のはじまりというのがすごい。
 わたしが読んだ本は2冊とも、主人公の子どもたちは、最初の数ページあたりまでは愛する親きょうだいと、比較的平穏な暮らしをしている。そこへ戦争が襲いかかり、いきなり、ほんとうにいきなり、愛する者と別れ別れになってしまうのだ。さよならを云う暇(いとま)もなければ、励ましのことばをかけ合う機会もないまま、家から引き離されて、自分であたらしい居場所をさがさなければならなくなる。
 このような読書のあとは、わが身に置き換え、現在の暮らしがいったいいつまでつづくだろうか、という儚(はかな)いこころになる。爆撃もない、略奪もない、欠乏もないいまの状態を思って、あわてて感謝の念をかき集める。
 しかし、この時代のこの国にあっても、何が起こるかはわからない。どんな運命が降りかかるか、先のことは一切知らされていない。気がつくと、「別れって、経験したことある?」と、わたしは声にだし、誰ともなしに問うていた。

 ——あるある。ときどきお箸が1本なくなったりするもんね。
 と云う者。
 ——お母さんが、掃除の途中で、おもちゃを壊したことあったでしょ。あのときはとつぜんの別れという感じだったよ。
 と云う者。
 こちらは、戦争という概念で話しはじめていたから、ずっこける。ずっこけながらも、ああ、ここには、過酷な別れを経験した者はいないのだ、としみじみする。

 箸の話は、ほんとうだ。
 箸は2本を1対として1膳というわけだけれど、その1本が、ほんとうにときどきなくなる。そのたび、わたしは、うちに暮らしている小人さんが箸を持っていってしまったんだなあと考える。これじゃなくて、あれを持っていってほしかったと思うことはあっても、「必要なら、しかたないなあ」とあきらめる。1本残ってもどうしようもないから、小人さんに「こっちも使って」という気持ちで、夜中にそっと残った1本を台所に出しておくが、それが持っていかれることはない。
 ——いえいえ、1本でじゅうぶんですから。
 と、いつまでもそこにある1本が語る。それにしても、小人さんは、箸を何に使うのだろう。柱か。寝台か。細かく切って、いろんなモノにしているのかもしれないな。

 もうひとりが恨みがましくつぶやいた、掃除の途中でわたしが壊したおもちゃのこともおぼえている。はたきをかけていて、本棚からはたき落とし、それだけならいいが、落ちてきた「それ」を踏みつけ粉砕してしまった。数日ののち、その顛末(てんまつ)を打ち明けあやまったけれど、追いつかないものが残った。なんだか、やけに大事なおもちゃだったらしい。

 ……いったい何の話をしているのだろう、わたしは。
 そう。戦争での別れは過酷で、家のなかでの別れは過酷でない、ということだとしても、別れはやっぱり別れなのだと思う。
 別れは何かを残す。いまだ過酷な別れを経験したことのないわたしも、あらゆる別れに注意深く向き合うなら、そこから得るもののあることだけは、知っているつもりだ。
 別れが、生きる力を生み、そして生きることへの愛おしさを育てる、と。


1

2月のある日。
食器洗い乾燥機「けんちゃん」が、故障しました。
すぐ修理を頼みました。
やってきてくれたおじさんは、「工場で見てみます、
もう寿命かもしれないなあ」と云いながら、
けんちゃんを連れて行ってしまいました。
ことばをかけることもできないまま……。

胸にぽっかり穴があきました。
けんちゃんがうちに来てくれる以前の食器洗い、
食器拭きを、みんなでせっせとしました。
「けんちゃん」



Photo

10日後、けんちゃんは帰ってきました。
(ノズルとセンサーをとりかえたそうです)。
うれしかったです、それはもう……。

「お帰りなさい」のたれ幕をつくりましたよ。

このたび、「別れ」を考えるよう促してくれたのは、
けんちゃんでした。
 

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