別れ
たてつづけに、戦争に巻きこまれた子どもが過酷な日日を生き抜く姿——西アフリカが舞台のものと、ハンガリーが舞台のものと。前者はドキュメンタリー、後者は小説——を、本で読んだせいだろう。ある日とつぜん、運命が激変するという有り様(よう)が胸に貼りついた。
過酷な日日のなか、子どもたちは強くなっていかざるを得ない。本のページをめくるたび、子どもたちは強くなる。強くならなければ生きていかれないことを思い知り、まず「冷静さ」を身につけ、それを「冷徹」へ、ついには「冷酷」へと育てていく。痛みも、悲しみも、恐怖も、失望も、もう恐れたりはしない、と覚悟を決めるのだ。
過酷な状況のはじまりというのがすごい。
わたしが読んだ本は2冊とも、主人公の子どもたちは、最初の数ページあたりまでは愛する親きょうだいと、比較的平穏な暮らしをしている。そこへ戦争が襲いかかり、いきなり、ほんとうにいきなり、愛する者と別れ別れになってしまうのだ。さよならを云う暇(いとま)もなければ、励ましのことばをかけ合う機会もないまま、家から引き離されて、自分であたらしい居場所をさがさなければならなくなる。
このような読書のあとは、わが身に置き換え、現在の暮らしがいったいいつまでつづくだろうか、という儚(はかな)いこころになる。爆撃もない、略奪もない、欠乏もないいまの状態を思って、あわてて感謝の念をかき集める。
しかし、この時代のこの国にあっても、何が起こるかはわからない。どんな運命が降りかかるか、先のことは一切知らされていない。気がつくと、「別れって、経験したことある?」と、わたしは声にだし、誰ともなしに問うていた。
——あるある。ときどきお箸が1本なくなったりするもんね。
と云う者。
——お母さんが、掃除の途中で、おもちゃを壊したことあったでしょ。あのときはとつぜんの別れという感じだったよ。
と云う者。
こちらは、戦争という概念で話しはじめていたから、ずっこける。ずっこけながらも、ああ、ここには、過酷な別れを経験した者はいないのだ、としみじみする。
箸の話は、ほんとうだ。
箸は2本を1対として1膳というわけだけれど、その1本が、ほんとうにときどきなくなる。そのたび、わたしは、うちに暮らしている小人さんが箸を持っていってしまったんだなあと考える。これじゃなくて、あれを持っていってほしかったと思うことはあっても、「必要なら、しかたないなあ」とあきらめる。1本残ってもどうしようもないから、小人さんに「こっちも使って」という気持ちで、夜中にそっと残った1本を台所に出しておくが、それが持っていかれることはない。
——いえいえ、1本でじゅうぶんですから。
と、いつまでもそこにある1本が語る。それにしても、小人さんは、箸を何に使うのだろう。柱か。寝台か。細かく切って、いろんなモノにしているのかもしれないな。
もうひとりが恨みがましくつぶやいた、掃除の途中でわたしが壊したおもちゃのこともおぼえている。はたきをかけていて、本棚からはたき落とし、それだけならいいが、落ちてきた「それ」を踏みつけ粉砕してしまった。数日ののち、その顛末(てんまつ)を打ち明けあやまったけれど、追いつかないものが残った。なんだか、やけに大事なおもちゃだったらしい。
……いったい何の話をしているのだろう、わたしは。
そう。戦争での別れは過酷で、家のなかでの別れは過酷でない、ということだとしても、別れはやっぱり別れなのだと思う。
別れは何かを残す。いまだ過酷な別れを経験したことのないわたしも、あらゆる別れに注意深く向き合うなら、そこから得るもののあることだけは、知っているつもりだ。
別れが、生きる力を生み、そして生きることへの愛おしさを育てる、と。
2月のある日。
食器洗い乾燥機「けんちゃん」が、故障しました。
すぐ修理を頼みました。
やってきてくれたおじさんは、「工場で見てみます、
もう寿命かもしれないなあ」と云いながら、
けんちゃんを連れて行ってしまいました。
ことばをかけることもできないまま……。
胸にぽっかり穴があきました。
けんちゃんがうちに来てくれる以前の食器洗い、
食器拭きを、みんなでせっせとしました。
「けんちゃん」
10日後、けんちゃんは帰ってきました。
(ノズルとセンサーをとりかえたそうです)。
うれしかったです、それはもう……。
「お帰りなさい」のたれ幕をつくりましたよ。
このたび、「別れ」を考えるよう促してくれたのは、
けんちゃんでした。
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コメント
なすさん
また、いいお話を
聞かせていただいて、感謝しております。
つくしさんにも、お礼を申さねばなりません。
わたしも、なすさんのおじいさまとおばあさまのように、
と思います。
だけど、ただ願うだけではだめで、
今生、もっと夫と仲よく……とも思いました。
仲はわるくないつもりですが、
どうも、わたし、えばりながら頼っているようなんです。
また。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 9日 (火) 10時23分
ふみこさま
今朝は、感激いたしました。
とても嬉しいお返事をありがとうございました。
そして、つくしさんにも感謝・感謝です。
今日、娘が大学宿舎からアパートへ移ります。宿舎の抽選にはずれまして
彼女にとって、今日は宿舎との別れの日です。
はたして、ひとり暮らしはどうなるのか親としては気掛かりでなりませんが、
娘は、「どうにかなるさ」と楽観的であっけらかんとしております。
もう、父・母は学費だけ送ればいい不要な者になりそうです。トホホです。
こんなもんさ、と思ってはみますが実際は寂しいかぎりでございます。
そして、別れと言う言葉でもう一つ・・・・
5年前母方の祖父が亡くなり、翌年祖母が後を追うようになくなりました。
70年連れ添った夫婦でございました。
祖母が亡くなる前、看護師さんに尋ねたそうです「うちの連れ合いは何処にいるのでしょうか?」と看護師さんは「昨年お亡くなりになりましたよ」と答えられたそうです。その後祖母が急変して亡くなりました。
孫の私から見て、そんなに仲がよくはないような夫婦でしたがそうではなかった様で、願わくば私たち夫婦もそのように逝けたらいいなあと思ったしだいです。
別れも良いもんだとその時ひしひしと感じた私でした。
駄文を長々と書き込んでしまい、ふみこさまにはご迷惑だったかもしれませんが
また此処へ来させて頂けたら幸いです。
本当にありがとうございました。
投稿: なす | 2010年3月 9日 (火) 09時17分
ぷらねっとさん
おはようございます。
「別れ」にもいろいろあるなあと、
ぷらねとさんの書いてくださったことを
読みながら,考えています。
それを受けとる心持ちや,覚悟、思い方にもまた、
いろいろあるのだと,思わされます。
「別れ」を忌み嫌うのだけは、
慎みたい、と。
今朝の決心です。
ぷらねっとさん、
どうもありがとうございます。
安らぎを送っていただいたこと、
ありがとうございます。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 9日 (火) 05時53分
別れ。
今生の別れではないものの、
次女を嫁がせ、
巣立ちという、ちょっとささやかな親子の別れ・・・を味わったばかり。
親に孝行をしても、どんなにし尽くしたとしても、
見送った後、後悔が残るとよく聞くけれど、
子育ての来し方を、しんとした気持ちでふりかえり、
「ああ、あの時にこうしてやればよかった」ということを
いくつも思い浮かべ、
こういうところにも思い残しがあったのだと・・・静かな発見。
そういう後悔にも似た感情に遭遇するたびに、
今の、この時間を、気を散らさずに
生きていきたいものだ、と思う。
『東京タワー』を読み終えました。
ここにもまた「別れ」があり、
オカンに「さよなら」と「ありがとう」を言いました。
たったひとつ、リリー・フランキーさんの挿画があること、ものすごく印象的でした。
けんちゃん、おかえりなさい。
家族が帰ってくるのはうれしいものですね。
投稿: ぷらねっと | 2010年3月 8日 (月) 23時45分
なすさま
いらっしゃいませ。
よくいらしてくださいました。
なすさんの書いてくださったものを、くり返し読ませて
いただいて、いいなあ、涙って。
……と、思いました。
「浄化」かしらん、と。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 8日 (月) 20時07分
つくしさん
よかったですね。
いろんな「やさしい見方」、
「ゆるやかな見方」を知って、
てくてく、ですね。
……お互いに。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 8日 (月) 20時05分
くまんばちさん
どうもありがとうございます。
そうそう、おんなじだったなあ、って、
わたしも思います。
わたしの云い方は、「田辺聖子」の
「ひにちぐすり」。
これ、効きますよねえ。
頼りになります。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 8日 (月) 20時04分
ふみこさまはじめまして。
私、つくしさんととある主婦サイトで知り合いずうずうしくも書き込ませていただきます。つくしさん、ありがとうです。
私も、今軽い???うつで養生している主婦です。
別れと言う言葉に反応してまいりました。
昨年、桜の咲く4月娘が茨城の某大学に進学し、娘は前途洋々、母である私はもうボロボロの別れを経験しました、
泣きました、これほど別れが辛いと思ったのは、私が若き独身の頃飼っていた犬名前は「けん」。そうなんです、ふみこさんの愛するべく食洗器と同じ名前のワンコとの別れ・・・・悲しかった。フィラリアでした。享年9歳♂との別れでした。
25歳を過ぎたいい大人が、わんわん泣いてお寺の住職さんもさぞ驚いたことかと今思い出すと恥ずかしいさがこみ上げてきます。
犬は帰って来れませんが、娘は今月末帰ってきますが、私はまた大学へ戻る娘とのしばしの別れに耐えられるかが問題です。
馬鹿親です。笑ってやってください。
失礼いたしました。
つくしさんありがとう。
投稿: なす | 2010年3月 8日 (月) 18時43分
ふみこさまに、この場をお借りして。
くまんばちさん、ありがとうございます。うれしかったです。
ワタシもいつかそんな日が来るのかな?
出来れば、娘がまだ親離れしないうちに。
娘に心配かけた分、悲しい想いさせた分、抱きしめてあげたいです。
投稿: つくし | 2010年3月 8日 (月) 18時15分
ふみこさん、皆さん、こんにちは^^
別れたくても別れられない…それは心ですね。
あと、体とも。
つくしさんのコメントを拝読し、ふと、何年か前の自分が…。
そうそう、同じだったなあって。
薬の世話にもなった、引きこもった、毛布もかぶってオイオイ云ってた…。
そんな私が、少々のパニック・アタックは残しつつも、PTAの母ちゃんやっているなんて…信じられません^^;
「時薬」、効きますね~、ふみこさん^^
大したもんだ~この薬!
多分、またうつになっちゃう可能性は、ある…私は密かに思います。
パニック・アタックだって、たまたま「凪」の状態であり、「ビッグ・ウエーブ」が来ちゃうかも…そう思います。
でも、みんなその「種」を持っている…自分だけじゃないって、そう思えば、そんなに嫌なもんじゃない…。
学校の先生も、プロ野球の選手も、政治家も、みんななるんですもの。
そういったものが、何がしかの助けになる…そう思っています。
…とはいえ、その只中は、キツイ!^^;
しょうがない、実感ですね。
つくしさん、お互い、ボチボチ、付き合っていきましょう^^
投稿: くまんばち | 2010年3月 8日 (月) 15時51分
つくしさん
おはようございます。
わたしのところにも、
ことし中学生になる女の子がいます。
なんとなく、いま、
せつないような、甘やかな、そしてざわざわもある、
不思議な時期ですね。
わたしたちも、小学校卒業ですね。
わたしたち、おめでとう。
またね。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 8日 (月) 06時48分
ふみこさま、ありがとうございます。お返事いただいてとてもうれしかったです。
また、来させていただきますね。
また、お話してください。
ワタシは今年中学生になる娘(ひとりっこ)を持つ母親です。
よろしくお願いいたします。
今夜も夜更かししてしまいました。。
投稿: つくし | 2010年3月 8日 (月) 00時32分
えぞももんがさん
そういえば、
見たこともない箸置きが1個置いてありました。
……なんてね。
だけど、そういうことも、きっとあるでしょうね、
と、思います。
北海道の天気図を見ては、
思っています。
元気でいてくださいね。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 7日 (日) 15時08分
ふみこさん おはようございます
お箸がなぜかなくなるお話・・。
うちでは 箸置きが なくなります。
初めは お揃いだった 箸置きが
一個ずつ なくなっていくので 今では
さまざまな 色柄の 物たちの集まりです。
原因は だいたい見当が付いているのですが
私も 誰かさんが 旅先の「お土産」として
持って行ったんだろうな~と、思っています。
ここに来て
皆さんの 1つ1つのコメントを読んで
それぞれの人生にほんの少しふれて 「頑張ろう」と思って帰ります。
火曜日にいち早く来たいのを ぐっとこらえて
待ちます。そうしないと 次の火曜日まで とっても長く感じるので・・・。
今週も ありがとうございました!!
投稿: えぞももんが | 2010年3月 7日 (日) 09時50分
つくしさん
いらっしゃいませ。
よくいらしてくださいましたね。
つくしさんの書いてくださったものには、
思いやりがあふれていて……なんだか、
わたしには、まぶしいようです。
ときどき、ここで静かに、話しませんか?
お待ちしています。
きょうは、ほんとうにありがとう。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 7日 (日) 06時50分
ふみこさま、初めまして。つくしと申します。
いつからだったか、もう思い出せないのですが、ふみこさまの本を読み、この場所に来させてもらっています。
ワタシは鬱病になってもうすぐ5年になります。
今回の『別れ』のお話、読ませていただきました。
さっき、家族との間で諍いが起き、でも、きっとそれは、ワタシのわがままで。
布団をかぶってふて寝をし始めたのですが、今週読んでない…と思い出し、ゴソゴソと起き出して来ました。
「死んでしまいたい。朝なんて来なければいいのに」…そう思う日々があります。
でも、もうひとつの頭で「死ぬっていうのは、もう会えないっていう事」と分かっています。
何年も前ですが、4人の祖父祖母の『別れ』にあえませんでした。
その時、思った事はただひとつ…「もっと会いに行って話して笑って手を握れば良かった」…という事。
自分が『別れ』を経験し、悔やんでいるのに、残された人の想いを分かっているのに、自分は「死んで…」と思ってしまう。
この心の動きが苦しくてたまらないです。
ただ、ふみこさまの文章に触れると、少しだけ心が楽になり、「生きるのもいいな」と思わせてもらえます。
ありがとうございます。
投稿: つくし | 2010年3月 6日 (土) 23時59分
おまきさん
お母さまは、いまもずっと見守って
くださっていますとも。
ここへも、「なになに」と云って、
いらしてくださっていることでしょう。
わたしたちは、そういう存在に支えられているし、
守られているし、おしえられている……。
ということなんでしょうか。
どうもありがとうございます。
……これは、お母さまにも。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 6日 (土) 09時30分
ひよかさん
いいお話を聞かせてくださって、
こころから御礼を申します。
どうもありがとうございます。
見えない祈りや想いは、とてつもない力をもっている、と、
わたしも信じています。その力は、ともかく、自分を
動かすような気がします。
あの世にうれしく旅立てるような、
そんなこの世での生き方を、したいですね。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 6日 (土) 09時28分
ふみこさま 何回も失礼します。
母が死ぬときは、こちらが心の準備が出来る時間がありました。
もちろん痛いような感情は何年も続きましたが、その日を迎えるまでに、私なりに母へ「私は大丈夫だから。」というメッセージを送り、母も受け止めていたのかと思っております(がんの告知を本人にしない頃でした)。
悲しみすぎないで、のメッセージの代わりに、母はちっとも夢にも現世にも現れては来なかったです。私のことを天から見守ることにしていたのかも。
しかししかし、私が人生でもっとも悩んだとき、「大丈夫だから!なんとかなるから!」と、夢で言ってくれたのです。
それで今の私があります。
悲しみすぎないで、ほんとにそうですね。
投稿: おまき | 2010年3月 5日 (金) 16時02分
戦争とゆう言葉さえも嫌い、見ないようにしていましたが、戦争について、とうとう知らなくてはならない時期がきた時に、目を反らさずに、見つめました。想像以上の悲しみと憎しみと痛み。
だけれども、そこには、愛する人を守る。とゆう想いが、強く在りました。愛する人の為に。
私たちは、その想いに支えられ、平和に生きる事ができていて。でも、そこには、悲しみと痛みが、苦しみとやるせなさが、あった事を、やはり知らなくてはいけない。と思いました。
だから、この平和を守る為に、愛する人と生きられる幸せに感謝し、今を大切に暮らしてゆきたいです。
目には見えない想いや祈りは、すごい力を持っていると信じています。みんなが幸せでいる事が、誰かの幸せに繋がってゆき、祈りとなり、地球の裏側までにも、届けばいいな。想いは、どこにだって、届く。そう信じてるのです。
突然の別れを経験した時。怖くて、たまらなかったです。今が、こんなにも脆くはかないものだとは、思いませんでした。
でも、生きてゆかなくちゃならない。生きてゆくなら、前を向こう。前を向くなら、笑っていよう。しばしの別れ。いつか、私もこの世を卒業して、会える時、私、頑張ったよ!ありがとう!と言いたいのです。
今、生きてる。ってすごい奇跡ですね。
投稿: ひよか | 2010年3月 5日 (金) 11時51分
寧楽さん
お義父さまと、
お別れののち、胸にぽっかりと穴があく、
そんなかかわりを持てていたということでもありますよね。
おしあわせでしたね、寧楽さんも、
お義父さまも。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 5日 (金) 10時16分
テレジアさん
この世での「別れ」のあとに残るものは
何か、ということなのかもしれませんね。
わたしは、ときどき(いえ、もう少し頻度高く)、
逝くひとから「悲しみ過ぎないでほしい」という
メッセージを受けとります。
いつまでもめそめそしていたりすると、
ぴしっとやられます。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 5日 (金) 10時14分
めぐさん
ぬか味噌、はじめるなら、
この時期はふさわしいような気がします。
ぬか床きょうだいを思って、
わたしもがんばろうと思います。
『節約ノート』読んでくださって、
どうもありがとうございます。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 5日 (金) 10時10分
こぐまさん
ひとは、この世からいなくなりはするけれど、
いなくならない部分を大事にしつづけたいなあ、と
思います。
それから……、
この世とあの世の、見えない絆についても、
感じていないなあ、と。
先生は、こぐまさんの詩集を、どんなにか、
よろこんでおられることでしょうね。
遅かった、と考えておられるなら、
そんなことはない、です。決して。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 5日 (金) 10時07分
ふみこさま
過酷な別れがないことに感謝をしなくては。
義父との別れには心にぽっかりあながあいたけれど・・。
これから経験するであろう別れに
あわてることなく、穏やかにむかえられるように、
悔いることのないように、家族と、人と、ものとも
過ごしていきたいと、思いました。
週末に行く修二会(お水取り)では家族の健康と
世界平和、お願いしてきます。
投稿: 寧楽 | 2010年3月 4日 (木) 21時07分
こぐまさんのコメントを拝見して、私も高校のときの恩師が亡くなる直前に
電話を下さったとき、電話の前で泣き崩れてしまいちゃんと会話ができなかった
ことを思い出しては悔やんでいます。
もっといい別れがあっただろうに、大好きだった先生がもうすぐ召されていくという事実に耐えられなかったのは、恩師の方ではなく私自身だったのだと、思い返しています。
家から遠くに見える打ち上げ花火を見ながら、来年は見ることができないという事実をどうとらえていいのかわからず泣いてしまったことを思い出しました。
生きている人と亡くなっていく人、その間にどれくらいの違いがあるのだろう。
そんなことを思い巡らしていました。
けんちゃん元気になってよかったですね。
投稿: テレジア | 2010年3月 4日 (木) 20時29分
ふんちゃんさま、こんばんは。
「けんちゃんおかえりなさい」のたれ幕、思わずニヤッとしてしまいました。
うちにも食器洗浄機がありますが、名前がないのでつけてあげたいです。
なんとなく女の子っぽいので 「はなちゃん」 と命名することにします。
今 「わたしの節約ノート」を拝読していますが、ぬか漬けのことについて
書かれてあるのを見て、昔私も漬けていたことを思いだしました。
それは某料理研究家さんのレシピで 「ビールを入れると良い」とあったので
ビールを飲まないわが家は、わざわざビールを買ってきて入れたのですが
それはそれは苦いぬか漬けとなり、そのうちにあきらめて現在に至ります。
ふんちゃんさまの文を読んでいて、またトライしたくなりました。
誰か、ぬか漬け名人のぬかを分けてもらえたらいいのになぁ~
投稿: めぐ | 2010年3月 4日 (木) 20時21分
ふみこさま。
2年くらい前だったでしょうか?ずっと会いたいと思っていた小学校のときの恩師に詩集を贈ろうと思い立ち送ったところ、奥様から、主人は昨年亡くなりました・・・というお返事をいただき、涙があふれました。はじめての男の先生でとっても内気だった私が、先生にはぺちゃくちゃと話せていました。やさしくて今でも心に残っています。
まさか、お亡くなりになっていたとは・・・いつまでも元気でいらっしゃるという
勝手な確信をもっていました。人は、いつこの世からいなくなるかわからないないので、会いたいと思った時には、会っておくべきだなぁ、と痛感したのです。
これからは、人とのつながりを大切に、後悔しない生き方をしたいなぁと思います。
投稿: こぐま | 2010年3月 4日 (木) 10時16分
いとうさん
考えてみると……、
「別れ」にも、いろいろありますね。
かけがえのない「一期一会」、「ふれあい」とも、
何度も何度も別れている。
その、かけがえのなさには、気がついていたい、と、
その、かけがえのなさにこめられたメッセージを
受けとりたい、とこころから思います。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 4日 (木) 10時13分
Koujiさん
蜘蛛、好きです。
というか、虫やらへびやら、
かなり好きです。
経験しなければわからないとは思いたくないです。
ひとには、「想像力」が与えられているのですから。
「想像力」、鍛えたいです、ほんとうに。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 4日 (木) 10時09分
ろーずうっどさん
「別れ」に備えて生きるのではなく、
「いま」を「いま」として生きることが
大事、と自分に云い聞かせています。
わたしも、怖いです。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 4日 (木) 10時06分
バッテリーさん
何よりの贈りもの。
『コスモスの影にはいつも誰かが隠れてる』(藤原新也)の
引用、どうもありがとうございます。
読んでみますね。
タイトルに、もうもう、うなずきたくなります。
うれしいです。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 4日 (木) 10時04分
こんにちは。ふみこさん。
お久しぶりです。
ふと周りを見渡すといろんな花が咲き乱れています。
もう春が隣にいるようです。
「(突然の)別れ」
まだ無いです。幸せなことに無いです。
(祖父や祖母が亡くなりましたが、お別れの会話をする時間を2人とも作ってくれました。別れの最後まで優しい2人でした。)
「別れ」を想像することで
大切なものを改めて確認できるときがあります。
でも、いつもはハッキリと見えないんです。
すぐそばにいる家族や友だちや友人たち。
そして自分自身が大切なものであるという事に。
「別れ」ってまだよくわからないけど
大切なことに気づかせてくれるものということは
少し理解しました。
うまく言葉にできないけど、読んでくださりありがとうございます。
また遊びに来ます。
おじゃましました。
投稿: いとう | 2010年3月 3日 (水) 23時03分
ふみこさま。みなさま。
『おいしいくふう たのしいくふう』にある【あおむし】【「はっ」】を読みました。ぼくの場合はそう深いものではなく知らず知らずのうちに育っていた親しみ愛情を失って気づいたといったところでしょうか。なぜか最近、蜘蛛もかわいいとおもえます。
【あおむし】のちょうど右ページにあるいちごちゃん、めちゃくちゃかわいいですね!実家にいる猫も黒猫で、年もおなじくらいなんですよ。ただ、牡ですが。
なななせさま、とむさまをはじめとしての別れの数々…ずしんと胸に応えました。
経験がないのに気持ちがわかる気がするのはなぜでしょうか。読む行為の功徳なのか。
今回も、ふみこさまやみなさまからたくさん学ばせていただいております。
ありがとうございます。
投稿: Kouji | 2010年3月 3日 (水) 21時13分
ふみこさま
こわがっているばかりです。
別れについて。
今、世の中で起こっているニュースを見るたびに、
どうしようもなく心がざわつきます。
突然の災害・・・テレビの画面の先で泣いているお人たちは
これからどうやって暮らしていけばいいのか・・・
もどかしいですね。
でも、きっと そこから前に進んで生きる気持ちが湧いていくのでしょうか。
どうか平穏な日々が訪れますように。
わたし自身、これからいつか迎えるであろう数々の別れについて、
考える・・・きっと、想像以上の波が押し寄せてくるのでしょうね。
心がつーんとなります。
先日、毎日のごはんで大活躍のお茶碗が、
不注意で割れてしまいました。
これも突然でした。
ごめんね~とつぶやきながら、かけらを集めました。
今は愛おしさをもって、暮らしを大切にしていこう。
そして今夜はちっちゃい粘土のお雛さまをみながら過ごします。
投稿: ろーずうっど | 2010年3月 3日 (水) 19時19分
ふみこ さま
「別れ」はいつも不意打ちの試験のようだと思っていました。
病で父を、阪神淡路大震災で知人を、たて続けに亡くしたときも、
わたしは、ただおろおろと何も手につかず、
(この試験には一生合格できそうにない。
何が正解かもわからない。)
と、それを苦手なものとしてしか考えられず、
それから逃げまわってばかりいたような気がします。
ふみこさんの言葉に、はっとしました。
そこから、確かに私は、生きる力をもらってました。
正解なんてないんですよね。
昨日読み終えたばかりの本
「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」(藤原新也)
のあとがきに
ーー人間の一生はたくさんの哀しみや苦しみに彩られながらも、
その哀しみや苦しみの彩りによってさえ人間は
救われ癒されるのだ (中略) 哀しみもまた豊かさなのである。
それは人の心に必ずなくてはならぬ負の聖火だからだ。--
とあるのを読んで、
(あぁ、あたたかく、毅然とした目線の人が、ここにもいる・・・
ふみこさんと同じだ。)
と感じたので、長々とここに引用させていただきました。
佳き おひな祭りを。
投稿: バッテリー | 2010年3月 3日 (水) 15時06分
とむさま
いらっしゃいませ。
とむさんの、親しいお気持ちに支えられ、
きょうまで歩いてくることができた山本ふみこです。
「だれに何を言われようとひとつひとつ決断した自分が愛しいです」
という気持ち、よくわかります。
とても共感しています。
とむさん、
別れて、いまは離れている愛しいひとたちに、
別れて、いまは離れているからこその愛しさを、
注いでおられるんですね。
わたしね、
「別れる」「壊れる」「終わる」ということを、
とてもとても大事に思っています。
その値打ちを、なかなかおひとに伝えきれなくて。
だから、ありがとうございます。
ほんとうに、コメントいただいたこと、
ありがとうございます。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 3日 (水) 12時21分
はじめまして。ふみこさん。
2年前、尊敬している友人が別れの時にふみこさんの本を贈ってくれました。
以来、本やブログで(かってに)親しくおつきあいさせていただいてる、とむと申します。
結婚して子どもたちと一緒に暮らしていた平凡で穏やかな生活、ずっと続くものと思っていた毎日はある日突然に終わりました。
思いがげない人生の急展開に目をまわしながらも、だれに何を言われようとひとつひとつ決断した自分が愛しいです。
そして、ここに至るよう導いてくださったこれまでの出逢い、いま出逢っている人たちすべて愛しいです。
なにがおころうと自分の人生を納得して生きていく覚悟(というとおおげさですね)、うけいれて、そこからかろやかに選んでいくことを実践する機会に恵まれました。
大きな変化のなかで変わらず更新されるふみこさんのブログにどれだけ力をいただいたことか。いつも、読むだけのひそやかなファンでしたが、今日はふみこさんにお礼を申し上げたくて。
ふみこさんの志に共感しています。文章にして伝えてくださって本当にありがとうございます。
別れて今は離れている愛しい人たちも、この別れがただの無益なつらさではなく、本来の力がより輝く機会になりますように。
ふみこさんのブログを拝見してあらためてそう思いました。
投稿: とむ | 2010年3月 3日 (水) 10時26分
あすちるべさん
なんだか、おひととの関係にも、
この時代は欲張りが過ぎるようです。
たとえば、数。
ひととのつながりが多いのがいい、ということに
なっています。
どのくらい「誠実」でいられるか、ということが、
ひととのつながりの意味だということも忘れて。
これからはじめられる「チャレンジ」、
声援をおくります。
佳きことが、はじまりますように。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 3日 (水) 10時13分
ななせさん
弟さんは、お姉さまの生き方を変え、
なにかを知らせ、知らせるだけでなく
理解するように導き……。
そうしていまも、支えつづけて
おられるんですね。
わたしも、
ななせさんの弟さんから、受けとらせていただきました。
この世からは去っても、ずっと「伝えつづける」存在についてです。
この世での別れは辛いけれど、
この先もずっと、受けとりつづけていくんです。
ほんとうにありがとうございます。
ななせさんとのご縁を、こころから感謝しています。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 3日 (水) 10時04分
フィりフヨンカさん
何だって貸したいし、
さしだしたいんですけどね。
あのひとたちの
「要るモノ」が、ぜんぜんわかってないんだろうなあ、と
思うんです。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 3日 (水) 09時57分
おまきさん
怖いことが書かれている本を読みながら、
だんだん冷静になっていくのがわかります。
そこで何と向き合うか、ということの前に
ひざまずいているうち、
冷静にならざるを得ないんだと思います。
自分がそうなることが、ひとつ、
「そこ」からの学びです。
「そこ」から、何かをはじめたいわけですが……。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 3日 (水) 09時53分
あたまのくろいネズミさん
戦災孤児が、あっという間に
兵士になることも少なくない……。
もちろん、なりたくてなるわけではなくて。
別れを悲しむ暇(いとま)もなく、
その意味を考える暇もなく、
生きるために。
わたしたちにできることって、
何でしょうね。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 3日 (水) 09時45分
Kouji さん
わたしも、ここへ「あおむし」というの、
書いたことがあります。
シジュウカラに連れ去られた瞬間を、
見たんです。
ひととして生きながら、
ぎりぎりのところで「いのち」を大切にしている
わたしたちの立場に気づいたのです。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 3日 (水) 09時42分
siki さま
いらっしゃいませ。
ろうそくの光なんて云っていただいて。
ありがたくってなりません。
わたしも……、
わたしにできるささやかなことを、
重ねていきたいです。
また、ここへいらしてくださいね。
ふ
投稿: ふ | 2010年3月 3日 (水) 09時36分
ふみこさま
こんばんは
先週の暖かさにつられてか御近所の沈丁花がぽちっと咲いて、清々しい香りがあたりに漂っています。
過酷な別れの経験はないですが、覚悟のお別れも、前向きなお別れも、近頃は出会いよりお別れの方が多くなってきました。
二度と会えなくても後悔しないように、また次に気持ちよく会えるように、なかなかうまくいきませんが、心がけるようにしています。
夜眠る時、いつものお布団で休めることは本当にありがたいことなんですね。
毎週、ふみこさんのお話を楽しみにしていて、コメントを書こうと思うのですが、書いては消し、書いては消しで何度か消してしまいました。でも、こちらにおじゃまするようになって、いろいろなことを気付かせてもらってます。
そうして、今週は前から興味があったことにチャレンジするつもりです(大したことではないのですが・・・)。
投稿: あすちるべ | 2010年3月 2日 (火) 23時46分
ふみこさん、こんばんは。
独身で独り暮らしだった弟をある事情で失い
警察での遺体確認の場で自分が
本当に哀しいときはこんなふうに泣くんだ、と初めて知りました。
別れは、今まで悩んできたつもりだった自分の生きざまをも
否応なしに見直させ
いろんな思いが痛みを伴いながら削ぎ落とされ
人との付き合い方も変わりました。
本当に大事なものはなんなのか…
なかなかつかめないのですけれど。
ここに来させてもらって
こうやって心の中にしまっていた箱が開くこと
それが今の私にとって必要だから
ここにご縁があったのだなぁ、と思っています。
(スミマセン、勝手に思っちゃってます…)
ああ、なんだかまとまらなくてすみません;;
投稿: ななせ | 2010年3月 2日 (火) 22時48分
こんばんは、ふみこさん。
「別れ」・・もう再びのないこと。
あるいは、いつかまた・・と待つ楽しみを残すもの。
どちらの別れも経験して
それでも 別れには勇気・・覚悟がいります。
そんな、これっぽっちの覚悟なんて覚悟のうちに入らない・・ですね。
ちょっと恥かしい気持ちです。
ふみこさん、私がアリエッティなら
ポッドが借りてきたお箸を
ホミリーが「まぁ!なんて素敵な物干し竿!」って言い出す前に
「ねぇポッド、これを船の櫂にして川を下りましょうよ!」
三人の長い冒険を楽しく思い出しました。
投稿: フィりフヨンカ | 2010年3月 2日 (火) 22時22分
ふみこさま
こどもがうちに来て以来、怖いものが増えました。地震とか。火も怖くなりました。
今、内戦がないということを改めて思い、そのことがどんなにすばらしいことか、つくづく考える事も増えました。
知ろうとする機会も増えました。前は、怖いことが書かれてある本を、今この平穏な状態で、寝転んで読んでいいのかと思っていましたが、知らないより知りたいと、思えるようになりました。
突然の容赦ない別れを受け入れながら生きていかねばならない。
としたら、
自分には無理なのじゃないかと思います。
今もそういう人たちはたくさんいる。なんだかどうしていいのやら、
祈るしかないです。
投稿: おまき | 2010年3月 2日 (火) 17時30分
「別れって経験したことある?」
しばしのお別れぐらいしか見当たりません。
単身赴任の夫をお見送りして
次会えるまで 期間限定のお別れ。
悲哀の感情すらも
どこかへ消え去ってしまうほどの
大きな傷を心におった
戦災孤児の方のお話を聞くと
我が身のおかれた環境は
なんと恵まれた
豊かなものなのだろうと
思います。
このしあわせに感謝して
身の丈にあった方法で
せっせと
お福わけさせていただきま~す♪
投稿: あたまのくろいネズミ | 2010年3月 2日 (火) 15時44分
ふみこさま
今回もいろいろ考えさせられたりおもうところがありました。
ちょうど今朝、戦争のことを考えていたところだったんですよ。被害にあうほとんどが関係のないひとたちなんだよな、とか、武器商人のやつらめとか。
別れに、これは重要とかこれはとるに足りないとかはなく、とるに足りないようにみえることにも意味を見いだしていく姿勢が大事。
サヨナラダケガ人生ダ。考えてみると毎日が別れの連続ですよね。別れを意識するということは、それを愛すること感謝することに繋がってゆくような気がします。何気ないことにも感謝し、慈しんで日々を過ごす。平穏無事は当たり前ではありませんよね。
けんちゃんのお話から思い出したことがあります。
職場で一緒だった日系ブラジル人の友人から観葉植物をいただきました。アフォーダという葉がトマトのそれを思わせるもので、ハーブらしく独特の香りがあります。なんでも厄除けだとか。
それに青虫がついたことがあります。はじめは黒くて鳥のフンみたいでしたが葉っぱをむしゃむしゃ食べてぐんぐん大きくなり脱皮してはらぺこ青虫になりました。ほんとはらぺこ青虫で、ガツガツ葉をむしってゆきました。
ある日、日にあてていて中にいれるといなくなっていました。置いた辺りを探しましたがいません。多分…
…多分、鳥に食べられたんでしょうね。
葉がなくなる、と苛々したこともありましたが、いつのころからか、蝶になるのを楽しみにしている自分がいました。心にぽっかり穴があいたかんじ。でもそんなことを他人にいうほどのことでもないし、言っても聞き流されそうで誰にもいってませんでしたが。
そこまで楽しませてくれて感謝だったんだな、と気がつけました。あの青虫もそのときの気持ちも報われたようにおもいます。なんだか大げさですね。
今回も、いろいろおもわせられる、考えさせられる(それは今だけでなくこれからも)内容でした。ありがとうございます。
投稿: Kouji | 2010年3月 2日 (火) 14時23分
ふみこさんのことばは、いつも、自分に正直になり、考え、そして人と接していく、それが広がってまた自分にかえってくる・・・ことの大切さを教えてくれます。本当に大切なことって、こんなことかもしれない、という気付きがあります。
今日のおはなしも、ろうそくの光のようなあたたかさでした。ありがとうございます。
ささやかだけど、私にできる何かがあるから、続けていきたいと思います。
投稿: siki | 2010年3月 2日 (火) 12時01分