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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2010年6月 1日 (火)

『夕鶴・彦一ばなし』(木下順二著)  本のなかの暮らし〈5〉

つう——
 与ひょう、あたしの大事な与ひょう、あんたはどうしたの? あんたはだんだんに変って行く。何だか分らないけれど、あたしとは別な世界の人になって行ってしまう。あの、あたしには言葉も分らない人たち、いつかあたしを矢で射たような、あの恐ろしい人たちとおんなじになって行ってしまう。どうしたの? あんたは。どうすればいいの? あたしは。あたしは一体どうすればいいの? あんたはあたしの命を助けてくれた。何のむくいも望まないで、ただあたしをかわいそうに思って矢を抜いてくれた。それがほんとに嬉しかったから、あたしはあんたのところに来たのよ。         『夕鶴・彦一ばなし』「夕鶴」(木下順二著・新潮文庫)

 「木下順二」(※1)が2006年10月30日、92歳で亡くなったとき(訃報は、死後ひと月たって明らかにされた)は、大きな1本の樹がたおれ、目の前に虚ろな平原がひろがったようだった。
 若いころ、勤めていた出版社で、2度か3度お見かけしたことがある。初めてのときは、戯曲『子午線の祀り(しごせんのまつり)』(河出文庫)を「文藝」に発表されたすぐあとだったと思う。額にかかる髪を、頭を軽く振ってはらう仕草は、なんとはなしに少年を思わせたが、瞳の奥に宿る光にはただならぬものがあった。ほんとうに、大きな1本の樹のようだった。
「あなた、『子午線の祀り』を観にゆかない?」と、編集部で2年先輩の友人に誘われ、当時から腰の重かったわたしにはめずらしく、ふたつ返事で「ゆく」と答えた。当日、東京国立劇場に行ってみると、わたしの席は、編集長と、20年も先輩のMさんにはさまれていた。友人は、急な仕事で来られないという。「なんて窮屈な」と、若かったわたしは縮み上がったが、幕が上がるや、そんな思いなどどこかへ飛び去ってしまった(1979年初演。演出・宇野重吉ほか)。『平家物語』を翻案した作品で、舞台は平家滅亡の壇ノ浦、主人公は新中納言知盛だ。「群読」でものがたりは語られていく。日本語の確かさ、うつくしさが、こつこつと胸底を叩いた。
 そうして、こつこつは、いまもつづいている。そんな気がしてならない。あの日からわたしは、「木下順二」という樹の木陰で、日本語を思っていたようなものだ。
 この世からその存在が消えたからといって、何もかもが消滅するはずはないけれど、「木下順二」が亡くなったときには、たしかに、目の前に虚ろな平原の広がりを見た。あれは、いつまでも木陰に安穏としていてはならないという、示唆であった。——と思っている。

 いつか『子午線の祀り』の話を長長と書き連ねてしまったが、このたびは『夕鶴』なのだった。
『夕鶴』を、『子午線の祀り』においても「影身の内侍(ないし)」という重要な役どころを担った「山本安英(やすえ)」(※2)に演じさせるため、「木下順二」は書いた。——と云われている。新潟県のあたりに伝わる民話をもとに書かれたが、ともかく、『夕鶴』の作者は「木下順二」である。
『夕鶴』の、冒頭に引用の数行だけでも、そっと声に出して読んでみると、「つう」の哀しみが滲(にじ)む。日本語のうつくしさとともに、それが沁みてくるのがわかるはずだ。

 ときどきわたしは、自分の身から羽根を抜いて織っている「つう」の姿を想像する。そして、恥ずかしいことに——ごくたまにではあるけれど——「わたしだって、身から羽根を抜いて……」と思いかけることがある。しかし、その恥知らずの思い方は、すぐと打ち消される。
「つう」は報いを望んでなどいないのだ。そこへいくと、わたしなど、ぜんぜんだもの。世のなかにならって、小さい欲望をくつくつ煮ているようなのだもの。
『夕鶴』には、楽しいふたりの暮らしが僅(わず)かしか語られず、数頁もめくればたちまち「つう」のこころが沈んでいく。
 村人に唆(そそのか)され、「おかね」を気に入ってしまった「与ひょう」も、本来無償のひとである。「えへへ。つうが戻って来て汁が冷えとってはかわいそうだけに火に掛けといてやった。えへへ」というような人物だ。

 最近考えている。
 世のなかにならって生きるのでない道を考えてはいけないのか、と。「与ひょう」のようなひとが、世にならったところで、決してうまくいきはしない。現に——という云い方は、おかしいかもしれないが——「おかね」をちょっと気に入っただけで、それまでもっていた静かな、そして楽しい暮らしも、うつくしくやさしい女房も失うことになって。
 けれどもまた、世のなかにならう、とはどういうことだろう。
 もっと云えば、世のなかとは何だろう。
 自分はたしかに世のなかに参加し、自分はたしかに世のなかをつくっている。そうにちがいない。だから、世のなかは、自分の一面でもあるはずなのだ。
 けれどけれど、踏ん張らなくては。いつしか、自分の存在が、かかわりなきかに思える——そして、ことばもわからないひとたちのいる——そんな遠き「世のなか」にからめとられぬよう。
 そういえば……。また『子午線の祀り』の話になるけれど、ある深遠なる詞であはじまり、また締めくくられる。結びは、こうだ。

そのときその足の裏の踏む地表がもし海面であれば、あたりの水はその地点へ向かって引き寄せられやがて盛り上り、やがてみなぎりわたって満々とひろがりひろがる満ち潮の海面に、あなたはすっくと立っている。
   

※ 1 木下順二(1914 – 2006)
劇作家。評論家。
東京生まれ。東京帝国大学文学部英文科でシェイクスピアを学んだ。第二次世界大戦中から民話を題材とした戯曲を書く。49年、『夕鶴』を発表。著作は『神と人とのあいだ』『おんにょろ盛衰記』『オットーと呼ばれる日本人』『ぜんぶ馬の話』ほか、多数。シェイクスピアや、イギリスの民話集の翻訳も多数におよぶ。
※ 2 山本安英(1906 – 1993)
新劇女優。朗読家。
「築地小劇場」の創立に参加、第一回の研究生となる。1965年「山本安英の会」を主宰。「夕鶴」は1949年初演以来1986年まで37年間(公演数1037回)、「山本安英」ひとりがが「つう」を演じている(「山本安英」の死の4年後、「坂東玉三郎」が演じた)。著書は『おりおりのこと』『女優という仕事』ほか。


Photo

踏ん張ろうと考えて、最初に思いついたのが
これでした。
もやしのひげ根をとる。

こういう仕事は、
無償のこころでしているかもしれないなあと
思えて……。

〈お知らせ〉
三越エコキャンペーン
第2回「束(つか)見本フリーノートチャリティ」(6月2日―8日)
役目を終えた束見本をフリーノートとしてチャリティ販売 (1冊200円~)。 

※束見本とは、実際と同じ用紙にてつくった製本見本のこと。

このキャンペーンのイベントとして、
6月5日(土)に、小さな「トークショー」が開催されます。
「作家が語る日本の自然と環境」
進行:田中章義(歌人・詩人・作家)
ゲスト:山本ふみこ
会場:日本橋三越本館1階 中央ホール
日時:6月5日(土)
   12:30~ 14:30~の2回

おついでがありましたら、ちょっと覗いてください。

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コメント

ぽんぽんさん

そうなのです。
わたしもね、あわてて梅仕事です。
落ちついて、できる範囲で……と、
自分に云い聞かせているのですが。

宿るということばも、定義も好きでしたが、
ああ、こういうものなんだな、宿るとは……と、
はっきり知ることのできた日でした。
とてもいい「気」のようなものが
宿ったと思います。


投稿: ふ | 2010年6月 7日 (月) 16時25分

ふみこ 様

こんにちは。

私をめがけて、なんて。
なんと嬉しいお言葉でしょうか。

本当にあの日あの時のあそこには、何か宿っていたのでしょうね。

ここで出会える皆さんにもすこぉし近づけた気持ちでいます。

あらためて、皆様にもよろしくお願いします(>_<)

という気持ちです。

梅仕事の時期ですね!
blog読んでいてハッとしましたf^_^;一年早いなぁ…と。
今年はシロップにしま〜す

投稿: ぽんぽん | 2010年6月 7日 (月) 10時40分

いちじくさん

ゆらぎながらの、ゆるぐ人なんだろうと
思います。
「ゆらぎ」のなかで、見えてくるものがある……。

徹頭徹尾「ゆるがない」という存在も
あるだろうとは思いますが、
わたしには「ゆらぐ」ことの意味も、大事なのです。
たおやかなつよさが生まれてくるような
気がして。

その上で、お互い、
「ゆるがない」ものを身につけたいですね。

いつかきっとお会いできますように。

投稿: ふ | 2010年6月 7日 (月) 05時57分

Kouji さん

おはようございます。

Kouji が『夕鶴』をたしかめてくださったこと、
とてもうれしく、なんだかほっとしました。

民話がこの先も生きつづけ、
また生まれたり、
変化していくのを、見ていたいなあ、
できれば、その灯火近くにありたいなあと
願っています。

佳き1週間を。

投稿: ふ | 2010年6月 7日 (月) 05時54分

くまんばちさん

おはようございます。

「また会おう」というの、
とても素敵です。

くまんばちさんへの、たくさんの
安らぎの記憶が、きっと背中を押して、
また、元の場所で「はじまる」んだなあ、と。

お忙しいことと思います。
お元気でこの時期をお過しください。

投稿: ふ | 2010年6月 7日 (月) 05時51分

いとうさん

『夕鶴』の世界観には、
絶対的な静けさがあるように思えます。
それが、悲しみと豊かさ(物質的なものでは
もちろんなくて)を際立たせている……。

ほんとうに、うつくしいなあ、と
思います。わたしも。

佳い今週を。

投稿: ふ | 2010年6月 7日 (月) 05時48分

ふみこ様、皆様

こんばんは。
「つう」の言葉、身につまされます。
kouji様の、ゆらぐ者とゆるがない者、本当にひしひしと感じます。
ゆらぐ者と、ゆるがない者は、同じ場所へはたどり着くことができないのでしょうか?
ただ、失うことしか道はないのでしょうか?
こういう人もいるのだな~と考えて、おもしろがって生きていくことが
できるのならば、世の中もなんだか楽しいものになる気がします。
でも、なかなかそれは難しいですね。
私は「つう」の様な、澄み渡った気持ちはないけれど、
やはりどうしても、ゆるがない者でありたいと願います。

日本橋・・・行きたかったです・・・
あっという間に行ける距離なのに、
その日に限って、以前からの約束があり・・・とても残念でした。
ふみこさまに触れ合える次の機会、楽しみにしています。
いつも本当ありがとうございます。

投稿: いちじく | 2010年6月 6日 (日) 23時10分

ふみこさま、みなさまこんにちは。
『夕鶴』読みました。つうの、そして与ひょうのかなしみが胸に迫ってきました。
鶴の恩返しであるとか雪女であるとか、ひとではないものが嫁ぎ、そして去ってゆく物語について考えたことがあります。なぜ彼女たちは去っていったのか。夫であるひとの弱さ、脆さ、愚かさによるものだろうとおもいました。いくら愛してるとはいえ、正体を知っていままで通りに接することができるのかどうか。また、他人にうっかり漏らすことはないのか。殺すとまでいわれても漏らしてしまうのが人情です。
与ひょう。こどものように純粋なひとですね。唆されて、でもそれはつうを喜ばせたいつうと喜びたいというおもいからだったのでしょうね。つうの喜びはそんなところにはなかったのに。
ひとは、魔が差したり欲望にとらえられたり、ゆらいでいる存在だとおもっています。ゆらぐことが生きること、といっても過言ではないと。
ゆらぐ者とゆるがない者では、どうしてもうまくはいきませんよね。ことばが通じなくなるのも、道理です。
実は、『夕鶴』は読もうという気持ちがあり、目のまえにちらちらしている一冊でした。きっかけをいただき、ありがとうございます。
 
次のおはなしは、目にはみえないけれど、確かに存在するものだそうですね。
大好きな『星の王子さま』をおもいました。
―ほんとうに大切なものは、目にはみえないんだよ。
金子みすずの詩の一節にも、目にはみえないけれどあるんだよとありますよね。
楽しみにしてます。
今週もありがとうございます。

投稿: Kouji | 2010年6月 6日 (日) 15時33分

ふみこさん、再び、失礼です^^

そうですよね!
私も、今回の事、「神様のギフト」だとおもいます!

ちょっと、憧れてたんです~^^

「ちょっくらクルマ飛ばして、千葉まで行ってくらあ~^^」

…って言うの!

あと、ホームタウンの変化…。
ちょっと「浦島太郎」状態で、しばらくは楽しんでみようかな^^

今の心境は、「6年間、旅をしに行って、家に久々に帰る」です。

この土地への感慨深さもありますが、しれ~っと、

「バ~イ!」(オードリー春日風に)

…って言って、「また会おう!」のあいさつに代えちゃおうかな!


とか何とか云って、「ボロ泣き」の旅立ちになったりして…。

投稿: くまんばち | 2010年6月 6日 (日) 14時03分

こんにちは。


おつうさんの言葉、
悲しいんだけれど美しいと感じてしまいました。


美しさってこんな所にもあるんだ
と目から鱗でした。


また遊びに来ます。

投稿: いとう | 2010年6月 6日 (日) 08時00分

フィリフヨンカさん

そうです、そうです。
brownbearさんが「フィリフヨンカさんの分も……」
と云ってくださったので、
わたしもすっかり、フィりフヨンカ さんの気配を
抱きとめました。
どうもありがとうございます。
こころから。

梅仕事。
わたしも、梅シロップを漬けました。
月曜日には、梅干しを。
そうして、梅酒ね。
うれしい忙しさです。

投稿: ふ | 2010年6月 6日 (日) 07時45分

ぽんぽんさん

「行きます」と知らせてくださっていましたから、
もうもう、ぽんぽんさんめがけて出かけて
いったのでした、昨日。

すぐ、わかりました。

お母さまのお力も借りてくださって、
ほんとうにどうもありがとうございました。
お嬢さん(やさしく浄らな)とも
お目にかかれて、どきどきしました。

昨日は、あの場所に、
何かが宿っていました。
うちに帰ってからも、そのことは
つづいていて、いいものに包まれたまま。
ありがたいことです。

こちらこそ、
これからもよろしくお願い申し上げます。

投稿: ふ | 2010年6月 6日 (日) 07時41分

brownbearさま

昨日は、どうもありがとうございました。

ほんとうに不思議な日でした。
お目にかかる方、お目にかかる方
(皆さん初めてお会いしたのでしたが)、
みーんななつかしい方ばかりで。

そうしてbrownbearさん。
お目にかかっていないだけで、
先からつながっていたものですから、
不思議さの度合いもつよくて。
うれしかったです。

ほんとに、うれしかったな。

また、どこかで。

投稿: ふ | 2010年6月 6日 (日) 07時37分

くまんばちさん

それはまた、「変化」ですね。
この時期に、なんだか贈り物のよう……
と、考えてしまいました。
お名残惜しいこともたくさんおありだろうと
思いながらも。

佳き「変化」のときを、
お祈りしています。

投稿: ふ | 2010年6月 6日 (日) 07時33分

また夜もふけての、おじゃまです。
日本橋・・と聞いただけで憧れます。
「ちょっと、行ってきます」と出かけられる距離が
羨ましいです。
だけど私のぶんまで、ご挨拶してくれた友達がいてくれた!
照れます。なんだか。
でもホントにふみこさんと握手した気分になりました。
ちょっと自慢できる友達です。

もやしって、ホントはこんなに美人だったのか・・
ひげ根を取ったとき、いっつも思います。


あ、60ページ・・。
「いちにち、よくがんばったね」の梅シロップと梅酒
作りました。

楽しい夏になるように・・。

投稿: フィりフヨンカ | 2010年6月 6日 (日) 00時03分

ふみこ 様

今日はお疲れ様でした。もうオヤスミかと思いますが・・・
お会い出来た喜びと感謝の気持ちを届けたくて・・・

出かける前からドキドキで、家事の段取りも昨日からバッチリ!
時間に間に合うかしら? 何分位いられるかしらといろいろ思い巡らして
参加させていただきました。

娘はおばあちゃんが屋上で遊ばせてくれていたので、幸いにも最後まで
拝聴することが出来ました!
お姿を目にし、声を聞けるだけでもいいと思っていたのに、思いがけず
言葉を交わすことが出来て、本当に本当に嬉しかったのです!!!

あがってしまって、何を言っているやら自分でもわからず、失礼はなかったかと
帰宅してハッとしたり。
でも、あまりの嬉しさについニヤニヤ(気持ち悪い・・・)したり。

とにもかくにも!
また今日という日から、しんどくも楽しく!(私的には「楽しんどく」と言ってますが)日々を送れる活力となりました。

ありがとうございました。

実は毎週はなかなか読めていないこのブログですが、これからも細いけれども
確かな繋がりと信じて、またお邪魔させてくださいね。

長々と・・・ごめんなさい。

それでは。
おやすみなさい。


投稿: ぽんぽん | 2010年6月 5日 (土) 22時18分

ふみこ様
今日は ありがとうございました。
髪は伸び放題 風邪もはっきりせず…でしたが
思いきってトークショーに出かけて 
お会いできて 夢のようなひとときでした(*^_^*)

初めてお目にかかったのに そんな気がしないどころか
深く繋がっていてくださることが 伝わってきて
この繋がりの不思議さに ただ感謝の気持ちがこみあげてきました。

この次は「目に見えないけれど 確かに存在しているもの」
をお書きになるそうで とっても楽しみです。

ふみこ様のブログでの繋がりは私にとって
「目を凝らせば見える 確かに存在しているもの」。

だから、トークショーの帰り 週一度立ち寄る花屋さんで
今日は切り花ではなく ゴーヤと朝顔の苗を買いました。
蔓が伸びて花が咲いて 実がなって…
ああー楽しみ!! 

投稿: brownbear | 2010年6月 5日 (土) 21時33分

ふみこさん、皆さん、こんにちは^^
ご無沙汰しております…。

実は、この夏、私ども家族は、千葉を離れ、自宅マンションのある茨城に帰る事になりました。
寂しいけれど、ここから1時間の所への引っ越し!
ちょっと離れた場所に沢山お友達がいる!…そう思えば、寂しくないし、これが新たな「友人関係」の発露となるのだとしたら、とても素敵だよね…そう思います!

PTAの役員は、ギリギリまで、すべきことをキチンとこなしてから、旅立つつもりです。
「つう」の羽根のように、ふんわり、さらりと(しれっと…なんて言い方もありますね^^)、こなしていきます!

投稿: くまんばち | 2010年6月 5日 (土) 12時53分

寧楽さん

さらさらと……。
いいなあ、
なんて、心地よい響きであることか。

なかなかむずかしいことではあるけれど、
「さらさらと……」という感じが好ましいなあと
思う自分を忘れないでいたいと思います。
こころから。

いつも、どうもありがとうございます。

投稿: ふ | 2010年6月 4日 (金) 16時57分

ふみこさま

いろんな欲にからめとられないように、
さらさらと、生きていきたいと思います。

いつも気づかせていただいて
ありがとうございます!!

投稿: 寧楽 | 2010年6月 4日 (金) 15時32分

ぽんぽんさん

羽根を抜くと、
やせ細って、この世の暮らしが
立ち行かなくなるので……、
羽根は大事に、ね。

明日。
ぽんぽんさんにお目にかかれるのを
励みに出かけていくとしましょう。

でも、万万が一にも、
ご無理のないようにお願いします。

投稿: ふ | 2010年6月 4日 (金) 15時14分

ふみこ様

つうのように報いなど求めず、自らの羽を抜いて…
というのは、今、正に私がそう在りたい姿です…。

娘だけにではなく。

生涯添おうと決めた主人に対しても。

明日のトークショー伺いたいと思います。チビが一緒なので、長くはいられないかもしれませんが。

では明日の成功をお祈りしていますm(__)m

投稿: ぽんぽん | 2010年6月 4日 (金) 13時29分

えぞももんがさん

おはようございます。

ほっとしました。
自分のしていることを、
あたかもこの身から、
羽根を抜いてのこと(「つう」)と
思うのが、わたしだけでないことがわかって。
ご同輩。

でも、あらぬ想像をし、自分を
励ましているというわけでもあります。ね。

さて、えぞももんがさん、
ご両親のお引っ越しのことなどあって、
どんなにかこころを砕かれていることか。
頭が下がります。


投稿: ふ | 2010年6月 4日 (金) 05時04分

ふみこさん こんばんは

 実は 私も たまに
「自分の身から羽根を抜いて織っている「つう」の姿を想像する。」
ことが あるんです。
これは あの 羽根を抜きっとっている「つう」だな・・と。
でも その思いの中には 必ず
「こんなに頑張っているのに」「こんなにしているのに」という
感情が 潜んでいて
これは 「つう」では ないですね

それに そんな頑張りは 誰も望んではいない

つくづく難しいな・・と思うことが あります

 とっても爽やかで 1年で1番気持ちの良い季節
になりました。

季節と同じように
サラサラと行きたいと 思う この頃です

ふみこさん
今週も ありがとうございます!!

投稿: えぞももんが | 2010年6月 3日 (木) 21時49分

こぐまさん

こぐまさんには、
楽観しながらも、
「発信」をお願いしたいと思います。
……どうか。


投稿: ふ | 2010年6月 3日 (木) 19時25分

ふみこさま。

こんにちは。世の中って、ほんとにいろんなことがありますけど、
koujiさんの言われるように、楽観していたらいいのかなぁ・・と思います。
総理大臣がころころ変わって日本はどうなるんだろう・・なんて心配になったりしますが、でもきっといいようになっていくんだろうと思いたいです。
明日を信じて、ゆるーくでもきっぱりと生きていきたいと思います。

投稿: こぐま | 2010年6月 3日 (木) 17時52分

Kouji さん

おはようございます。

そうですね。
「あれ」は自然の理だと、わたしも
思います。
このたび、あらためて読み返したとき、
「欲望の匙かげん」というようなことを
考えさせられて、あんな風に書いたのでした。

それもまた、
わたしの、いまの「自然」みたいです。
これまでは、どうしても
「つう」が際立っていたのに(わたしのなかで)、
このたびは「与ひょう」が、くっとあらわれ直した
ようでした。

その時時(ときどき)で、
いかようにも読める。
そういう主題が
描かれているのだとも、感じています。
わたしにとって「木下順二」の存在が、あまりにも
大きいということもありますが。

そうそう、Kouji さん、
わたしも案外楽観しています。
「なりゆき」の力を信じている……のかな。

佳いきょうを。


投稿: ふ | 2010年6月 3日 (木) 05時41分

ふみこさま、みなさまこんにちは。
『夕鶴』観劇したことがあります。と申しましてもテレビ録画されたもので、それも何年もまえのことです。幕が降りるまできちんと見通したのかどうかも記憶がおぼろで、とくに感想らしい感想はもちませんでしたが、不思議です。冒頭の台詞を読むと、山本さんの声いろが耳に蘇ってきました。それだけ山本さんのものになっていたということなのでしょうか。
 
気をわるくされたらすいません。与ひようがつうを失うなりゆきは、ひとの理(ことわり)とおもえてなりません。ふみこさまがむくいを求めるきもちも自然なことにおもわれます。生きてゆくためには口に糊してゆかなければならず、それはつまりおかねを得るためで。マザー・テレサは商才があったそうですし。ただ、もちろんその動機は私利私欲にはなく、だからこそ発揮されることになった才能なのでしょうが。
暢気者すぎるとお叱りをうけそうですが、世の中にあるひとのありようも、日本語のありようにも楽観しています。信頼しています。自浄作用があると。必要とあらば『夕鶴』のような物語や、ふみこさまのような存在が現れるのだと。 

自分のことに目をむけたときもまた、図々しいようですが安心しています。ほんとに大事なものを抑えておけば大丈夫、と。ぼくにとって一番大事なのは、家族です。

何か問題があれば、それを気づかせることが必ず起こりますからね。ありがたいな、とおもいます。

投稿: Kouji | 2010年6月 2日 (水) 13時26分

ゆるりんりんさん

「自分」をおろそかにすると、
本心も、
道も、
見えにくくなり、
「他」に引きずられそうになることがあるのは、
たしかです。

ゆるぎゆるぎ——へんな云い方ですね——
ときどきゆるぐことがあったとしても(ですね)、
思いを生きていければいいなあと、
考えています。

ゆるりんりんさんは、
その道をもう、おだやかに歩いておられると
思います。
ほんとうに。

投稿: ふ | 2010年6月 2日 (水) 06時14分

みんとみるくさん——ミントミルクさん

「落胆」する場面じゃないでしょうね、おそらく。
「チャンス」なんだと思います。

王子さまの事件ではなくて、
みんとみるくさんのための
「機会」なのかもしれません。

「不祥事」と云うけれど、
反省してあらためるところというのは1つで、
「そのほか」——動機とか、手段のなかには、
「いいもの」がたくさん、潜んでいるのでは
ありませんか?
何もかも一緒くたにしてしまっては、
この「機会」に対して申しわけもなく、
もったいないと思います。

「ああ、佳い機会だった」
という風になりますように。
というか、きっとなることを信じて、
ねがっています。

どうもありがとうございます、
ここへきてくださったこと。


投稿: ふ | 2010年6月 2日 (水) 06時10分

wasurenagusaさん

静かに、自分のできることを
重ねていく……。
かっこうよく云わせてもらうなら、
——織っていく。

そういうことだろうなあ、と
思いました。
そういうなかに、見えてくるものが
あるのだと信じたい、とも。

投稿: ふ | 2010年6月 2日 (水) 06時02分

bakuさん

踏ん張る力。

つよさではなくて、
やさしさ、たおやかさなのかもしれませんね。

投稿: ふ | 2010年6月 2日 (水) 06時00分

マドレーヌさん

おはようございます。

お嬢さんの、「ひげ根炒め」、
なんといっても素敵です。
こんどは、わたしも……。

投稿: ふ | 2010年6月 2日 (水) 05時58分

ふみこ様

誰かに感謝されたら幸せを感じ、
誰にも感謝されなければ
世界で一番不幸な人間だと感じてしまう。
他人の態度で
自分の幸、不幸が決まってしまう、
そんな他人に依存した人にいつの間にかなっていました。
よく言う、都合のいい女、妻、母・・・

自分が本当にしたいのは何なのか。
本当はどう感じているのか。
自分の本心をさけることが
おつうさんと錯覚したのか。

ありがとう という言葉で
自分の不毛を埋めたかったのだと思います。

わたしの場合、
世の中の一部になるにしても
世の中を語るにしても
おつうさんにはなれないことを
自覚しようと思っています。
その上で、
人の気持ち、自分の気持ちをくみとります。

もうゆらがないぞ、
そう決めました。


投稿: ゆるりんりん | 2010年6月 1日 (火) 21時37分

報い・・・息子にそれを求め過ぎている最近の自分をふりかえりました。

中二の息子の不祥事がつい先週発覚しました。落胆。
落ち込むのは多くの期待をかけすぎだからだと分かっていながらも、相変わらず
どこかで期待してしまう愚かな母親です。

家族にぐらい報いを求めないでいたいのに。
ありのままの子供の姿を受け止められる母親でいたいのに。

踏ん張れる力、少しずつつけてゆきたいです。

投稿: みんとみるく | 2010年6月 1日 (火) 17時58分

お久しぶりにおじゃまさせて下さい…。

「報い」を期待する気持ち、わたしも自分に問いかけます。
日々の「もやもや」は 、多くそこに巣くってはいないかと。

世の中との関わりが、「報い」の有無でとりもたれているとしたら、
それはあまりに殺伐とした荒野だなと。

殺伐とした荒野を 木陰さす平原にするには、
木陰さす平原を  みなぎりわたる満ち潮の海面にするには、
みなぎりわたる満ち潮の海面に すっくと立つためには。

踏ん張る 踏ん張る。虚ろな平原に。
つみとる つみとる。自分の 「 もやもや 」のひげ根を。

毎回 拝読しております。
「報い」が世の中をつなぐのではなく、
つうの心が、世の中を織りなせばいいなと。
ふみこさんの紡がれるような言葉が、
世の中を織り直してくれればいいなと。
そう、勝手に思っております。

藪から棒で、失礼しました。


投稿: wasuregusa | 2010年6月 1日 (火) 13時49分

ふみこさん。

>けれどけれど、踏ん張らなくては。

同感。
つよく、ふかく、そう思うこの頃です。
そして「踏ん張る」力をつけるためにも、やっぱり「考える」ことや「伝える」ことを「続ける」こと、かなあと、今日ここを読みながらあらためて思いました。

投稿: baku | 2010年6月 1日 (火) 11時15分

ふみこ様

毎週のように生協宅配でもやしを二袋注文しています。
そして、毎週のようにもやしのひげ根とり。
こういう仕事、けっこう好きかも~と思ったりします。

あるとき、取り分けておいた(いつもは捨てる)もやしのひげ根で、当時小学生のムスメが一品作ってくれました。
なにかと炒めて塩コショウだったかなぁ、今でも忘れられない一品です。

投稿: マドレーヌ | 2010年6月 1日 (火) 10時43分

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