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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2010年6月29日 (火)

『小僧の神様』(志賀直哉著)  本のなかの暮らし〈6〉

Aは変に淋しい気がした。自分は先の日小僧の気の毒な様子を見て、心から同情した。そして、出来る事なら、こうもしてやりたいと考えていた事を今日は偶然の機会から遂行出来たのである。小僧も満足し、自分も満足していいはずだ。人を喜ばす事は悪い事ではない。自分は当然、ある喜びを感じていいわけだ。ところが、どうだろう、この変に淋しい、いやな気持は。何故だろう。何から来るのだろう。丁度それは人知れず悪い事をした後(あと)の気持に似通っている。                       『小僧の神様 他十篇』「小僧の神様」(志賀直哉著・岩波文庫)

 東京神田の秤屋(はかりや)に奉公している仙吉。この小説は、仙吉が鮨(すし)をそっとおごられる話である。よくあるような話でもあり、反対に、いや、ありはしないなあとも思える話で、しかし、なぜだかふとした場面でたびたび、「ああ、これは『小僧の神様』だ」と思わされる。
 いいことをしたつもりのあとで思わされ、人間業(にんげんわざ)とは思えぬ何かに遭遇したときも思わされる。
「志賀直哉」(1883−1971)と聞けば、遠くはるかな時代の作家で、いまの自分たちの生活とはかけ離れた存在、関わりのない創作だと決めつけてしまいそうになるけれど。否、否、否。この世界を、創作を知ろうとすることは、「いま」を探りなおすことにもつながっていくようだ。忘れていただけで、なくしたわけではないものを、たしかめたり。見えないだけで、ここにこうして在るじゃあないか、と思い返したり。いろいろの意味で『小僧の神様 他十編』は、かんかんと、こちらに響く。
 何より鮨をおごられる仙吉のこころも、それをしたAという紳士のこころも、じゅうぶんにわかりそうに思えることが、わたしには、うれしいのだ。うれしいという以上に、まずまず安心、という気がする。
 昔もいまも、ひとというのは、ひとに対する思いをこんなにも繊細に紡いでいるのだ。そうでありながら、いまのわたしは、そういうところを隠そうとしたり、どうやら恥じたりして、素直に思い返しにくくなっている。人間関係の上では、さっぱりと、大胆に、何でもない顔で行き過ぎるのがスマートであるというのは、流行(はやり)だろうか、何だろうか。どうでも、わたしには、自分が素直であることを潔(いさぎよ)しとしない癖がついている。

 仙吉には「あの客」が益々(ますます)忘れられないものになって行った。それが人間か超自然のものか、今は殆ど問題にならなかった、ただ無闇とありがたかった。彼は鮨屋の主人夫婦に再三いわれたにかかわらず再び其処へ御馳走になりに行く気はしなかった。そう附け上(あが)る事は恐ろしかった。
 彼は悲しい時、苦しい時に必ず「あの客」を想った。それは想うだけである慰めになった。彼は何時(いつ)かまた「あの客」が思わぬ恵みを持って自分の前に現れて来る事を信じていた。

 そう考えて生きている仙吉の「健気」。「あの客」なるAの「神経」。
 その両方は、わたしの励みになっているのだった。
 同時に、わたしの神様が、いきなり何かをもたらしたとき、それを素直に——恵みと思って——受けとれるように希っている。


Photo

ある日とつぜん、
鯛が愛媛県宇和島から届きました。
(友人からの、思いがけない贈りもの)。
びっくりしました。

いろいろのことが、頭をよぎりました。
その日のうちにしてしまわないといけない事ごと。
晩ごはんを食べる、頭数。
いつどんな風にさばこうか。など。

全長45cm。
立派な鯛です。
「小僧の神様」だと思いました。
これは、「いま」のわたしにもたらされた「恵み」だと。
何も考えず、書斎と台所を行ったり来たりしながら、
その日、「恵み」のなかで過しました。


Photo_2

まず昆布〆に。
これは、夕飯のときの姿です。


Photo_3

あら煮。


Photo_4

潮汁。


Photo_5

鯛のそぼろ。

|

コメント

フィりフヨンカ さん

おはようございます。

  それは想うだけである慰めになった。

という、小僧さんの心根について書いて
くださいましたこと、うれしくて。

わたしが申すのもおかしいですが、
どうもありがとうございます。
という気持ち。

この、小憎さんのもつ「節度」というのが、
日本人のもつ感性のなかで、
もっともうつくしいものではないだろうかと
思ったりしています。

フィりフヨンカ さんが云われるように、
期待というより、支えなんでしょうね。
かすかに成り立っているもの、
気配のようにあるものが、
慕わしいなあと、思えてきます。

もうすぐ、七夕ですね。
佳い、その日を。


投稿: ふ | 2010年7月 6日 (火) 05時33分

また、すべりこみです・・すみません。

「それは想うだけで、ある慰めになった。」
そういうものを、胸に抱いて私もここまで
歩いてきたようにも、思えます。

ただひっそりと、いつかきっとを待つ。

いつかも、きっとも、たぶん無いとわかっていながら
小さな点のような、期待をわずかに抱いて、
生きているような。

寂しいようで、力強いような・・

現実を支える、何かは私の中で膨らませすぎぬよう
戒めなければならないものでもあります。

投稿: フィりフヨンカ | 2010年7月 5日 (月) 20時20分

wasuregusa さん

よくよく伝わり、しみこみました。

「ソウルハウス」ね。
そういう場所を持っておられること、
ほんとうにしあわせですね。

わたしもこれから、
ときどき、そのことばを道案内に、
さぐってみたいと思います。

「神経」というのは、大事なものだなあ、と
年年つよく思わされています。
若いころは「勢い」のほうが大事に
思えたものですが。

投稿: ふ | 2010年7月 5日 (月) 16時42分

おまきさん

わたしたちだって、
ときには、小さな神様の働きが
できるということでしょうね。

それにしても、
ご友人の息子さんのお友だち(ですよね)の
ことばは、とてもいいですねえ。
そのことの価値に向かって、
生きていけることでしょうねえ。

投稿: ふ | 2010年7月 5日 (月) 16時40分

おじゃましてすみません。

わたしもこの記事を拝見して、高畑サロンのこと、
それから、作品中の「のれん」のことをふと思い出しました。

作家自身が設計したという奈良の旧宅は、
文人墨客の集った中国様式のサロン部分と、
作家の書斎、家人の居室部分からなる静かで端正な日本家屋で、
その佇まいは寧楽さまがおっしゃるとおり、「瀟洒」なものでした。
お庭に面した瓦敷きの気持のよいサロンもさることながら、
とりわけ私の記憶に残ったのは、
雨でも子どもたちが遊べるようにと、広めの縁側と、
婦人のための居室が隣り合わせで設えられていたことでした。

家はひとを現わすといいますが、
志賀直哉のこの旧居と、陶芸家の河井寛次郎の京都の旧居、
この二つがわたしのソウルハウス(こんな言葉はないのでしょうが)
のような気が致します。

志賀直哉はよく「神経」という言葉を使うように思います。
佳きものへ向かおうとする「神経」、
ひとを受け容れようとする「神経」、
そういう自然で深淵な魂の動きと、
「瀟洒」な印象の文体に、
こちらの神経が鎮められる気がします。

わたしは、何が言いたいのでしょう…。
失礼致しました。

投稿: wasuregusa | 2010年7月 5日 (月) 12時51分

ふみこさま

読んでみよう……
なんだかこのところの私に沁みそうなお話です。ふみこさんの本の案内は、ちょっと読んでみたい、という気持ちになります。ああ、沁みそうな本を教えてもらえるからです、きっと。
本も旅です。
行ってみたい旅先が多いのでしょう。

友人と子どもについてのメールをやり取りしていた際、友人が、自分の息子の友達にご飯を食べさせたとき、「いいなあ、いつもおかあさんがいて、美味しいご飯があって」と、その子が言ったと。
男の子には、とにかく美味しいものを食べさせてやってれば大丈夫なんだよね、と、そしてその子の、寂しさゆえに道をはぐれてしまいそうな様子が書かれていました。

ここにも神様がいるんだろうなあと、まだ作品を読んでもいないけれど、友人とその子の間にあったものを、切なく苦しくあたたかい気持ちになって、想像していたのでした。

投稿: おまき | 2010年7月 5日 (月) 03時27分

焼き海苔の の さん

そうなのそうなの。
鍛えられる……ね。

わたしのあたまにも、そのことばは、
根を張っています。
生来なまけ者のわたしには、
故あって起こる事柄——とくに貧乏(仮)——は、
大事な機会なのです。

の さんが、
『のんのんばあとオレ』みつけて
読まれていること、とてもうれしいです。
なんだか、とてもとてもいいでしょう?

佳い週末と、それと7月を。
学童クラブに通う夏休みに
なりますか?


投稿: ふ | 2010年7月 3日 (土) 05時31分

ふみこさま

こんにちは。2週分まとめて。
本屋で「のんのんばあ」の本を見つけ、読んでいます!

その当時はわからなかったのですが、小学生のとき、祖父が大きな借金を
したまま病気で急逝してしまいました。
あとから残された父親は必死で、母親や祖母、そしてわたしたち子どもも
学校から帰ってくると仕事を手伝ったり(自営業だったので)。

そして大人になり、夫が資格を取るために仕事を辞め、そして子どもも産まれ・・・と
考えてみたら、2回大きな貧乏の渦(?)にいました。

でも、そのおかげで鍛えられたのかもしれません。
工夫を強いられたことはそのまま我が家のルールになっていたりしています。
親や祖母に教えられたこともずっと生きているな、と思います。

そして、突然の鯛!おいしいそうです♪
でも、わかります・・・その日のうちにしてしまわないといけない事ごとや
いつどんな風にさばこうか、ということ。
私の場合、実家から突然届くたくさんの野菜や、毎週何が届くかわからない産直の野菜との格闘かな。
でも、こちらも私を鍛えてくれているなと思います。
私も、素直に—恵みと思って—受けとれるように・・・していきたいと思います。


投稿: 焼き海苔の の | 2010年7月 2日 (金) 17時48分

はやし あいさま

そうでしたか。
おめでとうございます。

うれしいです、ほんとうに。

この夏は、ことさらに暑さを
感じられることでしょうけれど、
ゆったりお過しくださいね。

祈っています。

まずは、
健康な7月、8月、9月を。

投稿: ふ | 2010年7月 2日 (金) 17時45分

大野さん

ということで……、
「おねがい」した件、
ゆっくりでいいので、
かなえてやってください。

ひらに……。

佳い7月を。

投稿: ふ | 2010年7月 2日 (金) 17時43分

寧楽さん

奈良というのは、ほんとうに
文化の懐なんだなあ、と
あらためて感じました。

いま、わたしの「読書」は、
もどり傾向(昔読んだものにもどる、という意味です)が
あります。
読み方、感じ方が、すこしちがっていることが、
おもしろく思えます。

投稿: ふ | 2010年7月 2日 (金) 17時41分

あささん

「授かる」
いいことばです。ね。

そういう風に思えればいいなあ、と
つねづね考えております。
「サズカル」「サズカル」

親戚ね。
それは、うれしくて、とても心強いです。
どうか、末永くよろしくお願いいたします。

投稿: ふ | 2010年7月 2日 (金) 17時38分

ふみこさま

久しぶりにうふふ日記を開かせていただきました。
本棚にあるふみこさんの本は、繰り返し開いては読み、の日々だったのですけれど。
読者さんとの変わらぬやりとり、いつでも心がほっとします。

わたしも9月には母さんになれる機会を与えられて、これでふみこさんの本との出会い「子どもと一緒に家のこと」(以前講演会でサインをいただいた宝物です)がすこしずつ実現できると思うとほんとうにうれしいです。

またおじゃまします。

投稿: はやし あい | 2010年7月 2日 (金) 11時00分

山本さん。大野です

おはようございます。
ありがとうございます。
お返事に涙が出ました。
いつもほんとうに・・・
ありがとうございます。

ありがとうございます、しか
書けないくらい・・です。

投稿: 大野 | 2010年7月 2日 (金) 08時32分

ふみこさま

夏がやってきました。
体調をくずさないよう、今年も!!
三種類のお茶で元気を保とうと思います。

クロワッサン、拝見しました。
とてもとても微笑ましく、好もしく・・・。
ほどよい親子関係、絆、見習いたいと思いました。

志賀直哉が「暗夜行路」を執筆した”高畑サロン”が
奈良市内のはずれにあります。
好寄屋作り、でも瀟洒な邸宅です。

谷崎潤一郎、武者小路実篤、堂本印象などなど
たくさんの文人画家が集ったという歴史のある
ところです。
随分、前ですが
感動しながら見学しました。

投稿: 寧楽 | 2010年7月 1日 (木) 14時40分

ふみこさま

お久しぶりです。
風邪をひいたり、ザリガニ釣りにいったり(大漁でした)、仕事をしたり・・・。
なんやかやと時間が過ぎていきます。
でも、いつも、拝見しておりました。

今回も、ゲゲゲのお話も、読み終わった後、ぽとんと一滴の水が心に滴るような気がしました。
貧乏も、おいしいお魚も(?)、授かるもの。
そう考えることが、今の私には必要だったな、と思います。
だから、心から感謝です。ありがとうございます。

私もクロワッサン拝見しました。
ふみこさんの著書の中で出会っていたお嬢様方が、こんなに大きくなられているとは。
親戚のような気分で、ちょっとした感動でした。
「しょんぼりに 効くよ」というりんごのソテー、また作りたくなりました。


投稿: あさ | 2010年7月 1日 (木) 11時19分

えぞももんがさん

おはようございます。

お互い、めぐりめぐる季節のなかで、
まだまだ学ぶことの多い身ですね。

誤解をおそれず書いてしまいますけれど、
ある部分は、「自分の成長」のために、
佳き刺激を受けるために、
がんばろう……ね。

こころをこめて書きます。
佳い7月を。

投稿: ふ | 2010年7月 1日 (木) 05時48分

ぽんぽんさん

おはようございます。

名前って、ひとを守るんだそうです。
「想」の字に守られてていることを、
ご自分で考える、
そういうときも、もうじきやってきますね。

「想」。
ほんとうに、いいことば、深い漢字です。ね。


投稿: ふ | 2010年7月 1日 (木) 05時45分

ふみこさん

おはようございます。
今日から 7月ですね。

先週の「貧しい話、約(つま)しい話」と
今週の『小僧の神様』(志賀直哉著)の話
いっきに 心をこめて 読みました

ふみこさんは 今の私の生活を 知っていて
この2つの文を 書いてくれたのだろうか??
と、思うほどです。

「ゲゲゲの女房」に再三登場する
あの貧乏神の気配に ゾクッととしたり

「してあげた」の満足のあと
「小僧の神様」のように 後味が悪かったり

本当に そんな毎日を送っています。

あ~朝起きて 7月のはじめの日に
この文を読めて 良かったです。
今年の 後半戦頑張れそうな 朝です。

投稿: えぞももんが | 2010年7月 1日 (木) 05時22分

ふみこ様

そうです、「そのか」といいます。
メッセージありがとうございます(>_<)

頂いたお言葉の通りに彼女が過ごせるように、母ちゃんも寄り添ってゆきたいと…思います。

クロワッサン拝見しました。素敵な宝物を見せて頂けて嬉しいな!
という気持ちでした。

お嬢さん達にもよろしくお伝えください。
皆さんとぉ〜ってもプリティです!って。

投稿: ぽんぽん | 2010年6月30日 (水) 22時41分

のんさん

ほんとうにね。
ああ、いのちをいただいているなあ、という
実感がありました。

切り身だと、それが湧きにくいというのも、
情けない話ですけど。
宇和島からの荷のなかには、
ほかにイシダイ4尾、太刀魚5尾、イサキ1尾が
入っていました。

猛烈においしかったです。

佳い7月を。

投稿: ふ | 2010年6月30日 (水) 21時01分

ふみこさま、こんにちは。
わたしの 故郷の近くの海で 育った鯛です。
きれいに きれいに 食べていただいてありがとうございます。

一尾で現れた時には、どうにか 余すところなく食べてやりたい
と 思いますよね。
息子が釣ってきた魚なら どんなに小さくても、なおさらです。
(小さいのは キャッチ アンド リリースですが)
普段 スーパーで 切り身になっている 魚達のことを思うと
もっと ありがたく食べなくちゃと 思わされます。

志賀直哉さんとは しばら~くお目にかかっていません。
次に図書館に行ったら 探してみます。

投稿: のん | 2010年6月30日 (水) 16時29分

ぽんぽんさん

わたしもね、なんだか、
このふたりの「あいだ」に生じたもの、
それぞれの胸に生じたものが、
案外、単純なものだと思わされています。
単純な、佳きもの、です。

単純さ、素朴さが、
いまより、ひとの心を支えている
時代があったのなら、そこへ、そちら方面へ
向かいたいなあ、とも思うのです。

想乃花さん。
「そのか」さんと、お読みするのしょうか。
読みも、きれいですね。

きょうは、想乃花さんに。
「たのしく、やさしい日日を」


投稿: ふ | 2010年6月30日 (水) 15時15分

ふみこ様 皆様 こんにちは

紳士と小僧さんの抱いた気持ちは、互いに人の想いを受け止めようとする心によるものだと感じました。

そういう事に気付き、日々のちょっとした恩恵に素直に感謝したいと、つくづく…
今週も気付きをありがとうございました。

話しがそれますが、「想」という字が好きで、娘には想乃花とつけました。

想いの花を咲かせて生きてほしいな…人の想いもはかれる人になってほしいなと。
ただ今ヤダヤダ期まっしぐらですが、彼女も頑張って大きくなろうとしているんだなぁ…って思います。

クロワッサン!チェックしまーすo(^-^)o
ではまた…。

投稿: ぽんぽん | 2010年6月30日 (水) 10時56分

こぐまさん

よきスタートがきれて、
ほんとうによかった……。

あの、はじめの「こんがらかり」も、
いまとなってはいい思い出でしょう?
あの、思わせぶりな「天の配剤」にも、
なにかがこめられているのでしょうね。
まったく、おもしろいなあ、と思います。

それにしても、
疲れはするんです。
どうか、お休みの日には、ゆったりと
お過しいただきたく。

投稿: ふ | 2010年6月30日 (水) 10時18分

大野さん

その節は、
王子さまと、「ゆかちゃん」さんと、
はるばるいらしていただいて。
どうもありがとうございました。

感謝の気持ちでいっぱいです。

あの日、王子さまが書いてくださった
メッセージを、机にかざっています。
「いつも お母さんを はげましてくれて
ありがとう」という、あれです。

「こちらこそ、 いつもありがとう」
とお返事したかったのでした。

ほんとうにそうしてくださるなら、
王子さまおふたりの写真を、
「オレンジページ 『うふふ日記』」宛て
送っていただきたく。
お願いします。

〒162-0812
東京都新宿区西五軒町13−1
オレンジページ
です。

「ゆかちゃん」さんにも、
どうかどうかよろしくお伝えください。

投稿: ふ | 2010年6月30日 (水) 10時14分

ふみこさま。

志賀直哉さんの小説は中学生の頃、読んだと思うのですが、すっかり忘れてしまっていて・・・。また読み直したいなぁと思います。
月曜日に初出勤してきました。まだ教材をそろえたりする程度ですが、一緒に働く先生がとても楽しい方で、気が合いそうです。楽しくお仕事できそうです。
昨日は、友達に こぐまさんは あくがないから だれとでもうまくつきあえるよ・・って言われました。なんだかうれしくて・・・。PTAとかいろいろあるんですけどね。なんとかみんなとうまくやっていきたいなぁと思います。
では、またぁ。

投稿: こぐま | 2010年6月30日 (水) 09時53分

山本さん。
大野です。

おはようございます。
5月のこと、何度もお礼を申し上げようと
思ったのですが
なかなか言葉にできなくて・・・。
こんなにおそくなってしまいました。

もう、本当に、ありがとうございました。

圭梧は 飛び跳ねながら
「声を聞けるだけでもいいと思ったのに、
お話できちゃった(^^)」と。
とてもとても 嬉しそうでした。

この子に この場所に連れてきてもらったんだなぁと
思いました。
夢のようでした。

途中で退席してしまって、申し訳ありません。
勝手な参加の仕方をしてしまい・・・
山本さん、乃南さん、ごめんなさい。


雑誌、拝見しました。
何年もお名前だけを知っていたお嬢さんに
本当にお会いできたようで、
とても 嬉しかったです。

私も なぜか、長男の写真をお見せしたくなりました(笑)
我が家の中学一年生は、野球部です。

今日、これから、ゆかちゃんのところへ
雑誌を持って おしゃべりしに行って来ます(^^)


投稿: 大野 | 2010年6月30日 (水) 09時06分

うじゅさん

おはようございます。

ほんとうのところ、こちら方面に
越してこられて日が浅いのに、
いろいろの経験をされて……。

まず、そのことに拍手を。
ぱちぱちぱちぱち。

何もかもに「意味」があるんだと思います。
いまのお仕事にたどりつくまでの、
あれやこれやは、
やはり成り難いことが成就した証なんじゃないでしょうか。

お仕事のこと、
おめでとうございます。

本編なんか、どうでもいいのです。
ここへ来て、ときに、
「いま」を語ってください。
身体にたまり過ぎるのはよくないですから。
語っていただくと、わたしの「どこか」も、
育ちます。

(おひとり暮らしの、第2王子はお元気でしょうね)。

佳い季節を。

投稿: ふ | 2010年6月30日 (水) 06時05分

いとうさん

「なんだろう、これらは……」と、
思われるかもしれません。
が、ふとしたときに、その「なんだろう」が
浮かんできたりします。

それが「読むこと」のたのしい一面ですね。
また、
自分の求めで読むだけじゃ、つまらない、という
一面もはっきり示しているという気がしています。

何を書いているのだか。
ちょっとねぼけているのかしらん、わたしは。

佳い日日を。

投稿: ふ | 2010年6月30日 (水) 05時58分

ゆるりんりんさん

おはようございます。

ワンピースの「よみがえり」、
おめでとうございます。
そのことの値打ちは、また、
日を追って大きくなっていくから不思議です。
……ね。

ほんとうに、よかったこと。

きょうも佳い日になりますように。

投稿: ふ | 2010年6月30日 (水) 05時54分

自分に与えられたもの。
良いものであれ、悪いものであれ、自分のためになるのかな。
引っ越して2ヵ月半、ようやく仕事がみつかりました。正直に言うと一番やりたい仕事ではありません。
一番やりたい仕事は登録はしたけど欠員待ち。
面接時に、しつこいくらい体調や体力・精神力(人間関係で退職した事はないかなど)について聞かれました。
という事は、私が希望の職に就く=誰かが体調を崩す・・・人の不幸を待ってるのではないか、と思えて来たので、他の仕事を探すことにしたのです。
とにかく働かねば、と思っても面接に行っては落とされ、凹みつつ3ヶ所目、今の会社で、しかも面接に履歴書を忘れて取りに戻るという醜態をさらしたうえでの採用。
不本意かも知れないけど、結構楽しく働けて、今までしてきたいくつかのパートでの経験も多少役に立ってる。
今の私に与えられた仕事なのかなあ、などと思っています。
(本編とは全然違う話になってしまいましたね。すみません)

投稿: うじゅ | 2010年6月29日 (火) 22時39分

こんばんは。


早速雑誌を見なくっちゃ


そして「小僧の神様」
正直、読んでみないとわからないです
どんな感想をもつだろう。


はっ書いてしまった(読まねば)
図書館で借りてみますね

読書で梅雨をさらに楽しめそうです


では また遊びに来ます

投稿: いとう | 2010年6月29日 (火) 21時18分

ふみこ様

わたしにもありました、思いがけぬ恵み。
ずっと着ていなかったワンピース、
思いきって20センチほど切ってチュニックに。
そう、ふみこさんの本の中の真似。
すごく着やすくなって嬉しくって。
何でこんなことで幸せになれるのか不思議。
子供のとき新しい洋服を買ってもらった時の気持ち。
ふみこさんの本を読んでいたこと、
思い出せたこと、
ワンピを買って捨てずに持ってたこと、
何とかちくちくと縫い上げられたこと、
着たらいい気分になれたこと、
幸せの化学反応がばちばちっとつながって、
暮らしっていいなあ、そう思いました。

投稿: ゆるりんりん | 2010年6月29日 (火) 20時56分

ゆきどりさん

またいらしてくださって。
どうもありがとうございます。

ひきだしなんて話ではないのです。
必死で出刃包丁を振りかざしているところ、
お目にかけたいようです。

火事場の馬鹿力のようなことで。

でも、たのしかった……。
正直、
「割りこまれた」ように感じたのでしたが、
これこそ、贈りもの、
「小僧の神様」だわ……、そう思えたんです。

きっとまたね。

佳い日々を。


投稿: ふ | 2010年6月29日 (火) 18時23分

マドレーヌさん

あ、名前つけるの、忘れて、
2日のうちに、何から何までみーんな
食べてしまいました。

しまったなあ。

何だろうかなあ、名前。
「瓜太郎」。
……そんな感じです。

ありがとう、瓜太郎(ウリタロウ)。

投稿: ふ | 2010年6月29日 (火) 18時19分

Kouji さま

Kouji さん、
口火を切ってくださって、
どうもありがとうございます。

「小僧の神様」が、なぜだか、
昔から好きでした。
ただ、それだけなのですが。

タイトルのよさもあります。
こころへの納めやすさもあります。

「志賀直哉」が目の前にあらわれたら、
「あれ、いいっすね」
とだけお伝えし、ぴゅーっと逃げたいような。


投稿: ふ | 2010年6月29日 (火) 18時17分

ふみこさま、こんにちは。
鯛の七変化、すばらしいですね。私だったら尾頭付きの鯛が届いたらプチパニックでしょう。この辺に主婦としての引き出しの差が出ますね。

実は私も某誌の中でお嬢さん3人とふみこさんがそろい踏みをしているのを拝見しました。中学生の末娘さんが、毎朝自宅の前を掃除しているのを読み、自分もやっていたけれど、嫌々で、サボることばかり考えていたなぁと反省しきりです。

ご家族を見つめる暖かい目、それは、小僧の神様に通じるものがある気がいたします。

投稿: ゆきどり | 2010年6月29日 (火) 16時39分

ふみこさま

鯛がいろんな料理へと、恵みがどんどん膨らみますね。
以前、カナダに住む親せきから、突然にも鮭一匹が届いたことを思い出しました。
その時は鮭をヘンリーと名付け、いろんな料理をしたなぁ~。
忘れられない思い出、です。

ところで、先日、図書館で雑誌「クロワッサン」を手に取り見ていたところ、
なんとふみこさん親子が勢揃いの写真に出くわしました!
一番大きいお姉ちゃんはふみこさんそっくりですね。四人そろって、なんとも幸せそうな雰囲気に、私もページをめくりながらにっこり、でした。(^-^)

投稿: マドレーヌ | 2010年6月29日 (火) 16時26分

ふみこさま、みなさまこんにちは。
志賀直哉、ですか。なんだかびっくりしました。
よもやふみこさまが…もありますし、久々に聞いたので。よもや、というのもおかしなはなしなんですが。
志賀直哉は自分にとって、わりと近しい存在であったりします。かつて近所にいたちょっと怖い顔をしたおじさん、といったような。
一時愛読していて、また、他のひとのものを読んでいてもよくその名前だとか行状は出てきますので。いろいろと。とくに太宰との絡みがなかなか印象深くて。悪し様に罵る太宰の『如是我聞』。ヒステリックですが、ぼくは好きです。彼特有の(ファンのかた申し訳ありません)したり顔で取り澄ましたところがなくて、素直なかんじに好感をもちます。
素直、そのまんま、の大家が志賀直哉だったなぁとおもっています。表現も、内容も素直すぎて、逆にそこが同時代の方からは驚異であったようですね。小説の神さまと呼ばれたんですからね。
太宰もばななも志賀もおなじ棚にならぶ今からみると、素朴で素直でぶっきらぼうにかんじるくらいです。 

素直が勘違いされて、崇め奉られたり、憎まれたり。
そう考えてみると、昔も今もたいしてちがわないのかも、とおもえます。時代風俗がちがうだけで。
素直にみる、素直にとらえる、実はなかなかに容易ではないことに気がつきます。
いや、容易なのかな。邪魔しているのは、自尊心?こうあるべきという世間体もしくは常識?
少なくも自分に対しては素直でありたいな、とおもいます。
今週もありがとうございます。

投稿: Kouji | 2010年6月29日 (火) 15時04分

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