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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2010年6月

2010年6月29日 (火)

『小僧の神様』(志賀直哉著)  本のなかの暮らし〈6〉

Aは変に淋しい気がした。自分は先の日小僧の気の毒な様子を見て、心から同情した。そして、出来る事なら、こうもしてやりたいと考えていた事を今日は偶然の機会から遂行出来たのである。小僧も満足し、自分も満足していいはずだ。人を喜ばす事は悪い事ではない。自分は当然、ある喜びを感じていいわけだ。ところが、どうだろう、この変に淋しい、いやな気持は。何故だろう。何から来るのだろう。丁度それは人知れず悪い事をした後(あと)の気持に似通っている。                       『小僧の神様 他十篇』「小僧の神様」(志賀直哉著・岩波文庫)

 東京神田の秤屋(はかりや)に奉公している仙吉。この小説は、仙吉が鮨(すし)をそっとおごられる話である。よくあるような話でもあり、反対に、いや、ありはしないなあとも思える話で、しかし、なぜだかふとした場面でたびたび、「ああ、これは『小僧の神様』だ」と思わされる。
 いいことをしたつもりのあとで思わされ、人間業(にんげんわざ)とは思えぬ何かに遭遇したときも思わされる。
「志賀直哉」(1883−1971)と聞けば、遠くはるかな時代の作家で、いまの自分たちの生活とはかけ離れた存在、関わりのない創作だと決めつけてしまいそうになるけれど。否、否、否。この世界を、創作を知ろうとすることは、「いま」を探りなおすことにもつながっていくようだ。忘れていただけで、なくしたわけではないものを、たしかめたり。見えないだけで、ここにこうして在るじゃあないか、と思い返したり。いろいろの意味で『小僧の神様 他十編』は、かんかんと、こちらに響く。
 何より鮨をおごられる仙吉のこころも、それをしたAという紳士のこころも、じゅうぶんにわかりそうに思えることが、わたしには、うれしいのだ。うれしいという以上に、まずまず安心、という気がする。
 昔もいまも、ひとというのは、ひとに対する思いをこんなにも繊細に紡いでいるのだ。そうでありながら、いまのわたしは、そういうところを隠そうとしたり、どうやら恥じたりして、素直に思い返しにくくなっている。人間関係の上では、さっぱりと、大胆に、何でもない顔で行き過ぎるのがスマートであるというのは、流行(はやり)だろうか、何だろうか。どうでも、わたしには、自分が素直であることを潔(いさぎよ)しとしない癖がついている。

 仙吉には「あの客」が益々(ますます)忘れられないものになって行った。それが人間か超自然のものか、今は殆ど問題にならなかった、ただ無闇とありがたかった。彼は鮨屋の主人夫婦に再三いわれたにかかわらず再び其処へ御馳走になりに行く気はしなかった。そう附け上(あが)る事は恐ろしかった。
 彼は悲しい時、苦しい時に必ず「あの客」を想った。それは想うだけである慰めになった。彼は何時(いつ)かまた「あの客」が思わぬ恵みを持って自分の前に現れて来る事を信じていた。

 そう考えて生きている仙吉の「健気」。「あの客」なるAの「神経」。
 その両方は、わたしの励みになっているのだった。
 同時に、わたしの神様が、いきなり何かをもたらしたとき、それを素直に——恵みと思って——受けとれるように希っている。


Photo

ある日とつぜん、
鯛が愛媛県宇和島から届きました。
(友人からの、思いがけない贈りもの)。
びっくりしました。

いろいろのことが、頭をよぎりました。
その日のうちにしてしまわないといけない事ごと。
晩ごはんを食べる、頭数。
いつどんな風にさばこうか。など。

全長45cm。
立派な鯛です。
「小僧の神様」だと思いました。
これは、「いま」のわたしにもたらされた「恵み」だと。
何も考えず、書斎と台所を行ったり来たりしながら、
その日、「恵み」のなかで過しました。


Photo_2

まず昆布〆に。
これは、夕飯のときの姿です。


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あら煮。


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潮汁。


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鯛のそぼろ。

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2010年6月22日 (火)

貧しい話、約(つま)しい話

 貧乏まっさかりである。

 この春、NHKが満を持して放送している朝の連続テレビ小説の話だ。
 不人気に苦しんでいるらしいときも、どうも脚本に問題がありそうなときも、子どもの頃から、この時間帯は、朝の連続テレビ小説を見てきている。見るともなく見ていたこともあったけれど、とにかく。
「連続テレビ小説」という名前も、その時間帯に15分間ずつの連続ドラマ、という設定も、わたしにはおもしろく思える。テレビ小説のなかの人生も、こちらの人生もどちらも安穏とはいかず、いろいろあるなあと考えたりするわけだ。
 それに、ひょっと家事やら、ものを食べる場面やらが映るときには、なんだかわけもなく気持ちが入る。

「ゲゲゲの女房」。
「水木しげる」の女房殿のものがたりなのだそうで、しげーさん(※)贔屓(びいき)で妖怪好きのわたしはときめきをおぼえながらも、それだけにまた、怖怖見はじめたのだった。
 水木せんせいも、1960年代には貧乏を経験されていたのだなあ、としんみりする。同じ胸でしかし、「このころの貧乏は、うつくしいなあ」とも思うのだ。少なくとも水木せんせいと夫人の布美枝さんの貧乏には、品格が感じられる。大変なのにはちがいないけれど、貧しさに打ちのめされず、どこかでかすかに楽しんでさえいる様子がある。だから、眺めているわたしたちは、その貧乏に憧れに近いものを感じるのだ。

                          *

 さて、今朝の回。
 水木せんせい、くだもの屋の店先で足をとめると、「バナナ。さいごに喰ったのは、いつだっただろう」とつぶやいた。そうして、おっ、と何かを思いついた顔になる。こちら側でわたしは、何? 何を思いついたんですか? とうろたえて、沸く。
 つぎの場面で、水木せんせいが家のちゃぶ台の上に新聞紙でくるんだものを置く。なかみは、バナナ。布美枝さんは、熟れ過ぎて皮が真っ黒になったバナナを見て驚く。「腐ってるんじゃないですか?」
「いいから食べてみろ」と促され、おそるおそる口に運び、また驚く。「おいしい!」
 水木せんせい、くだもの屋で、腐る一歩手前のバナナを100円に叩いて買ってきたのだ。

                          *

 そういう場面を見せられているこちら側の食卓にも、バナナがのっていたのである。黄色くてきれいな、きれい過ぎるとも云えるバナナ。当時バナナが贅沢品でもあったことと、黒いバナナ——おまけに、水木せんせいが戦地でバナナに救われた話まで——と。いったい、これをどう胸におさめれば、ふさわしい悟りを得られるのだろう。

 現代の貧乏と、当時の水木せんせいのお宅のようなのと、同じ困窮(こんきゅう)でも、なかみがだいぶちがうような気がする。いまのは……、借金がかさんでいくとか、ローンの返済が苦しいとか、子どもの学費がふくらんでいるとか。それでどう困るかと云えば、食べられないわけではなくて、余裕がないという話だ。そういう困窮は、ほんとうの貧乏ではない。「貧乏(仮)」くらいの状況か。
 まさしくそんな類(たぐい)の経済の困窮を、わたしも経験している。子ども時代、不自由なく暮らさせてもらったおかげで、困窮はめずらしくもあり悲壮感はなかったものの、そこをどう切り抜けたものか、知恵のほうもまた、薄かった。
 第一期の困窮は、母子家庭の時代にやってきた。母子家庭になるのと同時に出版社を辞めたりするからそういうことになるのだと、ひとからも云われたし、自分でもわかっていたのだが、そうしたかったのだからしかたがない。あのとき、わたしは生まれて初めて「約しく暮らす」こころを持ったのだった。
 第二期の困窮は、わたしと夫の仕事具合が思わしくなかった時期である。あのときの困窮、大学生の子どもを抱える身にはかなりこたえた。
 が、二回——いまのところ——の困窮は、わたしの暮らし方に、楔(くさび)を打ちこんで過ぎていった。楔と云うからには、あれである。車の心棒にさして車輪が抜けないようにするものだったり。もの同士をつなぎ合わせるものだったり。
 暮らしの楔、そりゃ、なんじゃ。
「おもしろがり」ではないかと思う。
 約しく暮らそうとすることなんかおもしろいものかと、困窮を経験する以前のわたしなら、うそぶいたことだろう。うふふ。そのおもしろさのなかには、こんなのもある。

 約しさのなかで贅沢が際立つ。

 この話は、いずれまた。

※しげーさん
わたしの気に入りの本『のんのんばあとオレ』(講談社漫画文庫)に登場のしげる少年を、「のんのんばあ」——水木せんせいに絶大な影響を与えた人物——は、そう読んだ。


2010

ことしの梅仕事、終了しました。

梅シロップ 梅3kg分(瓶2本)
梅酒 7kg分(瓶7本)

梅酒を漬けては、階段にならべていたら、
たのしくなってきました。
こういうのこそ、
「約しさのなかで際立つ贅沢」だと
思えます。

昨年つくり過ぎて、まだあるので、
ことしは梅干しを休みました。


Photo

「困窮」についてひとこと。
自分にはお金の勉強が足らなかったという
反省があります。
皆さんは、そんなことないと思いながらも、
1冊の本(ムック)をご紹介します。
「お金のきほん」(2010ー2011年増補改訂版)。
じつは、この本、わたしの本をつくりつづけてくれている
Nさんによる仕事(編集)です。

先日、この本をじっくり読み、感心しました。
そうして、もうちょっと早くこれを読みたかったなと
思いました(Nさんは、「50歳からのお金のきほん」というのも、
つくっています)。

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2010年6月15日 (火)

みどり

 ツカレタ、と呟いてみる。
 もう一度呟く。
 こんどは、クタビレタ、と。

 気づかぬうちに疲労していることがあって、それは、ともかくうっかりしているからなのだが、こんなうっかりは返上しないといけない。それでときどき、「ツカレタ」、「クタビレタ」と呟いて、たしかめるようにしてみているわけだ。
 呟きとしては、たのしい類(たぐい)のものではないけれど、これで少しは気がつくようになった。
 気がついてどうするか。若いころは、長めの睡眠をとれば疲労から立ちなおることができたのに、このごろのは、そういうことではなおらない。——ような気がする。
 もう少し、込みいった風に疲弊(ひへい)しているのだった。

 何かが不足している。
 何だろう。
 静けさ。ビタミン。ぼんやり。
 と、つぎつぎ考えていく。なんだか、ごろんところがりたくなる。この家では、子どもたちしかいわゆる寝台を持たないので、ころがる先は、主(ぬし)のいない3階の寝台。気に入りは、末の子どもの寝台だ。この子の部屋にはまだ幼さがあって、誰かの休息を引きうけてもかまわないというくらいの甘さが残っている。四畳半のこじんまりした部屋で、南の窓からは空が見えて。その寝台にころがれば、空のなかにころがるも同然という身の上になる。
 ここでこっそり。そうしよう。
 窓の向こうに、朝方干した洗濯ものがひるがえっている。気持ちのよい眺めだ。干したのはわたしで、干し具合もなかなかよろしい。そのひるがえりを眺めながらぼんやりしていると、こういうことで不足していたものが満ちるかもしれないという期待が湧く。そして「クタビレ」が消滅するかもしれない、と。  
 ところが、だ。
 まだ、ちょっと足らないものがある。
 ころがりからなおって、2階の居間兼食堂に下り、狭いベランダにならんだ鉢植えに目をやる。すると、足元からぴくんと上がってくるものがある。おやおや上がる、上がる。
 みどりだ、みどりだと気づく。こんなにわずかな「みどり」なのに。
 そうして、ここへもう少し「みどり」をと思いつき、思いつくなり靴を履いて、隣町の大きな園芸店にむかって歩きだしたのだ。
 ハーブを植えてみようという算段。みどりだ、みどりだと、行きの道も帰りの道もはずんでいる。こういうのが「当たり」ということだろうし、「命中」なのだと思う。

 そういえば、これまで「みどり」という名前のおひとに、ずいぶんと出会ってもきた。ひらがなで「みどり」、カタカナで「ミドリ」。漢字だと「緑」、「翠」、「美登里」。たしか従姉(いとこ)の子どもが「美鳥」だったはずだけれど、あれは意味がちがうのだろうか。そうそう、緑子(みどりこ)さんという方もあった。
 なんにしてもいい名前だなあ、とあらためて感心する。

 晩ごはんをつくりはじめる時間をすこうし過ぎてまで、その日、わたしは「みどり」をさわっていた。

Photo

それからひと月半。
ハーブたちは元気に育っています。
目やこころに効くばかりでなく、
台所でも活躍してくれています。
うれしい「みどり」。


Photo_2

昨年「フウセンカズラ」にしてもらった日よけを、
ことしは「朝顔」にしてもらうことにしました。
どうか、うまくいきますように。

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2010年6月 8日 (火)

「あっち」と「こっち」

 「木下順二」の『夕鶴』を調べなおしたそのつづきで、民話を読みふけってしまった。「ツブむすこ」「こぶとり」「わらしべ長者」「瓜コ姫コとアマンジャク」「ききみみずきん」「彦市ばなし」……。
 読んでいると、民話にこめられた夢やあこがれ、こうあれかしと願う気持ち、ひと日ひと日のつとめをなさんという心がけが、伝わってくる。読まれる時代によっては、そこにこめられていたはずの、目には見えないものが薄まっていくのかもしれない、それはいかにもつまらないなあ、と思わされる。

 ある日のこと。
 めんどうな頼まれごとをした。
 めんどうなのには慣れているから、そういう場合は、文句を云う暇(ひま)に、さくさく片づけてしまうのがいいということも知っている。が、このたびのには、めんどうの上に「めちゃくちゃ」な感じがのっかっていた。
「めんどう」と「めちゃくちゃ」にのしかかられてはたまらない。と思いながら、ふと、「こぶとり」———一般的には「こぶとりじいさん」という呼び名で知られているかもしれない———のものがたりを思いだした。

                        *

 むかしむかし、右の頬に大きなこぶのあるじいさまがおった。
 ある日じいさまが、木を切りに山深く入ったところが、とつぜんはげしい雨に降られてしもうた。大木の幹に大きなうろをみつけて、そこへもぐりこんで雨宿りをした。夜になり、雨風はやんだが、闇のなかをうちに帰ることもできない。夜ふけになって、じいさまが潜んでいる木のまわりに、赤鬼青鬼が100人ばかりもあつまってきて、酒を飲み、踊りをはじめるではないか。
 その囃子(はやし)のにぎやかさ愉快さに、じいさまは思わず、むろのなかから舞ってでた。鬼たちはびっくりした。しかし、じいさまの踊りのおもしろいことといったら。
 夜あけ近く、鬼の親方はじいさまに「今夜ほどおもしろかったことはない。じじい、きっとまたこいよ」と云い、その約束の証として、じいさまの頬についている大事そうなこぶをねじりとってしもうた。
 さてじいさまの家のとなりに、もうひとりじいさまがおって、このじいさま、左の頬に大きなこぶがついておった。右の頬にこぶのあったじいさまに鬼にこぶをとってもろうたという話を聞くと、自分もこぶをとってもらおうと山に入った。しかし、となりのじいさまは、自分が踊りをできないことを忘れておったのだなあ。その踊りは、踊りともいえないようなものだった。
 まずい踊りに腹を立てた鬼は、このじいさまの右の頬に、預かってあったこぶをなげつけた。となりのじいさまは、右と左と両方の頬に、こぶのついたじいさまになってしもうたのだ。

                        *

 というのが、「こぶとり」のものがたりだ。
 どうしてこれが浮かんだものだろうか。
 ……わたしに「めんどう」と「めちゃくちゃ」とをごたまぜにしたものを投げつけてよこしたのは、鬼ではないが、鬼みたような存在である。
 こぶとりのじいさまは、当然ながらはじめは鬼を恐がっていたのだが、うろから思わず舞いでてしまったあのときには、恐ろしいはずの鬼を信じていたのじゃないだろうか。無意識のうちに親しみも抱いた。
「こぶとり」のおはなしの「そこ」が初めて見えた。
 さて、わたしも。
 鬼を信頼してみたらどうなるか。

 鬼、いや、わたしの相手を信頼して、なんとか持てるだけの親しみもかき集めて、いまのわたしの都合を話してみた。踊るわけにはいかなかったので、訥訥(とつとつ)と話す。その結果、わたしは、「めんどう」からも「めちゃくちゃ」からも解放されたのだった。わたしが「それ」をする必要が消え去って、無罪放免。こぶがとれたじいさまよろしく、晴れ晴れとしたものだ。
 こんなこともある。
「あっち」——このたびは、民話だったなあ——で起きているひとごとが、じつは「こっち」に生かせるわがことになるというようなこと。
 遠い話だと思っていることが、近くの、もっと近くのもしかしたら自分の話になったり。
 無関係だと決めていることが、決して無関係ではなかったり。


Photo

「無関係」に見えるモノが、思いがけないところで働く、
ということ、家のなかにもたくさんあります。
たとえば、これ。
文房具の、紙を束ねるのに使う「リング」が、
いろんなところで活躍しています。
たとえばチェストのなかでは、ベルトかけに。

机のひきだしのなかで、
いろいろな大きさの「リング」が、出番を待っています。

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2010年6月 1日 (火)

『夕鶴・彦一ばなし』(木下順二著)  本のなかの暮らし〈5〉

つう——
 与ひょう、あたしの大事な与ひょう、あんたはどうしたの? あんたはだんだんに変って行く。何だか分らないけれど、あたしとは別な世界の人になって行ってしまう。あの、あたしには言葉も分らない人たち、いつかあたしを矢で射たような、あの恐ろしい人たちとおんなじになって行ってしまう。どうしたの? あんたは。どうすればいいの? あたしは。あたしは一体どうすればいいの? あんたはあたしの命を助けてくれた。何のむくいも望まないで、ただあたしをかわいそうに思って矢を抜いてくれた。それがほんとに嬉しかったから、あたしはあんたのところに来たのよ。         『夕鶴・彦一ばなし』「夕鶴」(木下順二著・新潮文庫)

 「木下順二」(※1)が2006年10月30日、92歳で亡くなったとき(訃報は、死後ひと月たって明らかにされた)は、大きな1本の樹がたおれ、目の前に虚ろな平原がひろがったようだった。
 若いころ、勤めていた出版社で、2度か3度お見かけしたことがある。初めてのときは、戯曲『子午線の祀り(しごせんのまつり)』(河出文庫)を「文藝」に発表されたすぐあとだったと思う。額にかかる髪を、頭を軽く振ってはらう仕草は、なんとはなしに少年を思わせたが、瞳の奥に宿る光にはただならぬものがあった。ほんとうに、大きな1本の樹のようだった。
「あなた、『子午線の祀り』を観にゆかない?」と、編集部で2年先輩の友人に誘われ、当時から腰の重かったわたしにはめずらしく、ふたつ返事で「ゆく」と答えた。当日、東京国立劇場に行ってみると、わたしの席は、編集長と、20年も先輩のMさんにはさまれていた。友人は、急な仕事で来られないという。「なんて窮屈な」と、若かったわたしは縮み上がったが、幕が上がるや、そんな思いなどどこかへ飛び去ってしまった(1979年初演。演出・宇野重吉ほか)。『平家物語』を翻案した作品で、舞台は平家滅亡の壇ノ浦、主人公は新中納言知盛だ。「群読」でものがたりは語られていく。日本語の確かさ、うつくしさが、こつこつと胸底を叩いた。
 そうして、こつこつは、いまもつづいている。そんな気がしてならない。あの日からわたしは、「木下順二」という樹の木陰で、日本語を思っていたようなものだ。
 この世からその存在が消えたからといって、何もかもが消滅するはずはないけれど、「木下順二」が亡くなったときには、たしかに、目の前に虚ろな平原の広がりを見た。あれは、いつまでも木陰に安穏としていてはならないという、示唆であった。——と思っている。

 いつか『子午線の祀り』の話を長長と書き連ねてしまったが、このたびは『夕鶴』なのだった。
『夕鶴』を、『子午線の祀り』においても「影身の内侍(ないし)」という重要な役どころを担った「山本安英(やすえ)」(※2)に演じさせるため、「木下順二」は書いた。——と云われている。新潟県のあたりに伝わる民話をもとに書かれたが、ともかく、『夕鶴』の作者は「木下順二」である。
『夕鶴』の、冒頭に引用の数行だけでも、そっと声に出して読んでみると、「つう」の哀しみが滲(にじ)む。日本語のうつくしさとともに、それが沁みてくるのがわかるはずだ。

 ときどきわたしは、自分の身から羽根を抜いて織っている「つう」の姿を想像する。そして、恥ずかしいことに——ごくたまにではあるけれど——「わたしだって、身から羽根を抜いて……」と思いかけることがある。しかし、その恥知らずの思い方は、すぐと打ち消される。
「つう」は報いを望んでなどいないのだ。そこへいくと、わたしなど、ぜんぜんだもの。世のなかにならって、小さい欲望をくつくつ煮ているようなのだもの。
『夕鶴』には、楽しいふたりの暮らしが僅(わず)かしか語られず、数頁もめくればたちまち「つう」のこころが沈んでいく。
 村人に唆(そそのか)され、「おかね」を気に入ってしまった「与ひょう」も、本来無償のひとである。「えへへ。つうが戻って来て汁が冷えとってはかわいそうだけに火に掛けといてやった。えへへ」というような人物だ。

 最近考えている。
 世のなかにならって生きるのでない道を考えてはいけないのか、と。「与ひょう」のようなひとが、世にならったところで、決してうまくいきはしない。現に——という云い方は、おかしいかもしれないが——「おかね」をちょっと気に入っただけで、それまでもっていた静かな、そして楽しい暮らしも、うつくしくやさしい女房も失うことになって。
 けれどもまた、世のなかにならう、とはどういうことだろう。
 もっと云えば、世のなかとは何だろう。
 自分はたしかに世のなかに参加し、自分はたしかに世のなかをつくっている。そうにちがいない。だから、世のなかは、自分の一面でもあるはずなのだ。
 けれどけれど、踏ん張らなくては。いつしか、自分の存在が、かかわりなきかに思える——そして、ことばもわからないひとたちのいる——そんな遠き「世のなか」にからめとられぬよう。
 そういえば……。また『子午線の祀り』の話になるけれど、ある深遠なる詞であはじまり、また締めくくられる。結びは、こうだ。

そのときその足の裏の踏む地表がもし海面であれば、あたりの水はその地点へ向かって引き寄せられやがて盛り上り、やがてみなぎりわたって満々とひろがりひろがる満ち潮の海面に、あなたはすっくと立っている。
   

※ 1 木下順二(1914 – 2006)
劇作家。評論家。
東京生まれ。東京帝国大学文学部英文科でシェイクスピアを学んだ。第二次世界大戦中から民話を題材とした戯曲を書く。49年、『夕鶴』を発表。著作は『神と人とのあいだ』『おんにょろ盛衰記』『オットーと呼ばれる日本人』『ぜんぶ馬の話』ほか、多数。シェイクスピアや、イギリスの民話集の翻訳も多数におよぶ。
※ 2 山本安英(1906 – 1993)
新劇女優。朗読家。
「築地小劇場」の創立に参加、第一回の研究生となる。1965年「山本安英の会」を主宰。「夕鶴」は1949年初演以来1986年まで37年間(公演数1037回)、「山本安英」ひとりがが「つう」を演じている(「山本安英」の死の4年後、「坂東玉三郎」が演じた)。著書は『おりおりのこと』『女優という仕事』ほか。


Photo

踏ん張ろうと考えて、最初に思いついたのが
これでした。
もやしのひげ根をとる。

こういう仕事は、
無償のこころでしているかもしれないなあと
思えて……。

〈お知らせ〉
三越エコキャンペーン
第2回「束(つか)見本フリーノートチャリティ」(6月2日―8日)
役目を終えた束見本をフリーノートとしてチャリティ販売 (1冊200円~)。 

※束見本とは、実際と同じ用紙にてつくった製本見本のこと。

このキャンペーンのイベントとして、
6月5日(土)に、小さな「トークショー」が開催されます。
「作家が語る日本の自然と環境」
進行:田中章義(歌人・詩人・作家)
ゲスト:山本ふみこ
会場:日本橋三越本館1階 中央ホール
日時:6月5日(土)
   12:30~ 14:30~の2回

おついでがありましたら、ちょっと覗いてください。

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