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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2010年7月13日 (火)

持たない生活① くるま

 まわりのつよいすすめもあったにはあった。
 が、何より自分自身が、そうするものだという風に思いこんで、挑んだのだ。資格というのにも、かすかなあこがれをもって。
 あれは、あれは、もう30年も前のことだ。仕事が終わってから、資格取得のため、せっせと自動車教習所に通ったというはなしである。
 なあんだ、と思われた読者も多かろう。なぜといって、自動車の運転免許を取得しているということ自体がめずらしいことではなく、ほとんどの家に自家用車がある時代だもの。

 わたしも、その昔はときどき自動車を運転した。そうしていて、ただの一度もたのしいと思ったことはなく、自分にふさわしくないことをしているという気にさせられてばかりいた。
 その、ふさわしくなさは、運転技術のことだったろうけれど、自分の気質が、この世の道路事情のなかでのくるまの操(あやつ)りに向かないことを、思い知らされつづけてきてのことでもある。
 たとえば。
 くるま同士、あるいはくるまとひとのあいだで、道を譲(ゆず)りあう場面がある。道の上では、ありがたさ、申しわけなさなど示す余裕もなく、また、交通の筋道から見ても、それより大事なことがあるわけなのだった。二の次、三の次のことに心をもっていかれやすいわたしは、運転しながら、どうにも割り切れぬものをもて余すようになっていく。本筋で生きていないのだな、わたしは……と情けなく思うこともしばしばだった。
 30歳代のなかばのある日、とつぜん、すっぱりくるまの運転はよそうという決心が宿った。その宿りが、自然なものだった証拠に、そのときわたしは、安堵に近いものを感じていたのである。そうして、決心したからには……、運転免許証を返上しなければ、と考えるまでになっていた。
 いろいろ調べてみると、免許は返上しなくとも、「更新」をしないままにしていればいいということのようだった。夫にだけは、決心を伝えたけれど、ほかへは黙っていた。
 とうとう、運転免許が流れてしまったとき、「ああ、これで、資格というものを一切持たぬ自分になったなあ」と思った。そんなもの、なくても平気さ、とは思わなかったが、ちっともない、すっかりもたない、というのも、なんだかわたしらしくていいじゃないか、という風な、馴染みの思考が顔をだしてきて、心細さを吹きはらった。

 それから何年かが過ぎて、夫とわたしとのあいだで、「自家用車、必要だろうか」という相談が持ち上がった。きっかけは……、思いだせない。思いだせないが、やはりとつぜん、気がついたのだった。当時住んでいたマンション敷地内の駐車場(を借りてまで)にとめていた自家用車、半年に3回しか乗っていなかったことに、だ。
 やれやれ、なんて貧乏ったらしい、とわたしは思い、夫も同じように考えたらしかった。ものを持たないことは少しも貧乏ったらしくないけれど、使わないものを持っているというのはまさしく貧乏ったらしいと、わたしには思える。
 しゅっとして細おもての黒いくるまには、愛着があったけれど、手放すことに決めた。千葉県の、あたらしい持ち主のもとに落ちついたという書類が届いたとき、くるまのしあわせと無事を祈った。
 その後、まる5年、自家用車を持たないで暮らした。
 ときどき、用途に合わせてくるまを借りることはあったが、年に10回を越えることはなかった。夫とときどき、「よかったんだよね」、「よかったんだよ」と話し合ったのは、黒いくるまがなつかしかったからでもあるけれど、夫の仕事にくるまが必要になっているのではないかと確かめる気持ちもあった。
 必要になるときがきた(いまから2年前のこと)。
 夫は、もう一度、くるまをもってもいいかなあ、とおそるおそる云ったものだ。わたしよりも、このひとの決心——自家用車をよすという——のほうが、ずっと切実だったんだなあ、と感じた。
「いいと思うね」

 夫ときたら、すごくおもしろいくるまをみつけだしてきて、それを連れて帰ってきた。そのおもしろさは、すごーくオンボロというのと、すごーく安いというのと。そして、いろいろ不思議な工夫がほどこされているというのもおもしろかった。これは、前にこのくるまに乗っていたひとが、このくるまをとても大事にしていたことを能弁に語っていた。そのことが、くるまを守っているらしい気配もある。
「オンボロだねえ」
「うん、9万キロ走っているからね。2年間の車検付きで15万円だったんだ」
「それ、安いの?」
「うん、安い。こんちき号(※)って云うんだ」
「そういう名前がついてたの?」
「さっき、ボクがつけた」   

 自家用車をよしたり、また持つことになったり、それがすごーくオンボロだったり、こんちき号という名前だったりするところ、じつに愉快。

※こんちき号
 この名の由来はコンティキ号(Kon-Tiki)。ノルウェーの人類学者で、探検家のトール・ヘイエルダール(1914-2002)は、古代のアメリカとポリネシアのあいだに交流があったという説を立証するため、大型の筏(いかだ)をつくった。この筏=コンティキ号は、古代においても入手できる材料のみを用いてつくられたのである。1947年4月、ペルーを出航、102日後にツアモツ諸島のラロイア環礁に達する。航海距離は4300マイル(およそ7000km)。

Photo
1階にある夫の仕事場と、
「こんちき号」を停めているスペースとは、
つながるともなくつながっています。
夫はときどき、ここで新聞を読んだり、
タバコをのんだり、考えごとをしている模様。
わたしも、やってみました。
「こんちき号」で読書、です。

|

コメント

フィりフヨンカ さん

ほんとうですね。

愛着は、育てるものなんだなあ、と
つくづく考えています。

いい夏にしましょうね。

投稿: ふ | 2010年7月19日 (月) 18時01分

寧楽さん

寧楽さんの「くるま」にこっそり乗って、
1日過してみたいです。
配達や。
送り。
迎え。
買いもの。

そしたら、ずいぶんたのしい日に
なるだろうなあ。

少年会議も、覗きたかった。

投稿: ふ | 2010年7月19日 (月) 18時00分

えぞももんがさん

権威のない、
自由で愉快な資格が、
わたしはほしいです。

資格があってもなくても、
ずんずんまっすぐ行ってしまう
わたしたちではありませんか!
(と、書きながら、わらっています)。

疲れていませんか?
ゆっくりね。
すたすたや小走りは、だめです。
てくてくね。


投稿: ふ | 2010年7月19日 (月) 17時57分

こんなふうに、本を読む。
なんて穏やかなひと時でしょうか・・
どんなものにも、魂はあって、
こちらと、そちらの思いあう気持ちが繋がります。

車は、走るだけのものではない・・

いつも、どんなにものとも
愛着をもって、暮らしたいと思います。

やっと蝉の元気な声を聞きました。
梅ジュースも梅酒も
夏の私を元気づけてくれます。
氷の カランという音は風鈴と共に昔の夏を
思い出させてくれる音です。

投稿: フィりフヨンカ | 2010年7月18日 (日) 15時11分

ふみこさま

夏の太陽が戻ってきました。

くるまは、ないと生活できません・・。
配達、買い物、送り迎え。
ほぼ毎日、乗っています。

安全運転を心がけて。

主人は車好きです。そのお仲間たちがたくさん。
それはそれは大切にしています。
愛着がありすぎるくらい・・・
職人なので・・・!?

週末、うちは仕事ですが・・主人の友達が
集まって。厨房のすみっこで会議!?
楽しそうです。

よく言えば、少年たちですが・・・。

投稿: 寧楽 | 2010年7月17日 (土) 09時37分

ふみこさん

おはようございます
そちらは もうすぐ 梅雨明けですね
あのギラギラした夏は 遠くに住んでいると
羨ましく 懐かしくなります。


ふみこさんが食洗器や掃除機に名前をつけるように
ご主人も 車に名前!
ウン ウン  と、頷いていました。

私は 自動車免許を持っていません。
交差点で タイミングを見つけられずに
どもまでも 真っすぐ行ってしまってしまいそうで・・。

あと 昔々 資格を取った 英文タイプも
和文タイプも 今は 機械の姿自体 見かけなくなってしまいました。
資格って・・・そう言うものかな・・・。

資格は資格で無くなってしまいましたが
オリベッティのタイプライターの形は
かっこよかったな~と思いだします。


ふみこさん
よい週末にしてください。

投稿: えぞももんが | 2010年7月17日 (土) 08時55分

なすさん

「くるま」で一所けん命通勤した
おかげで……。
そうですか。

糸を縒る働きをする「立役者」というのには、
いろいろありますね。

それにしても、通勤には
頭が下がります。
その時間が、
少しでも有益でおもしろいもの、
何より安全なものでありますように。


投稿: ふ | 2010年7月15日 (木) 12時45分

ふみこさま  こんにちは

私が若き頃、入社した会社が車がないと行けない場所でした。
片道40分弱の道のりを6年通いました、それから新しい部署に
転勤になってようやく片道10分の所に移りました。

でも、片道40分の職場で今の旦那さんとご縁があり結婚しました。
あの片道40分が無かったら今、お一人さまかもしれませんね?

今は懐かしい、片道40分でした。
旦那さんは、今でも片道40分の会社へ30年通っています。

投稿: なす | 2010年7月15日 (木) 10時22分

おまきさん

どんな風にしていらして、
どんなことをふっと考えておられるか。
お察ししていますとも。

こころならずも……というようなことに
なるときも、おそらくそれは、
学習なんでしょうね。

投稿: ふ | 2010年7月15日 (木) 09時20分

ふみこさま

たびたびすみません。
にてるだなんて、いやはや、光栄です。
でも、こちらにこられる方は、みなさんなんとなく同じグループ、という感じがします。

悩むほど携帯電話に沢山の名前があるわけではないんです、でもね、なんだか、「このわたしが、フッ」という思いがいつもあるんですよね。
便利にも使っているのですが。
この、このあたりが、どうにも。

投稿: おまき | 2010年7月14日 (水) 19時27分

おまきさん

……よくわかります。

いろいろ、いろいろ、
似ているなあ(「ほんとうに失礼な決めつけ)と、
思ってしまいます。

携帯電話のことですけれど、
必要な相手との間だけでもちいれば、
いいではありませんか。
そうでない相手に(持っているからといって)
携帯電話のことを知らせなくていいのでは……?

ということに、ふと気づいて実行したら、
がらんとなりました、わたしの携帯電話
(持ってはいるんです、それでも)。

投稿: ふ | 2010年7月14日 (水) 17時34分

ふみこさま

こんちき号、いいですね。
うちも「車を買い替えたい」と、急に今年の頭に言い出した人がいて、「なんでもっと早く」「それならなぜテレビを……」と、私にいろいろ言われたくてこのタイミングで言ったのかと頭の中が熱くなりました。
こんちき号のような車が、我が家めがけて旅してきてくれないかなあと思います。

持っていなくてもいいなあと思うもの、携帯電話。でももうないと困るのです。家にいなくてしかしすぐ連絡がとれる必要がある今の私。
大概が子供のお医者さんの予約とか、あるいはメールで事務的な連絡や、遠くの友人とやりとりしています。

携帯電話を持っていなくてはならない私、がなんだかそぐわないです。
狼煙で連絡取り合いたいぐらいだったのに。
便利なものに頼ると、自分の退化を感じるのです。

投稿: おまき | 2010年7月14日 (水) 16時31分

こぐまさん

あら、いいお話を聞かせていただきました。

息子さんの様子、好ましいです。
わたしのは、もっと、
ずれた感じがあってね、
それは「くるま」がどうの、という前の、
わたしというひとの在り方の手際のわるさの
ようなのでした。

交通安全をお祈りしますね。

投稿: ふ | 2010年7月14日 (水) 14時45分

ふみこさま。

私も運転免許をとって1回くらいしか運転していないです。2年ほど前にスクーターに乗り始めてこっちのほうが私には向いてるなぁと思っています。
昨年、息子が免許をとって車を買ってやりました。やっぱり運転できた方が岡山では便利なので・・・。でも、息子も気ぃ遣いなので、対向車とかにあいさつする時、手をあげるだけじゃなく頭を下げるもんだから前がみえなくて危ないってことがよくあります。なんか笑っちゃうんですが・・・。運転する時まだまだ緊張しているようです。でも乗せてもらえて、私はうれしいです。
では、またぁ。

投稿: こぐま | 2010年7月14日 (水) 07時25分

いとうさん

いとうさんの「場所」なんですね。
ひとつの部屋。

また、こんちき号のなかで、
本を読んでみましょう。
(あんまり、わがもの顔では過せないのですが)。

投稿: ふ | 2010年7月14日 (水) 06時28分

ゆるりんりんさん

夫のことで、
決めつけたようなことは云えませんが、
あのひとは、「くるま」を道具だと考えていますね。

道具だし、相棒だし、ということで、
大事にはしていますけれど。
キズがついたりすることには、一切おかまいなしです。
そこを、とてもいいなあと、思って眺めています。

キズがいいのではなくて、
そういう目に遭うこともあるさ、というのが、
いいなあ、と。


投稿: ふ | 2010年7月14日 (水) 06時26分

あつこさん

はじめからそう思えることに、
そしてそうしてきたことに、
尊敬を感じます。

免許証を流したあと、
自分を証明するものがほとんどなくて
(こういう職業ですし)、
あれがあったらなあと、と思いかけたのです。
この世の、たよりない自分、としょんぼりしました。

ところがね、
そういうたよりない自分の在り方が、
じつに愉快だと、だんだん考えるようになって。

何、云ってるんでしょうね。
まあ、ひねくれ体質だったんだと
思いますね。

投稿: ふ | 2010年7月14日 (水) 06時21分

なおさん

おもしろい「くるま」がみつかりますように。

あのね、
くるまを手放したとき、
「いまにまた、持てるようになるよ」と
いろんなひとに云っていただいたことが、
おもしろかった。

ステータス・シンボルなのだなあと、
つくづく可笑しくなりました。

もう一度。
おもしろい「くるま」がみつかりますように。
仲よく、安全に暮らせますように。


投稿: ふ | 2010年7月14日 (水) 06時17分

Kouji さん

「世間」って何?
だれのこと? とは、つねに
胸に置いていることかもしれません。

そんな、顔も見えない相手に
合わせるなんてことは、しないのさ、という
決心はしています。
「世間」というお化けに棲みつかれてしまったら
(じつは、棲みつかせる自分の問題なのでしょうね)、
不自由ですものね。


投稿: ふ | 2010年7月14日 (水) 06時12分

sofyさん

sofyさんのは、
雲にのって走るというような
ことなのかなあ、と思いました。

夫のとなりに
乗っているとき、道がわからなくて、
ちょっとあわてる(ナビもついてないので)、
地図を眺める、というのが好きです。

投稿: ふ | 2010年7月14日 (水) 06時08分

risyon さん

そういう風に「くるま」と仲良くできること、
とてもうらやましく思います。
くるまと「家出」。
……いいなあ。

わたしの「これだけは」って。
何だろうかなあ。

投稿: ふ | 2010年7月14日 (水) 06時04分

あいあいさん

流動。

ほんとうにそうですね。
わたしも、気がつけば、その「流動」を
味わうようになったのでした。

そのことと、物質的にも、
精神的にもたおやかに向き合いたいなあ、と
つくづく感じています。

投稿: ふ | 2010年7月14日 (水) 06時02分

焼き海苔の の さん

おはようございます。

自家用車のほかにも、
ほんとうは「いま」必要でない「モノ」が
あるように思えてなりません。

持つって、ほんとうに
大きなことだし、それをうまく持ちつづけるのは
骨の折れることだとも思います。

投稿: ふ | 2010年7月14日 (水) 06時00分

こんにちは。ふみこさん。


通勤に必要なため、車を持っています。
通勤途中、好きな音楽をかけながら歌ったり
仕事で嫌なことがあったら運転しながら泣いたり(危ないっ?!)
友だちとの長電話はいつも車の中でだったり


いつも一緒にいる感じです。


…相棒とも言えるのかな。


そうそう。春や秋には相棒の中で読書します。
お日様がぽかぽかしてて気持ちいいんです。


車の中で読書。
ふみこさんもされると読んで、うれしかったです。

投稿: いとう | 2010年7月13日 (火) 21時19分

ふみこ様

今日、暮らしについてのお話を聞いてきました。
買い置きしすぎて、家の中をコンビニにしないように。
自分がおもりしないといけないものを
ひとつでも減らすと気持ちがざわざわしなくなる。
若いときは何ともなくても
としを重ねると扱えなくなるものがでてくる。
逆にとしを重ねると
助けてもらうためのものが必要になってくる。
ものからの卒業と出会いの積み重ねが暮らしだそうです。
環境の変化や自分の変化があるのだから
本当に必要なものも変化する。
その変化に気づいて工夫をしていく、
それがシンプルに暮らすこと。
意地になってものの数を減らすことではないとのことでした。
ふみこさんもだんなさんもシンプル派ですね。

投稿: ゆるりんりん | 2010年7月13日 (火) 21時01分

ふみこさま

私は運転なんて絶対に無理と思って免許を取ろうなんて考えた事がないんです。
運動音痴に加えとっさの判断力ができず優柔不断、道路は大混乱になり車や自分だけでなく人様も傷つけるかもと思うと恐ろしくて恐ろしくて・・・

夫は毎日、運転してますが最近視力が落ちもうあんまり運転したくないなぁって言います。
車がなければないでそれなりになるもんですよね。

でもこんきち号、カワイイですねー。
そして格安!リビング代わりにもお使いになってるしいいお買い物でしたね。

投稿: あつこ | 2010年7月13日 (火) 20時10分

ふみこ さま

こんにちは。
今の我が家には まさに!タイムリーな話題です。

我が家もくるま探し中なのです。 下の息子が大学を卒業するまで
苦しい我が家。 とりあえず車は必要!金はなし!

車検付で40万円以下! 予算はないけど色、形 こだわり満載!

あきらめずにさがします。

クロワッサン 拝見しました。 素敵な娘さんたちですね!

投稿: なお | 2010年7月13日 (火) 18時14分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。
もたないことには貧乏たらしさをかんじないが、もっていて使わないことには貧乏たらしさをかんじる。
すごい感覚、感性ですね。考え、信条というべきでしょうか。

たいてい、逆に考えがちですよね。必要ないけど、とりあえずもっておこう。もっていた方が世間体がいい。みんなそうでしょ。…でもその「世間」とか「みんな」ってどこのだれ?
そういう「みみっちさ」を「貧乏たらしい」と形容されたのでしょうか。
そうですね、確かに一見すると贅沢ですが、すかすか中身のないものですよね。充実感のないものが贅沢なものか。エセ贅沢。確かにみっともない、貧乏たらしい根性ですよね。

こんちき号、そういう意味ではとてもとても豊かで満ちているかんじです。
それはふみこさんたちの、ひとつの宣言、というかポリシーのかたちなんですね。
 
「くるま」とひらがな表記にすると、なんだか愛らしいですね。轟々(ごうごう)灰煙と粉塵を撒き散らして驀進する鉄の塊ではなく、まだ鎌倉なんかにいる「くるまやさん」を連想します。
もたないことが贅沢なこと。次はなにか、楽しみにしています。
正直おもいもしなかったことに目をむけさせられました。ありがとうございます。

投稿: Kouji | 2010年7月13日 (火) 17時03分

ふみこ様
こんにちは。
「こんきち号」かわいらしい車らしいですね。

私の住む群馬県は日本でもトップクラスの「車社会」
一家に一台ではなく一人一台が当たり前なんですよ。
なくてはならない相棒といった感じ。

ある事が当たり前すぎて本当に必要かどうか、考えた事もなかったな~と
思いました。

投稿: sofy | 2010年7月13日 (火) 15時23分

ふ さま。

車ですね。
うちにやってくる車は 必ず 「○○君」 と君付けで呼ばれています。
四人家族の第五の家族です。

生涯、新しく家を建てることはしない!と決めたので
車だけは 快適に乗りたいものを選んでいこう。と決めています。

子育てのストレスで ぶちきれたとき・・・よく1人で車と家出したなぁ・・・。

私には、なくてはならない存在です。
エコにも、節約にも反している存在ですが
数少ない我が家のわがまま、と思っています。

改めて 自分に言い訳したくなった今日でした(笑

投稿: risyon | 2010年7月13日 (火) 12時13分

かわいい。こんきち号にひと目惚れされたのでしょうね。だって、とてもドアがかわいい。

わたしは高校生の時に、大人になったら乗りたい車がありました。
イタリアの、それこそ、壊れるわ、雨漏りするわ、、、というなんともポンコツ号。
大人になる前に、絶版になってしまい、結局叶わぬ夢となりました。

何かを手放す、といえば、私も大学のときにテレビを手放しました。
ラジオの生活の方が、自分にあっていたらしいです。
数年前、話題の液晶テレビを買いましたが、あまり観ない、電源オン時に出てくるテレビからの熱を避けるためにエアコンをする、、、というのが、疑問で、実家に譲りました。(だからまだ、アナログ。。。ふふふ、耐久戦。)

でも、ふみこさんが言うように、何かを手放して、再び、必要だ、と打ち明けるときの気持ち(まさに「切実な」という表現がぴったりで!)、とてもよくわかります。
私も、そういうことの繰り返し。
家族の状況、自分の気持ち、軸はずれていなくても、流動するものなんだな、って、自分の揺れやすい性格へのエールになりました。
ありがとうございました。

投稿: あいあい | 2010年7月13日 (火) 11時30分

ふみこさん、こんにちは!

今のところに引っ越す数年前に車を手放したから、もう何年だろう?
娘は車のある生活を知りません。
我が家でも必要なときは借りていますが、それもここ3年ほどはゼロ。
もっぱら徒歩&自転車。

我が家の場合は、急に車が壊れて、しばらくない生活を続けてみたら
「あれっ、なくてもいいじゃん!」となってそのまま何年も。

でも、我が家もまた数年したら、必要になって持つのだろうなと考えています。
(夫の通勤に必要になりそう)
それまでは、今の生活を楽しんでいこうと思います。

自転車と言えば、娘の幼なじみ家族が同じ多摩川沿いに住んでいて、
今度二子玉川と府中を同時スタートして、多摩川沿いを自転車で走り
いったいどこで会えるのか?ということをこの夏休みにやろうね~と
計画しています。

そのときの自分に必要かどうか見極めて、それに従って生活している
ふみこさんとふみこさんのご家族、いいなと思いました。

投稿: 焼き海苔の の | 2010年7月13日 (火) 11時16分

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