オレンジページnet
このブログは、
『オレンジページnet』の
オリジナルブログです。

『オレンジページnet』はこちら>>
 
profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
profile:山本さんの本
不便のねうち 不便のねうち
足りないくらいがおもしろい 足りないくらいがおもしろい
片づけたがり 片づけたがり
おいしい くふう たのしい くふう おいしい くふう たのしい くふう
こぎれい、こざっぱり こぎれい、こざっぱり
人づきあい学習帖 人づきあい学習帖
親がしてやれることなんて、ほんの少し 親がしてやれることなんて、ほんの少し
まないた手帖 まないた手帖
朝ごはんからはじまる 朝ごはんからはじまる
わたしの節約ノート わたしの節約ノート
おとな時間の、つくりかた おとな時間の、つくりかた
家族のさじかげん 家族のさじかげん
子どもと一緒に家のこと。 子どもと一緒に家のこと。
台所あいうえお 台所あいうえお
元気がでるふだんのごはん 元気がでるふだんのごはん
子どもと食べる毎日のごはん 子どもと食べる毎日のごはん
わたしの献立帖 わたしの献立帖
●こちらもおすすめ!
 『オレンジページ』のブログ
オレンジ進行中
オレンジページ定点観測
堤信子さんの文具びより (ときどき雑貨)
ワンツー☆スリーピース
からだの本ネット日誌
『花カレンダー』のブログ
オレンジページnet エディターズ・ボイス
オレンジページnet
『オレンジページnet』はこちら。

『オレンジページ』に関するご意見、お問い合わせはこちら。

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010年8月

2010年8月31日 (火)

『新源氏物語』(田辺聖子著)  本のなかの暮らし〈8〉

 「ならぬ。これはただ、いささかの物の報(むく)いなのだ。——この地で身を捨てるなどと考えてはならぬぞ。私は位にあったとき、過失はなかった。しかし知らぬ間に犯した罪の、つぐないをするためいそがしくて、この世を顧みるひまはなかったのだが、そなたが痛々しく不幸に沈んでいるのを見るに忍びず、海に入り、渚(なぎさ)に上って、やっとここへ来たのだ。——ほんとうに疲れたよ。このついでに帝(みかど)にも奏すべきことがあるから、都へいそがねばならぬ」
と仰せられて、立ち去られた。

『新源氏物語』(2)/(憂くつらき夜を嘆き明石の人の巻)(田辺聖子著・新潮社)所収

 『源氏物語』は、「田辺聖子」で読んだ。
 そればかりでなく、古典文学の多くを、「おせいさん」(=「田辺聖子」の愛称)の力を借りて繙(ひもと)いた。助けなくしては、味わえなかったものばかりだ。
 わたしの書架の『新源氏物語』(1〜5)の2冊めの掲出のくだり(台詞)に、古い付箋が貼りつけてある。はじめてこの『新源氏物語』を読んだ31年前、わたしが貼ったのだ。読んでいてこころつかまれる数行に出合うと、傍(かたわ)らの付箋に、知らず知らず手がのびる。付箋を持たずに読書する羽目に陥ると、落ちつかない。癖だといえば、それにちがいないけれど、好きな本ともなると、何度も何度も手にとって読み返すわたしにとって、頁に貼りつけた付箋は、行く道を照らす灯火でもある。
『新源氏物語』こそ、ほんとうに数えきれないほど読み返したけれど、そのたびに、この付箋がなつかしくてたまらないような気持ちになるのだった。

 帝ご寵愛の姫君との恋ということになれば、命がけであり、それはまさしく事件だった。その恋をめぐって、朝廷内に渦巻いた黒黒としたものに巻きとられかけ、光源氏(以下、源氏)は都落ちを決心する。謫居(たっきょ)の先は須磨である。その昔、在原業平卿(ありわらのなりひらきょう)が罪を得て須磨に流されたという記憶が、源氏に須磨を選ばせたようだが、ともかく、彼は、流罪を申し渡されるやも知れぬ状況のなか、先手を打って都落ちを決めたのだった。
 海辺から引きこんだ山中に、住居(すまい)はあった。
 3月、その数日、雨風と雷鳴がつづいた。不思議な嵐だった。住居の居間につづく廊に落雷するも、源氏は堪えに堪えていた。疲れからひとときまどろんだ彼のもとに、亡き父院が立たれたのだ。
「悲しいことばかりがあり、この海辺で命を終わろうと存じております」と訴える源氏にむかい、院が仰せられたのが、引用の部分である。
 このくだりは、若いころからわたしを惹きつけてやまない。「知らぬ間に犯した罪の、つぐない」というのは、厳しいことばだ。が、罪のつぐないというものは、誰かにさせられるものではなくて、自らそれを生きることだとおしえられたような気がして、また、それが励ましに思えて、こころが晴れる思いがした。
 ひとは、知らぬ間に、罪を犯すというような存在だが、だからこそ謙虚に生きよ、と院は諭している。悲しいときには、つぐないができると考えて、それを甘んじて受け、そのときを受けよと云われているのだ、と思えた。

「田辺聖子」には、こうした古典翻訳、歴史小説のほかに、評伝、おもしろい小説や随筆など、山脈のような著作がある。それらに、どんなに力づけられたことだろうか。わたしの胸のなかには、いつも「日にちぐすり」ということばがあって、それも「おせいさん」におそわったものだった。月日の経過が、きっとその傷みを癒すという意味のことばである。

※『新源氏物語』は新潮文庫になっています(上中下巻)。


Photo

皆さんと枝豆、枝つきの枝豆のおはなしを
交わしているさなか、
友人から「これ」が届きました。
長野県で「援農」をつづけてきた友人からの、
思いがけない贈りもの。
大事に茹でました。

お、おいし!


Photo_2

それから、山のようなみょうがも。
ほしいなあ、と思っていたみょうがです。
もう一度、みょうがの酢漬けを
つくりたかった(=食べたかった)のです。

夢がかなうってこと、あるんだなあ……。
このたびは「それ」に気づけてよかったなあ、とも
思いました。

〈みょうがの酢漬け〉
みょうが…………………………………20個
酢………………………………………100cc
砂糖……………………………………大さじ2
塩………………………………………小さじ1/2

①みょうがを掃除して、よく洗う。笊(ざる)の上で熱湯をまわしかける。
②調味料を煮たてて、みょうがを漬けこむ。
※2日めから食べられます。

| | コメント (25)

2010年8月24日 (火)

夏のべんきょう

 そういえば、枝豆を見なくなった。
 いや、それは正しくない。枝豆は見るが、枝つきのを見ないということだ。以前——といって、どれほど以前のことなのか、わからなくなっている——は、夏になれば、町の商店のならぶあたりで、枝豆を抱えたり、ぶら下げたりするひとを、いくらでも見た。それで、ああ、枝豆食べたいなあと思いだすのだった。
 母が枝豆を掲げて見せれば、弟でもわたしでも、どこかに坐りこんで新聞紙をひろげ、その上で枝から枝豆の莢(さや)をはずした。昔は、いまのキッチンばさみのようなのでなく、もっと無骨なはさみで切ってはずした。母はそれを「料理ばさみ」と呼んでいたけれど、ほんとうはあれ、小振りの花切りばさみだったのかもしれない。
 それはともかく。
 いまや、枝豆は、たいてい莢だけの姿で袋に入って売られている。枝豆を枝からはずすというひと手間がなくなったのは、さて、よかったのか。そのおかげで、楽しているのだろうけれど、枝豆のありがたみも、薄れたようだ。食卓の上で、幅を利かせていたはずの枝豆は、何となく頼りなげに見えるもの。ごちそうだったのに、枝豆。
 楽するために、ひと手間省いても、省いた分面白みが消える。……そういうこともある。

 この夏はほんとうに暑かった。
 過去形で書いてみたところで、まだまだこの暑さはつづくらしい。涼しい日がめぐってきたら、思わずじわっと涙ぐんでしまいそうだ。
 今夏、何度かへたばりかけた。ちょっと無理をしたせいで体力が落ちていたところに、この暑さだ。仕方なかった。そういう仕方なさのなかで、わたしはいくつか、べんきょうをしたのだった。そうでなくても夏は、過去を思わされ、重たいものをくり返し受けとめなければならない季節だ。宿題、自由研究ということばが夏、精彩を放つように、老いも若きも何とはなしにべんきょうさせられる。

 枝豆のこともべんきょうだったし、暑さを凌(しの)ぐ、そのやり方も学んだ。わたし——もしかしたらわたしたちは、と云ってしまってもかまわないかもしれない——は昨今、暑さやら、疲れやら、空腹やらといった、「不足」ともいえる状態を一足飛びに解決しようとしている。いつからそうなったのか、それは定かではないけれど、何かが抜けて落ちているわけなので、味わいがない。
 エアコンのスイッチを入れてがーっとばかりに冷やせば、まずまず暑さは解決するが、ちょっとうちわで扇(あお)いでみたり、涼しい場所をさがしたり、が、抜けている。そういえば、枝豆も、茹でたあと、うちわで扇いでさましたものだった。忘れていた。水にさらしこそしないものの、このところ、茹でたら茹でたままにしていた。

 体調がいまひとつで気力がからだの真ん中に集まってこなかったある日、わたしはなんだか、哀しかった。体調はそんなでも、しなければいけない仕事が積まれていて……。それでいて、したい仕事には手がつかないような気がして……。そんなとき、枝豆を枝からはずすようなこと、茹であがった枝豆を笊(ざる)に上げて、うちわで扇ぐようなことをしてみたくなった、不意に。
 居間兼食堂の、南側の窓ガラスを拭いてみた。これは、このところ、わたしがしたいしたいと思っていたほうの仕事だった。しようと思ってはじめてしまえば、できるのだった。調子づいて、西側のガラスも、東側のも、台所のも、と思いかけて、それはよした。少しずつがいいのだ、と思いなおす。
 こんなことが、どんな風に効いたものか、気力がもどりかけたのがわかった。もどるきっかけをつかんだという感覚だろうか。そしてそして、涼風が吹いた。それはどうやら、窓ガラスが透きとおったからだった。

 ひとつひとつ。
 それも少しずつ。
 そういう積み重ねで、乗りきっていくことを、どうしてだか忘れてしまい、また思いだしたというのが、この夏のべんきょうだった。


2010

前(発芽の頃)に、お目にかけた朝顔。
葉は繁って、早早(はやばや)日よけになってくれましたが、
花はなかなか咲かなかったのです。
8月8日に初めて1つ咲きました。
これは、そのときの写真です。
その後は毎日、4~10くらい咲いています。
今朝は12咲きました。
いまのところ、白ばかりですが、青もいずれ咲くでしょう。
――と、思います。

朝顔に毎日寄り添うことが、
わたしのこの夏のしんどい一面を支えてくれました。


2010_2

下から見た朝顔の様子です。
すずめがたくさんやってきています。
すずめたちは、元気です。
暑くても、雨降りでも。


Photo

末の子どもの宿題につきあって、
東京・上野動物園に行ったとき、
不忍池(しのばずのいけ)で、
睡蓮の蕾に出合いました。

この写真を、皆さんへの、
残暑御見舞いにかえて……。

| | コメント (57)

2010年8月17日 (火)

応接間

 ……そういえば、応接間があった。

 わたしが子ども時代を過ごした家にもそれはあって、そこには、ソファと小テーブル——これが、いわゆる応接セットだ——に、ピアノが置いてあった。
 ソファは、長椅子1本、ひとり掛け2個、背もたれのないスツール1個という構成。ピアノは黒のアップライトで、上部には縁(へり)にふさのついたゴブラン織りのカヴァがかかっていた。
 床は木質で、南側の2畳敷きの絨毯のひろがりの上に応接セットがのっかっている。小テーブルの上には、莨(たばこ)入れの箱と灰皿が置いてある。
 そうそう、この部屋のガラス扉のある作りつけの戸棚には、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』全30巻がおさめられており、それは、わたしの秘密の遊び道具だった。持ち重りのするどっしりとしたそれを引きぬき、ページを繰っていきながら、空想の相手に内容を説明するという遊びをした。なにしろなかみは、べったりと英文であったから、何を書いてあるのかは想像するほかなく、ということは何を想像してもかまわないというわけだった。
「あなたの悩みごとへの答えが、このページにぎっしりと書いてあるのですが、むずかしい内容である上英語なので、わたしがかわって説明します」
 という具合に遊んだり。
「それ」をラジオの台本に見立て、その日1日24時間ずっと、この台本ですすめるというつもりの遊びもした(のちに24時間テレビというのが出てきたとき、「お、パクられたか」と思った)。
 そういうのを、ソファの陰にかくれて、やった。わたしにとって、この上もないひとり遊び、とびきりの「場」だったのである。

 応接間にひとがやってくるなんてことは、滅多になかった。わたしのところにやってくる学校の友だちは、お客さんにはちがいなくても応接間に通されることはなかった。母の友だちだって、近所のおばさんたちだって、家にやってくれば、居間の座卓でお茶を飲むのだった。
 休みの日に父が、本を読んでやろうというようなとき、なぜか応接間の長椅子に坐らされた。そこで、父が読んでくれる『メアリー・ポピンズ』や『ドリトル先生』に耳を傾けた。思えばあれは、わたしにとって初期の文学体験だった。音で聞いた日本語は、しゅるしゅると染みこんでいく。
 そして、あの応接間のおごそかさも、子どものわたしに何かを植えつけた。

 わたしが中学に上がるころ、その家は壊され、建て替えられた。
 そのとき、応接間が消えた。うちばかりではない、日本の家屋から、応接間はたちどころに消失したのである。

 ……そういえば、応接間があった。
 と、わたしの懐旧の念を掻きたてたのは、電車である。
 電車に乗るたび、この国は、いつから「外(おもて)」で、これほどゆるむようになったのか、と思わされる。電車内で化粧をする、携帯電話で通話する、ものをわしわし食べる場面には、何度も遭遇しているが、決して見慣れることはできない。が、それらを見るときには、驚きが支えになったり、あるいは、何らかの事情があるのかもしれないという風に、ポイントを切りかえることができる。わたしには、むしろ、なんでもなく乗客になっている人びとの佇まいが、恐ろしいのである。
 多くのひとが、家の居間や自室でくつろぐときと大差なきくつろぎようで、そこに在るのが恐ろしいのだ。居間や自室ではなくして、せめて……と考えたとき、浮かんだのが応接間だった。
 ……そういえば、応接間があった。
 同じ、家のなかというのでも、せめて応接間に居るときのように、かすかな緊張をもち、膝と膝のあいだをつけてソファに腰かける感じをもって、電車内に在ったなら……。

 何のために、あれはあったのかと、首をかしげつつ思い返すことの多い応接間も、ひとにたしなみをおしえるせんせいであった。——の、かもしれない。


Photo

子どものころあった応接セット、
とても好きでした。
色は、深いブルーだったと思います。
セットのうち、ひとり掛けの椅子1つがいまあったなら、
よかったなあ。
あれに腰をおろしたら、
いい考えが浮かんだのじゃないのかしらん……。

その夢はかないませんでしたが、
さきごろ、夫の仕事部屋に、大きな大きなな黒板が
やってきました。
亡くなった伯母(洋裁を生涯の仕事にしていました)の形見です。
写真の絵は、
伯母の、さいごの(80をいくつか超した頃の)デザイン。


Photo_2

黒板の隅っこに、毎日、
日にちと、へんてこな標語を書かせてもらっています。

(万年「日直」というわけです)。

| | コメント (34)

2010年8月10日 (火)

ワルプルギスの夜  

 侵入者の手口というのは、すごい。
 謀(はか)りしれないものがある。
 どんな風にすごくて、どんな具合に謀りしれないかというと、侵入された側が気がついたときには、もう、侵入者の顔などしておらず、長くそこにいたというほどの存在感を放っていることだろう。
 そこへいくと、わたしには、侵入の才はない。
 まず、出かけるときの腰が、おそろしく重い。
 理由らしきものができても、すぐとは出かけようとせず、その理由を自分に向かって云い聞かせる。
「それなら、出かけていくしかなさそうね」
 のろのろと、出かける理由を風呂敷に包む。その包みを後生大事に抱えもって靴を履く。
 よそに行くというのが、年年億劫(おっくう)になっている。子どものころは好きだったのだが。夏休みなど、届けものをしたり、いろいろの用事に出かける母にくっついて出かけていきたがったものだった。子どもには関わりのない用事にわたしを連れていくなど、母にしたら、ずいぶんめんどうだったにちがいない。
 それが、いつの間にか出不精になっている。
 それでも、ええと、どこまですすんでいたのだったか。そうそう、風呂敷包みを抱えて……、出かけていき……、「ごめんください」という挨拶の上での侵入、いや訪問となる。

 そういえば、侵入者たちは「ごめんください」を云わない。
「どなたさまで?」というのへの返答もしない。こちらの脇や目なんかは、するりと抜け、すっと入る。そうして、いつの間にか家でくつろいでいるという運びだ。
 だいいち、多くの侵入者は玄関からはやってこない。

                          *

 どうやら、それらは一味(いちみ)であるらしかった。
 とはいえ、互いに連絡をとり合ってのことではなく、とにかく、入りこんでしまおうという一点において共通の認識をもつ一味。
 わたしの子ども時分には、そんな一味はなかった。やってくるようになったのは、高度成長期の中頃だ。居間でも見かけたし、机のあたりに居るのを目撃するようになる。
 その輩(やから)は、出先で、かばんに入りこむようなのだ。と云っても、やにわに飛びこんでくるわけではなく、つかまされ、つかんだ手がかばんに——なんとはなしに——それを押しこむという仕儀(しぎ)。
 それなら、もらっているんじゃあないか、と云われそうだが、もらう、とは、少しちがう。一方的に渡される。もらっているかと見えるのは、いつしかそれが、つかまされる側の習慣的な仕草になっているからだろう。

 輩というのは、ポケットティッシュ軍団だ。

 街に立つ配り人に手渡されるポケットティッシュ。相当の数だ。ポケットティッシュの使用量は、ひとによってまちまちだとしても、その消費を、街でつかまされるモノでまかなっているひとも、少なくはない。——というほど。
 家から出る頻度の多くないわたしにしたって、外を歩けば、かなりのポケットティッシュをつかまされる。
 そこには、広告がはさまっている。広告のなかみによって、つかます相手を選んでもいるらしく、同行の娘は手渡されたのに、わたしは渡されないといったポケットティッシュもある。
 まったくのところ、しぶといなあ。これの「使い途と置き場所」について考えないといけないなあと、わたしはつくづく思わされる。

                          *

 ある夜。
 この輩を家のあちらこちらから集めてきて、食卓の上に積み上げてみた。
 魔女たちの「ワルプルギスの夜」(※)の薪みたいだ。
 そう、これが4月の終わりの日だったなら、マッチをすってこれに火をつけ、焚き火のまわりを、ぐるぐる踊るところだ。
「ワルプルギスの、よーるー」
 かたちも厚みもまちまちなこれを剥(む)いて、ティッシュペーパーだけにする。わたしは、これに火をつけたりなんかしない。

 なぜなら——。
 ここは、腕の見せどころ。
「使い途と置き場所」について考えるのだ。さて。
 なんでもなく見えることが、そのじつ、ちっともなんでもなくないことを、証明するとしよう。

※ワルプルギスの夜
 ワルプルギスの聖なる記念日(5月1日)の前夜、魔女たちがブロッケン山(ド
 イツ中部のハルツ山地の最高峰)に集まって祝祭をおこなう。

〈参考文献〉
『小さい魔女』(オトフリート=プロイスラー作・大塚勇三訳/学研)
(……なつかしい。子どものころ、大好きだった本です)。


Photo

写真〈上〉は、かたちのそろったポケットティッシュを
しまうひきだし(階段のおどり場)。
〈下〉は、かたちのそろわぬポケッットティッシュを
入れるひきだし(このたび「使い途と置き場所」を決めたのは、
こちら/台所のすみっこ)。油をひくのに使ったり、
葉ものを拭いたり、涙をぬぐったり(!)に使います。

          *

「毎日新聞」火曜日(生活家庭欄)に連載の
「山本さんちの台所」が、1冊の本に
なりました。『朝ごはんはじまる』(毎日新聞社)
という本です。
どこかで、手にとっていただけますれば幸いです。

| | コメント (34)

2010年8月 3日 (火)

『ボッコちゃん』(星新一著)  本のなかの暮らし〈7〉

 穴は、捨てたいものは、なんでも引き受けてくれた。穴は、都会の汚れを洗い流してくれ、海や空が以前にくらべて、いくらか澄んできたように見えた。                 

 その空をめざして、新しいビルが、つぎつぎと作られていった。

 ある日、建築中のビルの高い鉄骨の上でひと仕事を終えた作業員が、ひと休みしていた。彼は頭の上で、
 「おーい、でてこーい」
 と叫ぶ声を聞いた。しかし、見上げた空には、なにもなかった。青空がひろがっているだけだった。彼は、気のせいかな、と思った。そして、もとの姿勢にもどった時、声のした方角から、小さな石ころが彼をかすめて落ちていった。
 しかし彼は、ますます美しくなってゆく都会のスカイラインをぼんやり眺めていたので、それには気がつかなかった。

         「おーい、でてこーい」/『ボッコちゃん』(星新一著・新潮文庫)所収

「星新一」は、預言者だ。——と、わたしは思う。
 初めて読んだのは中学生のころだが、そのとき、「迫真」と感じた多くの「ものがたり」が、いま、「迫真」を超えて「現実」になっている。その軌跡を、この目で見てしまった、というわけだ。
「星新一」というひとは、人物像は描かずに、人間と、人間が織りなす社会とを丹念に描く作家だった。中学生のころに読んだ作品の多くは、昭和30年代に書かれたもので、それは、わたしが生まれた時代、もっと云えば戦後10年から10数年というころのことである。あのころも、じゅうぶんすごみは感じていたけれど、いまは、氏は二度か三度はタイムマシーンに乗って、現代を見たことがあるのにちがいない、と考えている。
 見学したくらいで、未来と過去のあいだはを紡ぎきれるものではないけれど、
なかには、糸筋の見える存在もないとはいえず、そのひとりが「星新一」だったと思われる。

 ひと月一度書くことを自らに課した「本のなかの暮らし」のひとつに、「星新一」の本についてもきっと、と決めていた。さあ、書こう、今月こそ書こうと思いながら、さまよった。さまよいながらも、なぜだか、自分の幼い記憶を手がかりしたいという方針だけがはっきりしていた。
 記憶の的を「星新一」にしぼると、まず、「ボッコちゃん」、つぎに「殺し屋ですのよ」が浮かんだ。3つめ「おーい でてこーい」、4つめ「神」。
 この4篇のなかから、引用にふさわしい——恐ろしさという観点から——ものを選ぶことに決めた。

 さて、冒頭の引用は、「ものがたり」のさいごのところだ。なんとものどかな情景ではあるが、だからこそ、ほんとうに恐ろしい結末といえるだろう。それにこの結末は、はじまりを生む結末なのだ。主人公は「穴」。この穴には、あとしまつに困るありとあらゆるもの、ほんとにありとあらゆるものが捨てられた。捨てたのは、これまたありとあらゆる人間たち——。
 つくりっぱなし、やりっぱなしの人間たち。
 自分たちのしていることがどんなふうに未来につながるかを見ようとはしない人間たち。
 あとしまつについて考えない人間たち。
 こうした人間の姿を、「穴」は浮き彫りにする。
 驚くのは、この「ものがたり」が、1958年に書かれていることだ。

 初めて読んだとき、わたしは何を考えただろうか。いま考えれば、当時、すでにこの国は、かなり危ういところにあった。第二次世界大戦のあと、復興はすすんで平和が訪れていたかに見えていたけれど、開発と発展のムードが蔓延(まんえん)し、誰も彼もが少しずつ足を踏みはずしかけていた。すべては大人の責任だったと云いたいが、子どものわたしもまた、踏みはずしに加担していた。甘んじて、そういう方向性の暮らし方をしていたのだった。
 無邪気な加担少女は、それでも「星新一」の「おーい でてこーい」を読んで、ある種の危惧(きぐ)を感じた。自分たちが、あたりまえに思っているものの未来が虚(うつ)ろになりはじめた予感のようなもの、を。

 同じ予感でも「神」のほうは、あたりまえに使うもののもつ、危うい一面を示唆(しさ)していた。たとえばこの世の機構がコンピュータに頼り過ぎるようになっていく道筋が、描かれていた。ただし、この「ものがたり」は、子どものわたしに予感というほどのものは抱かせなかった。コンピュータや機械ということに、疎(うと)かったからだろう。

「星新一」という存在を、預言者と決めつけておきながら、わきまえが足らないようだけれど、氏は、預言者であって語り部であった。——と、云いたい。
 これこそは、文学。
 預言が際立ち、おもしろ過ぎというわけで、つい見逃される向きはあるのだが、これは、日本を代表する文学作品だ。

 しかし、ある夜。思いがけないことが起こった。装置がしだいに薄れてゆくのだ。存在がぼやけつつある。
                  「神」/『ちぐはぐな部品』(星新一著・角川文庫)所収

 加担少女は、わけのわからぬまま——面白さに笑いながら——このくだりを暗記し、記憶にこびりつかせていたのである。


Photo_2

わたしには予言はできないけれど……。

ひとが本を読むことを忘れないうちは、
たとえかすかでも、
光が、いろいろの可能性が、
ありつづけるだろうと思うのです。
過去に学ぶことが、一ツ。
想像力を耕すことが、一ツ。
知ろうとするこころの育ちに、一ツ。
まだまだほかにも、読書の理念はありましょうけれど、
ともかく、「読む」ことは大事。――と、考えます。

先日、図書館の前庭の木陰で、
犬を連れた姉弟(おそらく小学校高学年)の、
読書の光景をみつけました。
このへたくそな絵は、その様子を思いだし思いだし
描いたものです。
この光景こそ、未来への希望の証だと思えました。

          

| | コメント (45)