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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2010年8月 3日 (火)

『ボッコちゃん』(星新一著)  本のなかの暮らし〈7〉

 穴は、捨てたいものは、なんでも引き受けてくれた。穴は、都会の汚れを洗い流してくれ、海や空が以前にくらべて、いくらか澄んできたように見えた。                 

 その空をめざして、新しいビルが、つぎつぎと作られていった。

 ある日、建築中のビルの高い鉄骨の上でひと仕事を終えた作業員が、ひと休みしていた。彼は頭の上で、
 「おーい、でてこーい」
 と叫ぶ声を聞いた。しかし、見上げた空には、なにもなかった。青空がひろがっているだけだった。彼は、気のせいかな、と思った。そして、もとの姿勢にもどった時、声のした方角から、小さな石ころが彼をかすめて落ちていった。
 しかし彼は、ますます美しくなってゆく都会のスカイラインをぼんやり眺めていたので、それには気がつかなかった。

         「おーい、でてこーい」/『ボッコちゃん』(星新一著・新潮文庫)所収

「星新一」は、預言者だ。——と、わたしは思う。
 初めて読んだのは中学生のころだが、そのとき、「迫真」と感じた多くの「ものがたり」が、いま、「迫真」を超えて「現実」になっている。その軌跡を、この目で見てしまった、というわけだ。
「星新一」というひとは、人物像は描かずに、人間と、人間が織りなす社会とを丹念に描く作家だった。中学生のころに読んだ作品の多くは、昭和30年代に書かれたもので、それは、わたしが生まれた時代、もっと云えば戦後10年から10数年というころのことである。あのころも、じゅうぶんすごみは感じていたけれど、いまは、氏は二度か三度はタイムマシーンに乗って、現代を見たことがあるのにちがいない、と考えている。
 見学したくらいで、未来と過去のあいだはを紡ぎきれるものではないけれど、
なかには、糸筋の見える存在もないとはいえず、そのひとりが「星新一」だったと思われる。

 ひと月一度書くことを自らに課した「本のなかの暮らし」のひとつに、「星新一」の本についてもきっと、と決めていた。さあ、書こう、今月こそ書こうと思いながら、さまよった。さまよいながらも、なぜだか、自分の幼い記憶を手がかりしたいという方針だけがはっきりしていた。
 記憶の的を「星新一」にしぼると、まず、「ボッコちゃん」、つぎに「殺し屋ですのよ」が浮かんだ。3つめ「おーい でてこーい」、4つめ「神」。
 この4篇のなかから、引用にふさわしい——恐ろしさという観点から——ものを選ぶことに決めた。

 さて、冒頭の引用は、「ものがたり」のさいごのところだ。なんとものどかな情景ではあるが、だからこそ、ほんとうに恐ろしい結末といえるだろう。それにこの結末は、はじまりを生む結末なのだ。主人公は「穴」。この穴には、あとしまつに困るありとあらゆるもの、ほんとにありとあらゆるものが捨てられた。捨てたのは、これまたありとあらゆる人間たち——。
 つくりっぱなし、やりっぱなしの人間たち。
 自分たちのしていることがどんなふうに未来につながるかを見ようとはしない人間たち。
 あとしまつについて考えない人間たち。
 こうした人間の姿を、「穴」は浮き彫りにする。
 驚くのは、この「ものがたり」が、1958年に書かれていることだ。

 初めて読んだとき、わたしは何を考えただろうか。いま考えれば、当時、すでにこの国は、かなり危ういところにあった。第二次世界大戦のあと、復興はすすんで平和が訪れていたかに見えていたけれど、開発と発展のムードが蔓延(まんえん)し、誰も彼もが少しずつ足を踏みはずしかけていた。すべては大人の責任だったと云いたいが、子どものわたしもまた、踏みはずしに加担していた。甘んじて、そういう方向性の暮らし方をしていたのだった。
 無邪気な加担少女は、それでも「星新一」の「おーい でてこーい」を読んで、ある種の危惧(きぐ)を感じた。自分たちが、あたりまえに思っているものの未来が虚(うつ)ろになりはじめた予感のようなもの、を。

 同じ予感でも「神」のほうは、あたりまえに使うもののもつ、危うい一面を示唆(しさ)していた。たとえばこの世の機構がコンピュータに頼り過ぎるようになっていく道筋が、描かれていた。ただし、この「ものがたり」は、子どものわたしに予感というほどのものは抱かせなかった。コンピュータや機械ということに、疎(うと)かったからだろう。

「星新一」という存在を、預言者と決めつけておきながら、わきまえが足らないようだけれど、氏は、預言者であって語り部であった。——と、云いたい。
 これこそは、文学。
 預言が際立ち、おもしろ過ぎというわけで、つい見逃される向きはあるのだが、これは、日本を代表する文学作品だ。

 しかし、ある夜。思いがけないことが起こった。装置がしだいに薄れてゆくのだ。存在がぼやけつつある。
                  「神」/『ちぐはぐな部品』(星新一著・角川文庫)所収

 加担少女は、わけのわからぬまま——面白さに笑いながら——このくだりを暗記し、記憶にこびりつかせていたのである。


Photo_2

わたしには予言はできないけれど……。

ひとが本を読むことを忘れないうちは、
たとえかすかでも、
光が、いろいろの可能性が、
ありつづけるだろうと思うのです。
過去に学ぶことが、一ツ。
想像力を耕すことが、一ツ。
知ろうとするこころの育ちに、一ツ。
まだまだほかにも、読書の理念はありましょうけれど、
ともかく、「読む」ことは大事。――と、考えます。

先日、図書館の前庭の木陰で、
犬を連れた姉弟(おそらく小学校高学年)の、
読書の光景をみつけました。
このへたくそな絵は、その様子を思いだし思いだし
描いたものです。
この光景こそ、未来への希望の証だと思えました。

          

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コメント

Koujiさん

どうもありがとうございます。

「気休め」ではなく、
「虚無」にのっとられかけたこころに、
大事なものを吹きこんでいただきました。

(わたしは、
「気休め」も、好きですけれどもね)。

(「逃避」も、大事にしています)。


投稿: ふ | 2010年8月12日 (木) 09時47分

ななせさん

貴重なおはなしを、
どうもありがとうございます。

読書に逃避(わたしにも、あります。
昔もいまも)という一面があったとしても、
その方の読書に敬意をはらいたいと思うんです。

認めてほしかった「何か」を
認めてもらえなかった辛さというのも、
あるのだろうなあ、と思えて。

その方はもう「ここ」には、おられない……。
それでも、「よく読まれましたね」と、
伝えたいです。

「よく読まれましたね。その知識、感受性の開発を、
「そこ」から、「ここ」へ流しこんでください」

ななせさん、
どうもありがとうございました。


投稿: ふ | 2010年8月12日 (木) 09時44分

ななせさんのおっしゃること、わかる気がします。『はてしない物語』をおもいました。物語から抜け出せなくなるひとたちも描かれていますし、著者自身抜け出せるか不安になったそうです。
知人にも、いました。履き違えているというか、バランスを崩していたひとが。
でもそれは、すがりついたのが「本を読むという行為」だったというだけのことではないかとおもうのです。それが宗教だったりお酒だったりギャンブルだったりもして。
自分のことをいいますと、面白い物語を面白いと読めるときに、ああ生きているんだなと実感できます。大げさだとおもわれるかもしれませんが、これは実感です。
気持ちが健康でないと、ぼくは読めなくなりますから。ときには読むことにより元気を得ることもありますが、それはやはりそれに応えられるだけの張りがあってこそだとおもいます。
だから、読めるのであれば安心して読まれてもよいかとおもいますよ。なんて、うまく伝わるように記せているのかどうか、また、気休めにすぎないのかもしれませんが。

そのひとは、ふみこさんの書くものは読んでいたのでしょうか。もしそうでなかったら、教えてあげたかった。決してそういう選択はしなかったはずです。

投稿: Kouji | 2010年8月10日 (火) 18時30分

ふみこさん、おはようございます。

いつも心を揺さぶられてしまうお話です。
皆さんの素敵なお話のなか
こういうコメントはしてはいけないのだろうな、と悩みながら…
でもふみこさんなら、ここの皆さんなら受けとめてくださるかも、と思って…

本を読むこと、が自分の現実を生きる糧になりますように。
本の世界で癒されて
ちゃんと自分の現実に戻ってこれますように。
本の世界と自分が生きてる世界の境目があやふやになって
逃避し続けませんように。

本の山に埋もれて逃避した人がいて…
現実を生きていく力を失って…
その人を失って初めて、戻って来れない人もいるのだとわかりました。

本を読むのは大好きでしたし、読書は良きもの、とずっと思っていました。
今は本の中の世界に浸ることに躊躇してしまう自分がいます。

最近吉本隆明さんの本で「本の毒がまわる」という言葉を見つけました。
俗に言う悪書の話ではなく、すべてのものに裏と表があるように
読書の効用にも裏表あるのだと。

自分の糧になるように心して選ぶ。
もしかしてそういうことも必要ではないか、と思ってしまうのです。。。

投稿: ななせ | 2010年8月10日 (火) 09時22分

ゆきたんさん

たくさん読むのがいいわけではないし、
読みつづけるのが、立派というわけでもない……。

自分と、読書との「あいだ」というのも
大事だなあと思わされています。

わたし自信、
なんだか、「読めない」ことがつづいていて、
最近、それがほどけて、また読めるようになった、と
いう感じなのです。

ゆきたんさん、
佳い(ゆきたんさんらしい)読書を。ね。

投稿: ふ | 2010年8月 9日 (月) 21時31分

おまきさん

おまきさんの「とうちゃん」さんが、
読めと云われた本を読まなかった、というお話、
とてもとても興味深く思っています。

子どもが、小学生の頃から、
もち帰る「推薦図書」の紙が、
わたしには、困りものです。

なんという羅列、なんという数だろうかと
思うのです。
長い休みくらい、子どもたちに、
「本」への勘をはたらかせる機会にしてやりたいなあ、と。

書店をうろうろ、でもいいし、
家の書架の前をこっそりうろうろもいい。
図書館をうろうろも、もちろん……。

「とうちゃん」さんの気持ち、
なんだか、わかるなあと思って。


投稿: ふ | 2010年8月 9日 (月) 21時29分

ふみこ様
少し、涼しくなりましたが、まだまだ暑い日が続きますので、体に気を付けて下さいね。
最近、暑さを理由に、本を読めていなくて…。でも、ふみこさんの本は読めています。
夏なると、読み返したくなるのは、海からの贈り物です。必ず、夏に、この本を読み返したくなります。
この本から、読書再開しようかなと思います。
いつも、本の紹介をして下さり、どうもありがとうございます。世界が広がります。

投稿: ゆきたん | 2010年8月 9日 (月) 20時10分

ふみこさま、皆様

星新一、中学生の頃読みました。やさしい語り口で実は怖い、という内容でした。お顔も、紳士を感じさせる方でした。
やさしい語り口で、怖さを伝えてもらうというのは、とても大事なことかも知れません。生きていくどこかで、ふと思い出すかも。

中学生の時は筒井康隆を読んでいました。毒気に当てられたかったのかと思います。理由なきエネルギーをどうにかしたかったのだと思います。今また読み返したい、その頃読んでいた本、息子がもう少し大きくなったら読めるのかなあと思います。もっと私から離れたところにいられるようになったら。

小さい頃から本が好きで、本をあっという間に読んでしまうと、近所のおばさんとかに褒められたのが違和感を覚えておりました。
本を読むことは、本を好きなことは、褒められたりすることではないと、わかっていたからだと思います。

うちのとうちゃんは、高校の図書室から失敬した本を、今も心の友にしているようで、
子どもの頃は読めといわれた本を絶対に読まないこどもだったようです。

本を読むか読まないか、何を読むか読まないか、
選べて楽しめることの、ありがたさを想います。

投稿: おまき | 2010年8月 9日 (月) 19時56分

バッテリーさん

いえいえ。
(バッテリーさんは自慢はして
おられませんが)、お子さんたちへの「読み聞かせ」は、
誇りだし、ほんとうは、大きく自慢だってしていいことだと
思います。

でも、
そういう賜物を受けられなかった子どもや、
そういう賜物を受けられなかった、かつての子どもが、
「本」と出合えないかというと、それはちがいますものね。
ずっとずっとあとになってからの出合いの、
いまひとつの味わいというものも、
わたしは信じたくて。

『長くつ下のピッピ』
好きでした。
「リンド・グレーン」のものは、子どものわたしにとって、
あこがれと光だったなあ。
また、読んでみましょうっと。

どうもありがとうございました。


投稿: ふ | 2010年8月 9日 (月) 16時20分

ふみこ さま

ほんとうに。
すこ~し自慢っぽく披露した自分に、反省・・・。

いつであっても、どこであっても、
そのひとに必要なときに、
「そこ」 にいる相棒が、本なんですよね。

わたしの最初の相棒は 「長くつ下のピッピ」 でした。
子どものころ、何度も何度も読み返しては、
その世界に遊んでました。

いつもありがとうございます。。。

投稿: バッテリー | 2010年8月 9日 (月) 15時27分

バッテリーさん

それはそれは、大変な宝ものですね。
バッテリーさんにとっても、
お子さんたちにとっても。

ひとが、本格的に「本」と
出合うときに、幼い頃の読書経験が
ものをいうのでしょうね。

でも、
そういうことがなかったとしても……、
本は、いつでも「そこ」にあります。ね。

投稿: ふ | 2010年8月 9日 (月) 08時54分

ふみこ さま

こんにちは!
今朝は、開いた新聞の紙面に思いがけずいらしたふみこさんに
咄嗟に 「おはようございます。」 とおじぎをしてしまいました。
・・・日曜の朝から、うれしいことに包まれて、
いい気分・・・! 

「朝ごはんからはじまる」
さっそく本屋さんでさがしますね。 たのしみです。

本の読み聞かせ・・・というよりは、
わたし自身のたのしみではじめた、夜布団に入ってからの朗読会は、
上の子が三つ、下の子が一つ半の頃から、
約8年間、一日も休まず続きました。
今あの子たちがあるのは、
その頃のたくさんの物語のおかげだと思ってます。

投稿: バッテリー | 2010年8月 8日 (日) 12時50分

がーねっとBeeさん

力みなぎるお便りを、
どうもありがとうございます。

いろいろ、
わかるなあ……と思いながら、
読ませていただきました。

そうそう。
読書はやはり「旅」ですね。
わたしも、これから、ちょっと
どこの国とも知れぬ不思議の国へ。
行ってまいります。

投稿: ふ | 2010年8月 7日 (土) 09時28分

ふみこさん、皆様、こんばんわ^^
「穴」と聞いて、引っ越し前の冷蔵庫を思い出してしまいました。
とにかくいろいろ詰め込んでしまいました。
「冷蔵(冷凍)」の名に甘んじてしまい…。
ある意味、ぎゅうぎゅうづめの冷蔵庫って、「穴(というか、ブラックホールか…)」みたいです。
そうして、どんどん在庫なんて考えず、上に上にと詰め込み、下の方の食材は、朽ち果て、しまいには形もなくなってしまう。

引っ越してからは、そうならないように、注意しています。
ちょっとした調味料の垂れもふきとるようにしています。
多分、外(部屋だったり、道路だったり)と、一緒なんでしょうね。
ゴミだ、汚れだ、何かが壊れただが1つあると、どんどん環境が壊れる、「ブロークン・ウインドウの法則」が、こんな小さい所にもあるんだ、と。
気を付けなきゃ、です。

読書は、昔から大好きです^^
やっぱり、電子図書じゃなく、本をちゃんと汚しつつ、しおりなんかに気遣いつつ、読むのが大好き!
今は、ふみこさんの紹介された「富士日記」が相棒です^^
あと、「面白南極料理人(西村 淳さん著・新潮文庫刊)!
前者は、ちょっと「別荘リゾ~ト~^^♪」な感じを、せめて気分だけでも味わいたいから…。
後者は、暑い中、涼しい気分を味わいたいから…。
本はいいです^^
気分だけでも、富士山の近くにも、南極ドーム基地にもいけちゃいますから、ね。

長々、失礼いたしました。
朝晩は、少し、しのぎやすくなってきておりますが、ふみこさん、皆さん、体調に気を付けてお過ごし下さいませ。

投稿: がーねっとBee | 2010年8月 6日 (金) 19時55分

えぞももんがさん

木いちご。
なんて、いい暮らしをされていることか。

えぞももんがさんの「木いちご」の
おかげで、わたしも「木いちご」のある
暮らしができます。

とても不思議で、
かぐわしいことに思えます。

投稿: ふ | 2010年8月 6日 (金) 12時01分

ぽこはなさん

小さきことが積もり積もって、
大きな何かになる。

このごろ、ひとは、
小さき醜さ、ずるさ、もったいなさを
積もらせてきましたが、
これから少し変っていくのではないでしょうか。

まず、自分も、
小さな徳を積みたいものです。

たのしい8月を。

投稿: ふ | 2010年8月 6日 (金) 11時54分

いちじくさん

ひとは、「ごみ」と一緒に、
捨ててはいけないものを、
捨てたんでしょうか。

でも、
ここで「わたしたちは、そういうことはしない」と
話しあい、誓いあってもいるお互いにも、
「魔が差す」ことはあって……。
そう考えると、地球上で起きている
「魔が差す」が、たちどころにこの星を
傷めつけた結果かもしれません。ね。

いつも、どうもありがとうございます。

投稿: ふ | 2010年8月 6日 (金) 09時57分

ふみこさん
おはようございます

昨日と今日が北海道の この夏の暑さのピークだそうです。
今日は 札幌も35℃近くになりそうです。
その後は・・・秋の気配。
今日は たくさん汗をかいて 夏を味わいます。


星新一、懐かしいです
読みまくりました。
星新一、筒井 康隆・・・「どうなるの どうなるの」と
ページをめくるのも もどかしかったような気がします。

ふみこさん

図書館の前庭の木陰で、本を読む日焼けした少年たち
良い絵ですね。私も 思います。こうでなければ いけません。
先日 電車から降りようとドア付近にいたら
私のまわり5.6人の人々
下を向いて 無言で携帯を触っている・・。
背筋が寒くなりました。
これは やっぱり間違っている気がします

ついつい長くなりました(ごめんなさい)・・・では 朝のウォーキングに行ってきます
木イチゴが 食べごろなんです。

投稿: えぞももんが | 2010年8月 6日 (金) 05時15分

ふみこさん

毎日暑いですね。
異常でなんだかこわいです。

星新一さんの作品は私も20代のはじめに読みました。
やはりおーいでてこい」は今でも心の隅に残ってる作品です。
星さんが鳴らしてくれていた警鐘は私の心の中でまだ響いています。

ただ何もできないしようとしていない私です(ほんとにごみの分別くらいです)

わたしたちの子供その孫にまたその孫に美しい青い空を見せてあげたいと
せつに願います。

私は「鍵」という作品も好きです。

投稿: ぽこはな | 2010年8月 5日 (木) 20時05分

ふみこさま みなさま

こんにちは。
今日も夏まっさかりのお天気ですね。

先日久しぶりに富士山へ行ってきました。
これまでは山の存在感に畏れを感じるばかりでしたが、
ふみこさまに教えて頂いた「富士日記」を読んだからでしょうか。
今回は、濃い緑にかこまれた道路を走りながら
木々一本一本の力強さに歴史を感じ、
この自然と共に暮している方々に圧倒されっぱなしでした。

そんな中、「ごみを捨てないで下さい」の看板がちらほらと・・・
都会の道路でももってのほかですが、
この荘厳な景色を、あえてなぜごみで汚そうとするひとがいるのか・・・
自然に触れる・・・という名目で自然を壊し、
「いったい何をしに来ているの?」と怒りを覚えます。

ただ私も・・・違った場所で加担しているということを
改めて考えさせられました。
「暮らしかた」を見直していかないと。
これ、私の夏休みの課題にします!

今週もありがとうございました。

投稿: いちじく | 2010年8月 5日 (木) 13時24分

おかずさん

わたしもうれしい!です。

「星新一」を読む「小5男子」、
いいなあ、いいなあ、いいなあ。
そこから、ぐんぐん読むひとになりますねえ。

たのしい、うんとこさたのしい夏休みを。

投稿: ふ | 2010年8月 5日 (木) 10時22分

Kouji さん

そうね、そうですね(あわてている)。

たのしいから、読んでいます。

たのしいには、もれなく、
「何か」がついてきて、わたしをぐにゃぐにゃにします。

この「ぐにゃぐにゃ」も、ありがたいんです、
わたしには。

ぐにゃぐにゃの、ふ

投稿: ふ | 2010年8月 5日 (木) 10時20分

フィりフヨンカさん

ささやかに「何か」を守って、
踏ん張りたいです。

この星を使わせてもらっている、
借りている、という風に考えないと
いけないなあと、思うんです。

愉しい8月を。

投稿: ふ | 2010年8月 5日 (木) 10時18分

きょうこさん(再び)

ことし3月ごろ、くぎ煮のおはなしをしてくださった、
「きょうこさん」と、
黒いノートの「きょうこさん」は、
ちがう「きょうこさん」ですね。

「きょうこさん」の、目印を、
このつぎ決めさせていただこうと思います。

どうもありがとうございました。

投稿: ふ | 2010年8月 5日 (木) 10時15分

きょうこさん

いらっしゃいませ。
ようこそ。

挿絵を切り抜いて……貼る。
なんてうれしいんでしょう。
これからは、きょうこさんの黒いノートを
思いながら、描きましょう。
と、思いました。

「星新一」どうか、もう一度。
いま読むと、気づきがきらきらもたらされます。
……ちょっと恐ろしいくらいに。

またいらしてくださいね。

投稿: ふ | 2010年8月 5日 (木) 10時10分

アリスさん

とりかえしのつく「失敗」も、
なかにはあるけれど、
とりかえしがつかないほうのが、
心配です。ね。

遠く、自分も「加担」しているのだ、
無関心というかたちで……と、
反省しきり。

せめて、自分の身のまわりでは、
「未来」を感じていたいなあ、と。


投稿: ふ | 2010年8月 5日 (木) 10時07分

ふみこ様

「ボッコちゃん」小学校の時うちにあって読みました。おもしろいような、こわいような気持ちになったのを思い出しました。

この夏、本をめったに読まない真ん中の息子(小5です)が、学校から星新一の本を借りてきて、夢中になり、おもしろいよ!とうれしそうにあらすじを話してくれます。もっと読みたいというので、今日図書館へ行ってきました。
星新一おもしろいよ!と友達にすすめられたそうで、なんだかうれしかったです。

投稿: おかず | 2010年8月 4日 (水) 23時36分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。
「神社というのは、大事なものを守っているんだよ」
中学の時分、教科書に載っていた『おーい、でてこーい』を取り上げた先生のことば。先生がどういう文脈でどのような意味で使ったのか憶えていないそのことばが、しるく胸に残っています。確かに、お社を壊した時点で、大切なものを捨ててしまったんだな、とおもいあたります。
天災災害をよく、しっぺ返しだとか罰だというけれど、それはあんまりな言い方です。自業自得ともちがう。気がつきなさいよ、というメッセージだとおもうのです。気がつかなければ気がつくまで、気がつくようにより強く訴えかけてくるでしょうね。だって気がつかなければ、人類は滅びてしまうから。地球を滅ぼす滅ぼさないなどというけれど、その心配はないんです。その前に確実に人類が滅びるから。人間という生き物は地球によって生かされているのですから。そうおもうと、地球さんはなんて愛情深いのかとため息がもれます。
そう気づかせてくれたのは、読書のおかげが大きいのでしょうね。『書を捨てよ、街へ出よ』が主流になり、本を読むことが軽視されるようになりましたが、結果生まれたのが拝金主義。面白いことにそういう方はほとんど本を読んだりなさいませんね。

ぼくが本を読むわけは、単純に楽しいからです。といっても、「楽しい」にもいろいろなものがあり、それが啓蒙に繋がることはありますね。別段それが目的ではなく、結果としてついてくるものなのですが、どうも読まないひとの多くが、「啓蒙としての読書」というイメージにやられているような気がされてなりません。
これだけ楽しいことはそうそうないのに。もったいない。

投稿: Kouji | 2010年8月 4日 (水) 13時22分

今、生きている人は
「おーい、でてこーい」にうすうす気づいているのでしょうけれど
自分の見ている景色は輝いていて
遠くの景色は自分の未来であっても
実感できず・・かといって何かしら漠然と
このままでいくことはないな と不安だけは持っている。

不安をどうにかする気もなく
ただ抱えて生きているだけ。


人が一人人生を終えるだけでも
凄まじき後片付けがあるというのに
この地球が終わる時、どれほどの片付けられないものが
残るのやら。
私は何をどうすればいいのだろうと思います。

投稿: フィりフヨンカ | 2010年8月 4日 (水) 07時44分

寧楽さん

おはようございます。

お早早と、読んでいただき、
ありがたいことです。

夏(休み)の読書というのには、
格別なものがありますね。

佳い8月を、どうか。

投稿: ふ | 2010年8月 4日 (水) 07時14分

はじめまして。
私も毎日新聞の「山本さんちの台所」からファンになりました。
挿絵が素敵で、無印の黒いノートに新聞の挿絵を切り抜いて貼ったらとてもおしゃれなノートに変身しました。

星新一は大好きでよく読みました。でも一行も諳んじることができずがっくり。
でも当時、文体の品のよさと、ガリバー旅行記のようにストーリーのおもしろさだけではないことは感じていました。「人民は弱し 官吏は強し」を読んで
なるほどなと思ったことを覚えています。

投稿: きょうこ | 2010年8月 4日 (水) 01時19分

ふみこさん、こんにちは♪

読むことの喜び、大切だと思います。
限られた生活の中で、読書だけはいつも私の心の栄養でした。
しかし、実は日本の作家の本、あまり読んでいないんです。
素晴らしい本がたくさんあるんでしょうに。。。

また、ふみこさんのように、内容についてきちんと考えられる方は、尊敬します。
私は自分のその時の気持ちに会う部分を好き勝手に解釈することが多いような気がします(笑)。

>後始末を考えない人間

本当に。。。
どうなったら、人間は真に気がつくのでしょうか。
おっしゃるとおり、私など、日本が焦土になってたった20年で生まれている。
戦地になったことのない、この国では、自国の行っている戦争に、みな恐ろしいほど関心がありません。まるで絵空事。
国民の怒りが爆発するのは、ガソリン代が上がったときくらいです。

彼の母国でも、お金になるから、どんどんと土地をロシアに売ってしまうそうです。悠久であった自然があっという間に工場に変わっていくそう。

人間は悲しいかなみな同じ失敗をしますね。

投稿: アリス | 2010年8月 3日 (火) 22時41分

ふみこさま

「朝ごはんからはじまる」少しずつ読んでいます。
読むことが大事です!

私がはじめてふみこさんを知ったのが「山本さんちの台所」でした。
火曜日はここも含め、楽しみです。とても。

夏休み・・読書にふけった子供でした。

祇園祭のおはなし、楽しみにしています。

投稿: 寧楽 | 2010年8月 3日 (火) 20時25分

あつこさん

そうそう、
そういうのが読書の世界への
架け橋です。

素敵。
愉快。

「星新一」は、お子さんたちと、
ご一緒に。
佳い8月を。ね。

いつも、ありがとうございます。

投稿: ふ | 2010年8月 3日 (火) 18時12分

ゆるりんりんさん

またまた、素敵なコトバの花束を。
どうもありがとうございます。

自分の知っていることが、すべてじゃない。

ほんとうですね。
そ「そこ」から、何もかもがはじまりますね。

さわやかな8月を。


投稿: ふ | 2010年8月 3日 (火) 18時11分

ぽっぽさん

おめでとうございます。
おめでとうございます。

夢がかなって……。
なんだか、うれし過ぎて、
どうにかなりそうです。

赤ちゃんのいる暮らしを、どうかどうか
楽しんでください。ね。

しあわせな上にもいあわせな8月を。


投稿: ふ | 2010年8月 3日 (火) 18時09分

ふみこさま

私もかつて星さんの本が好きでよく読んでいましたが内容はさっぱり思い出せません。
て、いうか何年か前に読んだ本でさえ覚えてなくてトホホです。
そんな私ですが本はなくてはならないもの。
本の世界に浸る幸せを知ってもらいたくて子供達には小さい頃によく読み聞かせをしたのにどの子も読書に興味がなくてガッカリです。
ま、「母さんが押入れオバケの本を読んだら兄ちゃんは怖がって逃げ出したねぇー。」とか覚えていてくれてるんでいいかな。

また星さんの本を読んでみます。懐かしいです。

投稿: あつこ | 2010年8月 3日 (火) 17時57分

ふみこ様

わたしも本が好きです。
今の本でも
昔の本でも
自分の知ってることが全てじゃない、
そのことを気づかされたときに
ひゅーっと新鮮な風が吹きぬけます。

投稿: ゆるりんりん | 2010年8月 3日 (火) 17時14分

ふみこ様

こんにちは。
ご報告させて頂きたくまたお邪魔しにきました。
先日、7月27日の朝に無事に元気な男の子を出産しました。
予定日より2日早い出産となりましたが、私としては予想的中!!
なぜなら、先月は26日が満月ということで臨月にはいってからというもの
毎晩空を眺め、お腹の赤ちゃんに色々と話かけていました。
赤ちゃんと私の気持ちがお月さまに通じたようで、なんだかすごくうれしかったです。(自己満足かもしれませんが。。。)
今は毎日手探りの日々ですが、母である私なんかよりはるかに賢い赤ちゃんの
生きる力を 頼りに母業をさせてもらっています。
子育て中の息抜きにブログなど拝見させていただきます。

投稿: ぽっぽ | 2010年8月 3日 (火) 16時19分

しょうさん

いらっしゃいませ。
よくいらしてくださって。
麦茶の一杯もさしあげたいところです……。

読書によって、
ひとは「知らないこと」を学び、
「わかろうとするこころ」を得、
共感の畑を耕すのだと思うんです。

過去を学ぶことはまた、
道を照らす灯火です。
悲しい歴史をくり返さないという、覚悟の灯火。

いい読書をしましょうねえ。
お互いに。
ときどき、お好きな本や、
気にかかる本についてなど、
おしえてください。

佳い8月を。

投稿: ふ | 2010年8月 3日 (火) 14時31分

ぽんぽんさん

家のなかに「読む」空気があれば、
それは伝染するんだと思います。

わたしの読書は、
好きな者をくり返しくり返し、
くり返しくり返し読むようなのです。
それでも、いいだろうかなあ、と思いながら。

佳い、夏の読書を。

投稿: ふ | 2010年8月 3日 (火) 14時26分

マドレーヌさん

ありがとうございます。

マドレーヌさんの、そのひとこと、
「待ってました」という思い。

夏休み、ですね。

投稿: ふ | 2010年8月 3日 (火) 14時22分

ふみこさん、はじめてコメントを残します。

星新一さんは教科書で「午後の恐竜」を読んで初めて知り、その衝撃から当時あさるように読みました。
「おーいでてこい」も、衝撃的で、よく覚えています。

幼いころの読書によって、私は「想像力」が養われたなと思います。それは、他人の立場になってみたり、他人の気持ちに寄り添ってみたりする、練習というか、そういう力になっていると思います。

2歳の娘にも読書好きになってほしくて、せっせと絵本を読み聞かせています。
いつか、2人で同じ本を読んで感想をいいあったり、薦めあったりしたいなあと、夢見ています。

投稿: しょう | 2010年8月 3日 (火) 12時26分

ふみこ様 皆様
こんにちは

私も!「読む」事の大切さ感じます。小学二年生の頃、図書室で少し大きい子供向けの「若草物語」を解らない漢字を聞いたり、調べたりしながら夢中で読んだのを思い出しました。

「読む」ことで、何かを知ろうという探求心や、辞書のひきかたを覚えるという副産物も身につける機会になっていたのかも。

私は皆さんみたいに読者家ではないけど、それでも読みたいと思う本や絵本は沢山あります。

特に絵本は好きで、母もしてくれたように娘にはつい買ってしまいます…。(図書館も利用しますが)

おかげで?娘も絵本は大好き。今は自分の手を広げ、自作のお話し「お手て絵本」を聞かせてくれます。

「読みなさい」 と強制するでなく、自然に本と仲良しになれるといいなぁ。と。

本を読む子供達の絵。素敵です。
ポスターであったら欲しいくらいです。

投稿: ぽんぽん | 2010年8月 3日 (火) 11時09分

ふみこ様

>ともかく、「読む」ことは大事。――と、考えます。


ふみこさん、ほんとうにほんとうにそう思います。
私は本を読む日々の中で、素晴らしい本に巡り会うと、この本を誰かに手渡したいと切に思います。

たった今から読もうとしているのは、
野呂邦暢随筆選 『夕暮の緑の光』(みすず書房)、です!
読む前のわくわく感もたまりませんよね。

投稿: マドレーヌ | 2010年8月 3日 (火) 10時43分

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