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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2010年8月31日 (火)

『新源氏物語』(田辺聖子著)  本のなかの暮らし〈8〉

 「ならぬ。これはただ、いささかの物の報(むく)いなのだ。——この地で身を捨てるなどと考えてはならぬぞ。私は位にあったとき、過失はなかった。しかし知らぬ間に犯した罪の、つぐないをするためいそがしくて、この世を顧みるひまはなかったのだが、そなたが痛々しく不幸に沈んでいるのを見るに忍びず、海に入り、渚(なぎさ)に上って、やっとここへ来たのだ。——ほんとうに疲れたよ。このついでに帝(みかど)にも奏すべきことがあるから、都へいそがねばならぬ」
と仰せられて、立ち去られた。

『新源氏物語』(2)/(憂くつらき夜を嘆き明石の人の巻)(田辺聖子著・新潮社)所収

 『源氏物語』は、「田辺聖子」で読んだ。
 そればかりでなく、古典文学の多くを、「おせいさん」(=「田辺聖子」の愛称)の力を借りて繙(ひもと)いた。助けなくしては、味わえなかったものばかりだ。
 わたしの書架の『新源氏物語』(1〜5)の2冊めの掲出のくだり(台詞)に、古い付箋が貼りつけてある。はじめてこの『新源氏物語』を読んだ31年前、わたしが貼ったのだ。読んでいてこころつかまれる数行に出合うと、傍(かたわ)らの付箋に、知らず知らず手がのびる。付箋を持たずに読書する羽目に陥ると、落ちつかない。癖だといえば、それにちがいないけれど、好きな本ともなると、何度も何度も手にとって読み返すわたしにとって、頁に貼りつけた付箋は、行く道を照らす灯火でもある。
『新源氏物語』こそ、ほんとうに数えきれないほど読み返したけれど、そのたびに、この付箋がなつかしくてたまらないような気持ちになるのだった。

 帝ご寵愛の姫君との恋ということになれば、命がけであり、それはまさしく事件だった。その恋をめぐって、朝廷内に渦巻いた黒黒としたものに巻きとられかけ、光源氏(以下、源氏)は都落ちを決心する。謫居(たっきょ)の先は須磨である。その昔、在原業平卿(ありわらのなりひらきょう)が罪を得て須磨に流されたという記憶が、源氏に須磨を選ばせたようだが、ともかく、彼は、流罪を申し渡されるやも知れぬ状況のなか、先手を打って都落ちを決めたのだった。
 海辺から引きこんだ山中に、住居(すまい)はあった。
 3月、その数日、雨風と雷鳴がつづいた。不思議な嵐だった。住居の居間につづく廊に落雷するも、源氏は堪えに堪えていた。疲れからひとときまどろんだ彼のもとに、亡き父院が立たれたのだ。
「悲しいことばかりがあり、この海辺で命を終わろうと存じております」と訴える源氏にむかい、院が仰せられたのが、引用の部分である。
 このくだりは、若いころからわたしを惹きつけてやまない。「知らぬ間に犯した罪の、つぐない」というのは、厳しいことばだ。が、罪のつぐないというものは、誰かにさせられるものではなくて、自らそれを生きることだとおしえられたような気がして、また、それが励ましに思えて、こころが晴れる思いがした。
 ひとは、知らぬ間に、罪を犯すというような存在だが、だからこそ謙虚に生きよ、と院は諭している。悲しいときには、つぐないができると考えて、それを甘んじて受け、そのときを受けよと云われているのだ、と思えた。

「田辺聖子」には、こうした古典翻訳、歴史小説のほかに、評伝、おもしろい小説や随筆など、山脈のような著作がある。それらに、どんなに力づけられたことだろうか。わたしの胸のなかには、いつも「日にちぐすり」ということばがあって、それも「おせいさん」におそわったものだった。月日の経過が、きっとその傷みを癒すという意味のことばである。

※『新源氏物語』は新潮文庫になっています(上中下巻)。


Photo

皆さんと枝豆、枝つきの枝豆のおはなしを
交わしているさなか、
友人から「これ」が届きました。
長野県で「援農」をつづけてきた友人からの、
思いがけない贈りもの。
大事に茹でました。

お、おいし!


Photo_2

それから、山のようなみょうがも。
ほしいなあ、と思っていたみょうがです。
もう一度、みょうがの酢漬けを
つくりたかった(=食べたかった)のです。

夢がかなうってこと、あるんだなあ……。
このたびは「それ」に気づけてよかったなあ、とも
思いました。

〈みょうがの酢漬け〉
みょうが…………………………………20個
酢………………………………………100cc
砂糖……………………………………大さじ2
塩………………………………………小さじ1/2

①みょうがを掃除して、よく洗う。笊(ざる)の上で熱湯をまわしかける。
②調味料を煮たてて、みょうがを漬けこむ。
※2日めから食べられます。

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コメント

ふみこさん、今年は厳しい夏ですね。
本を読む気がしないくらいです。
夜、寝る前に少しだけ・・読みます。

そんな、まだまだ続きそうな夏模様の九月でも
気がつけば
蝉はもうすっかりいないのです。
朝夕には 虫の音が聞こえます。
遠い、源氏の頃にも
そういう夏にウンザリしながらも去り行く気配はいとおしい・・
そんな夏があったかもしれないですね。
いえ、夏は、そういう季節かもしれないですね。

私は、寂聴さんで読みました。
何度も、最初の登場人物の紹介にもどりながら・・です。

投稿: フィりフヨンカ | 2010年9月 7日 (火) 07時44分

wasuregusaさん

いまのところ、
「まだまだわからない」自分の修行を、
しっかりしていかなくては、と
思いました。

励まされます。

(たどりつけるかなあ)。
(たどりつけますように)。

どうもありがとうございました。

投稿: ふ | 2010年9月 6日 (月) 16時35分

  人間、年をとると、想像力がたくましくなる。
  「人を傷つけること」の何たるかがわかってくる。
  人間に対する知識が深まってくる。
  これが、老いのたのしみでなくてなんであろう。

田辺聖子さんの近著『老いてこそ上機嫌』の「BOOK」データベースから引きました。

おせいさんの「そこぢから」、
いささかでもお相伴にあずかりたいなあと
そんなことを思う月曜の朝です。

よい1週間でありますように。

投稿: wasuregusa | 2010年9月 6日 (月) 06時06分

がーねっとBee さん

人生の、いろいろの選択の折、
「おせいさん」は、笑っているような気がします。

わたしなんか、
たいした選択でなくても、
しかめ面=深刻ぶりですが。

はじまり(はじめの一歩)から、ちがうんじゃないかなあと
思わされています。

投稿: ふ | 2010年9月 5日 (日) 15時01分

いちじくさん

「源氏物語」の、
どの場面が好き?とか、
どの姫がいい? というような話、
それはそれはたのしいと思います。

わたしも、そういう気持ちで、
わくわく読み返してみます。
なるほど、「花散里」ね。
家庭的な方ですよね。
「夕霧」や「玉鬘」の母代わりになって、
大事に育てたのではなかったかしら。

投稿: ふ | 2010年9月 5日 (日) 14時59分

えぞももんがさん

お返事、おくれまして、
ごめんなさい。

「田辺聖子」をまた、読みたい!
という気持ちにさせられています。
きっと、たーくさんの発見があることでしょう。

そちらの、秋の気配、どうなっていますか?

投稿: ふ | 2010年9月 5日 (日) 14時53分

ふみこさん、皆さん、おはようございます^^
私も源氏物語を「あさきゆめみし」で学んだ(学校の先生が、教材にしていました)クチでした。
おせいさんも、「芋たこなんきん」で、深く知りました。
あの、キュートなおせいさんも、艶っぽいお話を描かれる「田辺聖子」も、ここから生まれたんだなあって。
好きなシーンは、何故か、藤山直美さんが何か事が起こるシーンで、じたばた慌てている所でした^^
楽しそうに慌てているといいますか…。
でも一方で、突然、カモカのおっちゃんの亡くなられた奥様のお子さんたちの事を引き受ける身になり、しっかりお母ちゃんを務める所…ものすごい覚悟だったろうにナア…と思うのです。
あんな細腕で、いろんなものをしっかり受け止めているからこそ、複雑なストーリーを現代語訳できるのでしょうね。

投稿: がーねっとBee | 2010年9月 5日 (日) 06時58分

ふみこさま、みなさま

こんにちは。
「罪」のお話、とても考えさせられました。
すべてを噛み砕くことはとても無理なのですが、
罪を、「自覚をする」、「知る」ということが
とても大切なのことなのだろうなぁ・・・と。

おかしな解釈かもしれませんが・・・
「気づき」の気持ちを常に持ち続けていきたい・・・
と、改めて感じました。

小学生の頃、初めて読んだ古典というものが源氏物語でした。
殿方たちの描写よりも、彼らを取り巻く女性たちの魅力に
幼心ながら、引き込まれた記憶があります。
非常に華やかな女性たちの中で、全くと言っていい程目立ちませんが、
私は「花散里」が一番好きです。
彼女からは、受身ではなく、
受け入れることによって得られる気持ちの自由を感じます。

おせいさんの源氏物語、借りてきました。
これから読むのがとても楽しみです♪

今週もありがとうございました。

投稿: いちじく | 2010年9月 4日 (土) 15時11分

ふみこさん
おはようございます

恥ずかしながら 高校時代 古典(漢文も・・)が
とっても苦手で 赤点の経験もありです。
ぼんぼんさんと 同様
源氏物語は大和和紀さんの「あさきゆめみし」で読みました。

でも田辺聖子さんは大好きで
私も 以前 出会った
「いささかの苦労はしましたと言いたいが苦労が聞いたら怒りよるやろ。」の
言葉を ことある度とに思い返しては
自分に ハッパをかけていたりします。
NHKの朝の連続テレビ小説 「芋たこなんきん」も
楽しく見ていたのを思い出します。


ふみこさん

みょうが!ホレボレするくらいの 量ですね
私も大好きです
シャリシャリと切っている時の音も。

投稿: えぞももんが | 2010年9月 4日 (土) 05時35分

ぽんぽんさん

先にマンガで……という選びは、
なかなかよいだろうなと思います。
きっと、すっと入りこめますよ、
文字の「源氏物語」の世界にも。

投稿: ふ | 2010年9月 3日 (金) 14時53分

のんさん

「花のみち」をクルマで通りかかる……。
わたしは、「そこ」に、はあっとなりました。
(来月は、月組を観にまいります)。

そういえば、宝塚の演目には古典ものが
少なくないでしょう?
舞台で、「その時代」の気配を嗅ぎとり、
あとから本を読むのがたのしみでした。
2004年に日生劇場で観た」「花供養」、
いまもこころに残っています。

後水尾天皇(ごみずのおてんのう/政仁親王)の
ものがたりです。
歌も踊りもない、舞台でした。


投稿: ふ | 2010年9月 3日 (金) 14時51分

ふみこ様 皆様
こんにちは

源氏物語は私は漫画で大和和紀さんの描いた「あさきゆめみし」を夢中で読んだくらいで…
こちらにいらっしゃる皆さんの読書には到底及ばず…恥ずかしいのですが。

が、この作品が面白いのですよ。描かれる源氏の君やら姫君が美しく、またそれぞれに人間くさく…魅力的です。

それでも、やはり文字でも楽しみたいとも思います。「いつか読むぞリスト」に源氏物語、いれまーす。

話し変わりますが、娘の保育園に保護者向きの本の貸し出しがあるのですが、そこに「こどもと一緒に家のこと」とかもあったらいいのになぁ…。推薦しちゃおかなぁなんて考えているところです。

ではでは。

投稿: ぽんぽん | 2010年9月 3日 (金) 11時56分

ふみこさま、こんにちは。

枝豆が やって来たんですね。 まるで 呼ばれてたように。
わたしは 昨日 産直市で、トマト、茄子、オクラ、青紫蘇にバジル・・・
そして 茗荷を買ってきたところでした。
酢漬けを 作ってみます。 ありがとうございます。
まだまだ 暑いアツい毎日ですが、文句ばっかり言ってないで 
夏野菜からしっかり元気をいただこうと 思います。

先日の夜、子ども達と 夏休み最後の外食をして 花の道を車で通りかかったら、
出待ち というのでしょうか、スターさんを待ってらっしゃる一団がありました。
今月末に いらっしゃるのは、歌劇ですか?
そうなら・・・嬉しいです。 楽しんできて 下さいね。

源氏と言えば、高校の古文の授業を思い出します。
唯一 自信のある科目が 古文でした。
でも、皆様のを読んで、勉強してないなぁと 反省しました。
ここで、いろんなことを教えていただいて
さぁ! と思える場所があることを いつも有り難く思っています。
図書館へ行く楽しみが ひとつ増えました。

投稿: のん | 2010年9月 3日 (金) 09時40分

寧楽さん

なんだか、いつの間にか
わたしが「宝塚」のファンとしての立場を
得てしまって……。
うれしいやら、くすぐったいやら。
……がんばります(へんなの)。

さて。
そうですか、「林真理子」でお読みなんですね。
それぞれの世界観が、あふれていて、
「紫式部」も、どんなにしあわせなことでしょう。

あら、あなたも訳してくださるの……?なんてね。

本のはなしを、月1回させていただいたこと、
よかったなあと思うんです。
とてもとても、皆さんのコメントがたのしくて。
たのしいだけじゃなく……分厚いコメントに、
寄りかかる気分が、なんともいえなくて。

どうもありがとうございます。

投稿: ふ | 2010年9月 1日 (水) 17時41分

ふみこさま

九月になりましたね。
暑過ぎますが・・・。

田辺聖子さん、大好きな作家です。
特大スヌーピーをお持ちの、ふみこさんと
同じヅカファンで。
「バラ色の人生」とおっしゃる可愛らしい人ですね。

源氏物語は、気高い女、謙虚な女、執念深い女など
さまざまな女性がいて興味深く。

紫式部が須磨、明石を執筆したという石山寺には
「源氏の間」がありますね。

田辺源氏を読んだのが随分前ですが・・・
今は六条御息所からの視点がおもしろい、林真理子さんのを
読んでいます。

大阪ことばもおせいさんに教わりました。

投稿: 寧楽 | 2010年9月 1日 (水) 15時00分

Kouji さん

とてもとても、おもしろく拝読しました。

わたしには、ほんとうは、まだ、
「つぐない」の意味がわかっていないのです。

それがほんとうに必要なのか(——これは、誤解を
恐れず、申しているつもりです)。
それがほんとうにできるのか。

おっちょこちょいのわたしには、なんというか、
ものすごく落ち度があると思えます。
「落ち度ばらまき」という、妖怪の名前みたいなのを
つけたいほどに。
それで、ばらまきを前提に生きないとなあと、
考えてしまうわけです。
それは、ほんとうの謙虚な生き方以前、
おっちょこちょいの謙虚さです。
やれやれ。

さて。
田辺聖子訳でお読みになったら、
どうか、感想をおおしえください。
お願いします。

投稿: ふ | 2010年9月 1日 (水) 14時17分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。
ひとは知らぬうちに罪を犯すもの、だから謙虚に生きそれができるだけ少なくまたその加減を低くしてゆかなければならない。
またすでに罪を犯しているわけだから、それを自覚し、慚愧や罪悪感やかなしみを抱えつつ歩んでゆくことがつぐないであることを知り、謙虚に生きなければならない。
とのふたつの意味合いが重ねられているようにおもいましたが、どうでしょうか。むつかしいです。この解釈がぼくの限界です。
それが正解として、「ああ、そうだな」とすんなり腑に落ちるところでもあります。といいますか、自分の腑に落ちるように読んだ解釈なわけですが。 
『源氏物語』は谷崎潤一郎訳で読みました。だから親しみはもてませんでした。どうも谷崎は源氏には愛情を持っていなかったらしいですね。「けしからん」とおもっていたらしい。そんな方の訳では、いくら忠実な訳とて、親しみがもてるわけがありません。あの谷崎がけしからんというのも笑えますが。
タイムリーというかシンクロなのですが、『源氏物語』を読もうとおもっていたところでした。
ただし、原文で。古文は得意ではありませんが、繰り返し読んでいると、なんとなく意味がとれるようになりますので。
今回のふみこさんの紹介を読み、田辺さん訳(円地 文子が嫉妬したという)を先に読んでみようかなとおもいました。道しるべとして。
すこしはなしが逸れますが、ふみこさんと叔母のイメージが、ちょっとだけ被ります。母の姉で、母方の女性たちはみな読書家で濫読なのですが、といってもその好みは異なり、叔母は邦人の作家では田辺聖子さんが大好きだそうです。そして筋金入りのヅカファン。優しくて面白いひとです。
なんて、ただそれだけのはなしです。
 
最近また人気再燃中のおせいさんの源氏、読んでみますね。
ご紹介、どうもありがとうございます。

投稿: Kouji | 2010年9月 1日 (水) 13時09分

wasuregusa さん

「薬味」とは。
……なんと、機智に富んだ表現でしょう。

「薬味」。
茗荷に寄せて、
人生のほろ苦い経験についても云って
おられて。

ためいき。

佳い9月を。

投稿: ふ | 2010年9月 1日 (水) 10時23分

しょうさん

ほんと、ほんと。

どうして「素通り」できたものか。
信じられないような気持ちになりながら、
読み返す……。
これが、読書のすばらしいところですね。

9月も、
お互い、佳い読書をしましょうねえ。

さわやかな日日を。

投稿: ふ | 2010年9月 1日 (水) 10時20分

あつこさん

素敵なお話を、どうもありがとうございます。

「苦労が聞いたら、怒りよるやろ」

いいなあ。
帖面に書きつけておきます。

たのしい9月を。

投稿: ふ | 2010年9月 1日 (水) 10時17分

ゆるりんりんさん

お返事、おそくなってごめんなさい。

ひとに傷つけられることも、
ひとを傷つけてしまうことも、
どちらも、学びなんだろうなあと
思います。

が、いつまでも同じ段階の学びを、
くり返していてはダメだなあとも
思っています。

傷つけてしまうことはもちろん、
傷つき過ぎてしまうことも……。

佳い9月を。

投稿: ふ | 2010年9月 1日 (水) 10時15分

人の世を濃やかに生きること 文章を読むこと 綴ること
そのつながりを水の流れのように示してくれるのが
田辺聖子さんだと思います。まさに「人間のプロ作家」。

「 新源氏 」「文車日記」「花はらはら人ちりぢり」
「スヌー物語」「人生は、だましだまし」「 「残花亭日暦」…
わたしのおせいさんも、付箋をたくさんまとっています。
折々のわたしを付箋の出っ張りが呼び起こし、
紐解けばさらに別の風を招き入れてくれます。

今宵 ふみこさまの付箋が導いて下さった 憂くつらき夜の嘆き方。
知らぬ間の罪、人というままならぬ存在、贖罪の旅、甘受する現し世。
源氏、おせいさん、ふみこさま…、その水脈にしみじみ感じ入りました。

茗荷の味わいは、「知らぬ間に犯してしまった罪」に似て、
渋くほろ苦く、それでいてなぜか分かち難い、
「薬味」であるなあと、そんなことを感じました。

 

投稿: wasuregusa | 2010年8月31日 (火) 23時44分

ふみこさま

読書をしていると、本当に、私ごときがかんじる気持はずっと古来の諸先輩がたが感じて、書き記しているんだなと驚くことがあります。

ずっと以前に読んだときは全く素通りしている言葉に、何年かして読み返した時ぐっとつかまれるようなこともあります。

それは私自身が少しずついろいろな経験をして、その言葉の意味を、本当に、理解できたからなんだと、少しうれしくもあります。

北村薫さんはそれを「待ち伏せ」と表現されていて、私も、「ああ待っていてくれたんだな」とあたたかい、ほっとした気持ちになります。それがとても悲しい、落ち込む気持ちや事柄だったら、ああ、自分だけじゃない、というような。

本も含めて先輩、先を行く人とは、足元を、その先を照らしてくれる、本当にありがたい存在だと、最近しみじみと感じます。ふみこさんも、私の人生の先輩です。前回コメントの返して肩をさすっていただいて、涙がでてしまいました。今日、働く母さんは珍しくなくて、誰もほめたり鼓舞してくれたり、あまりしてくれないもので・・・。勢いこんでいる心が少しリラックスできました。先輩、いつもありがとうございます。

このところ朝夕は少し風が涼しいような。秋が待ち遠しいですね。

投稿: しょう | 2010年8月31日 (火) 23時28分

私も田辺聖子さんのお陰で源氏物語を楽しめました。
おせいさんの本もお人柄も大好きです。
おせいさんって私から見たらすごく苦労された方って思うんですがエッセイで「いささかの苦労はしましたと言いたいが苦労が聞いたら怒りよるやろ。」と書かれてて頭が下がる思いで思わず書き留めました。
うっかり苦労したわっなんて思ったらこの言葉を思い出して「うわー、私なんて全然!」って謙虚になれます。


枝豆も茗荷も美味しそうです!

投稿: あつこ | 2010年8月31日 (火) 21時29分

ふみこ様

枝豆とみょうが美味しそう!!!

人に傷つけられたら悲しい。
だから
誰かを傷つけてしまった時、
それも全く気がつかないうちに
そうしてしまったとわかった時、
グサリと突き刺さってしまいます。
何度誓いなおしてきたことか。
「優しい人になります」と。

ふりかえると
いくつもの誓いの碑が突き刺さっていて
道ができています。
情けない。
けれど、
これらは許してもらった数でもあると思うと
これからは
スキップして進めるような
そんな心もちで過ごしたいと
思えてくるんです。

投稿: ゆるりんりん | 2010年8月31日 (火) 13時44分

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