オレンジページnet
このブログは、
『オレンジページnet』の
オリジナルブログです。

『オレンジページnet』はこちら>>
 
profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
profile:山本さんの本
不便のねうち 不便のねうち
足りないくらいがおもしろい 足りないくらいがおもしろい
片づけたがり 片づけたがり
おいしい くふう たのしい くふう おいしい くふう たのしい くふう
こぎれい、こざっぱり こぎれい、こざっぱり
人づきあい学習帖 人づきあい学習帖
親がしてやれることなんて、ほんの少し 親がしてやれることなんて、ほんの少し
まないた手帖 まないた手帖
朝ごはんからはじまる 朝ごはんからはじまる
わたしの節約ノート わたしの節約ノート
おとな時間の、つくりかた おとな時間の、つくりかた
家族のさじかげん 家族のさじかげん
子どもと一緒に家のこと。 子どもと一緒に家のこと。
台所あいうえお 台所あいうえお
元気がでるふだんのごはん 元気がでるふだんのごはん
子どもと食べる毎日のごはん 子どもと食べる毎日のごはん
わたしの献立帖 わたしの献立帖
●こちらもおすすめ!
 『オレンジページ』のブログ
オレンジ進行中
オレンジページ定点観測
堤信子さんの文具びより (ときどき雑貨)
ワンツー☆スリーピース
からだの本ネット日誌
『花カレンダー』のブログ
オレンジページnet エディターズ・ボイス
オレンジページnet
『オレンジページnet』はこちら。

『オレンジページ』に関するご意見、お問い合わせはこちら。

« ワルプルギスの夜   | トップページ | 夏のべんきょう »

2010年8月17日 (火)

応接間

 ……そういえば、応接間があった。

 わたしが子ども時代を過ごした家にもそれはあって、そこには、ソファと小テーブル——これが、いわゆる応接セットだ——に、ピアノが置いてあった。
 ソファは、長椅子1本、ひとり掛け2個、背もたれのないスツール1個という構成。ピアノは黒のアップライトで、上部には縁(へり)にふさのついたゴブラン織りのカヴァがかかっていた。
 床は木質で、南側の2畳敷きの絨毯のひろがりの上に応接セットがのっかっている。小テーブルの上には、莨(たばこ)入れの箱と灰皿が置いてある。
 そうそう、この部屋のガラス扉のある作りつけの戸棚には、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』全30巻がおさめられており、それは、わたしの秘密の遊び道具だった。持ち重りのするどっしりとしたそれを引きぬき、ページを繰っていきながら、空想の相手に内容を説明するという遊びをした。なにしろなかみは、べったりと英文であったから、何を書いてあるのかは想像するほかなく、ということは何を想像してもかまわないというわけだった。
「あなたの悩みごとへの答えが、このページにぎっしりと書いてあるのですが、むずかしい内容である上英語なので、わたしがかわって説明します」
 という具合に遊んだり。
「それ」をラジオの台本に見立て、その日1日24時間ずっと、この台本ですすめるというつもりの遊びもした(のちに24時間テレビというのが出てきたとき、「お、パクられたか」と思った)。
 そういうのを、ソファの陰にかくれて、やった。わたしにとって、この上もないひとり遊び、とびきりの「場」だったのである。

 応接間にひとがやってくるなんてことは、滅多になかった。わたしのところにやってくる学校の友だちは、お客さんにはちがいなくても応接間に通されることはなかった。母の友だちだって、近所のおばさんたちだって、家にやってくれば、居間の座卓でお茶を飲むのだった。
 休みの日に父が、本を読んでやろうというようなとき、なぜか応接間の長椅子に坐らされた。そこで、父が読んでくれる『メアリー・ポピンズ』や『ドリトル先生』に耳を傾けた。思えばあれは、わたしにとって初期の文学体験だった。音で聞いた日本語は、しゅるしゅると染みこんでいく。
 そして、あの応接間のおごそかさも、子どものわたしに何かを植えつけた。

 わたしが中学に上がるころ、その家は壊され、建て替えられた。
 そのとき、応接間が消えた。うちばかりではない、日本の家屋から、応接間はたちどころに消失したのである。

 ……そういえば、応接間があった。
 と、わたしの懐旧の念を掻きたてたのは、電車である。
 電車に乗るたび、この国は、いつから「外(おもて)」で、これほどゆるむようになったのか、と思わされる。電車内で化粧をする、携帯電話で通話する、ものをわしわし食べる場面には、何度も遭遇しているが、決して見慣れることはできない。が、それらを見るときには、驚きが支えになったり、あるいは、何らかの事情があるのかもしれないという風に、ポイントを切りかえることができる。わたしには、むしろ、なんでもなく乗客になっている人びとの佇まいが、恐ろしいのである。
 多くのひとが、家の居間や自室でくつろぐときと大差なきくつろぎようで、そこに在るのが恐ろしいのだ。居間や自室ではなくして、せめて……と考えたとき、浮かんだのが応接間だった。
 ……そういえば、応接間があった。
 同じ、家のなかというのでも、せめて応接間に居るときのように、かすかな緊張をもち、膝と膝のあいだをつけてソファに腰かける感じをもって、電車内に在ったなら……。

 何のために、あれはあったのかと、首をかしげつつ思い返すことの多い応接間も、ひとにたしなみをおしえるせんせいであった。——の、かもしれない。


Photo

子どものころあった応接セット、
とても好きでした。
色は、深いブルーだったと思います。
セットのうち、ひとり掛けの椅子1つがいまあったなら、
よかったなあ。
あれに腰をおろしたら、
いい考えが浮かんだのじゃないのかしらん……。

その夢はかないませんでしたが、
さきごろ、夫の仕事部屋に、大きな大きなな黒板が
やってきました。
亡くなった伯母(洋裁を生涯の仕事にしていました)の形見です。
写真の絵は、
伯母の、さいごの(80をいくつか超した頃の)デザイン。


Photo_2

黒板の隅っこに、毎日、
日にちと、へんてこな標語を書かせてもらっています。

(万年「日直」というわけです)。

|

コメント

がーねっとBee さん

おしあわせな、
息子さんの……、ああ、なるほど。

投稿: ふ | 2010年8月23日 (月) 15時51分

おまきさん

決心をしかと、受けとめました。

見えていないという一面もあるのでしょうね。
と、思います。
わがことに精一杯で。
あるいは、他を思わない癖がついて。

理由はいろいろですが、
こころの一部をなくしていることには、
変わりがありません。

そういうおばさん、おじさんに遭遇するたび、
若者がどうだ、とか、決して云えないなあと
思わされます。

がんばろね。

投稿: ふ | 2010年8月23日 (月) 15時50分

補足です。
ふみこさん、うちの息子は、自分の部屋を持つクセに、和室を自分の「別邸」にしています。
あ、実家の犬も、実は「別荘」を持っていて、本来の犬小屋と、前にいたワンコの犬小屋を交互に利用してるみたいです!
つい、息子に、「お前はマミー(実家のMIX犬)か!」と、突っ込みたくなります…。
「寝室」になるのは、そのせいなんですよ(私のですね)。

投稿: がーねっとBee | 2010年8月22日 (日) 20時20分

ふみこさま

まだ暑いです~~私だけじゃないですよね……

私は18まで父の転勤に伴って、様々な「社宅」に住んできたので、応接間は自宅にはありませんでした。
父の生家を建て直したとき、応接間が登場。お盆に戻る時に「応接間」を楽しみました。

いや、「洋間」と言ってましたね。

ソファは三人がけと、ひとりがけふたつ。まん中にちいさなテーブル。
壁には造りつけの棚があり、「洋酒」のびんが並んでいました。
いとこたちが集まる時もあるし、親戚が大勢集まった時の避難場所でもありました。

ここで誰がどんな話し合いをするのかなあ、なんて思っていたら、何年かしたらはとこ達の勉強部屋になっていました。

しかしね、あの空間で、「ビロード」の質感を、感じていた私です。窓から甲虫が飛んできそうな田舎の一室で。

時代はめぐり、現在。
街を歩くと人とぶつかりそうになる時がよくあります。急いで通り抜けようと思っても、なかなか道が自然と開かない。
なんでだろう。
自転車で通り過ぎる時、りんりん鳴らすのに避けてくれない。「すみませーん」と言いながら、ナンデナンデと思います。

雨の日に傘をかたむけたり、閉じた傘を水平に持たないようにするぞ。落ちたレシートを拾いに追いかけたり、自分だけはしていくぞ。と、決めています。年取ってもやってくぞ。

投稿: おまき | 2010年8月22日 (日) 19時49分

えぞももんがさん

冷たいことばが、
子どものまわりに飛び交っているからでも
ありますね。

また、彼女たちの賢さも、
それを巧みに使わせてしまう……。

子どもたちの内に宿るやさしいものを、
大人は、ちゃんと認めたいです。ね。
褒めたげたいです。ね。

投稿: ふ | 2010年8月22日 (日) 17時52分

がーねっとBeeさん

「お行儀」ね。
なつかしいことばです。

思いだしたい志だわ……と、
感心しています。

どうもありがとうございます。

このうちも、なぜか、居間兼食堂兼寝室に
なっています。
あまりに暑い日、少しエアコンを入れて……という日、
ぞろぞろ、みんなで寝ています。
(かえって、暑いのでは……と思いながらも)。

投稿: ふ | 2010年8月22日 (日) 17時49分

フィりフヨンカさん

デパートに行くのでも、
ワンピースを着て、帽子をかぶり、
レースのついた靴下に革靴というのが
お定まりでした。
あれは、ちょっと窮屈でしたけど、
いまから思うと、
よそゆきの楽しみの、演出だったなあ、と。

きりっとして出かけざるを得なかったですし。
……ね。

せめていまは、
品性をかき集め、こころやさしい
よそゆきのわたしでありたいと、
思います。

投稿: ふ | 2010年8月22日 (日) 17時46分

やまぐりさん

いらっしゃいませ。

よくいらしてくださいましたね。

いまある「しあわせ」を思えなくなると……
(つまり、ちょっと忘れるということでしょうか)、
家の生活がぶれてきますね。

ということを、感じた夏でした。

また、いらしてくださいね。
お待ちしています。

投稿: ふ | 2010年8月22日 (日) 17時40分

brownbearさん

……そうそう。
見えない誰かと話したり、
黙ってならんで坐っていたりするのが、
わたしの子ども時代のよろこびでした。

なつかしいお話を、
やさしいお話を、
どうもありがとうごおざいました。

いまの世にも……、
「それ」はきっと在りますね。

投稿: ふ | 2010年8月22日 (日) 17時35分

寧楽さん

奈良は、ほんとうに暑かったです。

「唐招提寺」の駐車場に
降り立ったとき、
地面からの照り返しに、
一瞬よろめきました。

でも、ほんとうに瑞瑞しいものを
いただいて、帰ってきました。

ありがたかったです。

投稿: ふ | 2010年8月22日 (日) 17時32分

ふみこさん

夏バテしていませんか?
この夏は 北海道もいつもの夏より
高温多湿の日が多かったように思います。


ふみこさんの応接間の風景を
読んでいて 田舎にあった
我が家を 懐かしく 思い出しました。
旭川で買った 大きめの飾棚
家具くらい大きかった ステレオ
家の百科事典は「ジャポニカ」だったかな?と、思います。

数十年の間に
いろいろなことが
変わりましたね。

先日 小学5年生くらいの女の子が2人
ちょっとしたことから 言いあいになり
相手に向ける言葉の冷たさに
こちらの胸が痛くなりました。

「意味のあるもの」がひとつひとつ
削られていっては いけないですね。

長くなりました・・・すみません

あ~~~とため息が出てしまうほど
今日は のんびりできています。

ふみこさん
ありがとう。

投稿: えぞももんが | 2010年8月22日 (日) 15時47分

ふみこさん、お帰りなさいませ^^
皆さん、おはようございます^^

応接間って、うちにはなかったですね。
親戚でも、あまりそういう部屋がなかったような気がします。
その代わり、土間でお茶出ししていた記憶が…。
実家の近辺は、ド田舎ちゃんなのです。
おもてなしっていうと、仏間でするとか。
そんな記憶ばっかりです。

会社に入ってから、「応接セット」の存在を知ります。
会社で、特に重要なお客様との商談の間がそこだと知りました。

うちのリビングは、居間と応接間と、時に何故か寝室の役割を務めます。
かしこまった風ではないのですが、いつ、誰が来てもOKなように、なるべくスッキリさせています。
それがうちなりの「お行儀」かなあ…。
ゴテゴテ飾ったりはしません。
飾る事で、汚いモノをなかったことにしたくありませんから。

投稿: がーねっとBee | 2010年8月22日 (日) 08時28分

ふみこさん、子供の頃「おでかけ」は、特別の日。
電車に乗るのも、とっておきの日。
それを待つのも楽しみ。
そして、出かけるまでの支度が また楽しみ。
応接間が消えた頃
よそゆきも消えたような気がします。

よそ行き顔・・っていいですよね。
私は、今でも時々
よそゆきを着て、鏡の前で支度して
よそ行き顔で、ひとりで電車に乗って出かけます。

そういう日があるから
普通の日もがんばれますね。

投稿: フィりフヨンカ | 2010年8月21日 (土) 23時14分

ふみこ様

はじめまして。
雑誌などで記事を拝見していてファンになりました。
(美しいお顔もライフスタイルも!)
二人娘にせっせと「山本さんのお宅はね~トイレ掃除とか、玄関掃除とか、
アイロンがけとか皆でしているのよ~」と本を片手に伝えています。
(長女はふみこさんの末っ子のお嬢さんのお部屋が大好きです。)

電車でお化粧をしている人を見ると「おしゃれしているけど、あの行動は
おしゃれじゃない」といつも思います。

投稿: やまぐり | 2010年8月21日 (土) 12時08分

ふみこ様
部屋の隅っこは小さな子どもにって 自分だけの時空…
末っ子は ソファの後ろに はなちゃんとたろうくん(テディベアー)を座らせて
その2人の世話をしながら 見えない友だちとお喋りを楽しんでいました。
時々喧嘩をしたり お手紙を書いたり
友だちの名前は「きんこちゃん」。

夕食のテーブルで、姉と兄が学校の話で盛り上がっていると、
決まって末っ子が「あのね ○○ね 今日きんこちゃんとね…」
と割り込みをするのでした。

私にとってその場所は、実家の縁側でした。
昼下がり 母や祖母の声を聞きながら お気に入りの人形を連れて
ひんやりした板の間に座り 別の私になって
見えない誰かと ずっと話していたものです。

ふみこさんの原風景になっている「応接間」 素敵ですね!!
昭和のハイカラな家にありましたね。
ピアノにステレオに書棚にペルシャ絨毯に小さなテーブルとソファ、 
窓辺には金糸の入った豪華なカーテンにレースのカーテンが重なって…。

私のイメージは 絵本『きょうは なんのひ』(瀬田貞二/文 林明子/絵 福音館)
の応接間。
林さんが瀬田邸の応接間をそのまま描いたと言われてます。

普段使わない特別な部屋。
「いつか」 「何か」のために いつもきれいに整えられた部屋。
「応接間」は、昭和の遺産の一つですね。

投稿: brownbear | 2010年8月21日 (土) 12時03分

ふみこさま

応接間ありました。実家に。
ちょっと特別な感じの部屋でした。
百科事典を納めた本棚がありました。

懐かしいです・・。

熊野、奈良は暑かったことでしょう。
佳い時間を過ごされたでしょうか?

ふみこさんが奈良に来られた日、娘は平城京にでかけていました。
夏休みの課題のために・・・^^。

八月の奈良は祈りと燈火につつまれます。

投稿: 寧楽 | 2010年8月21日 (土) 11時42分

keiko さん

こんにちは。
お暑いなかいらしてくださったこと、
ありがとうございます。

応接間を持たない暮らしですから、
この家におひとがみえるときには、
居間兼食堂にお通しすることになります。
というわけですから、
居間兼食堂には、かすかな緊張感が
あるかもしれないなあ、と。
keiko さんのおかげで、気がつきました。

そのことは、もしかしたら、
わたしの暮らしの「箍(たが)」になっているのかも
しれません。


投稿: ふ | 2010年8月20日 (金) 16時16分

ふみこさん こんにちは。
ふみこさんとは同年代の私。私の実家にも 応接間がありました。小さめの応接セット、アップライトピアノ、テレビ、ステレオ、のちに電子オルガン・・・と、大事なもの(?)が盛りだくさん置いてありました。私は、毎日ピアノの練習で、時にはクラシックのレコードを聴くためにも応接間に入っていました。学校出た私はピアノを教える立場になり、応接間が教室になりました。結婚後、実家は改築のため応接間はなくなりました。
いつでも急な客人をもてなすことのできる用意、緊張感は大事ですね。

投稿: keiko | 2010年8月20日 (金) 11時12分

こぐまさん

愉しい東京への旅を
お祈りしています。

きょうは、少し涼しいようです。

おいしいものや、
やさしいことに出合えますように。
東京人を代表して……。

投稿: ふ | 2010年8月20日 (金) 10時01分

アリスさん

日本人のよさっていうのは、
何だったのか。
たしかにあったはずなんです。

きりりとした身じまいというのも、
そのひとつでしたよね。
所作や、仕草なども……。
ちょっと窮屈過ぎたところがほどけるのは
いいとしても、ほどけ過ぎかな、と。

帰国されること、うれしく。
どうか、佳き時間をお過しください。

投稿: ふ | 2010年8月20日 (金) 09時59分

しょうさん

わかります。
ときどき、娘たちに対しても「?」と
思うことあり。
だからといって、直球注意の球は
いきなり投げられません。

「自分」を貫くのが、わるいわけないけれど、
ほんとうにむずかしいです。
わたし自身にも、
何を相手に伝えたいかはっきりしていないことも
少なくはなくて……。
(「感覚的」なことを「漠然」と伝え、わかってもらおうと
しているのだと思います)。

褒めることなのかもしれませんね。
「きょうはOK」という日には、
ちゃんと褒めておくとか……。

お疲れさまです。

投稿: ふ | 2010年8月20日 (金) 09時55分

まるいさん

こんにちは。

置き忘れているうちは、
「とりに戻る」ことができるような
気がしています。
なくなっちゃうと、むずかしいですが。

コメント。
どうもありがとうございました。

投稿: ふ | 2010年8月20日 (金) 06時16分

ぽこはなさん

大変な緊張ではなくて、
「そこ」に在る自然な緊張を
考えています。

どうしてなくなったかなあ、とね。
自然な礼節(決して仰仰しいものでなく)。

投稿: ふ | 2010年8月20日 (金) 06時14分

はとこさん

応接間の不思議さを、
ふと思いだしたわけでした。

8月って、
過去がもっとも気になる季節のような
気もします。

どうもありがとうございます。

投稿: ふ | 2010年8月20日 (金) 06時11分

ゆるりんりんさん

いろんなこと(ファッションも)してみるのは、
わるくない、と思うんです。
「そこ」を通らないと、「つぎ」に
行かれない「道」というのもありますものね。

電車の話ですが、
あそこは、どう考えても、「外」。
佇まい、ふるまいが際立つ「外」だなあ、と。
と、反省もしながら……。

投稿: ふ | 2010年8月20日 (金) 06時08分

Kouji さん

8月1日。
おめでとうございます。
わたしも、とてもうれしいです。

拙著、手にとっていただけて……。
どうもありがとうございます。

すばらしいお誕生月を。

投稿: ふ | 2010年8月20日 (金) 06時04分

ふみこさま。

この土日に、息子と主人のところに行ってきます。新幹線の中でお行儀よくしていたいなぁ・・と思います。東京はスカイツリーをみたいなぁ・・って息子。
私は築地でおいしいものを食べたいなぁ・・と。主人が案内してくれるので
楽しみにしています。では、またぁ。

投稿: こぐま | 2010年8月19日 (木) 07時52分

応接間、実家にもあります。
でも、物置としてひどい状態になっていて、住人の荒れようが現れてるなぁと思います。狭い日本家屋でほとんど使わない部屋、不思議な場所ですよね。欧米では応接間というものを見たことがないような気がします。お客と家人の空間を仕切ることを好む日本人ならではでしょうか。
電車の中で化粧をするのはどういう心理なのでしょうね。恥ずかしいという感覚が強いはずの日本人なのに。一つには生活の乱れが現れているのかもしれませんね。生活の乱れというのは、過剰な労働時間、詰め込まれた用事、etc。なりふりなんて構ってられないくらい忙しいのよと言ったところ?良い見方過ぎますかね。
事情で、急遽帰国することになりました。本当にいろんなことがあったので、よいブレイクになると思うことにしています。ふみこさんのご本も読めるし☆
では、良い一日をお過ごしください。

投稿: アリス | 2010年8月18日 (水) 20時17分

ふみこさま

こんにちは。本日もお暑うございますね。

そういった方々は電車内で座りこもうが、化粧をしようが、飲食しようが、誰かに迷惑をかけているわけではない、(いや、厳密にはかけているんですけど)という風に思っているのでしょうか・・・。

話は少し変わりますが、私の勤めている会社の後輩の服装に少し悩んでいます。美人さんでスタイルもよく、トレンドを取り入れている彼女。似合っているんだけど、ビジネスシーンではどうかと。さすがに露出が過ぎたり、親会社も集まる会議にカジュアルすぎた服装だったりしたときはやんわりたしなめますが、いちいち注意するのもつかれます。彼女はいい子なので、悪気はなく、本当にわからないようなのです・・・。

かといって上司も注意しないので、私ははたして何のために注意しているのかわからなくなり、最近は沈黙の私です。

何のため?どうして?・・・公の場できちんとした身なりをして、きちんとした行動をとる、ということに理由が必要なのでしょうか?

ちょっと私がもやもやとかんじていることをダラダラと失礼いたしました。

投稿: しょう | 2010年8月18日 (水) 13時09分

山本ふみこ さま、

応接間のお話も、そうそう、とうなづきながら読みました。
自分は40代、小さい頃あった応接間に、いつしか学習机が入り、
子供部屋になり・・・

自分にも、不文律のような、礼儀のようなものが
あったのかと思いますが、受験戦争を戦い、バブルに踊り、
保育所を増設せよ!などと息巻いている間に
どこかへ置き忘れてきたように思い出しました。

雑誌等で拝見します、ふみこさんのプロフィールでは、
ふだんのことを「さりげなく」と、よく紹介されています。

本当にそうだと思いますが、ちょっと付け加えれば、それは確実に
「自分」に正直に、感じたことを、「自分の軸」で捉えて、書いていらっしゃる
と。
自分と話す。自分に聞く。
ばたばたした日常でなかなかできないですが、すごくいいと思っています。

投稿: まるい | 2010年8月18日 (水) 12時57分

ふみこさんおはようございます。

家の中にある応接間・・・。
私のあこがれでした。うちにはなかったのです。
テレビで見るその部屋ににとても憧れをもっていたんです。
あの厳かな感じに強くひかれました。

応接間がなくなったから日本人のなかに緊張感がなくなったのかと
納得してしまいました。

緊張感とても大切ですよね。
姿勢よく口角を上げて清清しくいきたいです。
今週もありがとうございました。

投稿: ぽこはな | 2010年8月18日 (水) 06時22分

こんにちは。

応接室。
父方の祖父母の家にありました。
私は祖父母の家に行くと、応接室に入り浸っていたような気がします。
私は団地暮らしで応接室なんてなかったし、ソファも家にはありませんでした。
応接室は、とても特別な部屋のようで、自分がちょっとお嬢様になったような気分にさせてくれました。

祖父母も父も亡くなってしまい、祖父母の家に行くことはなくなってしまいました。
あの応接室、どうなったかな・・・と久しぶりに思い出しました。

『朝ごはんからはじまる』
今、ゆっくり大事に読んでいるところです。
自分の毎日を省みる時間になっています。

ふみこさんのイラスト。
私も大好きです。

投稿: はとこ | 2010年8月17日 (火) 17時20分

ふみこ様

電車の中ではありませんが
?へっ?ということ家の中でもあります。
20代の息子がだっらあしなくズボンはいてます。
おしり半分見えてるしぃ、
パンツ・・・ピンクやしぃ・・・
心の中でぶつぶつ・・・・
その時食器棚のガラスに映った自分を見て
ショック!
猫背や!あご出てるう・・・
美しい佇まいから
遠いぃところにいる自分にハッ!
電車に乗ったとき膝を合わせることから
再スタートします。
思い出させてくださってありがとう。

投稿: ゆるりんりん | 2010年8月17日 (火) 14時17分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。
ふみこさん、ありがとうございます。なんのこと?と小首を傾げてらっしゃることとおもいます。
そう、多分たまたまだとはおもいますが、黒板。そこに記されている八朔という日付と、標語。「はじまり、はじまる。」その日はまさにぼくの人生がはじまり、はじまった日ですから。贈り物として受け取らせていただきますね。ありがとうございます。
 
応接間というと、ぼくにとっては学校のしかおもいうかびません。ただ、おっしゃることはわかるなぁとおもいました。よく目に立ち俎上に上げられるひとたちではなくて、その他の多数のひとたちのことですよね。
と他人ごとのようにいってますが、自分を省みて赤面してしまいます。化粧したり携帯ではなしたり飲食したりするひととは五十歩百歩かもしれません。常に緊張感とかたしなみは必要ですね。親しき仲にも礼儀あり。ましてや電車内では知らないひとばかりなのですから。反省します。
密かに忍ばせたぴりりと辛い良薬、ありがとうございます。きっと活きてゆくとおもいます。
いえ、活かしますとも。
 
追伸。
『朝ごはんからはじまる』
イラストレーターとしての山本ふみこさんがいままでになく全面に出ていて、装丁をみているだけで楽しくなります。イラスト集を出してもらいたいくらい。

投稿: Kouji | 2010年8月17日 (火) 14時03分

コメントを書く