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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2010年10月

2010年10月26日 (火)

「石坂洋次郎」 本のなかの暮らし〈10〉

 私、罰が当ったんですわ。米俵のように横肥りした身体を、あの細い高いかかとの婦人靴をのせて歩こうなんて、もともともと無理なことだったんです。第一、滑稽なだけで、ちっとも似合いはしませんもの。私って、柄にもない生活に憧れていたんですわ。私は「若人の友」に写真が出るような、貧しい織物工場の女工にすぎない。したがって私は、派手な身分の人達の派手な暮しを憧れたり真似たりしないで、たとえそれがどんな貧弱なものであっても、私自身の生活をきずき上げていかなければならないのだ。——長い間床につきながら、私はしみじみとそう考えこんでしまったのです。
         「婦人靴」/『石坂洋次郎集』(日本文學全集46/新潮社)所収

 わが読書歴をふり返るとき、決して忘れてはならない作家の存在、それが「石坂洋次郎」(1900−1986)だ。さかんに読んだのは、中学高校時代だった。
 その後もときどき、その名を思いだすことはあったけれど、大人になってからは読み返すこともなくなっていた。それは、この作家の作品の連なりが、自分の青春とかさなる上に、疑似体験というほどの一面をもっていたため、照れくさかったからではないかと思う。つまり、そのくらい、若いころ共にあった「本たち」だった。
 そういうわけで遠のいてはいたけれど、書店を歩きまわるようなときには「本たち」の背表紙をさがし、場の話題が本に向かっていくときには「本たち」の書名をならべていたりした。「若い人」「何処へ」「青い山脈」「石中先生行状記」「乳母車」「陽のあたる坂道」「あいつと私」「光る海」……。
 けれども、書店に「本たち」を見ることがなくなり、「本たち」を語るひとに出会わなくなっていた、いつしか。さみしかった。さみしいというより、これはいけない、と焦燥をおぼえた。

 ところで、あんなに持っていた「本たち」を、わたしはどうしてしまったのだろう。おそらく、「本たち」を知らない友人たちに、押しつけがましくももらってもらったのだろう。このたび、図書館に出かけていき、「本たち」を探す。残念なことに、そこでもなつかしい背表紙をみつけることができず、「本たち」はみんな、図書館の書庫にしまわれていた。わたしが選んだのは『石坂洋次郎集』。館内のコンピュータによる検索では、収録作品はわからなかった。それを書庫から出してもらう15分のあいだ、わたしは図書館の隅っこの椅子に腰をおろして、本の運命、文学の変遷について、ぼんやり考えていた。「これはいけない」と、ひとりで力んだところで、運命は変えられず、変遷も止められはしないけれど、わたしはよき読者でありたい。
 そういう思い方を、わたしにおしえたのが「石坂洋次郎」の「本たち」だったかもしれない。

 15分後、貸し出しカウンターで受けとった『石坂洋次郎集』を開くと、そこには、代表作「若い人」と、短編の「やなぎ座」、「草を刈る娘」、「霧の中の少女」、「婦人靴」だった。興味深かったのは、これらが「亀井勝一郎」(※文芸評論家/1907−1966)による選であったことだ。
 わたしは、ここで、慕わしい短編「婦人靴」(1956年)に再会した。「婦人靴」は、貧しい靴屋の徒弟のものがたりだ。又吉は、親方とふたり、うす暗い店に坐って、はき古した靴の修繕に明け暮れていた。6年もすると、修繕のみならず、あたらしい靴つくりもひと通り身につけ、親方にとってなくてはならない片腕として、月給も2千7百円もらうようになっていた。たのしみといえば、映画スターや流行歌手のグラビアのたくさん載った娯楽雑誌「若人の友」を読みふけることだった。
 ある日、「若人の友」の投書欄を通じて知り合った女性との文通がはじめる……。
 又吉も、ペン・フレンドの美代子も、お互いに自分の貧しい生活を隠したやりとりののち、とうとう待ち合わせをして会うようになる。表題の「婦人靴」とは、又吉のつくったハイ・ヒールのことで、それを又吉は美代子に贈るのだった。
 わたしには、ふたりの背のびがまぶしい。そうして、身につまされる。そんなのは、こうしていい年になったわたしだって、ついすることがあるし、身の丈にも、こうと定めた「わたし自身の生活」にも、てんでそぐわぬことをしたりする(息抜きなんぞと、名前をつけて)。
 それにしても、背伸びの末に書いた掲出の美代子の手紙と、それに対する又吉の返事の、なんとすばらしいことか。この明るさ、正直こそが、わたしの青春時代を照らしていたのだなあ、と胸が熱くなっていく。

 選者である「亀井勝一郎」は、「本たち」のなかから4篇を選んだことに関して、巻末、こう記している。

 私がこれらの作品を好むのは、どんな意味でもそこに気どりがないからである。庶民への愛などと、正面きってふりかざす気持ちが全然ないからだ。謙虚に読者に奉仕しようとする心の所産である。そしてこの四篇には、どれにも付焼き刃ではない郷土色がある。

 謙虚に読者に奉仕しようとするする心。わたしには、これが、文学の灯(ともしび)だと思える。

※亀井勝一郎
 彼の墓の入口には、「歳月は慈悲を生ず」と刻まれた碑が建っているそうだ。そのことばに、わたしは深い共感をおぼえる。


10

なかなか咲かなかった、朝顔の青花が、
10月14日、初めて咲きました。
それからは、毎日、花を咲かせてくれます。

思えば、種を蒔いた5月のはじめからきょうまで、
朝顔には、たくさんのよろこびをもらいました。
この、もの云わぬ友人たちに、どのくらい慰められて
いたことでしょう……。
こうしたことの値打ちを、受けとめることのできる
生き方をする……というのが、
わたしがきずき上げたい、「わたし自身の生活」です。

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2010年10月19日 (火)

来年、また会う日まで

 いつもならとうにサヨナラを告げている時期なのに、ぐずぐずと、別れをのばしてしまった。
 サヨナラしなくては。そうでなければ、このまま冬を越すことになってしまう。ちらと、(サヨナラを云わずに、このまま冬を越して、まずいことは何か)という考えが、頭をもたげた。理屈をこねようとする回線が、ぴんと張る。が、失敗。
 来年、また会うときのときめきを失うのは、困る。こういうものを失って、平気でいられるようになったら、あれもこれも平気だということになって、つまりその、つまらなくなりそうだ。
「サヨナラ、きゅうりさん」
 わたしは、自分の胸に向かって、そう告げた。

 さあ、サヨナラの準備だ。
 野菜はここで、と決めている八百屋のおかあさんに「まがったきゅうりを15本ばかり、お願いします」と注文する。これを、八百屋のおじょうさんが市場で仕入れてきてくれる。
 おかあさんは「昔は、仕入れていましたけどね、いまは、求めがなくなっています。まがったきゅうりを何になさいますので?」と云う。「ピクルスを漬けようと思って……」
 きゅうりとは、毎年、9月の終わりにサヨナラする。サヨナラと云っても、その年の分の別れのことで、翌年の4月の終わりには、また会えるのだ。それを何度も何度もくり返してきたのに、毎年、9月の終わりがくるたびに、(サヨナラを云わずに、このまま冬を越して、まずいこととは何か)とかいう考えが浮かぶ。結局、サヨナラをすることは決まっているのに、こうして、つい、ぐずぐずするのは……。それは、わたしがきゅうりを好きだからだ。
(しかし、ことしはぐずぐずし過ぎ)と反省したとき、暦の数字と目が合った。
 10月10日。
 こりゃあ、いい。そして、もひとつはっとして、手もとの紙に書いたのだ。 「’10.10.10」
 この愉快な数字のならびを、瓶のラベルに書いて貼りつけられるように、急いでピクルスを漬けようと、決心したのだ。
(まったく子どもみたいだ)。

 八百屋のおかあさんが手渡してくれた「まがったきゅうり」は、たいしてまがってもいなかった。いまは、こんなのが「まがったきゅうり」なんだな。ひろげた新聞紙の上に積むと、きゅうりへの思い——恋心のようなものだと云える——の合唱が起こったような気がして、照れる。
 まがったきゅうりが、「わけあり」ということなら……、と、それをごしごし洗いながら、考える。ひとも、自分を「わけあり」の存在と思えたなら、いわゆる常識をくつがえして、ものごとを考えてみるというようなことができやすくなるなあ、と。
(まがったきゅうり……。まがったわたし……)。

 ピクルスは、2日間かけて完成した。1日めは、塩になじませるための時間、本漬けと瓶詰めが2日めの仕事だ。(云っとくけど……ピクルスを漬けたのは、別れがたかったからじゃない)と、わたしは自分に向かっていいわけをする。
 冷蔵庫を頼らず、常温でできる漬けものと保存食を、これからの人生の練習にしたい、と考えついたのは、ほんとうのことだ。

 とうとう、きゅうりに向かって、これを告げる。
「サヨナラ、きゅうりさん。来年、また会う日まで」 



  Photo

わけあり、という、 なんだか知らないけど慕わしい集団。


Photo_3

すごーく酸っぱいのと、少し酸っぱいのと、
2種類漬けました。

長く保存するときは、
①瓶を煮沸消毒し、
②なかみを詰めたあと、いま一度消毒します。
②の方法は――
・なかみを詰めて、ふたをする。
・そのふたを、ちょっとゆるめる。
・これを蒸し器にならべて、蒸気が上がってから、中火にして15分間蒸す。
・ふたをきっちり閉めて、さらに15分間蒸す。
・少しさましたあと、水につけて(冷たい水をときどき
 注ぎながら)、よくさます。

※漬け汁はもう一度使うこともできますし、
 ドレッシングにすることもできます。

書斎の書棚の下の段を片づけ、
そこにピクルスや、梅酒を漬けたあとの梅でつくった
煮梅の瓶詰めをならべました。
だんだん書斎が、作業部屋のようになり、
貯蔵庫のようになるとうれしいなあ、
と思ったりしています。

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2010年10月12日 (火)

のびちぢみ その2

 ひきだしがからっぽになるということは、ありそうで、そうはない事態だ。
 わたしにとっても初めてのことだった。ひきだしから、納まっていたモノを全部だして、ほこりをはらって隅隅まで拭うようなことなら、したことがある。それに、あるひきだしの中身を、すっかり別のモノと入れ替えたこともある。
 が、このたびのように納めたモノが自然に減っていき、ある日すっかりなくなって、ひとつのひきだしが役目を全うするところを見たことはなかった。役目を全う、すなわち、からっぽだ。
 そうして、このかっらぽを前に、わたしは、わが暮らしがちぢみはじめたことを悟ったのだった。決してモノをたくさん持ちたい質(たち)ではないし、実際、そうは持っていないつもりでも、この25年ばかりのあいだには、じわりじわりと暮らしはのびて、ふくらんだ。いったいどこまでのびるのか、と、ときどき不安にかられて、持ちものの見直しをすることはあったけれど、結局ちぢみはせずに、のびていた。

 こうして、とつ然「ちぢみはじめ」に立ったわたしは、この地点を忘れないために、2つのことをしたのだった。

 夫と子どもに向かって、こうささやいたのが、1つ。
「持ちものを、半分に減らしなさいな」

 からっぽになったひきだしの、これからについて思いめぐらすことが、1つ。

                 *

1)「持ちものを、半分に減らしなさいな」
 なぜ、そんなことをささやこうと思ったのか、じつのところ、よくはわからない。夫はわたしとともにちぢんでいけばいいわけだが、子どもたちは、まだのびもちぢみもはじまってはいない身の上だ。
 そうにはちがいないけれど、モノを持つことに、そしていつしかモノがふえていくなりゆきに馴れてほしくなかった。ひとつモノを使いつづけたり、あるときは修繕したり、何より、ふやそうというとき立ち止まるひとであってもらいたい、と。
 それを伝えるのに、なぜだか乱暴にも「持ちものを、半分に減らしなさいな」と告げていた。3人はそれぞれ、「なにそれ?」「ふぁーい」「へ? わかった」という、あいまいな反応を示した。
 ささやいて、耳だか胸だかに注ぎこんでおくのが目的だから、それでよしとした。
「なるべく捨てないで、減らすのよ」

2)からっぽのひきだし
 忽然(こつぜん)と姿をあらわした、からっぽのひきだしを見たとき、このまま、つまりからっぽのままでおくのもわるくないと、思った。家のなかに、こんなからっぽがふえていくのだとしたら、「ちぢみ」が進んでいる証拠だもの。
 けれど、「忽然」から10日ほど過ぎた日のこと、わたしは再びささやいていた。こんどは自分自身向かって……。
「持ちものを、半分に減らしなさいな」
「え、わたしも?」
 と、ささやき返す。
 やれやれ、これじゃあ、子どもたちのあいまいな反応と少しもちがわないや、と気づいて、ちょっと顔が赤くなった。
「持ちものを、半分に減らしなさいな」
「あい」
 と、自問自答をやりなおしながら、はっと思いつく。
 このひきだしに、近い将来、この家から独立していくであろう子どもたちに託すモノを、そろそろしまうことにしよう、という思いつきだ。それは、末の子どもの「やがて身につけるであろうモノ」の後釜(あとがま)として、坐(すわ)りがよいようにも思えた。
 まずは食器の類をと思って、ちゃぶ台の上にならべた。数こそ半端だけれどちょっと上等なコップや皿。一時(いっとき)さかんに使った弁当箱。子どもたちが幼い日、おやつ用だった皿。などなど……。
 新聞紙にくるんで、ひきだしに納めた。
 つぎは、花瓶や布あしらいのモノたちを見てみるとしよう。

                *

 これがからっぽになる日も、きっと不意におとずれるのだろう。


Photo_2

「ちぢみ」の、はじめの一歩です。

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2010年10月 5日 (火)

のびちぢみ その1

 9月のある日、うちのなかの、ひとつのひきだしがからっぽになった。

 そのひきだしは、出し入れ頻繁(ひんぱん)、しかも決して小さくはないひきだしだ。「あら、からっぽ」と気づいたときには、だから……、とても驚いた。
 それは、末の子どもの「やがて身につけるであろうモノ」をしまう、ひきだし。この子が、うちにやってくるとわかったとき、つくった場所だ。ふたりの姉のおさがりだけではなしに、友人たちからのモノ、先を見越しての頂戴物を、ここへしまった。
 おむつカバーや、産着、帽子手袋の類から、よそいきのワンピース、はたまた、「これを着るのなんかは、まだまだ10年から先の話だわ」という衣類まで、このひきだしにはつねにぎっしりモノがつまっていた。
 ことし9月、ジャージの上下をもとめてこのひきだしを引いたところ、そこにはもう、ジャージしかない。
 それをとり出すと、ひきだしはからっぽになった。
 思わず、とり出したジャージをまるめて、両腕に包んだ。ついこのあいだ、このくらいの大きさだった末の子どもが……という感傷がこみ上げた。不覚にもそういう気持ちがゆらり立つほどの、からっぽぶりだった。

 若いころ、中高年の生活に関する仕事をしたことがある。思えば、ずいぶん方方(ほうぼう)施設や病院を取材し、年を重ねたおひとに会った。年を重ねた存在を、高齢者と呼ぶのがよいか、老人と呼ぶのがよいか、迷った揚げ句、できるだけ括(くく)った呼び方をしないことに決めた。しかし、必要なときには、高齢者と書くことにした。
 この取材は、1冊にまとまっている(※1)。「介護保険」がスタートする数年前のことで、だいぶ古い話をしているが、読み返してみると、自分の仕事と暮らしの原点が、ほの見える(とはいえ、自書を読み返すのは、かなり手に汗握る冒険である。勇気をふるって、ところどころ……読んだのだ)。
 この本を書きながら、これだけは忘れないでおこうと、胸に刻んだことばがある。
「のびちぢみ」ということば。
 お話を聞いたM氏は、こころ豊かな、愉快な視点をもつ「理学療法士」(※2)だった。過去、仕事上で遭遇した事故が、その豊かさと、愉快な視点をつくっていると思われたけれど、ここでは省略する。
「家は固定したものでない、と考えるといいと思いますよ」とM氏は云った。
 ごく手短に云うなら、こういうことである。
 ふたりで生活をはじめたところに、子どもができて家族がふくらみ、こんどはその子どもたちがそれぞれ独立して、またもとのふたりに戻る。
 M氏の考えは、家族が「のびちぢみ」するのに合わせて、家ものびちぢみしなければ……というものだ。
 これはもちろん、ふたりの生活には、台所と居間兼食堂、それにトイレと浴室といった、ごくコンパクトな居住空間だけで足りてしまう、というような住まい方の話。けれどそれだけではなく、意識の話だとわたしは、思った。

 末の子どもの「やがて身につけるであろうモノ」をしまうひきだしが、不要になったとき——不要になったのは、成長して、これから先身長がのび、足が大きくなったとしても、赤ん坊の時代から今日までのような著しい変化はなく、先を見越したおさがりもなくなったからだ——「ちぢみはじめ」だと感じた。
「ちぢみはじめ」に立ったそこでは、さみしさといった感傷は湧かず、自分がそれを認識できたことへのよろこびだけがあった。

 ちゃぶ台ひとつで暮らしはじめたころを、思ってみている。さっぱりとしていただけでなく、それは、うつくしいと呼んでよい佇まいだった。
 さて、あのあたりに戻れるだろうか。

※1『老後を楽しく暮らす家』(建築資料研究社)
※2理学療法(士) 物理療法(士)ともいう。電気、温熱、水などを用いる物理的な手段による治療法。理学療法士=略称PT。身体に障碍をきたしたひとの動作能力の回復をはかるため、治療体操やマッサージなどの医学的リハビリテーションを行なうひと。


Photo_2

ちゃぶ台も、だいぶ古びてきました。
大きさを測ってみたら、昔のまんまの
直径80cm。
「昔のまんま」は、あたりまえですね……。

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