オレンジページnet
このブログは、
『オレンジページnet』の
オリジナルブログです。

『オレンジページnet』はこちら>>
 
profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
profile:山本さんの本
不便のねうち 不便のねうち
足りないくらいがおもしろい 足りないくらいがおもしろい
片づけたがり 片づけたがり
おいしい くふう たのしい くふう おいしい くふう たのしい くふう
こぎれい、こざっぱり こぎれい、こざっぱり
人づきあい学習帖 人づきあい学習帖
親がしてやれることなんて、ほんの少し 親がしてやれることなんて、ほんの少し
まないた手帖 まないた手帖
朝ごはんからはじまる 朝ごはんからはじまる
わたしの節約ノート わたしの節約ノート
おとな時間の、つくりかた おとな時間の、つくりかた
家族のさじかげん 家族のさじかげん
子どもと一緒に家のこと。 子どもと一緒に家のこと。
台所あいうえお 台所あいうえお
元気がでるふだんのごはん 元気がでるふだんのごはん
子どもと食べる毎日のごはん 子どもと食べる毎日のごはん
わたしの献立帖 わたしの献立帖
●こちらもおすすめ!
 『オレンジページ』のブログ
オレンジ進行中
オレンジページ定点観測
堤信子さんの文具びより (ときどき雑貨)
ワンツー☆スリーピース
からだの本ネット日誌
『花カレンダー』のブログ
オレンジページnet エディターズ・ボイス
オレンジページnet
『オレンジページnet』はこちら。

『オレンジページ』に関するご意見、お問い合わせはこちら。

« すき間 | トップページ | ……かたちをなしてゆく。 »

2011年1月18日 (火)

生への祈り 〈引用ノート1〉

 あらゆる登場人物に、同情される面がある、そんな小説を私は書きたいと思っています。善と悪とに人間をわけてしまい、悪人をばったばったと切り倒して恥じないような、そんなおそろしいドラマや小説が沢山ありますが、私には無縁な世界です。
 どんな人にも、その人の立場と、切なる生への祈りがあります。悪人を愛する、それが私の理想です。
      『犯罪ノート』(加賀乙彦著/潮出版社)——「〈悪人〉を愛する」より


 昨年まで月1度、「本のなかの暮らし」と銘打って書いてきたのと、ことしのこれと、どこがどうちがうのかと訊かれたら、何とこたえようかと考えている。
 ひとつには、本ばかりではなくあらゆる印刷物、ふと耳にしたどこかの会話、ラジオや映像のなかから降ってくる声からことばを拾いたいというつもりがある。そして、昨年は日本の作品(書物)という約束を自分のなかにつくったのだったが、そこからも自由になろうとしている。

 第1回として、〈引用ノート〉という題名の一部をもらった『犯罪ノート』からの引用をと思いつく。『犯罪ノート』は「加賀乙彦」のエッセイ集である。書こうとして書けなくなったとき、主題がどうにもみつからないとき、わたしの手は知らず知らず「加賀乙彦」の本にのびる。これほど卑近(ひきん)なことを書いているくせに書けなくなったりし、主題までもみつけられないのかと驚かれるかもしれないけれど、卑近も高遠も、短編も長編も、エッセイも小説も、主題と構成の必要なことに変わりはない。
 自分の関心がどうしてこうも、犯罪や犯罪者、死刑や死刑囚に向いていくものかわからないが、放っておくとそちらにこころが向いている。それはまるで、一日の仕事を終えると、足が自然に台所に向いていくのとほとんど同じ感覚だ。思うに、犯罪と自分が無縁でないこと、誤解を怖れず云うなら、少しのきっかけで自分が犯罪者にならないともかぎらないと考えているからだろう。
 そして、その思いは、わたしの暗部にではなく明部に宿っている。あきらめではなく、希望に近い場所で光を放っている。
 犯罪と自分が無縁でないこと、少しのきっかけで犯罪者にならないともかぎらないという立場で、やっとのことで犯罪に関わらずにいて、なんとか犯罪者にならずにいるわたし……(現在のところ)。そうしたぎりぎりの場所に立って、子どもたちに向かって「殺してはいけない」と云って聞かせるわたし。
 ひとりの人間のいのちは、どこまでも守らなければならない。
 どんな事情があってもひとを殺してはならないと、大人は胸のなかで誓い、誓っているだけではなく、つぎの世代の人びと、子どもに伝えなければいけないのだと思っている。

 うちにやってくる、ひと以外のいのちについても、わたしはおおいに翻弄させられる。死なせてはいけない、死なせてはいけないと、あわあわあわあわ。
 それに暮らしを重ねていると、無機質だと思いこんでいたモノたちにも、魂の宿っているのを知るようになり、またあわあわするのだった。はたしてモノたちははじめから魂をもっているのであろうか。つきあっていくうちに宿ってみせるのだろうか。

*『犯罪ノート』は、すでに絶版になっています。図書館(おそらくは書庫に所蔵)にはあるはずです。『宣告』(上中下巻/新潮文庫)も、おすすめしたい1冊。


Photo

昨年12月に、いただいたポインセチアです。
驚くようなピカピカの紙に身を包んで、
うちにやってきました。
それを脱がすと、白いプラスティックの鉢が
あらわれました。
そのまま飾るわけにもいかず。
こんな袋を着せて、飾りました。

そうして「紅子(べにこ)」と名づけました。
「紅子」のいのちを守ることにも、
責任を感じています。
あわあわあわあわ……。


Photo_2

年が明けてから、「紅子」を
着替えさせました。
末の子が書き初めをしたときにできた、
しくじりを1枚もらったのです。

 

|

コメント

ぽんぽんさん

タイムリーなお話、ありがたく。


ぽんぽんさんが書いてくださった、
①相手の子に、それをした理由はあるという思い方。
②自分がされたらいやなことは、「しないほうがいいよ」と
 子どもに伝える。

この2点は、やはり、どちらも大事だと
わたしには思えます。

「殺す」はなしですが、
これは、相当極端なはなしに見えていて、
じつは、いろいろの問題と別枠、というくらいの覚悟で、
日日、自分自身にも、次世代にも
云い聞かせなければならない、と。

このこと、ことし、また、つづきが
書けたら……そう、考えています。
そうして、ぽんぽんさんや皆さんと
やりとりできたら、どんなにうれしいでしょう。

投稿: ふ | 2011年1月24日 (月) 12時44分

ふみこ様 皆様

こんにちは

罪を犯すか犯さずにいられるか…まさに表裏一体ですね。

いつも明るい精神状態でいられるかは程度の違いこそあれ不確かな物です。
例えば、もしも自分の大切な人が傷つけられたら…
暗い気持ちから自分を犯罪者にしてしまうかも知れない。

少し話しがそれてしまいますが、先日ある場所で娘が娘より大きい女の子に足で蹴られた(押された?)ことがありました。

子供を遊ばせながら、お茶が飲めるところでの出来事だったのですが。

私は娘が見える席で娘を見ながらお茶をしていました。(一人だったので)
そうしたら、娘の近くに一人の子が来て、俯せになったかと思うと娘が邪魔だったのか、無言でグイッと足で…どかしていました。

娘は騒ぐでもなく、キョトンとしていて。

私も思いがけないことで何も出来ず、帰ってきたのですが。
帰宅してから、気にしてないのかと思っていた娘が一言「お姉ちゃん、足でエイッてした」と。

それを聞いて、胸を掴まれる思いがしました。

なんというか、娘が嫌だったという気持ちをすぐに汲んでやれなかった不甲斐なさに落ち込みました。

また、相手の子にも理由はあれど自分がされたら嫌な事、「しないほうがいいよ」というメッセージをうまく伝えられず残念。

生の尊さを伝えるのは殺す殺さないだけではないような…
生活の場面の中にいくらでもあるよなぁと思ったのでした。

なんだかまとまらない話しで申し訳ありません!

しかも長々…
失礼しました。m(__)m

投稿: ぽんぽん | 2011年1月24日 (月) 11時05分

スイさん

いらっしゃいませ。

この日に、
この機会にいらしてくださったご恩を、
忘れません。

どうもありがとうございます。

いろいろの理解を深めた上で、
いのちの大切さだけは、揺るがないものとして
自分のこころのまんなかに置き、
次世代にも伝えたいと考えています。

投稿: ふ | 2011年1月22日 (土) 13時40分

たろじろさん

お気持ち、わかります。

いま、たろじろさんに伝えたいことばを
探すなら……。

たとえば、救いのない生のなかに、
希望を見出す生き方、ということだろうかと
思います。

投稿: ふ | 2011年1月22日 (土) 13時36分

ふみこ様
初めてコメントさせていただきます。

重いテーマだなと思いながらも考え始めたら止まりませんでした。

医療に携わっていること、子供をやっと授かった経験からも、命の重さは日々実感しています。しかし、日々のニュースを観てると、犯罪は紙一重のところに・・・ほんとそうですね。立場が変われば自分も、と思うこともあります。

TVなどから、驚くような言葉を、意味もわからないまま覚えてしまう子供たちに、命の尊さを教えるのは大人の役目です。
生きていること、生かされていることに感謝できる人に育ってくれたら、罪を犯す前に自分を見つめることが出来るのでは、と親として祈るような気持ちもあります。

命はその人だけのものではありません。

今日が誕生日の大切な友人にも伝えたいです。
その年の今日、生まれてくれてありがとう。
あなたが居ることに感謝して、私は生きていますよ、と。

またお邪魔します。

投稿: スイ | 2011年1月22日 (土) 12時27分

ふみこさま、みなさま、こんばんは。

私も、何故か犯罪に心が引き寄せられるのです…
もちろん「人を…、命を奪ってはならない」というのは分かっています。
決して犯してはいけない罪。


しかしながら、
私には「絶対に人を殺してはいけない」とは約束出来ないのです。
殺しても許せない人が出てくるかもしれない。
心の底から不幸を願う事があるかもしれない…。


私が肝に命じている事は…
「なるべく殺さない」
「なるべく罪を犯さない」

どうしても、その禁を破る時は、
自分自身を殺す覚悟で…


変な話になってしまいました。

失礼致します…

投稿: たろじろ | 2011年1月22日 (土) 00時32分

Koujiさん

自分が「犯罪」と無関係の存在でないという
自覚は、たしかに……。
その自覚を出発点にして
ひととの関わりをつくれば、
方面としては「愛」ということになろうかと
思います。

希望を感じるのです、そこに。

投稿: ふ | 2011年1月21日 (金) 10時20分

テレジアさん

いま、『宣告』をもう一度
お読みになったら、 テレジアさんが
考えておられること、得心できるでしょうね。

手もとにある、
『宣告』上下巻を、はいっと、
お渡しできるといいのに。
……なんてね、押しつけがましいことで、
ごめんなさい。

テレジアさん、
黙黙と、考え深く歩いてこられたのですね。
頭が下がります。

ではまた。

投稿: ふ | 2011年1月21日 (金) 10時04分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。
再度おじゃまします。
いろいろとおもうことがあって。
幸田文の『おとうと』をいま読んでいて、じぶんも犯罪者とおなじ存在とおもうのは、それは反省だとか覚悟、決意、責任だけではなく、他者への愛であるのかもしれないともおもいました。
そしてイエスのことをおもい、こちらへ伺うとはしなくもテレジアさんがイエスに触れてらして驚きました。
キリスト教のかたには怒られるかもしれませんが、イエスはじぶんもまた罪人であるというおもい、認識があり、だからこそ虐げられていたひとたちへ手を差し伸べられたのだと、かんがえます。
じぶんのなかに犯罪をするひととおなじものを認めることは、愛や救いにもつうじるのかもしれない、とふとおもいました。

投稿: Kouji | 2011年1月21日 (金) 06時32分

 ふみこさま、加賀乙彦さんの「宣告」は丁度受洗仕様と決めて、勉強をし始めたときに手にした本でした。内容はほとんど覚えていないのですけど、ですが、加賀さんがカトリック信者だったことは、さらに私に神様というものを近づけたような気がします。

 自分の中に「殺意」というものは存在しないのだと、長い間思い込んでいました。ですが、娘が不登校になってあれこれ思い悩む間に、「この子がいなくなってくれたら どんなに楽だろう」と考えたことが 一瞬ですが 考えたことがありました。

 体のどこかでスイッチが入ってしまったら、きっと私は犯罪を犯してしまうのだ。そういう弱さを持っている。

 自分の中の弱さを感じたとき、少し世界が変わってきたような気がします。自分は正しい人間ではないのだ。不完全な人間なのだ。と感じたとき、他者の不完全さも受け入れられるかもしれない と感じました。

 私は本当に不謹慎なのですけど、次から次へと生まれ出る命がそんなに大切だとは感じられなかったのです。この世の中の誰かがが死んだとしても、それを悲しむのは極ごく一部の人間なのにと。

 今頃になって、誰かの代わりになる存在はないのだ、一人ひとりが別の人格として、送られてきているのだ、と実感できました。そうして、やっと次世代にバトンを渡すことの大切さを感じ、人の命の尊さと決してあやめてはいけないことがわかりました。

 まだ、娘たちにはそのことを伝えていないです。もう少し私の中で熟成させてからと考えています。

投稿: テレジア | 2011年1月20日 (木) 22時09分

み さま

なんといいお話を。
御礼申します。

宿りに気づきながら生きるということの
意味に、さいきん、わたしも気づきはじめています。
やっと……ね。

それらに生かされているという一面にも。

投稿: ふ | 2011年1月20日 (木) 15時18分

MIKIさん

のほほんと暮らせることは幸いですが、
のほほんのなかで、「愛」を知らずに生きる
生き方は、考えなおさないといけないと、
自らをふりかえっています。

甘えた考えをもっているときほど、
ひとを信頼できなくなっていたり。
そうした釣り合い具合は、不思議ですが、
ほんとうのことです。

あたりまえだとおもっていることが、
じつはありがたいのだというお話、
こころに刻みたいと思います。

どうもありがとうございます。

投稿: ふ | 2011年1月20日 (木) 15時16分

ふみこ様 皆様

久しぶりにコメントを書きます。
すべての事象は表裏一体。明日は我が身。まったくそう思います。

いのちを感じること

私は、父親が大工をしていたこともあり、いろいろなものに縁起を担ぐ家に生まれ育ちました。ものにはすべて神様がいる。何かが宿っているという考え方を、私はごく自然に日常の中で祖母から学びました。これはいのちというよりも魂に近いのかもしれませんが、こういう育ちができたおかげで、ものや人を大事にする感覚が育まれたと思っています。母親になった今、娘にも、そういう「目に見えないけれど確かにあるもの」をたくさん伝えていきたいと思っている今日この頃です

投稿: み | 2011年1月20日 (木) 13時58分

ふみこ様 こんにちは。
加賀乙彦さん、知りませんでしたが興味を持ちました。
私も、犯罪者の心理、自分におきかえて、自分がいつかそうなるかも、
そう考えることがよくあるのです。
幸せなことに、私は犯罪を犯すことなくのほほんと暮らしています。
でも、犯罪者となった人だって根っこの人間の部分は、本当は善良なんだと思います。
一線を越えるきっかけ。
何かあるのでしょうね。
それをとどまることができることが、ふつうなんでしょう。とどまることができることが、、、--良心だったり、支えてくれる家族だったり--当たり前に思っていることが、もしかしたら、それはとても有り難いことなのだと考えるようになりました。
そんな、思いとどまるきっかけがない人は、寂しくて気の毒でかわいそうなんだなぁ、、、と。

犯罪や不幸な事件が少なくなるような、思いやりに満ちた社会。多くの人が幸せだと思えるようなくらし。
ちょっとしたことが、幸せだと思えるひとが増えたら、そんな素敵な世の中になるのになぁ、、、と実感します。

投稿: MIKI | 2011年1月20日 (木) 10時49分

えぞももんがさん

雪がとけたころ、
北海道の皆さんの悩みも、
とけていますように。

ゆっくりと事情が変わって、
よい「なりゆき」に導かれますように。

投稿: ふ | 2011年1月20日 (木) 09時52分

ゆるりんりんさん

お話、とても沁みました。
ここで、そのお話してくださったこと、
どうもありがとうございます。

毎日を慈しんで過さなければ。

それでは……、かなうなら、
あしたも、またね。

投稿: ふ | 2011年1月20日 (木) 09時49分

おまきさん

わたしね……、
「わたしはちがわない」って、強く、
思いたいんです。
そう自分に云い聞かせて、
その上で……、
その上で、そうでない道を選べるように
祈っているというか。

その、とか、そう、とか、
わけのわからないことを書いてますが。
おまきさんには、わかっていただけると思ったので。
知ってほしいとも思ったので、
書きました。

書けました。

投稿: ふ | 2011年1月20日 (木) 09時47分

ふみこ 様

おはようございます。
今までにない 雪の量に 北海道人も
さすがに てこずって アタフタしています。
今日は 大寒です。

ずいぶん昔 誰に聞いた話だったかも忘れてしまったのですが
この言葉だけが ずっと 心の片隅にあります。

「大切な人や大切な自分を傷つけられたり なくしたりした時
その相手に 強い憎しみをもつ
だから 誰でもが 犯罪者になりうるんだよ」

自分とは 絶対に無縁だと思っていたことなので
驚きをもって聞いていました。

ふみこさん
わたしも ラジオ、新聞、テレビ、本、いろいろなものから
言葉をもらいます。
「がんばって」と言う言葉も 大好きです。

今週も ありがとうございます!!!!!

投稿: えぞももんが | 2011年1月20日 (木) 05時22分

ふみこ様

1月17日が静かに過ぎていきました。
わたしの住んでいるところは
この日に大きな地震があったので
特別な日です。
誰もあえて口には出しませんが
死ぬことは次の瞬間にくるかもしれないことを
天使の目で見たり
学問の一部分として扱うのでもなく
細胞レベルでわかっている人が
たくさんいます。
生きることと同じように
死ぬことを考えるように課せられている感覚が
普通になってしまいました。
遠いことではありません。
だから毎日がとっても大切です。

投稿: ゆるりんりん | 2011年1月19日 (水) 23時16分

ふみこさま

みたくないものを見ようとすることで、人を知り己を知る、ような気がしています。私はそうです。
そんな風に思うのはここ10年くらいですが。

私は違うって、思いたいのかもしれません。

投稿: おまき | 2011年1月19日 (水) 20時13分

risyonさん

そうか。
そうですね。

宿りに気づかない。
気づかないことにしている自分……。

宿っているんですね、やっぱり。

投稿: ふ | 2011年1月19日 (水) 15時04分

しょうさん

ひとがこころのなかで、
知らない誰かのために祈る。
……なんてうつくしいことだろうか、と
思います。

どうもありがとうございました。
やさしいおたよりを。

投稿: ふ | 2011年1月19日 (水) 15時03分

寧楽さん

いのちの抱える複雑を、
ひとは、もっと学ばなければいけないような
気がしています。
その上で、他を理解し、
朗らかに生きられたら……。


投稿: ふ | 2011年1月19日 (水) 15時01分

Koujiさん

死や犯罪に、それから死刑囚に
気持ちが向いていく自分を白状して
よかったと思います。

Koujiさんにも、
「そんなことないよといってもらったようだ」と
云っていただいて。

そしてきっとわかっていただけると思うのですが、
そこへ向いていく自分というのが、
自分という範囲のなかで、もっとも
希望に満ちた、明るい自分だと思えます。


投稿: ふ | 2011年1月19日 (水) 14時59分

CITRONさん

「許し」も大事ですし、
「希望」のもち方を学ぶことにも
つながっていくと思っています。

「べにこ」は、なんだかはりきっています。
ポンセチアというのは、一年草ですか?
この先、どんな一生をおくるのかと。

投稿: ふ | 2011年1月19日 (水) 14時57分

ふ さま
モノに最初から魂が宿っているのか
付き合っていくうちに宿って見せるのか・・・

これに共感できるようなコトが ついありました。
迷いに迷って うちの一員に迎え入れただるま型のストーブ。

箱で届いたときには
なにやらこちらを伺うような、
自分の身の行く末を案じるような頼りない感じでしたが
我が家のやっとの決断で 箱から出されて以来
それは愛すべき存在として そこにおります(笑

魂は、最初から宿っているのかも・・・。
宿っているものに気付けるかどうか・・・そんな気がします。

投稿: risyon | 2011年1月19日 (水) 11時47分

どりすさん

人間関係で無理をすると、
相当にこころが傷みます。
そうして感情にねじれが生じ……。

わかっていても、
無理することがあります。

そういうこと(=無理する)を、もう少し
気をつけないといけないんじゃないかと
このごろ、とみに思うのです。
つまり、ただ一所けん命人間関係を
やっていればいいというのでないことを、
自覚しなくてはいけないのではないか、と。

投稿: ふ | 2011年1月19日 (水) 10時10分

ふみこさま、みなさま

おはようございます。

確かに犯罪者と自分、紙一重だという自覚はあります。裁かれない罪、というのもありますし。

犯罪者の言い分というか、そういうのも、わかります。

でも、してしまいたい、と思うのと、実際してしまうの紙一重の「紙」は厚い。全く違う。そう思うけど、しない。それが命や人生の重さを(自分のも、他人のも)知っているということだと思います。

どりすさんのお友だちのお話、じんときました。わたしは亡父が何度となく救急車にお世話になったので、救急車のサイレンを聞くと心のなかでどうか間に合いますように…と思います。

投稿: しょう | 2011年1月19日 (水) 06時08分

ふみこさま


毎日の殺伐としたニュースに心が塞がります。

温かい食事を食べて
ないのかなと。

ぬくもりのある帰る
ところがあるのかな?と思います。
命の大切さを子供たちに
ことあるごとに教えて
いきたいと思っています

今日はとても嬉しい
便りが届きました。

母の機嫌がすこぶる
よい日です。

投稿: 寧楽 | 2011年1月18日 (火) 16時41分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。

わぁ新シリーズだ、とすこし浮かれて一読、下へ降りるようになっていることに氣づかず、足を踏み外しそうになりました。
「どんな人にも、その人の立場と、切なる生への祈りがあります。」
引用されたものを読み、池波正太郎かとおもったら加賀乙彦なんですね。
池波正太郎の作品のなかの台詞で「ひとが脇道にそれるにはそれなりのわけがあるもんだ」というのがあり、彼のひとの捉え方が如実に出ていてすごく好きな文句です。
犯罪者とそうでないひとは、おっしゃるとおり、ささいなことかもしれませんね。その「ささい」が大きいかもしれず。…
じぶんなりのおもい方による共感もありますし、犯罪者へ赴くという記述は、救いでもありました。
氣がつくと、死だとか死に関することに意識関心がむいていて、どうなんだろう、不健全だろうか、というより不健全とおもわれるのではないかという虞があったわけですが、そんなことないよといってもらったような氣がいたしました。勝手なおもいですが。
ありがとうございます。

投稿: Kouji | 2011年1月18日 (火) 16時03分

犯罪や犯罪者について、
深く考えることは、私にはまだ近づくのが怖い、ことです。
それはきっと
自分の中にきっとある光と陰の、陰の部分を
感じているからかもしれません。
そして”許し”という光の世界があることも。。。
加賀乙彦さんの作品、ぜひ読んでみたいです。

我が家のポインセチアさん、、長らく美しさを保っていたのに、
お天気のいい昼下り、
庭で水やりをして、そのまま軒下に置き忘れたら、、
雪空の翌朝、霜にあたって、、、
かわいそうなことしてしまいました。。あー(;_;
紅子さん長くお元気で。


投稿: CITRON | 2011年1月18日 (火) 14時49分

凍るような朝が続いています。
 ふみこさま、みなさま、こんにちは。
 被害者と、加害者は、ふとしたことを境に紙一重のように思います。
 「あんなに優しく、良い方が!?」
と、事件のあとの会話によく聞きますが、たぶん、どちらの立場も
誰にでも可能性があると思います。
 
 私の友人は、妊婦さんとすれ違うと、
「ありがとう、大事に生んでくださいね」と、必ずつぶやきます。 
 以前は、彼女が子供に恵まれないからかな、と解釈していましたが、
それだけではないと、最近やっと、わかりました。
 いのちは、当たり前ではなく、奇跡なのかもしれません。

 紅子ちゃん、なんと素敵な衣をまとっているのでしょう!
 まいりました^^

投稿: どりす | 2011年1月18日 (火) 13時05分

コメントを書く