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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2011年3月

2011年3月31日 (木)

日日のしおり…3月30日(水)

 3月30日(水)
 今朝さいしょの驚き。
 末の子どもがパジャマのままあらわれて「熱があるみたいなの」と云ったこと。体温計をわたして熱を測るように云うと、体温計は「39度4分」の目盛りをさしてもどってきた。落ちつくために、「さんじゅうくどよんぶ」と、ゆっくりつぶやく。落ちつきついでに思いだしてみたのだが、このひとはこの1年以上風邪もひかず、元気でいた。
「部活は休まなくちゃね。病院に行って、少なくとも明日までは寝ていること。……たのしんで」
 そう云いながら、彼女の風邪のひとつの原因をつくったのは、わたしだろうか、と反省する。地震の起きたあと、家の暖房器具をすっかり片づけてしまったことを「ひとつの原因」だと思って。そうかもしれないし、そうでないかもしれないのだが、仕方なかった。
 病院での診断は、ひき風邪。インフルエンザではなかった。これで、ますます「わたしのつくった原因説」が大きくふくらんだわけだが……。仕方なかった。
 おじやを「ふたくち(2)」、すりおろしたりんごを「みくち(3)」食べてクスリを飲み、眠る。すっかり眠ってしまうまでのあいだ、うんうん唸っている。熱と闘っているんだな。

 きょうふたつめの驚き。
 ベランダのプランターの水仙が咲いたこと。
「ありがとう、わたしもがんばるね」

 夕方、末の子どもの寝室を覗くと、幾分すっきりした顔になって、『スラムダンク』(※)を読んでいる。けっこうだ。再三再四すすめてきた『スラムダンク』をやっと読む気になったこともだけれど、今朝「風邪をひいて寝ていなければならない2日間を、たのしんで」と云った意味をわかってくれて……。
「ね、どこまで読んだの? もうミッチーは出てきた?」
 そう尋ねながら、もううるうるっと目にほら、あの、涙があつまってきている。
「出てきてる、いま、ほら」と布団のなかから8巻がさし出された。
 あ、安西先生だ。「最後まで希望を捨てちゃいかん… あきらめたらそこで試合終了だよ」
 これ、紙に書いて貼っておこう……。

  最後まで
  希望を捨てちゃいかん…
  あきらめたら
  そこで
  試合終了だよ

 きょう3つめの驚き。
 晩ごはんのおかずのひとつに、夫がつくったきんぴらごぼうがならんでいたこと。きのうの晩、つくってみたそうだ。ごぼうのささがきができないから、「ごぼうだけ、さっと茹でてからきんぴらにしたんだけど、どうかな」「すごい!」

 きょう4つめの驚き。
 夫のこしらえたきんぴらごぼうが、とても美味しかったこと。

※『スラムダンク』(井上雄彦著・集英社 ジャンプ・コミックス)全31巻
 この漫画のことは、何度も何度も書いてきたので、「またか」と思われる読者も少なくないと思います。バスケットボールの漫画ですが、バスケットボールにまったく縁のないひとでも、たのしみ、元気づけてもらうことができます。
 とにかく14年前、小学6年生だった長女の枕元に『スラムダンク』全巻をならべて去っていったサンタクロースには、とても感謝しています。

Photo
「ありがとう」の、水仙です。

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2011年3月30日 (水)

日日のしおり…3月29日(火)

 3月29日(火)
 団子をいただいた。
 甘いモノは、ほんの少し口にするだけで、じゅうぶんにしあわせを感じさせてくれる。が、それは、一度にたくさんは食べられないという意味でもあって、 甘味と自分とのあいだの儚(はかな)さを思っていた。
 最近、それはちがうのではないかという考えがあたまをもたげている。摂る量は少なくとも、甘味との関係は決して薄くはないのではないか、と。
 現に——。友だちが送ってくれたあんぱん。熊谷のははが煮て持たせてくれた「黒豆」。自分でこしらえたおからのケーキ。こうしたモノたちに、これまで気づかなかったやすらぎを、おぼえるようになっている。
 きょうはきょうとてこの団子だ。また、やすらぎがやってきてくれたな。——そう思った。
 黒ごまの串団子である。
 箱をあけてみると、団子が、そこへ埋もれていると云っていいほどたっぷりの黒ごまと和三盆の和えごろも。ひと串に3つさしてある団子をひとつだけもらって、すっかりやすらいだ。この一期一会。この「少し」との出合い。それが、わたしとの関係に濃密をよんでいる。
 さて、濃い煎茶とともに、いくつもの口に配り分けられたあと、黒ごまの和えごろもがたんと残った。
(これは、ほうれんそうのごま和えにするしかないな)と、ほくそ笑む。
 ここまでお膳立てのごま和えなどこしらえたことがないから、ほくそ笑むのも道理である。しょうゆを足し足し、味をみながら和えごろもをのばすように練ってゆく。ひとつ和えごろもの転身としては、目を見張るものがある。

 オレンジページのNさんが、朝日新聞・文化面に載った「加賀乙彦」の「つぶやき」(の記事)をファクスしてくれた。わたしが加賀さんを好きなことを知ってのことだろうけれど、何よりNさん自身のこころに響いたらしかった。「再建という希望が残った 大震災 老人のつぶやき」と題されたこの文章を、読まれた方も多かろうと思う。読みだしてすぐ、驚く。加賀さんが81歳になっておられ、しかもことし1月半ばに心臓病で倒れ、4週間入院しておられたのを知ったからだ。
 そうして、ペースメーカーの調子を診てもらうため出かけた病院から帰ろうと、外に出たとき地震にあわれたということだ。16年前の阪神淡路大震災のときには避難所を巡り、ボランティアの医師として働いた加賀さんも、このたびの災害の巨大さに呆然とするばかりだったと書いておられる。しかし、戦争中の都市爆撃の被害と残酷、広島・長崎の原子爆弾の大き過ぎる被害を、加賀さんは知っている。知っていて比較するも、たとえば原発の破壊を復旧し、救命活動に励む人びとの献身や、ボランティアとして働く人びとの熱意は、戦争中の軍国主義の横暴と「まるで」ちがって、日本の未来は明るい、と加賀さん。
 もっともわたしの胸に残ったのは、この記事のさいごの1行だ。

  これが病気でなにもできない老人のつぶやきである。

 加賀さんの「つぶやき」はしかし、光に顔を向ける方法を静かに示している。 

 病気の根を抱えるわたしの友人も、云っていたっけ。
「人一倍元気だったら、向こうに行ってボランティアをするという選択もあると思うけれど、人より元気がない身としては、行っても何もできないどころか足手まといになるし、ここでできることをしながら、静かに見守るしかないなあと思うのよ」
 おだやかな決意は、そっと波となって復興を押してゆく。

Photo

団子つながりの、ほうれんそうのごま和えです。
おいしく、たのしく食べました。

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2011年3月29日 (火)

日日のしおり…3月28日(月)

 3月28日(月)
 きょうは、熊谷の夫の両親に自分たちの顔を見せ、わたしたちのほうでは顔を見にゆく日。
 出かける前にしておいたほうがいいあれやこれやを考えながら床についたせいか、3時20分に目が覚めた。たいてい目が覚めたときに「えいやっ」と起きてしまうことにしているけれど、それが3時台だと……、話がちがってくる。3時は、わたしにとって、まだ夜だからだ。目が覚めたとき、時計の短針が「3」を指していたら、起きてしまうのを、よす。
 けれど、きょうみたいな日は、べつだ。夜にはちがいないけれど、起きてしまおう。
 机に向かって、1時間仕事をする。弁当をふたつこしらえ、朝ごはんをつくり、晩ごはんのカレーを仕こむ。それから筋トレとヨガも。
 3時台が夜だという証拠に、とても暗いし、とても寒い。手まわし充電の小さいライトを連れて歩き、かじかんだ指先をこすり合わせる。しかし、この不思議な時間は、わたしにきょうという日の価値を告げていた。きょうひと日分の、ありがたみを。

 熊谷のちちとははの顔は、元気な顔だった。夫とわたしの顔を見て、ふたりがどう思ったかはわからないけれど、縁側の日差しのなかにのどかな時間が流れていたことは、わかった。
 ちちが「そうだそうだ」と思いだしたように云って、大きな袋を運んできた。なかからとり出されたものは……、ちり紙。
「このちり紙は、母が亡くなる日の午前中、自分で買ってきたものなんだよ。束になってこう、たくさん重なったのを2本下げてきたんだ。医者に行った帰り道、町で買ったのをね」
 そう云って、ひとつかみわたしにくれたのだった。
 ちちの母が亡くなったのは34年前。だから、わたしの手のなかにあるこのちり紙もまた、34年前のだ。ちり紙のことをわたしに手わたしてくれたちちも、ことしの1月、80歳に。
 なんというちり紙だろう……。
「あなたは、このちり紙のこと、知っていたの? お父さんがこれを持ちつづけていたってことを」と、こっそり夫に尋ねる。
「知らなかった。おばあちゃん(ちちの母)は心臓が弱くてね、それでとつぜん心臓発作を起こして、この庭で倒れたんだよ。思いが残っていたのかな、親父には。ちり紙を持っていたなんてね」
 ちちが34年間持ちつづけていたちり紙、きっとわたしも持ちつづけることになるだろう。とても、使う気になんかならないもの。何のために使わずに持つかといえば——。それは、ちり紙の価値とありがたみをおぼえるため、そしてちちがそれをとくべつなモノとして手わたしてくれた意味を忘れないため。
 どうやら、いつもより早くはじまったきょうは、なんでもないように見えていたものの価値とありがた味をわたしにおしえる日であったらしい。

 帰る前、畑のほうれんそう、小松菜、ブロッコリ、長ねぎ、白菜、のあいだを歩く。かの地の(作物の)きょうだいが、辛い目に遭っていることを彼らが知ったら、どう云うだろう。たぶん、何も云わない。もの云わぬ存在を悲しませるのは、誰?


Photo

これが、その……ちり紙です。
昔は、こういうちり紙が70~80cmもの高さに
重なって売られていました。
ちちの母は、それを両手に下げて帰ってきたのですね。
家で使う大事なモノとして。

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2011年3月28日 (月)

日日のしおり…3月25日(金)~26日(土)

 3月25日(金)
 水道水に「国の基準値を超えた放射性物質」が含まれる地域があるというニュース。わたしの住む東京都武蔵野市の水道水にも配水されている金町浄水場の水から、そういう値が出ているという(24日現在)。ただし、それを摂らないことにしようというのは、1歳未満の赤ちゃんに限られるとのこと。うちには、その存在がないから、あわてずさわがず、水道水を摂っている。
 ここであわて、さわいだら、きょうまで暮らしてきた甲斐がないように思える。いま、「甲斐」の二文字を持ちだすことが不謹慎だとしても。

 無口な日日がつづいている。
 まず、町が静かである。
 わたし自身も、これまでの3割方無口になっているような気がする。たとえば「いまは、云えない」というような心境を、そのまま吐露(とろ)する場を、自分でつくれるようになっている。ひとに問われても「聞かないでほしい」と云えるだけの覚悟をもっている。……と、思える。
 以前なら、わが胸のここにある「云えない」「云わない」思いを自ら踏みつけて何かしらのことを云い、「聞かないでほしい」を軽くごまかして、聞かれる前に何かしらのことを答えていたのだったが。
 無口な日日はそして、察するこころを生んでいるようでもある。

 3月26日(土)
 朝から、夫と、娘のうち家にいた2人とともに、てくてくである。町町の様子、角角の気配、人びとの佇まいを目の縁(ふち)にためながら。
 被災地の皆さんにこの様子を、この気配を、この佇まいをお目にかけたとしても恥じないだけのものが、ある。ある、と云うのはおこがましくとも、そこここに、恥じないだけのものが芽生えていますと、知らせられそうに思える。

 長女26歳の誕生日会。
 ほんとうのその日は、もうすこし先だけれど、今夜。
 末娘がつくった紙の輪飾りを天井からつるし、ろうそくで演出を。と思ったら、ろうそくは、いま、晩ごはんの定番だった。
 昨日夫が豆腐屋でもとめてきたおから……。これでケーキをこしらえることを思いつき、今朝、日の出とともに焼き上げた。どうか、おいしくできていますように、と念じ、隠しておいた。

おからのケーキ

材料〈直径24cmのリング型〉
おから(豆腐屋でもとめる)………………………………250g
小麦粉………………………………………………大さじ3杯強
ベーキングパウダー……………………………………小さじ1
卵黄…………………………………………………………4個分
砂糖……………………………………………………………80g
レモン…………………………………………………………1個
卵白…………………………………………………………4個分
砂糖(卵白用)…………………………………………大さじ3
バタと小麦粉(ケーキ型に塗るため)………ほんの少しずつ

つくり方
①小麦粉とベーキングパウダーを合わせて、ふるっておく。
②ケーキ型にバタをぬり、小麦粉をはたく。
③レモンの皮をすりおろし、果汁をしぼる。
④卵4個は、卵黄と卵白に分け、卵黄は中くらいのボウルに、卵白を大きいボウルに入れる(ボウルに水気のないように)。
⑤ひとつ泡立て器を使う場合は卵白を、卵黄より先に混ぜる。卵白、しっかり泡立てて砂糖(大さじ3)を混ぜておく。
⑥卵黄に砂糖(80g)を入れてよくよく混ぜ、レモンの皮と果汁、ほぐしたおからを加える。ここに、ふるった粉も加えて混ぜる。
⑦⑤の卵白に⑥を少しずつ加えて混ぜ(練らないように)、型に流し入れる。
⑧160〜170℃にあたためたオーブンで35〜40分焼く。
※型から出し、好みで粉砂糖をふっても、泡立てて砂糖を加えた生クリームを添えても。

1
おからのケーキ。
しっとり、さっぱり、なかなかおいしく
できました。

 3月26日(土)
 朝起きだして、動きまわるが、寒くてたまらない。
 サンドウィッチをこしらえ、仕事に行く子らをおくり出したあとは、からだの動きが鈍くなってゆく一方だ。
 歯をくいしばっている。この2週間あまり、くいしばってもくいしばっても、まだくいしばり足りないように思って、暮らしてきた。この単純な精神構造の主には、歯をくいしばることしか思いつかなかったからだ。が、ほんとうは、それとは異なるこころの働きに期待してもよかったのではないか。もっと……、おおらかなこころの働きに。
「風邪じゃないの? 暖房器具をすっかりしまって、昨日薄着でいたから」と、夫。
 そんな簡単なことにも気づかないでいた。寒いということにさえ気がつかずに、気がつきかけても目をつぶって。
 思いきって、午後から布団にくるまって過した。いろんな夢を見た。夢のなかでちょっと泣いたような気がする。この国のいまの被災の悲しみに、自分自身が抱えるうまくいかなさに。けれど、さいごには、俳優の「大竹しのぶ」——もちろん、舞台や映画テレビで観るだけの存在——とふたり乗りの飛行艇で空を飛びまわり、怖かったが無事着陸したところで目が覚めた。
「大竹しのぶ」に対してわたしは、こころ柔らかくも肝が据わっているという印象をもっている。斯(か)くありたい思いが、夢にそのひとを招いたか。からだを起こしながら、こころをつよく保ち、堂堂と生きようと、と誓っていた。寒気はもう去っていた。

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2011年3月25日 (金)

日日のしおり…3月23日(水)~24日(木)

 3月23日(水)
 髪を切りに、となり町までてくてく。
 この町内から出るのは、震災後はじめてのことだ。道行くひとの、いでたちがちょっと変わったような気がする。運動靴。リュックサック。そして誰もがいつものこの時期よりも厚着だ。
 そういうわたしも、久しぶりにリュックサックを背負って歩いている。運動靴はいつものことだが。荷を背負うと両手があく。この手でできることには限りがあるけれど、何かしたい、手をあけておきたい気持ちが、わたしにも荷を背負わせたものらしい。

 美容院の店内は静かで、静かだと思ったのは、蛍光灯をつけずに窓からのひかりだけで保たれているからだ。なるほど、過剰な灯りというのは、饒舌なものだったのだな。わたしの髪をひと月に一度心配してくれ、手入れしてくれる美容師のMさんは、「あの日から、暮らし方が変わりました。たとえば……」と、話す。
 節電のため18時までの営業(これまでは21時)になったため、毎日夜は家で過していること。ふたり暮らしのお母さまが、それをよろこびながらも、「あなたに夕食をつくると、つい食べ過ぎて太ってしまった。こんな時期なのに」と話していること。計画停電に不便を感じるのは自分だけで、お母さまはその時間にはさっとブレーカーをおとし、なんということもなく過していること(昼間の停電時には、お父さまのお墓まで散歩だそうだ)。
「早く帰るかわり、お客さまの予約がこなせなくて、休みはないんです。それでも、こういう暮らし方もできたんだなあと思えます」

 3月24日(木)
 朝、着替えをして鏡の前に立つと、なんだかおかしい。白いブラウスの衿もとに、下着のシャツ(ババシャツ)が見えている。こんなところにババシャツにあらわれてもらっては、困るのだけどね。シャツの裾を引き下げたり、ブラウスの肩をつまんで引き上げたりするも、ババシャツは居座ったまま。
「うしろ前なんじゃないの?」と、悪戦苦闘の背中に声がかかる。声の主は二女だった。そんなはずない、と思いながら、セーターを脱ぎ、ブラウスも脱ぐと……、「ほら、見事にうしろ前!」と、二女、笑う。
 今朝のこの、なんでもないような失敗が、わたしに何かをおしえている。何かとは、はっきりわからないけれど、おぼえておこうと思った。

 英文翻訳の授業へ。
 新宿まで中央線に乗る。電車も空調が切ってあり、ちょっと薄暗い。中吊り広告が、ほとんど下がっていない。皆、厚着。ハイヒールの足も、見えない。
 せんせいが、「落ちつかなく、大変な時期ですけれど、こういう時間をもてるしあわせに感謝したいですね」と云われる。……ほんとうに。
 課題のなかで手こずらされた「could believe」。文章の前後の流れから、どう考えても「信じることができない」と訳したいところなのに、否定文になっていない……。
 その正体が、明らかになる。この場合の「could」は、仮定法としての「could」だった。「you could believe」は、だから、信じようと思えば信じられる、信じられないとは云いきれない、というような意味になる。曖昧(あいまい)なようでありながら、その心情のニュアンスをかなり正確にあらわしているともいえる云いまわしも、わたしに、何かをおしえているようだ。これも、きょう受けとった合図。

 新宿からの帰り道、Kさんといっしょになる。Kさんは足が不自由なので、いっしょのときには、なんとはなしに腕を組んで歩くかたちだ。いろいろの苦労を、やさしさと辛抱強さ、そしてそして教養とでくるんで——はね除けるのではなくて——生きているKさんの越幾斯(エキス)が、組んだ腕から伝わるような気がして、うれしい。はじめは、腕を組むのが照れくさかったが、いまでは自分から腕をとって組む。越幾斯ほしさに。
 Kさんといえば、ホームに電車が来ていると、とにかく乗る。たとえそれがKさんの家の最寄り駅までは行かない電車であったとしても、とにかく。
「なるべく、家のそばまで帰ってしまっておきたいの」が口癖なのだった。いま、そのことばが冴え冴えとわたしの胸にも映るのだ。


 

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2011年3月24日 (木)

日日のしおり…3月20日(日)~22日(火)

 3月20日(日)
  ぽかぽかと暖かい朝。
 午前10時、末娘のテニス部の友だちが遊びにやってきた。震災後、部活動も停止になって、時間と気力と体力があまっている模様。その時間・気力・体力、近い将来、被災地復興のためにつかってもらうからね。つかってもらい方を考えるのも、わたしたち大人の道である。さて。
 大学の入学式や、新年度のはじまりも5月になるという話だ。延期はいいが、大学生として、1週間ずつでも被災地のためになる働きをしてくださいな。そしたら、大学の「単位」をあげましょう。……と、ここでこっそり大学教授みたいなことを述べている。ところで。「ためになる」というのは、むずかしい課題だ。
 テニス少女たちに、おむすびをこしらえる。ひじき、根昆布、茎わかめ、とろろ昆布、めかぶ、あおさ、もずくなど10種類以上の海藻が入ったふりかけを炊きこんだご飯で。気力と体力、何より浄らな精神温存のための、願かけのおむすびだ。わたし、『ヘンゼルとグレーテル』の、痩せっぽちのヘンゼルを太らせて食べようとした魔法使いのおばあさんみたいかしら……。それでも、かまわない。ときに、恐ろしい女にだってなって、がんばるさ。

 昼過ぎから、夫とふたりで散歩。
 小金井公園まで歩く。桜の枝がピンク色に染まり、モクレンが咲き、大好きなユキヤナギもあふれんばかりに花芽をつけている。こういう景色を、動植物のいのちを、いまはゆるりとは眺められない。かと云ってうれしくないわけではない。ひりひりしながら、うれしがっている。
 帰り道、空にひこうき雲を見た。大きく交差しバッテンを描いた雲。こんなひこうき雲を見たのは初めてだ。
 何がバッテンなのだろう。いや、「×」(かける)という意味だな、あれは。はなれた場所のアナタとワタシの心根、働き、願いがかけ合わされて、驚くようなことが起こるという……。

 分厚いパーカー。
 霜降りのグレーで夫の気に入りだが、長いこと着てシミがいくつもついたから、とうとうボロ布に……と思いかけていた。シミのところにボタンをつけて、隠す。シミなんかは隠してもよし、シミのあるのを誇るもよし。
 まだしばらく着てもらい、買い換えの費用を義援金に。こんなふうにいきたい、長く細く。

 3月21日(月)
 晩ごはんを食べながら、「この10日間、肉をすこーししか食べていないんだけど、気がついてた?」と、子どもたちに尋ねる。「気づかなかった」「へえ」という返事。(「いつも、そうは食べてないけどね……」と云った者もある)。
 買いものになるべく行かず、乾物中心のおかずでやってきたからだ。
 きょうは、ぎょうざだ。いろいろな野菜と豆やひじきの煮もの、それにひき肉もちょっぴり入っている。からだをあたためるため、生姜とにんにくをたっぷり加えた。
 夫が手まわしで充電する小さなライトの弱い光のもと、それを焼いている。みんな、薄暗がりのなかの仕事がうまくなったなあ。

 3月22日(火)
 ……忘れていた。
 ほんとうは忘れていたわけではなのだけれど、こういうときだから、忘れてしまってもいいかなーと、思いかけていた。英文翻訳の課題のはなしだ。忘れてしまってもいいかなーというのは、甘えだ。課題につかう時間と労力は、自分の勉強のためのものだけれど、それを忘れてしまってもいいかなーという甘えは、いまというときにはふさわしくない。だいたい「こういうときだから」という思い方を、都合のいいときに引っぱりだすのは、ふさわしくなさを超えて卑怯である。
 朝から、机にしがみついて辞書をひきひき奮闘。おわったのは昼もだいぶ過ぎたころだったが、なんというか、筋肉痛のような感覚がある。筋トレのあとよりも、もっと。
 課題はエッセイで、ひととひとのあいだのことを大事にしながらゆっくり暮らしている人びとについての話だった。訳しながら、これはこれは、時宜にかなっていること……と、驚く。いまのわたしにとって、「ゆっくり」と「急ぐ」のバランスのとり方が、もうひとつの課題でもあるように思える。


2

友だちが、
「思いがけず東京の町中でとれた」というフキノトウを
届けてくれました。
こういうやさしいものを見るにつけても、
冷静さとあたたかい気持ちの両方をもっていなければ、
と思わずにはいられません。 

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2011年3月23日 (水)

日日のしおり…3月17日(木)~19日(土)

 3月17日(木)
 感情にひきずられ、こころもからだもなんとなく力を落としているような気がする。こうして無事なところにいながら力が落ちていくとは、なんというむなしさだろうかと反省する。
 被災地を思って悲しみ、苦しみを分かち合いたいとねがうのは理(ことわり)、けれど、気分だけで終始するのでは何にもならない。気分の落ちこみは、自分にできることがみつかったときに、できるそのことを阻(はば)みもするだろう。

 ことし2月のはじめ、自宅で筋トレとヨガをはじめた。毎日ひとりで、細細とつづけている。が、「あの日」からはその運動をそーっと、そしてうしろめたい気持ちでしてきた。
 やーめた、やーめた。やめるつもりは運動ではなく、そーっとと、うしろめたい気持ちである。こんな運動なんかは元気よく、せっせとやろう。うっすらついてきた筋肉を、こっそり褒めてやりつつ、励ましつつ。
 運動をはじめたのは、中学生のころから変わらなかった体重が、あれよあれよという間に2キロほどふえ、ふえたままちっとも元にもどりそうにないことにむっとしたからだ。ふえた2キロという数字に対して、(なんだよ、おまえ!)という気持ち。
 考えてみると、運動には縁なきわたしを何十年もやってきている。小学生のころ、唯一得意だったのが球技で、バスケットボールやドッジボールに燃えた。けれど小学校卒業とともに、その世界が終わる。してみると、40年ぶりの運動世界ということになるだろう。おそるおそるはじめてみて驚く。からだのかたさ、バランスのとれなさ、筋力のなさに、愕然、呆然とする。けれど、10日もつづけるうち、10日前にはつらかった運動が難なくできるようになっていたり、そればかりか、気持ちよく感じられるようになっている。わたしをむっとさせていた2キロの体重のことなんか、もうどうでもよくなっていた。
 ろうそくの光のなか寝転び、腰を手で支えて両脚を天井に向けて上げていたりすると、われながら可笑しい。この可笑しさも、いまのこころを支える。

 夫がよろず屋で、卵を買ってきた。卵さまさま。納豆もさいごのひとつ(3パック入り)を買ったという。見ると、九州からの、これまでお目にかかったことのない納豆。納豆や卵がごちそうと思えるのは、不便のもらたす恩恵だ。

 3月18日(月)
 寒い。
 寒いが、ストーブは片してしまったし、何とかしのがなければ。
 大好きな『小さい魔女』(オトフリート・プロイスラー作 大塚勇三訳/学研)のものがたりのなかに、こういう場面がある。「やきグリ売り」のおはなし。冬のあいだ、家の暖炉のこしかけに坐りこんで過していたある日、小さい魔女は「運動して、いい空気をすわないといられないわ!」と思い、「外へ出かけよう!」と決心する。

   小さい魔女は、一まい、また一まいと、スカートを七まいかさねてはき
  ました。それから、大きな毛のスカーフを頭にまきつけ、冬の長ぐつをは
  き、手袋をふたつかさねてはめこみました。こうして身じたくをかためる
  と、魔女は、ほうきにとびのって、ピューッと、えんとつからとびだしま
  した。

 小さい魔女は、お金をもたずにピューッと出かけたのだった。そういうところも、なんだかいいなあと、わたしには思える。さて、はなしを先にすすめよう。町の広場に、小さな鉄のストーブと屋台が出ているのが見えた。やきグリ売りだ。ストーブの釜からクリを焼くいいにおいが立ちのぼり、小さい魔女の鼻をくすぐる。焼きグリ売りの男は、小さい魔女に、とくべつ、ただで焼きグリをふるまった。「こんなにさむさがひどくちゃ、あんたも、あったかいものをたべてもいいよ。ハクション!」
 小さい魔女は、焼きグリのお礼に……、何をしたか。男のからだの冷たさ、こごえを消し去ったのだ、魔法をつかって。
 愉快なのは、小さい魔女が、焼きグリ売りにしたのと同じことを自分にすることを、まるで思いつかなかったところだ。つまり、自分のために魔法を使わず、スカートを7枚もかさねてはいたり、手袋を2つはめたりしていたというわけ。こごえながら家にもどった小さい魔女から、焼きグリ売りのはなしを聞いた、相棒のカラス、アブラクサスに指摘されなければ、小さい魔女はいまでも、冬がくるたび7枚のスカートで外へ出かけていたことだろう。
 わたしは魔女ではないからして、寒さよけの呪文など唱えられはしない。けれど、下着をかさねたり、セーターを着こむことはできる。着ぶくれてまるくなったひとたちが、家のなかをころんころんと動いているのなんかは、素敵だ。わたしは、くつしたを2枚はいた足を室内履きにつっこみ、セーターの上にダウンベストを着こんだ。
 焼きグリがうらやましくなって、何かこしらえたくなる。クリはなし、ええと。おお、そうだそうだ。

□ご飯のお焼き
用意するもの……………………冷やご飯、小麦粉、しょうゆ
なかみ……………………………漬けものや野菜、しらす干し、肉類など何でも。
・好みの「なかみ」を細かく刻む。
・冷やご飯に、「なかみ」を混ぜ、しょうゆを加える。
・小麦粉と水(加減しながら少しずつ加える)を加え、手で混ぜる。
・せんべいのように平たくして、油をひいたフライパンで焼く。
・片面が焼けたら、フライ返しでかえしてもう片面も焼く。

 3月19日(土)
 昨夜、床に入ってから、(あ、わたしにも使える魔法があったわ……)と思いついた。
 わたしにも使える魔法は、その昔祖母からおそわった唐辛子の魔法だ。
「こうしてくつしたや手袋のなかに、唐辛子を1本入れておくと、あたたかいのよ」
 へえと思ったが、実行したことはない。つぎ、寒い日がめぐってきたら、ためしてみるとしよう。足の指がもぞもぞ唐辛子をこわして、タネが出てくると困るから、あらかじめタネをとっておいてもいいだろうか。
 きょうはしかし、幾分、気温も上がっている。

 新聞で、岩手県陸前高田市の市街地の写真を見る。震災翌日(12日)のものと、震災後1週間(18日)の、2枚の写真だ。ここは、津波の被害の大きかった地域である。海の色に染まったかのような1枚めの青色の写真に対し、2枚めはがれきと道があらわれた茶色い写真だ。水が引いたことが見てとれる。
 青いのと茶色いのと、2枚の写真を眺めているだけで、胸が締めつけられる。ここに生き、ここに暮らしていた大勢は、いま……。地震だけだったなら、これほどの被害にはならなかったのだと、あらためて気がつかされる。いったい、津波とは何なのか。東日本大震災は、地震・津波・原発事故という三重(みえ)の苦悩をはらんでいる。

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2011年3月22日 (火)

日日のしおり…3月14日(月)~16日(水)

 3月14日(月)
 朝起きて、新聞のことを思った。
 いま、被災地でもっとも頼りになるのは新聞とラジオだろうか、と。同時に、毎日新聞への連載日が明日だということを思いだした。いつも、掲載の火曜日の11日前の金曜日に原稿をわたし、さし絵を速達で送ることにしている。そういうわけで、明日の掲載分の原稿はとっくに新聞社に届いているわけだったが……。明日の掲載はなくなるかもしれないけれど、とにかく、いまの気持ちを書いて、できるならさしかえてもらおう。ひとりで、机に向かってあたらしい原稿を書こうとすると、パソコンの画面がよく見えない。
 泣いているのだった。この部屋でひとりきりのわたしになり、緊張がほどけたものらしかった。泣いている場合じゃないんだけどね、と自分を叱りたくもあり、泣きなさいな、と許したくもある。泣きながら書いた原稿を、新聞社に送っておく。

 食卓に、一枚の紙切れがひらりと置いてある。中学1年の末娘のテストだった。
 「日本の都道府県の名前」
  右の日本地図中、1〜47の都道府県名を答えよう。
 赤いペンで「47 満点です good」と書いてある。めずらしい満点のテスト。「47」という数字が、胸に迫る。47がそれぞれ試練のときを生きている。被災した地、直接の被害が及ばない地、試練の大きさと意味合いは異なっても、この小枝のようにも見える日本の47(1都2府1道43県)が、端から端まで軋(きし)んでいる。悲痛なうめき声を上げている。いま、もっとも大事な数字かもしれない、47は。

 朝刊で、今回の震災に名前がついたことを知った。「東日本大震災」。もうひとつ、福島の第一原発爆発事故のこと。これは、もちろん震災の影響によって起こったのにはちがいなくても、別筋にて受けとめなければならない事態のように思える。爆発にともなって漏れた放射性物質が広範囲にひろがるということになれば、「被ばく」の心配が濃くなってゆくからだ。
 震災で発電所が停止し、原発も停止(自動停止)するなか、東京電力が地域別に電力を止める「計画停電」を、昨夜とつぜん発表した。
 夫が買いものに行くというので、わたしも追って急いで靴を履く。外の様子を感じたかったからだ。しかし、出かけてみるまでは、「計画停電」が町の様子を変えるなど、想像だにしなかった。わたしたちの行き先は、家から徒歩1、2分の八百屋とよろず屋だったが、肉が少しほしかったので、肉屋まで足をのばすことにした。するとどうだろう、肉屋のあたりが混みあっている。どうやら、肉屋からほど近いKストアと、大型のスーパーS——あろうことかこの2つはとなり合っている——に向かう混雑であるらしい。
 大型店Sの前には自転車が山と停められており、店内をのぞくとレジに、長い長い列ができている。となりのKは小型店なので、入店が制限されているらしく店の外にひとがならんでいる。備蓄か。ほんとうに?
 きゅっと胸が縮んで、ふたりして無口になり、とぼとぼ帰宅。帰りに八百屋で大根と文旦に似たでっかい柑橘を、となりのよろず屋でサラダ油を買う。

 3月15日(火)
 しばらく乾物中心のおかずをつくろう。
 そして、こういう日日にもたのしみは必要だから、と、黒豆を水につけた。黒豆を煮ようとするこころも、食べようとするこころも、等しくたのしみなものだ。こういうものをひと粒ひと粒箸でつまんで口に運ぶしあわせというのは、日本人が大昔から知っていたこと。
 よろず屋に行った夫が、牛乳と卵、それに納豆がなかったと云う。牛乳がないとなると、ヨーグルトをつくれなくなるかもしれないが、まずまずたいてい大丈夫だ。
 ヨーグルト。これは、昨夏、近所の友人から分けてもらったタネでせっせと毎日つくっている。友人はお子さんたちも独立し、夫婦ふたりになってから武蔵野市もごく近所に越してこられたが、知り合ったのは、ここからはなれた英文翻訳の勉強の場でだった。昨夏、この友人——字はちがうがおなじ文子(ふみこ)さんだ——が、夫君とともにニューヨークへ旅することになった。
 旅の計画をうらやましく聞いているさなか、ふと、「ヨーグルト、お好きかしら」と、尋ねられ、「ええ、ええ」と答える。「子どもたちも好きなのですけれど、買ってくるのがちょっと大変」
「うちはタネでつくっているんだけどね、もらっていただけないかしら。そうしてね、旅行から戻ったら、すこしタネをくださらないかしら」
 たのしい話だった。分けていただくことが、預かることにもなるというわけだ。すぐと話が決まり、文子さんご夫妻の出発の前々日、マンションにうかがうことになった。「これからうかがってもよいでしょうか」と電話すると、「いまなら主人が家にいるから、ちょうどいいわ」という返事。なんと、ヨーグルトの世話は夫君の役目だそうで、お世話係からの説明が必要とのことだったのだ。ますます、たのしいこと。
 初めてお目にかかるだんなさまは、ため息をつきたくなるほど穏やかな紳士で、タネからヨーグルトをつくる段取りを、ていねいにおしえてくださる。うちがヨーグルトのタネの宿になると決まってすぐ、うれしさからもとめておいた専用のガラスの器を手提げから出すと、「これは、用意がいい」と褒められる。 
 ヨーグルトのタネは、たちどころにうちに定着。ニューヨークと、カナダへも立ちよって帰ってこられたご夫妻のもとに、無事ふた匙もどすこともできた。そういうヨーグルトだったけれど、温度の低い場所をさがして置けば1週間くらい菌は生きられるはずとおそわっていたし、牛乳の不足くらいで騒ぎたくなかった。
 それにしても文子さん、どうしているだろう。

「あの日」から、夕方は電気をつけずにろうそく暮らしをしているが、きょうは、家じゅうのストーブ——居間のガスストーブと、夫とわたしの仕事部屋のデロンギ(電気ストーブ)と——を片づけた。こういうのは、願かけの一種。こちらの分の熱量が、必要なところへ移っていくようにという……。

Photo
ヨーグルト製造のための道具です。
ふた匙のタネ(菌)にこの容器ほぼ1杯の
牛乳(400ccくらい)で、毎日つくっています。
あらためて、牛乳に「ありがとう」を。

 3月16日(水)
「計画停電」はやってこなかった。
 待っているが。

 連日、地震と津波の被害を受けたかの地で、救援活動が行なわれている。また、不気味に白煙を上げている福島の第一原発の消火や使用済み核燃料の冷却のための作業もつづいている。どちらも危険で、覚悟なしにはできない活動である。
 津波による何百人という数の犠牲者を、いっぺんに目の当たりにしなければならない苦悩。被ばくの恐れのあるなかの原発の消火、冷却作業の苦悩。その心身の痛みに対して、すくなくとも感謝の声を上げ、声援の気持ちを向ける必要がある。こちらでは、救援者の苦悩を、するりと被災地の状況にすり替え、重みを減らして聞いているが。

 きょうは、高野豆腐を肉のようにすることを思いつく。
 高野豆腐を水にもどしてよくしぼり、油で揚げる(※)。鍋にだしと砂糖、しょうゆ、塩、酒を入れて煮立て、揚げた高野豆腐を入れる。いまあるさいごのたまご3つを茹でて、いっしょに煮含めることにした。ゆで卵を半分に切って盛りつければ、黄身の色がきれいだろうかと思って。
 おいしかった。が、ろうそくの食卓では、ゆで卵の黄身の色はよく見えない。
※油っぽいと思えば、ざるにならべて、熱湯をかけて油抜きしてから煮てもよい。

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2011年3月18日 (金)

日日のしおり…3月11日(金)つづき~13日(日)

3月11日(金)つづき
 夫の顔は穏やかだったけれど、いつになくうろたえていた。
 その目を釘付けにさせているテレビ画面には、わたしがこれまで、映画や劇画でしか見たことのない光景がある。——津波。
 東北地方の太平洋沿岸が、いきなり襲われたらしかった。津波(つなみ)の3文字から連想していた事ごとを、はるかに超えた状況。声も出なかった。映画館で地震に遭うという稀有(けう)な体験を報告しようと早足で戻ったのだったが、それどころではない。まったく、それどころではなかった。
 テレビ画面を凝視しながら呆然としている自分に気がついて、とつぜんひな人形を仕舞うことにした。常ならばもっと早くに仕舞うところを、ことしは何とはなしにもうすこし、もうすこしと日延べしてきた。けれど、お雛さま方に、この状況をくわしくは知らさずにおきたいという思いが湧いた。これから先、どんなに過酷なことになっていったとしても、来年、またお出ましいただくころにはおだやかな日日がもどっているように、あたたかな日差しのなか坐っていただけるように、と。
 はっと我に返った夫も、それを手伝ってくれた。ひな人形のことをしてもらうのは、これが初めてである。余震に、お雛さま方がかたかたと揺れる。家のなかのあちらこちらに飾った3姉妹とわたしのひな人形を片し、居間の隅に箱を積み上げる。そうしてしまってから、仕舞うその日、お雛さまに供することにしている蕎麦(そば)を、忘れたな、と気づく。
 手を動かしていたくて、いきなりひな人形を片してはみたものの、きょうばかりはあたまのほうが、なかなか手のしたがっていることに追いつかず、どこかちぐはぐな仕事になった。そしてその、ちぐはぐの狭間に、親しい顔が浮かんでいる。
 気仙沼のあの一家——小学校6年生をかしらに3人の愛らしいお嬢さんがいる。昨年、すばらしく美味しい秋刀魚を送ってくだすった友人のお父さま。その方もたしか、気仙沼の漁師だった。仙台に住む先輩。岩手県の友人の実家。そうそう、福島にも友人がいる。
 お顔は知らぬ大事なひとたちも、大勢、被害を受けているのだろう。わたしの本の読者。ささやかにつづけてきたブログを通してやりとりのあるひとたち。考えているうちに、胸のなかの気がかりが鉛のように重くなってゆくのがわかる。祈りたかった。が、祈り方がわからない。何をどう祈ったら、祈りになるのか。

 17時ごろ、徒(かち)で公立中学校に通っている末娘が帰宅。「怖かった」と、わたしに駆けよる。地震のとき、4階の音楽室で卒業式にうたう歌の練習をしていたそうだ。どこかでガラスの割れる音がし、音楽室からもどると教室の大型テレビが落下していたという。「きっと、図書室の本も落ちて散らばっていると思う。行ってはいけないと云われたから、見てはいないけど」
 夕方、あたたかい具だくさんのつゆをこしらえた。そこにそば蕎麦をつけて食べるように。地震によって、電車もバスも、東京の交通はすっかり停まってしまった。勤め先にいる長女と二女は、どうやって帰ってくることやら。もしかしたら、きょうは帰れないかもしれない。どちらにしても、こうしてつゆがあれば、蕎麦さえ茹でれば、晩ごはんにも、夜食にもなるだろう。
 それに、お雛さま方にも、こうして箱ごしにはなったけれど、蕎麦を供することができたもの。
 21時過ぎ、二女が新宿から(距離にして約15キロ)徒で、長女が23時、築地から(約30キロ)自転車で帰宅。

3月12日(土)
 4時半に目がさめる。寝ていたのかそうでないのかわからないような闇を通り抜けてきたけれど、少し眠ったらしい。めざめたとき、大変なことごとが起きたという重たい記憶が、あたまのなかに詰まっていた。
 おそるおそる、配達された新聞の折り目をつかんで持ちあげる。「大地震」、「大津波 死」の文字。新聞をひろげてみると、「大地震」と見えた大見出しは、「東北で巨大地震」だった。「大津波 死者・不明多数」、「宮城震度7  M8.8  国内空前」の見出しがならぶ。
 震災。夢なら、よかったのに。夢ではなかった。
 テレビをつけると、どこもかしこも震災のニュース。報道のひと誰も彼も、顔をこわばらせている。テレビのこちら側にいるわたしたちが、まだ知らないことをもう知っているという顔。それなのに得意そうでなく、つらさのまま固まってしまったような顔。
 二女の勤め先の新宿の百貨店が、休業となる。元旦だって休まないというのに。

 長女が、晩ごはんにカレーをつくると云いだす。何かしないではいられないのだなあ。手を動かしたいのだなあ。台所で、手だけではなく、妹たちを手伝わせながら口もさかんに動かしている。
 昨夜から、電気をできるだけつけないで暮らしている。晩ごはんの仕度も、食べるときも、あと片づけも、ろうそくの灯りで。
 できあがったカレーは、辛いというより苦かった。カレー粉を、いったいどのくらい入れたのだろう。辛ーいという顔、ろうそくの灯りが隠してくれた。

3月13日(日)
 考えてみたら、昨日のわたしはどうかしていた。
 新聞をひらいてはため息をつき、テレビを見てはため息をつき、結局、しかけた仕事にも手がつかなかった。そうして、子どもにカレーをこしらえてもらい、辛いとかなんとか思ったりしているうちに、もう休むよりほかなくなって。
 こんなことではいけない。それで今朝は朝から、できることを片端からしてみている。テレビも休んで、ラジオにした。
 おちつこうというときは、台所だ。干鱈(ひだら)を水につけてもどし、塩漬けのたけのこを水につけてもどし、切り干し大根を水につけてもどす。こうもどしてばかりいるのなんかは、やっぱりどうかしているかもしれないけれど、水につけてしまえば、相手はもどる。もどってしまったら、料理してしまわなくてはならない。自分を料理へと追いこみたかったからかもしれない。
 ほんとうは、ことをもとにもどしたかったからか。しかし。起きてしまったことのなかで、行く先をさがしながら生きていかなければ。
 最初にもどったのは切り干し大根。 

 火を使わず、ちょっと辛味の即席漬けをこしらえた。

切り干し大根  ……………………………100g
合わせ調味料
 しょうゆ………………………………大さじ3
 コチュジャン…………………………大さじ1
 一味唐辛子…………………………小さじ1 
 砂糖…………………………………大さじ1
 にんにく(みじん切り)………………小さじ1
 生姜(みじん切り) …………………小さじ1
 長ねぎ(みじん切り) ………………大さじ3
 ごま油………………………………大さじ2 
 白ごま(炒りごま)  …………………大さじ1

①切り干し大根は30分ほど水につけてもどし、もみ洗いする。
②手でぎゅっとしぼって、合わせ調味料で和える。手でよくよく和える。
※ここににら(長さ2cmに切って)を適宜、生のまま和えても、おいしい。

Photo
ろうそくの食卓です。
干鱈のシチュウ、バタライス。

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2011年3月17日 (木)

日日のしおり…3月11日(金)

 東日本大震災が起こって、じき1週間。
 あの日を境にいろいろのことが変わりました。これから、もっと変わるだろうと思います。「変わる」には、「失う」ということも含まれ、すさまじい痛みをおぼえますが、痛みのなか、これまでもち過ぎていた物欲やら、過剰だった便利好みやらは、手放してしまいたいという思いをつよくしています。
 過酷な状況のなか、できるだけ静かにおだやかに暮らそうという「いま」を記録してみようかという気になりました。
「日日のしおり」。変わり目の記録です。もうひとつには、変わり目の誓いです。
 大震災の起きた3月11日を1日めとして、ひと日ひと日綴ってゆくつもりです。もしかしたら呑気に映るかもしれませんけれど、そのくらいの調子をめざして、まずはひと月書いてみたいと思います。
※平日のみですが、できるだけ毎日更新する予定です。

3月11日(金)

 毎年3月も10日を過ぎると、なんとはなしにこころがざわつく。東京大空襲(1945年3月10日)や、地下鉄サリン事件(1995年3月20日)のことが胸に迫るのだ。東京大空襲のときには、わたし自身この世に生を受けていないけれど、周囲の大人が語るのを幼い日から幾度も耳にした。サリン事件のときはすっかり大人で、このおそろしい無差別テロの報道を実時間で受けとった。
 桜の開花の待たれる、どこか朧(おぼろ)なこのうつくしい季節がめぐってくるたび、どうか無事にここをわたらせてください、と祈るかまえになる。

 ……そうあらためて思う、道の上だ。
 毎日新聞社の友人が送ってくれた映画の券をとり出して見たのは、今朝のこと。(そろそろ観なければおわってしまうわ)と思いながら。調べてみると、おわってしまうのがきょうであることがわかった。あたまのネジを締めあげて——そういうつもりで、という意味だが——午前中にせっせと原稿を書いた。締めあげれば早くできるかというと、そうでもないのがつらいところだが、きょうはなんとか仕上がったので、それを待ってくれている相手にパソコンでぴゅーっと送った。つぎに大急ぎでそばを茹で、大急ぎで長芋をすりおろし、早口で夫を呼んで、昼ごはんだ。
 こうして13時過ぎに靴を履いて、道の上にいたのだった。向かうは隣町の小さな映画館。この映画館をわたしはとても愛していて、そこまでこんなふうにてくてく徒(かち)でゆけることを、ありがたく思っている。とはいえ出不精だから、年に3、4回しか行きはしないのだけれど。
「毎日かあさん」の最終日。間に合ってよかった。この映画の招待券を送ってくれた友だちの好意も、仕事で縁浅からぬ毎日新聞に、長く長く連載されている「毎日かあさん」(西原理恵子作)への思いも、むなしくしないですみそうだ。そう思いながらてくてくを速める。
 映画がはじまった。ここ東京都武蔵野市は原作者の西原理恵子さんの地元でもあり、「毎日かあさん」熱はかなり高いから、もっと混雑しているかと思ってきたが、この回はさほどでない。
 映画のなかで西原さんの役を演じる「小泉今日子」がたのしそうなのが印象的だ。このひとは、演技を通して家族体験を得てゆける存在なのだろうなあ。夫である「鴨志田穣」役の「永瀬正敏」も、相当にこの役に入りこんでいる。こうした演技者を眺めながら、わたしはおかしなことを思いだしている。
 小学校6年の数か月のあいだだけ、役者願望をもったことがある。中学進学のため入学願書の証明写真が必要になって、同級のYちゃんとKちゃん、それぞれの母親たちと一緒に、町の証明写真の自動販売機(スピード写真)に出かけていった。当時、スピード写真は出はじめでものめずらしく、異様に緊張していたことをおぼえている。写した4枚の写真が正方形の印画紙のなかにコマわりになって、自動販売機から出てくるなんていうのは、どう考えても不思議でならなかった。当時4カット1枚のそれがいくらだったかわからないけれど、わたしは、まず、4枚同じ顔では「もったいない」と思った。
 もったいないから1枚めだけは入学願書にふさわしい真面目くさった表情にしたが、あとの3枚は、笑顔、横向きのすまし顔、あっかんべえの顔で映った。
YちゃんとKちゃん、わたしと、それぞれの手もとにできあがった証明写真がそろった。「あら、ふみこちゃん、表情を全部変えたのねえ」と、誰かのお母さんが驚いたように云う。もったいないからと、わざわざ別の表情をつくったのはわたしだけだったらしい。YちゃんもKちゃんも、わたしの写真を見て「へええ」と笑っている。このとき、誰かのお母さんが「ふみこちゃんは、大きくなったら女優になるといいわ」と云ったのだ。「……」
 帰り道、母にむかって「じょゆうって何?」と尋ねる。「女の俳優さんのことよ。岸田今日子さんみたいなひと」母は高校時代、俳優の「岸田今日子」と同級で親しかったのを知っていたから、すぐとわかった。(岸田今日子さんみたいなのかあ……)と。それから中学に上がるまでの数か月間、女優を志望していた。母も、ちょっとそんな気でいたらしく、「こんど岸田さんに会ったら、話してみようかな」というようなことを云いながら、かすかにはずんでいたのだった。が、もったいないという理由で、写真撮影のとき4種類の顔をつくったというくらいで、役者への道は拓けなかった。拓けかけたことすらなかった。
 岸田今日子さんが、急いでこの世から旅立ってしまったものだから、その話をしそびれてしまった。「あはは。その道じゃなくてよかったんじゃないかなあ」と、あの魅力的な低い声で云ってほしかった。
 そんなことを久しぶりに思いだした。わたしが演技にかかわっていたとして、「小泉今日子」のようにも「永瀬正敏」のようにも役柄を生きられなかったのにちがいない。ああよかった、と、何がどうよかったんだかわからないため息を、わたしは映画館の暗がりのなかで、ひとつついたのだった。
 そのときだ。画面のなかで、アルコール依存症から抜けだしきれなかった鴨志田さん役の「永瀬」が、家のなかで大暴れしている。座席から腰が浮いた。(大暴れの感じを、このごろは「なんとかD」とか云ってこんなふうに演出するのか、それにしちゃあ「なんとかD」のメガネかけてないけど……)と思ってふりむくと——わたしはこの回の客のなかで、もっとも前に坐っていた——ひとが皆映画館の扉にむかって走っているのが見えた。そしてやっと、地震だと気がついた。(途中なんだけどな。きょう、最終日なんだけどな)と思いながらひとり居坐るわたしの頭上に、天井の塗料がはがれているのか、ぱらぱらと何か落ちてきた。後部座席の上からは、コンセントにつながった何かの線が、宙づりになっている。
 映画館のひとの対応がおちついているのが、やけにまぶしい。この映画館に3つあるホール(スクリーン)のうち、いちばん大きいホールからは、ぞろぞろひとが吐き出されてきている。第83回アカデミー賞で、作品賞、主演男優賞(コリン・ファース)など計4冠を獲得したばかりの「英国王のスピーチ」を観ていたひとたちだ。
 ステッキをついた老紳士が「それにしてもずいぶん揺れましたな。ちょうどいいところだったんだが……」と、くやしそうにつぶやいている。その肩についた、どうやら落下物体であるらしい粉のようなものを払いながら「また、すぐご覧になれますよ。ほら、あちらで招待券を配りはじめているようですよ」と云っているこのとき、わたしにも、老紳士にも、震源地でのおそろしい状況など想像すらつかなかった。とうとう地震が東京にきたな、という感じをもっていたのだった。が、それは大きなまちがいだった。
 帰り道。時計を見ると、15時を少しまわったところだった。なんとなくあたまがぼうっとしている。映画を観きれなかったことや、もっと大きい揺れがきたとして……という考えや、家の者たちそれぞれの居場所などがぐるぐるまわっている。家まであと7、8分というところで、道がぐわんと揺れた。ああ、まただ。道路沿いの家の玄関を、ひとが怖怖あけて顔をのぞかせている。

 家では夫が居間でひとり、立ったままテレビを見ていた。
「津波が……家を、船を、押し流してるんだ」

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2011年3月15日 (火)

あいて!〈引用ノート3〉

 

萎縮しない。増長もしない。
              出典わからず。

 先週決めたばかりだが、ひとから「好きな花は何ですか」と尋ねられたら、「ゼラニウム」と答えることにしたい。
 ひとによっては、何かの機会にわたしに花を、という際の参考にしようと聞いているのでもあろうから、好きな花がゼラニウムでは困るだろう。あれは鉢花だし、およそ花束とは無縁の存在だもの。それに、ほんとうは好きな花なら、もっとほかにある。
 けれど、そこをおしてゼラニウムと答えたい。
 なぜか。わたしがゼラニウムという植物に、ずいぶんと世話になっているからで、なんというかもう、頭の上がらない相手なのだ。植物にふれていたいと希って、いろいろの花を身のそばに置こうとするけれど、その世話には苦心が要る。ただ水をやるというのでも、わたしにとっては苦心のうちだ。繊細な相手なら、1日水をやり損なっただけで萎れ、復活に時がかかったりする。わるくすると、そのままぐっと具合のわるいほうへ傾いて、この世から消えてしまう。
 ゼラニウムの丈夫なこと。水なんかはかえってやり過ぎないほうがいいくらいだし、しばらくほおっておいても枯れないばかりか、萎れさえ見せない。もともと、白花のをベランダの手すりに居てもらっていたのだけれど、丈夫さを見こんで、このたび、その数をふやすことにした。

 ここで、以前、ゼラニウムのことを書いたことがあるのを思いだして本をひっくりかえしてみたら、あったあった。ゼラニウムが和名では「天竺葵/てんじくあおい」というのだと書いてある。忘れていた。そうして、当時のわたしは、ゼラニウムを、丈夫で育てやすいが、ほんとうはプライドの高い花なのかもしれないと見ており、いまだ(ゼラニウムに)手が出ない、と気弱に佇んでいる(『おいしいくふう たのしいくふう』所収/オレンジページ刊)。
 そんなことも忘れて、いつのまにかしれっとゼラニウムをもとめていたというわけだ。
 ただ、ゼラニウムと暮らしはじめて、その金属的とも云えそうな青い香りが無性になつかしかったことはよくおぼえている。その香りに包まれて遊んだ日のことが、鮮明によみがえる。わたしはそれを、祖父母の家の庭で嗅いでいた。花の香であることも、ましてやそれがゼラニウムのものであることも認識していなかった。ただ、記憶のなかに棲みついていた不思議な香り。ああ、ゼラニウムだったのかと知った日、そういえば、ベランダでひとり涙ぐんだのだったなあ。
 やっとはなしは現在にもどるけれど、ともに暮らす植物をひどい目に遭わせたくないという理由から、そして、わが手間がなかなか植物に向けられないというもうひとつの理由から、ゼラニウムの数をふやす。これで通年花をたのしめるし、植え替えもそうはしなくてすむということになった。
 こうしてゼラニウムという花が、わたしの相手としてとても安定した存在になっていることがわかる。

 さて。冒頭の「萎縮もしない。増長もしない」とことばは、美容院で髪を切ってもらっているときに、膝の上にひろげた雑誌にみつけた。老眼鏡なしに文字を読むことのかなわなくなったわたしは、美容院では、雑誌の写真だけを眺めている。けれど、このとき、雑誌にいまや国民的人気グループになった「嵐」の「二宮和也(にのみやかずなり)」の写真をみつけて、人知れずときめき、こっそりケープのなかの手提げから眼鏡をとりだして文字を拾ったのだった。
(なになに……?)と、小さくつぶやいて。
 二宮さんのことを、彼と親しい俳優の「高橋克実」が、こう評していた。「ニノ(二宮さんの愛称)は、どんな相手に対しても萎縮しない、増長もしない」と。ほほお、と感心して、こんどはこっそり鉛筆と手帖をとり出して「萎縮しない。増長もしない。ニノ」と書きつけておいた。

「萎縮しない。増長もしない」という対になるふたつのことばは、以来、わたしのなかに居すわって、ときどき、わたしに向かって呼びかける。「ほらほら、アナタも萎縮しない、増長もしない、で、ゆくんじゃなかったのかい?」というふうに。
 わたしなんかは、この年になっても、ひとという相手にたいして萎縮しがちである。萎縮していたかと思うと、妙なことをきっかけに増長してしまうらしく、それで痛い目に遭う。いつしか「相手」ではなく「あいて(痛)!」になる。あいてててて、である。
 こんなふうにはじめは、ひとが相手になる場合にこのことばがすっとあらわれてきたのが、最近は、いろんな相手に対して当てはまることがわかってきた。たとえば、お金。たとえば、あらゆる仕事。
 とくにお金のことでは、かなり萎縮している自分に気がついてぎょっとした。いつかそのあたりのことが書けるといいのだけれど。

 そこへいくとゼラニウムは、誰に対しても萎縮しない、増長もしないという姿勢だなあと思わされている。それが、ゼラニウムの頑丈さだという気がして、ますます頭が上がらない。

Photo
このたび、あたらしくやってきてくれた
ゼラニウムです。
花色は、サーモン系のやわらかいピンクです。
この場所の担当者が、旅の仕事でいなかったあいだ、
ビオラたちの世話がゆき届かず、株を弱らせてしまいました。
(ごめんね)。
そこで、丈夫なゼラニウムに、バトンタッチ。
(末永くよろしく……)。 

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2011年3月 8日 (火)

成功願望

「主婦。エッセイスト」
 と、書いてある。

 わたしの肩書きだ。
「プロフィールをこちらで書きましたから、確認してください」という依頼文が添えられている。赤ペンを握りしめて、まず「エッセイスト」というほうを、「随筆家」になおす。
 昨年の後半から、「エッセイスト」だったのを、「随筆家」と変えることにしたからだ。どうして変えたか。じき連載5年めを迎えようとしている毎日新聞の短いエッセイ——「山本さんちの台所」毎週火曜日——が、促したものだった。
 4年間毎週、13字詰め70行という分量を書いてきた。文章を書く仕事をはじめたのは20歳の年だし、定められた分量をぴたり数どおり書くのなんかは、お茶の子なのだ。しかし、わたしの手もとでぴたりと書いたつもりでも、新聞の組みの都合で、どういうわけか1行あふれることがある。それも、少なからぬ頻度で。書き上げた文章を1行削るというのは、苦痛である。削ろうとすると、それまでとるに足らない語句だったものがとつぜん存在価値を主張し、地味な接続詞がぴりりと持ち味を醸しだす。「ワタシを削るなんて、そんな殺生な」と文句を云う。
 そういうことがたびたびあったものだから、いつしか、1行分の填補(てんぽ)を欲するようになってゆく。そこで目をつけたのが、この欄の最後の2行だ。
 その1行めには「(エッセイスト)」が、左どなりの2行めに「=イラストも筆者」が、どんと居座っているのだった。じっと睨んで考え、2行を1行に減らす案が2種類思い浮かぶ。
「エッセイスト。挿絵も筆者」というのと、
「随筆家。イラストも筆者」というのと。
 結局、後者を選んだのは、なるべく(なるべく、だ)カタカナを使わずに文章を書こうと心がけている自分の仕事を、これからは漢字で呼ぼうという決心からだった。
 13字詰め1行のことで、何をそんなに……と思われるかもしれないが、あらたな1行の出現のおかげで、期待していた以上にわたしは楽になった。どんなものでも、限り、制限というのは、不思議だ。

 さてしかし。
 わたしがここでお話したいのは、「随筆家」、「エッセイスト」のことでも、幅を利かす小さな1行のことでもない。メールで「確認せよ」と送られてきたプロフィールの、「主婦」というほうの肩書きのことなのだ。
 自分のプロフィールの肩書きとして、「主婦」と書いてあるのを見たのは、初めてだった。それを見た途端、長年、埋もれていた労作を認められたひとのような心持ちになった。……うれしいねえ。
 こういうふうに書いて送ってきてくだすったのが、働き方研究家の西村佳哲(※)さんだったから、うれしさも一入(ひとしお)だった。わたしというひとの働きとして、「主婦」という立場を大事に考えて、職業のほうの名前よりも先に書いてくだすった。あとで、西村さんから「主婦のほうは削られるかと思いました」と云われたけれど、まさか、そんなことはしない。

 それからというもの、自分の「主婦」という肩書きについて、ときどき考えるようになっている。「お、うれしいねえ」で終わりではつまらないような気がした。
 つい先達て考えたのは、「成功」についてだった。主婦としての働きと、もの書きとしての仕事をこうしてならべて眺めながら、(後者の成功は望んでいないけれど……)というはっきりとした感覚が立ちのぼってきたのである。
 もの書きとしての成功は望んでいないけれど、主婦としては成功願望がある。
自分の書いたものがどのように受けとられ、どんな働きをするかは、もうもう、なりゆきにまかせきりたい思いがつよい。それより何より、自分が一所けん命、祈るようなこころで書きつづけたいのが、願望だとも云える。
 一方、主婦としては、なんというか、1週間単位ほどの区切りの成功をめざしているような。「ひと日ひと日の成功めざして」と書くほうが恰好はつくと思うのだけれども、昨日のうまくいかなさを、きょう明日で挽回しようという連なりで暮らしている身に、「ひと日ひと日」は重過ぎる。「成功」が、めあてに向かってゆき、何かを達成することだとしたら、わたしはこの家とのかかわりをやり遂げたい。
 誤解を怖れず書いてしまうが、それによって得たい富もある。得たい富とは、家からの、家の者たちからの信頼である。

※西村佳哲(にしむら・よしあき)さんの最新刊『かかわり方のまなび方』(筑摩書房)は、とてもおもしろく、考えさせられる本でした。


Photo_2
先週見ていただいた、新旧交代の写真の、
これはつづきの1枚です。
このひとの胴体の金属部分に、
なんとはなしに寒寒しさをおぼえて、
こんなことをしました。
ボンドで麻のひもをつけたのです。
まだ、ボンドが乾ききらないうちに撮影したので、
糊のあとが見えますが、2週間ほどもたったいまは、
それも乾いて落ちつき、いい具合です。
ただし、子どもたちには、笑われました。
「どうして、こういうことを思いつくのかね、お母さんは」
「それでさ、思いついたら、どうでも実行するからね」

その理由こそが、
わたしの主婦としての「成功願望」だと云ったら、
わかっていただけるでしょうか。 

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2011年3月 1日 (火)

別れの記

 毎日、どのくらい辞書をひくだろう。
 かなりひく。何かを読んでいるとき「これは」ということばの前に立ちどまり、原稿用紙1枚書くのにもしげく辞書にあたる。
 それは……、ものを知らないからでもあるけれど、辞書のおもしろさを知っているからでもある。
 仕事にあきると、ときどき、頬杖をついてぼんやりと辞書をめくる。これは、「ひく」ではなくて「読む」だろう。辞書を読んでいると、なんと云っても(へえ、そうだったか)という発見が多いのだけれど、ぷっと吹きだすようなこともある。辞書にはそれぞれ顔があり、おそらく編纂の皆さんの個性があらわれるのだ。そういうわけで、ひとつ辞書だけを使っているとおもしろみが広がらないから、何冊か持ってひいたり読んだりするわけだ。

 今し方、「とうとう、」と書きはじめて、これはこれはと思った。とうとうなどというつよい副詞を出だしにして、いったいわたしはどこへすすもうとしているのか。書こうとすることは、はじまる前に定まっているかというと、じつはさっぱり定まっていない。それなのに「とうとう」なんかと置いてみてしまって、軽い衝撃を受けている。それで、辞書をひいたのだ。
 すると、どうだろう。「とう−とう」というのが13もあらわれた。だーっと「とうとう」ばかりがならぶ。ひらがなの「とうとう」はひとつきりで、これは、モノを軽く打つ音の意。ほかは丁丁、東塔、偸盗、登登、滔滔、蕩蕩、瞳瞳、鼕鼕、鞺鞳、疾う疾う、到頭、等等と、「丁」のほかは、やたらと画数の多い漢字がならぶ。
 このなかで、わたしがさがしていた「とうとう」は、「到頭」だ。ついに、とか、結局、さいごに、という意味の、とうとう=到頭なのである。これまで、何度も何度も「とうとう」と書いてきたのに、それが漢字でも書けるなどとは考えたことがなかった。もしかしたら、一度くらい辞書にあたったこともあったかもしれないけれど、記憶にとどまっていない。
 かつて記者時代に、漢字が多いと紙面が黒っぽくなり、むずかしそうに見えたり、込みいった印象になるから、原稿を書くときは「かなを多く」とたたきこまれている。漢字をひらがなにすることを、「ひらく」と云うのだが、先輩のことばにならって、ひらきにひらいていたら、なんだか、ひらきっぱなしになった。それに、ひらくことにばかり熱心になっていたおかげで、漢字が書けなくなってしまった。いや、これは、都合よくこしらえた言いわけだけれど、ともかくわたしは一度も副詞の「とうとう」を漢字で書いたことがなかった。

   とうとう、別れのときがきた。

 わたしは、そう書こうとして、(あれ、とうとうって?)と立ちどまり、辞書をひいたのだった。そこから、何冊も辞書にあたって、「到頭」に感心し、(へえ)だの(なんだ、そうか)だのを連発していたものだから、いっこうに先にすすめなくなってしまった。もうちょっとそんなことをつづけていたら、とうとうやってきた別れが、誰と誰との別れなのか、忘れてしまったことだろう。

   とうとう、別れのときがきた。
   これまで30年近くいっしょにやってきて、別れのやってくることなど、
  考えなかった。ずっとともにあって、足りないところを補いあいながら、
  この先もゆくのだろうと、決めつけていた。
   わたしとて、いろいろの別れを経験しているが、これもまた、ひとつの
  別れの経験として数えなければならない。
   ことわっておくがわたしは、別れをしまいだとは考えていない。関係が変わ
  る意味だと受けとめたい。だから彼とのことも、そういうふうに……。


Photo

わたしが「とうとう」別れたのは、
写真左側の魔法瓶(アラジン)です。
30年近くいっしょにいて、彼にはその前にも仕事歴が
ありましたから、相当の年齢なのです。
ことしになって、なかのガラスの一部が壊れました。
ほんとうにありがたい存在でした。
道具としたら、こういうのを「死」と呼ぶことに
なるのだと思いますが、この世とあの世に分かれても、
わたしたちは、ともに過した歳月を忘れずにいるはずです。
そして彼は、わたしに
あらゆる道具とのつきあいかたを、
おしえつづけてくれるでしょう。

後任は、右側の水筒です。
これも、うちに来てから18年ですが、
いま、はりきって仕事をしてくれています。

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