日日のしおり…4月1日(金)~3日(日)
4月1日(金)
ママレードをつくる。
仕事がさっぱりすすまなくて、ほんとうなら机に向かっているはずの時間を、捧げて。
ついさっきまでしようとしていた仕事がわたしにもとめているのは、ひとつ屋根の下に在る甘やかなものについて書くこと。編集者に云わせると、英語の「mellow」という感じだそうだ。わたしが、家族というものに、親子のあいだに、そして夫婦のあいだに期待しているのが、甘みではないことを自分でよく知っているのだが。けれどふと、自分が期待しているものを甘やかに書いてみたい……という思いが湧いた。
わたしが期待するもの。それは、一見いびつに見えるものが放つ光だ。
書こうとすると、それはなかなかにむずかしかった。それで、すごすごと逃げだして、ママレードづくりに精をだしている。夫の実家の庭に実った、素朴な夏みかんは、愛想こそないが質実剛健。そんな夏みかんを皮まですっかり食べようと思い、これまでも、実を食べたあと、皮がしなびてしまわないうちに刻んで干してきたのだけれど、とうとうママレードだ。
□ママレード(夏みかん)
夏みかんの皮……………………………………………3個分
夏みかんの実(なかの袋から実を出しておく)……1個分
砂糖………………………………夏みかんの皮の重さの60%
水………………………………………………………6カップ
①夏みかんの皮の内側の白い部分をこそげとり、うすく刻む。
②①をボウルに入れて水をそそぎ、ぎゅっと揉むように洗う。そして絞る。これを3回ほどくりかえす。
③②を鍋に入れて茹でる。煮立ったら湯を捨てて、もう一度水を入れて茹でる。
④こうしてくり返し茹でた皮を水洗いしてよくしぼり、ここ(ホーローの鍋)に夏みかんの実と、分量の水を加えて1時間以上置く(夜やすむ前にこうしておき、翌朝から煮てもよい)。
⑤このまま、30分茹でる(弱めの中火。ふたはしない)。
⑥砂糖を何度かに分けて加えながら20分煮る。この20分間は木杓子で混ぜながら、強めの中火で。火からおろして、さます。
⑦煮沸消毒した瓶につめ、ふたをして保存のための煮沸消毒する(この方法は、「来年、また会う日まで」を参照)。
朝のうちに、手順①から④までの仕事をし、3時間ばかり夏みかんの実と水と合わせて置いておいた。
それをゆっくり茹でたり煮たりしながら、わたしはガス台の前をはなれなかった。おそろしくぜいたくな時間を過していることを、おぼえつつ。でき上がりを口にすると、それはまっすぐなママレードだった。甘さのなかにほどよいほろ苦さが混ざっている。
このほろ苦さが、好きだ。……と満足しながら、ここに逃げだしてくる前に机の前でしていた仕事のことを思いだした。(ああ。ママレードのほろ苦さを、原稿の上にも実現できれば……)。
4月2日(土)
夫が朝から、しきりにぶつぶつ独り言をつぶやいている。
すれちがいざまに「◯◯◯……」、声をかけようとするときも「◯◯◯……」、仕事のとびら越しにまた「◯◯◯……」と、ぶつぶつが聞こえる。
「……何て云ってるの?」
「こうぶんしぽりまー」
「え?」
「こうぶんしぽりまー」
「それを、ずっとぶつぶつ?」
「そ」
そのことばをつぶやいたとき、友人のシモダさんを思いだしたんだそうだ。シモダさんは芸術家だ。彼の描く絵は、いまや多くのひとに愛されていて、その絵を焼きつけたグラスや皿までできて、うちにも、それはある。シモダさんは「自閉症」で、ここ数年、夫が撮影対象にしてきた「アウトサイダー・アート」(※)の作家のひとりだ。
「最近、気がつくと、シモダさんの真似をしてるんだよね、ぼく」と夫。
聞けば、シモダさんは、ひとつのことば——おそらく気に入ったリズムの、ことば——を、くり返しくり返しつぶやく。そして、それを真似してみると、気持ちがおちつくんだそうだ。
他人のリズムに合わせなくてもいいんだと、思えるからだろうか。ふーん。
さて、「こうぶんしぽりまー」とは、何か。「高分子ポリマー」。
福島原発2号機の取水口付近にあるピット(立て坑)側面の約20cmの亀裂——ここから高い放射線量の汚染水が海に流出している——を特殊な樹脂等でふさぐ作業を実施するという。この特殊な樹脂がポリマーだ。吸水性のあるポリマーは、分子の網目がひろがることで体積の1000倍程度の水を吸収でき、紙おむつなどに使われている(毎日新聞より)。
わたしたちに馴染みのある物質が活躍を期待されていることに、なんともいえない気持ちにさせられる。がんばって、こうぶんしぽりまー。
※アウトサイダー・アート
正規の美術教育を受けていない独学の表現者たちが、自分のために創作した作品をさす。1900年代はじめにヨーロッパで「発見」されたこのアートは、20世紀を代表する大芸術家たちに多大な影響を与えた。フランス語では「アール・ブリュット」と呼ばれる。21世紀に入り、日本でもさまざまな場所で「アウトサイダー・アート」の表現者が「発見」され、注目をあつめている。
4月3日(日)
昼過ぎから、散歩。
きょうは、2月上旬の陽気とのこと。寒い。
けれど、この寒さのなか、通りの桜並木が咲いている。桜のことを忘れていた身からすると、それは驚く光景だった。
桜花は、不思議だ。
いつも、咲くころの「とき」を察しているように思える。見上げると、桜花はそっと静かに咲きはじめている。この静かな花を手向(たむ)けたい「無数の人びと」を、数字などでなく、ひとつひとつ魂の重みで思いたい。
シモダさん=「下田賢宗(しもだ・たかひろ)」
「イクラ模様のパジャマが着たい」というシモダさんの
こだわりは強烈で、とうとう、自分で布にイクラ模様を描き、
縫ってつくっちゃった!
そのイクラ模様のパジャマの絵のついたグラスと、
つい最近、夫がもとめてきた、これまたシモダさんの絵皿です。
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コメント
ももさん
ほっと、ひと息つかせていただきました。
どうもありがとう!ございます。
シモダさんや、たくさんの
優れた「いびつ」なる師にならって、
ならって、やっていくというようなのが、
わたしの毎日です。
それでね、
だいぶはずれてしまって(浮き世から)、
ときどきはかなくなるんです。
そのはかなさは、
今生のわたしの宿題であり、支えだなと
思いはじめています。
ごめんなさい。
……わけのわからないことを。
ぶつぶつと。
ふ
投稿: ふ | 2011年4月 5日 (火) 13時20分
ふみこさま、みなさま
シモダさん。
とても親近感のある絵に、微笑んでしまいました。
以前、本にもご紹介してくださった方ですよね…。
ずーっと気になっていました。
なんていうか、私にとっては何とも魅惑的な…。うふふ。
何度も同じ言葉を繰り返すの、私もよく真似してました(笑)
私が初めてゆっくりと長い時間を過ごしてもらった自閉症のたかちゃんは、
出会うたびに違う響きの言葉をつぶやいていました。
どんな感覚なんだろう?と思って、よく一緒につぶやいていました。
これがね、何だかちょっと癖になるんです。
ふみこさんのだんな様みたいに。
たかちゃんは、いつもいつも素敵な音の響きを探しているようでした。
私がその響きをご一緒すると、ニヤリとしてくれます。
言葉でのコミュニケーションは難しいけれど、
音でのコミュニケーションは愉しくできました。
そのたかちゃんも、今はすっかり「おっさん」(笑)
とっても大事な友だちです。
「いびつ」な友だちは、割とたくさんいるような気がしますが、
み~んな素敵。そして、私も間違いなく「いびつ」です(笑)
ふみこさん、みなさんのおことばを読ませていただいて、
こうして思わず、私も書いているうちに、また元気になりました。
ありがとうございます。
では、また…
投稿: もも | 2011年4月 5日 (火) 10時29分
どりすさん
わたしも、
なぜ「アウトサイダー」なんだろう、と
思いました。
でも、自分の立場も、そうか、
「アウトサイダー」なんだと気づいたりして、
うれしかったのも事実です。
守らなければいけない作家、作品を
守るため、呼び名の必要になることも
あるのでしょうね、おそらく。
ふ
投稿: ふ | 2011年4月 5日 (火) 07時37分
たろじろさん
わかります。
驚かされる感じ。
「え」と、わたしも毎年、
桜花に気づいて、追いかける
瞬間があります。
「ぽりぷろぴれん」
ふ
投稿: ふ | 2011年4月 5日 (火) 07時33分
寧楽さん
ことしの桜は、
静かに一所けん命咲いています。
その姿に、
ああ、ああ、こんなふうにね……と
おしえられるような気がして。
ふ
投稿: ふ | 2011年4月 5日 (火) 07時31分
ふみこさま、みなさま、こんばんは。
我が家と、しごと場の真ん中に神社があります。
朝、でかける時に「おはよう」と声をかけた桜は、
「こんばんは」の挨拶をする頃には、もういくつも開花していました。
春の生命力はすごいですね。
下田さんの「イクラ模様のパジャマ」を初めて見た時、
生命力のある赤がドーンと目に飛び込んできて、楽しくて楽しくてたまりませんでした。
大人になっては描けない絵を描ける、誰にも真似できない作品ができるのに
何故「アウトサイダー」なのだろうと、疑問だった時がありました。
でも、呼び名など関係ないのですね。
下田さんのパジャマを着たら、どんな楽しい夢が見られるんでしょう。
今年の桜。 心に響きます。
投稿: どりす | 2011年4月 4日 (月) 23時21分
「ぽりぷろぴれん」
私が煮詰まった時に、リズムを取り戻す為に口にする言葉です。
ふみこさま、こんばんは。
目の前に立ちはだかっている困難に唖然として、開き直って笑顔で過ごす日々です。
普段出来ないので、
休みの日くらい、鍋の前に椅子を置いてコトコトとウトウトと過ごしたいです。
桜って、いつも不意を突かれます。
「まだまだだよね」なんて思いながら角を曲がると、ビックリするくらい満開になった桜に声を失います。
毎年毎年、今年こそはビックリしないぞ!、と思いつつ…
投稿: たろじろ | 2011年4月 4日 (月) 20時47分
ふみこさま
ママレード、ほろ苦いのが好きです。
ブルーベリーやキウィ、苺、りんごなんでも炊いて
ジャムにしていまいます。
ことこと、離れることなく作るのが、なぜか好きです。
桜が咲き始めました。
いつもと違う気持ちで見る桜です。
神や精霊が宿るという桜。
はしゃぐのではなく、静かに見たいと思います。
投稿: 寧楽 | 2011年4月 4日 (月) 20時32分
ゆるりんりんさん
わたしも、
思わずね、桜にあたまを下げました。
ことしの桜は、きっと長いこと
咲いていてくれるでしょう。
そんな気がしています。
ふ
投稿: ふ | 2011年4月 4日 (月) 18時14分
Kouji さん
わけへだてなくなく、
すべてのひとが憩える「きょう」、
おめでとう……です。
ありがとう……かな。
昨年も、この日をおしえてくださいましたよね。
おじぎ。
ふ
投稿: ふ | 2011年4月 4日 (月) 18時13分
あやこさん
休養のなか、
ありがとうございます、いらしてくださって。
家計簿仲間ですね。
あやこさんは、たしかわたしより10歳はお若いので、
どんどん身につけて、先を越されてしまうかもしれませんが、
ついてゆきますとも。
がんばりましょうね。
わーい。
おなかま、おなかま。
無理せず、辿るべき道をとおって、
よくなってゆきますように。
祈っています。
ふ
投稿: ふ | 2011年4月 4日 (月) 18時11分
Kouji さん
癖でもあるのでしょうけれどね。
ひとのなかに在る、(モノに宿る)、
うつくしい「いびつ」、
悲しみを秘めた「いびつ」、
覚悟の「いびつ」、
ひたむきな「いびつ」の
照らすものに、くーっと惹かれてゆきます。
そうそう、個性ですね。
そして、宿命……。
たのしい4月を。
ふ
投稿: ふ | 2011年4月 4日 (月) 18時06分
ふみこ様
わたしも桜をみたくて散歩へ。
おだやかで、あたたかいんだけど
悲しみもひきうけてくれている・・・
思わず 合掌
投稿: ゆるりんりん | 2011年4月 4日 (月) 18時04分
ふみこさま、みなさま、間をおかずまたまたお邪魔します。
自分でもすっかり失念していましたが、きょうは4月4日。雛祭りと端午の節句に挟まれた日です。
うまいいい方がないかなぁと考え中ですが、女の子でも男の子でもない、もしくはどちらでもある人のお祝い日だそうです。
この日に、ふみこさんの発表されたものは、ドンピシャすぎて、なんだか怖いような気もしますし、でもおもしろいです。ふみこさんのもつ意識が、なにかを敏感に捉えたのかもしれません。
投稿: Kouji | 2011年4月 4日 (月) 16時46分
ふみこさま
今月から、私も家計簿をつけ始めました。何度も何度も挫折し続けているのにもかかわらず・・・今回こそは、頑張ります!いま病気療養中で休養しているので来月の復帰までに何とか習慣にしたいのです。今度こそ・・・
ところで・・先ほど子供達と郵便局で募金をしてきました・・・
テレビの放送で、オノヨウコさんが、“募金はふんだんに”とよびかけていたのが印象的で・・・孫さんのようなことは出来ませんが、出来るだけ長い支援をと考えています。
投稿: あやこ | 2011年4月 4日 (月) 16時15分
ふみこさま、みなさま、こんにちは。
「わたしが期待するもの。それは、一見いびつに見えるものが放つ光だ。」
おっしゃること、よくわかります。否定的にいわれる物事に価値を見いだしてゆく、ということはふみこさんのお書きになるものの特徴で、とても好きなところです。
昔昔、はるか昔にはちいさいことだとかいびつであること(不適切でしたらすいません)を持った人間が、神聖であると大切にされたそうですね。シャーマンだとか、神に携わる者、神に近い存在として。
実際そうであるのかもしれません。同じことばや動作を繰り返すことで、脳のある特別な機能が作動をはじめるとか。
いびつ、といえば誰しもそれは持っています。
いびつ、は個性ですね。
投稿: Kouji | 2011年4月 4日 (月) 14時31分