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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2011年4月 5日 (火)

日日のしおり…4月4日(月)

 4月4日(月)
「痛」
 この痛み、じつは10日ほど前からつづいていたのだけれど、病院に行くほどではない……と、思いたくて、耐えていた。
 でも、顔を洗おうと、こうして……、両手ですくった水を顔に近づけたとき、痛くて顔を洗うどころではなくなるに及んで、ああ、これは病院だと思い至った。右肩から、腕にかけての痛み。何でもないこともあるのだが、ふとしたときに、堪えがたいほどの痛みに襲われる。「痛」。
 病院の待合室の椅子の上で、(これがどんなにやっかいな病気でも……)と、自分に云い聞かせていた。大震災の、原発被害の、直接ふりかかる皆さんとともに耐えてみせる、と。
「そうですか。かなり痛みがあるのですね。それでは、まずレントゲンを撮りましょう。レントゲンを撮ったあと、また、ここへお戻りください」という医師のことばに見送られて、右肩から腕にかけての写真を2枚(裏表)撮る。
 ふたたび、名を呼ばれ、診察室へ。
「運動をはじめたり、何か、変わったことがありますよね」と、医師。
「はい。2月のはじめから筋トレをはじめまして。毎日30分というのを、つづけてきました」
「痛くなってからも……?」
「ええ。痛くなってからも」
 ちょっと得意げに。
 痛みをこらえて、時には唸りながら運動していた自分を思いだしながら、「ええ、そうです」と。
 医師は咳払いをし、ゆっくりこう云った。
「右肩に、傷があると思ってください。そこで、筋トレをつづけるというのは、傷をほじくっているようなものなんです。……休んでください」
「……」
 医師と、そばに立つ看護師が、笑いを堪えきれずに顔をゆがめている。えー? 笑われているのか、わたし?
 しょんぼり、家に向かって歩きながら、(どうして痛みをこらえてまで筋トレをつづけていたのかというとね)と、誰に云うともなく、つぶやきつぶやき。
(はじめたときは、自分の運動能力を上げ、からだをつくりたいという思いからだったけれど。「あの日」からは、がれきをこう、がっと持ち上げたり、お年寄りをおんぶしたりする自分をイメージして、鍛えていたんだもの)。
 だけど、だけど。ひとに云われる前に自分で云おう。
 阿呆か。

|

コメント

しょうさん

どうもありがとうございます。

メッセージ、たしかに受けとりました。
わたしたち、しっかりことを見て、
必要なとき「NO」と云わなければ。
それは、わたしがしたい暮らし方ではありません、と。

何も見ていなかったなあ、
少なくとも、見ていなかったのと同じ見方しか
していなかあったなあ、と思います。

投稿: ふ | 2011年4月 6日 (水) 16時45分

すぐりさん

辛い思いをさせている「地」から、
おたよりをいただいて……、
ありがたさでいっぱいです。

このたび、
どんなにいろいろのことを、
はなれた地にまかせきりにして、
知らずに、いえ、知らないことにして
暮らしてきたかを思い知りました。
いまさら、感謝してもおそいのかもしれないのですけれど。
でも、愛しさが湧きます。
これは、ほんとうにほんとう……。

わたしたち、
やっぱり生まれ変わらなくては。
と、思うのです。
経済のたて直しについても、
あたらしい道をゆかなければ、と。
「イワン」ね。
ほんとうにそうですね。

自分の足で大地を踏み、働きたいです。ね。

感謝をこめて。

投稿: ふ | 2011年4月 6日 (水) 16時41分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。

ここのところ仕事が忙しく、いま、4日分くらいまとめて拝見しました。
ふみこさんの記事にさることながら、みなさんのコメントもよみごたえがあり、
なんだか頭をたくさん使ってしまい、ぼーっとしてしまいました。

今回、自分はいろいろな人の意見を聞くとどれも正しく感じてしまい、自分がぶれてしまうのを感じました。
でも、ふみこさんから頂いたメッセージで、正しいとか正しくないかではなく、自分がどう感じたか、どうしたいか、をみつめようとつとめています。

私は「経済」はもちろん大切だとわかっていますが、やはり、今までは過剰だったとかんじています。
(感じていない人も、いるでしょう、うん)
そして、自分の手に負える範囲で生活したいと思っています。
(もっと、と感じる人もいるでしょう、うん)
そもそも私はあまり過剰な消費をしていたわけではないから、消費をばんばんして経済を立て直そう、とは思いません、できません。
(やはり経済復興には消費だ、とかんじ、できる方もいるでしょう、うん)

それぞれ、その人が「良い」と思って考えたことです。
やれる人が、やればいいのだと思います。

ただ、本当に忘れてしまうことだけは、したくないし、してほしくない、そう感じています。

ふみこさん、痛みはどうですか?「日々のしおり」をつづることも、負担になっていませんか?お大事にされてくださいね。

投稿: しょう | 2011年4月 6日 (水) 13時25分

ふみこ様

ずっとずっと以前、浴衣についておたよりさせて
いただいた すぐり と申します。
自作のおくみのない浴衣を、娘に着てもらおうとして
背中を押していただいたのに、その後そのままになって
しまい・・・すみませんでした。
実は、浴衣は実家に預けたあったのですが、帰省はその季節を逃し、
今にいたってしまいました。

今頃のこんな報告、ご迷惑でしたらすみません。
あれからも、いつかお返事をと思いながら、
読ませていただいていました。

実は、私は福島に生まれ育ちました。
進学などで上京したりもしましたが、
やはりこの地で暮らすことを望み、同郷の夫と生後間もない長女
と帰郷し15年・・・田舎で畑や田んぼしかない風景の中で暮らして
きました。広い空の下、四季の移ろいを五感で味わって。

そして、あの出来事が。

私の住まいは内陸のほうなので、津波の被害は免れましたが、
思い出のある浜の地の凄惨な姿をテレビでみるたび、
言葉を失います。
そして原発問題・・・浜から60キロほど離れた私の住む市
でも00シーベルトの値はあがり・・・減少傾向にはありますが、
これがずっと続くとなると、子ども達、特に体の小さい子ども達は
大丈夫か・・・やはり案じてしまいます。

ああ、すみません前置きが長くなってしまいました。

一番お話ししたかったのは、これからの日本が経済大国を目指さない方向
でいってもらったほうがいい、と私も心から思うのです、ということです。

だって、イワンは今でも生きているから。
日本という国が、イワンでいっぱいになったらと、本気で願っています。


そして、私もイワンに近づいていきたいと思うのです。
ほんの少しづつでも。

投稿: すぐり | 2011年4月 6日 (水) 11時20分

みぃさん

みぃさんの書いてくださったことで、
「経済」に向ける気持ちを、みんなで、
考えることができたと思います。
どうあるのがいいのか。

そういえば1996年、
『脱「開発」の時代』〈現代社会を解読するキイワード辞典〉
(晶文社)という本の編集をお手伝いしたのでした。
イヴァン・イリッチ、C・ダグラス・ラミス、ヴォルフガング・ザックス
はじめ17人の執筆者による論文です。
400ページにおよぶ本になりましたが、
いま、もう一度読み返そうと考えています。
「開発の時代」を終わらせるためには、「知」が
必要なのだと、はっきり認識させてくれた書物です。

余計なことを書きました。

新4年生の「詩人」にも、
ありがとうを。
なんて、素敵。

投稿: ふ | 2011年4月 6日 (水) 10時01分

仙台のじゅんこさん

「理不尽」
そうだ、それだといまさら、
知らされました。

しかし「理不尽」から学び、生みだしたいと
希う気持ち。
ああ、なんて厳しい……ことか。
希いつづけて、厳しさのなかに、
どうか光が見えてきますように。

きょう、皆で、
広瀬川沿いの風を感じましょうね。
それも、一筋の光だと思えます。

感謝。

投稿: ふ | 2011年4月 6日 (水) 09時49分

はつえさん

わかっていただいて、
うれしいです。

「ひとによって、必要な運動量もことなりますから、
それを探りながら、無理なく運動してください」
これは、わたしがかかった医師のことばです。

……ということで。
お互い、あまり無理はしないでゆくとしましょう。


投稿: ふ | 2011年4月 6日 (水) 09時44分

どりすさん

手、握りかえしております。
ありがとうございます。

耳をすますって、いいなあ。
いま、その姿勢、とても大事ですね。

投稿: ふ | 2011年4月 6日 (水) 09時42分

たろじろさん

……うれしい。

「痛い」ことにも気づかないようなところが
わたしにはあるので。
もっと注意深くなります。

ありがとうございます。

投稿: ふ | 2011年4月 6日 (水) 09時40分

ゆるりんりんさん

でもいつか、
体力にものを云わせて、
働きたい……。
(いまは、休みます)。

どうもありがとうございます。

投稿: ふ | 2011年4月 6日 (水) 09時38分

先の”stitch”はみぃです。
自分の刺繍での活動名が入ってしまいました。
朝から抜けてます。やれやれ…。

投稿: みぃ | 2011年4月 6日 (水) 08時37分

ふみこさま みなさま

おはようございます。
自分の書いたコメントに自分で落ち込んでいました。
でも ふみこさんのお返事をありがたく受け取らせていただきました。

早起きがすっかり習慣になりました。
今日から子供達は新年度。
いつもはなかなか起きない新4年生の次男が5時半に起きてきて一言…。
「お母さん、オレ 朝の青い光で目が覚めちゃったよ…」
こどもの感性の素晴らしさを感じ 「素敵なことば。詩人だねぇ」と思わず言ってしまいました。

こどばは 難しい。でも 素晴らしい。
再びここへ来させていただく勇気を 我が息子よりもらった朝でした。


肩から腕の痛み。どうぞお大事に。

投稿: stitch | 2011年4月 6日 (水) 08時29分

(また切れちゃいました。すみません…続きです。)
共有していると感じていますし、来る度に励まされますよね。

有り難く、また必然的に辿り着いた場所だったと感謝しています。

今日は娘と広瀬川沿いをサイクリングしてきます♪
仙台にも春は来ましたよ!

投稿: 仙台のじゅんこ | 2011年4月 6日 (水) 06時45分

ふみこ様 皆さま おはようございます。
筋肉痛が好きな、仙台のじゅんこです(^^)

kouji様 不快に思ったりしませんよ。障碍のある子供とそのお母さん。私には会う度に「かなわないなぁ」と気持ちよく思える眩しい存在です。避難所でもその交わされる会話が楽しくて、一緒に笑いました。

こども病院で出会った患者の子供さんと、看病するお母さんも眩しかったなぁ…。

うまく言えませんが、「ひとつのかたち」として存在している、揺るぎない尊さみたいなものを感じ、力をもらうのです。強さが伝染する感じでしょうか。

悲劇に理由を見つけて納得したい気持ちはわかります。
でも、たくさんの子供達と先生が流された大川小に、家を家族を失った人達に理由なんてない。そこにあるのは「理不尽」さだけです。

だけど、だからこそ私達は「理不尽」から何かを学びたいと、何かを生み出したいと必死なんだと思います。
被災者だからとか関係ない、みんなの気持ちだと私は感じています。

納得して受け入れるなんて絶対にできないけれど、地震以前にはなかった何かをみんなで見つけられたら…素晴らしい(あえてこう言わせてください)ですよね。

ここの皆さんは、同じ思いを共有して

投稿: 仙台のじゅんこ | 2011年4月 6日 (水) 06時28分

ふみこさま、おはようございます。

痛くても続けてしまうその気持ち、よくわかります。
休んだら、「ここまでできる」ようになった自分へ戻れないような気がして、体が悲鳴を上げなくてすむまで待てないんですよね。

わたしの毎朝のストレッチ体操も、そうです。
床に座って開脚し、前に倒れるとき(胸やお腹をを床につける姿勢)、左太ももの内側が、痛え!と叫んでいるのに、ちょっとの間だからがまんして!!と、押し切ってしまう…どうしましょう、きょうあたりから休んだほうがいいのでしょうか。
あぁ、それでも。

投稿: はつえ | 2011年4月 6日 (水) 05時43分

ふみこさまに、
 今日は、何か起きてはるのかな、と、
 思ったのは、お昼前でした。
 魔法使いになりたかったので(園児のころ)、時折、耳をすませています。
 「我慢しないで、その痛み」ちょうどCMで、今、流れました。
 キーを打つのも痛いのではないでしょうか。
 
 得意げに答えるふみこさまを思うと、
 「まったく、なんてお人なんだろう」と、腹筋で笑みつつ
 「よくぞ・・・」と、手を握らせていただきたい感です。
  ちゃんと、せんせいのおっしゃるように休んでくださいね。
 

投稿: どりす | 2011年4月 5日 (火) 23時00分


ふみこさま、こんばんは。
ただ一言、
痛い思いはなさらないでくださいな。

投稿: たろじろ | 2011年4月 5日 (火) 21時49分

ふみこ様
  
わかります、
最後は体力でしょうがと思うその気持ち。
わたしは家事で体力増強をしようとして
やりすぎて今筋肉痛です。
窓ふきやりすぎて背中バリバリ・・・
つまり肩より上に手をあげるとキ~ンです。
仲間がいてちょっと、ほっ(うふふ)

投稿: ゆるりんりん | 2011年4月 5日 (火) 18時47分

CITRON さん

おやさしいことばに、
思わずほろり。
どうもありがとうございます。

こんな、
とんちんかんも許してもらって、
学びながら、「いま」を生きていたいです。

投稿: ふ | 2011年4月 5日 (火) 18時23分

Kouji さん

『1/4の奇跡』
いろいろの辛苦を抱えて生きる人びとを
だから敬って、だから愛して、
だから大事にするということ。
わたしは、被災地への思いも、それだと
思っています。

「奇跡」を生き抜く人びとと、
何をしたらいいかわからず、とんちんかんなことばかり
しているわたしと。
むしろ比べるのも恥ずかしいという思いがあります。
障碍をもって生きる人びとと、
呑気な自分が「いっしょ」だとは、まだまだ云えない。
そこへは到達していない……。
そこを、めざしたいけれど。

同じ経験をしなくても、
わたしたち人間には「想像力」があるはずだとも
思うのです。
それが、わたしの杖になってくれそうです。


投稿: ふ | 2011年4月 5日 (火) 18時22分

ふみこ様

そうせずにはいられなかった。。
のかな、、とお察しします。
身体が、ちょっと待って、ってストップを
かけてくれたのですね。

かくいう私も、がむしゃらに毎朝
ランニングなどして、気付いたら
身体が悲鳴を上げていました。
「痛」という感覚に感謝。
今は、軽いウォーキングにして、調整しています。

ふみこさんは、みんなの大事な方です。
御身お大事に。。

投稿: CITRON | 2011年4月 5日 (火) 18時04分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。
 
「阿呆」というか「健気」とおもいました。
またまた質問があります。
以前紹介した『1/4の奇跡』。人類が生存してゆく上で病気や障害は必要。その障害を引き受けて生まれるひとがいる。
なんだかそれは被災地にある方々と重なっておもわれました。われわれが受けるものを引き受けてくださったのでは…と。
そうおもうのは、不快でしょうか?仙台のじゅんこさんなど被災地にある方は、不快になりますか?
そうであるのでしたら、謝ります。すいません。
実は、そのことをちょっとした場で発言したところ、被災者と名乗る方から非難を受けました。障害者と一緒にするなとか、見下してるなど。
その方を傷つけた(神経を逆なでした)こと、もですが、その方の言いぐさも応えました。
ことばは難しい。でも難しくしているのは、受け手のわれわれかもしれないとふみこさんは、お返事で書かれていました。なんだか深くうなづけました。
ぼくの「痛い」はなしでした。

投稿: Kouji | 2011年4月 5日 (火) 17時09分

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