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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
profile:山本さんの本
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片づけたがり 片づけたがり
おいしい くふう たのしい くふう おいしい くふう たのしい くふう
こぎれい、こざっぱり こぎれい、こざっぱり
人づきあい学習帖 人づきあい学習帖
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2011年4月

2011年4月26日 (火)

2階特設自習室

 2月の、ある週末。
 食堂兼居間に渾然(こんぜん)たる風景があった。ひとりはノートパソコンを睨んで仕事らしきことをし、ひとりは音楽を聴きながら裏紙を切りそろえてメモ用紙をつくり、ひとりは期末試験前の勉強をしている。
 見慣れた光景だ。子どもたちは自分の部屋をもっているが、そこではストーブは使わない約束だから、日射しのある時間を過ぎると、なんとはなしに居間兼食堂にやってきて、それぞれの作業と勉強のつづきをする。見慣れた風景というのは、いいものだ。先先(さきざき)、なつかしさと結ぶ約束ができている、というふうでもある。
 が、ときに、そんな見慣れた風景にふっと息を吹きかけ、目あたらしいものへと変化させてみたくなる。

 一方、こちらは2階のわたしの机のある部屋。
 食堂兼居間のある2階にある、もうひとつの部屋である。
 ここは書斎にはちがいないが、ちょっと書架の下段に目をやると、ピクルスやらママレードやら、何ものかになるのを待っている梅酒を漬けたあとの梅の実やらが、瓶におさまってじっとしている。この部屋が書斎なんだか、作業場なんだか、保存食置き場なんだかはっきりしないというふうになったらいいなあと、常日ごろ考えている。ここで働くわたしというひとが、雑多な、はっきりしない存在であるのだし。
 さてこの部屋は板の間で、畳に換算すると6畳間の広さだが、その面積に加えて北側と東側に出窓が張りだしている。面積と書いて、ちょっと鼻がふくらんだ。初めてこのことばと出合った小学生の時分から今日にいたるまで、少しも親しくなれなかった相手を、なんということもなくひっぱり出していることがこそばゆく、また密かに得意なのだ。面積。面積。面積。ひっぱり出せたということは、わたしの脳に面積という概念が棲んでいた証拠だもの。面積。面積。面積。もう一生分書いてしまったような気もするが。
 ところで、何の面積のはなしだったか。
 そう、わたしの部屋の面積——また書いた——だったな。
 いまこうして向かっている机からふり返ったそこには、部屋の床面積の半分以上があいて、ひろがっている。あいている、というのはわたしの気に入りだ。「がらん」と、殺風景が好みだから。
 この「がらん」を見て、ひらめく。
 ひらめいたわたしは、とっとと納戸へ入りこみ、奥のほうからキャンプのときに使う折りたたみ式の簡易テーブルを出して、わたしの部屋の「がらん」にひろげる。食卓から椅子1脚と、背もたれのない丸椅子1脚を借りてきて、置く。それらしさが足らないような気がして、国語辞典、漢和辞典、広辞苑をならべる。これだけで、たいそうそれらしくなった。
 それらしいという、それとは何か。ついさっき、居間にひろがっていた見慣れた風景を目あたらしいものにするためのそれ。わたしはここへ、自習コーナーをこしらえたつもりなのだ。だから、それらしいとは、自習コーナーらしさを指している。
 居間で仕事をひろげたり、手仕事したり、勉強するのもよかろうと思うけれども、もう少し神妙な、図書館の自習室のような場があってもいいような気がして。

「わたしの部屋に、皆さんが使える自習コーナーを設けました。どうぞ使ってください」
 一同、「何それ」という表情で立ちあがり、見学にやってくる。
「もう、きてもかまわない?」と、ひとりが云う。
「決まりはあるんですか?」と、もうひとりが云う。
「椅子、ふたつだね」と、またひとりが云う。
「どうぞ、いつでもいらしてください。決まりはですね……、音楽なし。食べもの? そうですね、飲みものは持ってきてもいいことにします。3人めになったひとは、椅子を持ってきてくださいな」

 目あたらしい風景は、こんなだ。
 宿題をする者が「ペン習字」をする者にそっと質問したり、書類をつくっていたはずの者がわたしの書架の本を読んでいたり。ときどき、「パソコン貸して」と机を追われてわたしが学習コーナーで手紙書きをするようなこともあった。
 困るのは、それぞれの荷物や帖面を置いたままにすることで、途中で「明窓浄几 置き勉禁止」(※)と書いた紙を貼りだした。

 開設時から、このコーナーは期間限定にしようと決めていた。このちょっと愉快なコーナーが見慣れたものに変わり、もとめていたはずの目あたらしさが消えてしまうのでは、つまらないと思えたからだ。
 春休みがおわる4月はじめには閉じるつもりだった。けれども、3月に東日本大震災が起こり、この特設自習コーナーがとつぜん切実な場となった。家にいるときはここにあつまり、作業や勉強をすることが多くなっていた。被災地を思う気持ち、余震への不安感を抱えている者同士、身を寄せあってそこにある、という風景だった。
 このテーブルをたたんで納戸にしまったのは、桜花もすっかり散った4月も後半のことである。

※明窓浄几(めいそうじょうき)
 明るい窓ときよらかな机。明るく、きよらかな(整理整頓された)机、書斎を指して云う。
※置き勉
 教室に教科書(その他の資料)を置くこと。学校からのプリントにも「置き勉はだめ。置いてよいことになっているもの以外は、家に持ち帰ろう」などと記されている。

Photo
わたしの机から、ふり返って見た
「特設自習コーナー」です。
夏休みになったら、またこれを設けようかと
考えています。

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2011年4月19日 (火)

生きなおす〈引用ノート4〉

 「そなたは、世の中に完全なものなど、無いと思うてくれるか、わたしは、
  完全を願うたが、欠けてしまった、挫折してしもうた、
  今では、三斎どのの灯籠のことを思い出すたびに、早くも、完全をきらった
  その心が、見事に思われるのじゃ、
  ことごとくのものが揃う、手にはいる、などという完全な幸福は、どこに  
  もありはしないのだ、この世は、どこか欠けている、足りないものを
  恨むまいぞ、われらは欠灯籠よりも欠けていることを知っていなければならぬ、
  秀高、秀継家族(※1)も無事、会わずとても、ここに生きておることを喜び
  くれまするよう、くれぐれそなたも自愛してたもれ、
    豪どの
                                         秀家」
   『閉ざされた海——中納言秀家夫人の生涯』(中里恒子著/講談社文芸文庫)

 わたしが出版社に勤めていた時代、あらゆる原稿が、多く万年筆や鉛筆による手書きだった。ファクスというのもなかったから、原稿はいただきに、うかがう。駆けだしの仕事と云えば、だから、原稿とりである。あれくらい緊張する仕事もなかった。
 生きて動いている作家——この表現は失礼にあたるかもしれないが、まさしくそれが実感だった——の前で、当時携えていた礼節という礼節をかき集めてふるまい、原稿を押しいただくのが第一の緊張。原稿をしまった鞄を抱くようにしながらの帰路が第二の緊張。入稿は先輩の手によってされたが、初校(最初の校正刷り)の「読み合わせ」(※2)が第三の緊張であった。
 中里恒子さんの小説の「読み合わせ」も幾度したか知れない。「読み合わせ」は2人1組の仕事だ。原稿と、刷り上がったゲラ(校正刷り、校正紙)とにちがいがないかどうか、読んで合わせてたしかめる、校正の第一関門だ。

 ——たとえば、冒頭のは、こう読み合わせる。

(かぎ) そなたは (てん) よのなかに (よとなかが漢字) かんぜんな(かんぜんが漢字) ものなど (てん) ないと (ないが漢字) おもうてくれるか (てん) わたしは (わたしは仮名)(てん) かんぜんをねごうたが (てん)

 このように、原稿を読んでゆく、声にだして。もうひとりは、校正紙を見ている。
(てん)ばかり、やけに多い文章だと思った。ことに、話ことばをおさめた「 」のなかに(。)はひとつも存在せず、「 」のなかは必ず(、)でおわる。初めてそれに接したとき、先輩にそっとおしえられた。
「これが、中里恒子さんの原稿のかたちなのよ。作家の、この『型』は、どんな場合もそのままに。魂が宿ってるからね。さ、じゃ、読んで」

 ふと、「、」の打ち方にも格調を感じさせる「中里恒子」の小説を読みたくてたまらないような気持ちになった。こういうのは、記憶のなかにしまわれた本のならびが、ある1冊を押しだしてよこす一種運命的なものだ。
 しかも、あれかこれかということもなく、『中納言秀家夫人の生涯』がさしだされた。わたしがその名でおぼえていたこの本、もとは『閉ざされた海』という書名であったらしい(現在、全集には、『閉ざされた海』で収録されている)。主人公は、宇喜多秀家とその夫人豪姫、いや、島流しになる夫と残らなければならなかった妻の、海を隔てた絆であることを鑑(かんが)みれば、たしかにもとの書名のほうがしっくりする。

 ここから数行、あらすじを書かせていただくが、それを邪魔と思う読者におかれては、目をつむっていただきたくお願いする。
 前田利家の四女として生まれ、太閤秀吉の養女となった豪姫は、若き武将・宇喜多秀家に嫁ぐ。戦国の世の大名一家の結婚といえば、ほとんど政略的なもので、良人(おっと)はともかく妻にはほとんど選ぶ権利などない、非人間的なものが通例であったが、ふたりには同じ城中に暮らした幼な友だちという親しみがあった。幸せに満ちた十数年ののち、関ヶ原の戦いに破れ、秀家は孤島八丈島に流され、豪姫はひとり加賀の地にうつり住む……。

 冒頭の引用は、久しぶりに秀家が奥方にあてた便り——年数度の御用船で行き来する——の一部である。
 ここへ出てくる「欠灯籠(かけとうろう)」とは、千利休の秘蔵の灯籠のこと。天下一とも称されたこの灯籠を、太閤秀吉と細川三斎(※3)とに所望されたとき、利休は、わざと裏面を欠いて疵ものとし、秀吉の請いを逃れたのだった。自決の前に、利休はそれを三斎に贈ったが、三斎は自庭に据えてから、さらに、わらび手、灯口を欠いたという。三斎が、完全をきらって欠いたのだ。
 ものがたりのなかの、この便りのくだりは忘れていたが、まことに心情あふれる話だ。この胸にたたみなおさなければならない話でもある。
「わざと欠く」には及ばない。多くを求めるこころをおさめるだけで、めあてをどこに据えるかを見直すだけで、足りるように思う。「東日本大震災」を経験したわたしたちは、完全なるものの儚さをよく知る存在になったからだ。

 いつも思うことだが、読書にはどれほど救われるだろう。このたびのはまた、ありがたさの上に十重二十重の不思議がかぶさった。戦国の世のうたかたの栄華ののち、絶望、いや終焉とも思えるところから生きなおした宇喜多秀家の姿。長い歳月を加賀に埋もれて暮らすことになった豪姫——その後宇喜多秀家夫人へ、樹正院へと変わる——のこころに揺るぎなく在りつづけた、秀家とともに生きるという一途な思い。このふたつは、この時代をたいそう勇気づけるもののように思われて。

※1 宇喜多秀高、秀継
   秀家の長男と次男。父とともに島に渡る。家臣、下男、乳母のほか、加賀
   前田家の配慮で、侍医・村田道珍斎を伴い、一行13人。皆、島にて生涯
   をおくる。
※2 読み合わせ
   データ入稿が多くなったいま、「読み合わせ」の作業がどれほど行なわれ   
     ているか正確にはわからないが、おそらく稀少なものとなっているはずだ。
※3 細川三斎
   (細川忠興/1563−1646)戦国武将として多くの主君に仕えながら、細川
   氏を生き延びさせた。文化人でもあり、千利休に師事、『細川三斎茶書』  を 
     残している。夫人は、明智光秀の3女玉子(細川ガラシャ)。

Photo
八丈島に流された秀家一行は、
村人をたよって、山へゆく者、浜へゆく者、
畑仕事をする者と、それぞれの好みで仕事を分担した。
秀家は、菰(こも/むしろのこと)を編むのを得意とした。
島では、持てるものは分けあうのが自然のことで、
村人は、魚でも貝でも、山のものでも、
秀家に差しいれる。

読書しているわたしのもとにも、
岡山県瀬戸内市牛窓から山のものが届いた。
わらびと、小さな筍と。
友人のこの心づくし、
「もっとも人間的な幸福」だと感じる。

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2011年4月12日 (火)

日々のしおり…4月11日(月)

 4月11日(月)
 ひと月がたつ、きょう。
「東日本大震災」が起きてから、ひと月。長かった……とも云えるし、あっという間だったとも云える。が、時の長短など、誰も考えてはおらず、ひと月の重みをそれぞれに抱えて立っているのが「いま」だという気がしている。

 夫が朝から仕事に出かけ、夕方もどってきた。
「震災後、電車に乗って出かけたのは2度めだったよ」と、夫。
 自宅の仕事場にこもって映画の編集作業をしていたからだが、そうか、電車は2度だったのか。 
「久しぶりにSuica(ICカード)をチャージして、社会のオール電化ぶりに驚いた。ぼくもだけど、みんな、慣れきってる……」

 ともに1958年(昭和33年)の生まれの夫とわたしは、おぼえている。
 何をおぼえているかといえば、電車に乗るときには駅の窓口で行き先を告げて切符を買い、改札口ではそれにぱちんとはさみを入れてもらったことを、である。バスには黒革のかばんを斜めがけにした車掌が乗っていて、回数券でも切符でもそこからとり出して、わたしてくれた。切符は、やはりぱちんだった。
 あれよあれよという間に電化がすすみ、わたしたちはパネルや、無人の改札口相手に、切符を買ったり、検札を受けるようになった。改札が無人になったとき、新聞である老婦人の投書を読んだ。そのひとは、出発の駅の改札口に切符をさしこんだが、切符はそのままにして電車に乗ったこと、そうして、到着の駅の改札口を(切符がないから)通過できなかったことを、書いている。
「電車に乗る前に改札に入れた切符は、行き先の改札に届いていると思っていました」と。
 この投書を読んで、「そんなはずないじゃないか」と笑うひとがいたとしたら、それは、過去の改札風景を知らない世代のひとだろう。わたしは、この投書に深く共感し、身につまされもした。昔を知っている者にとって、改札に切符が飲みこまれるというのなんかは、魔法に等しかった。

 ICカードというのにも、なかなか手が出なかった。とうとう使ってみようと決心したときには、滑稽な目に遭ったなあ。
 あれは何年前のことだったか。用事で出かける夫に買いものをたのむメモをわたした。夕方、夫は、たのんだモノを残らず抱え、おまけに西瓜をぶら下げて帰ってきた。
「いい西瓜でしょ」と、得意顔に網に入った西瓜を持ち上げて見せる。
「……西瓜?」とつぶやきながら、わたしはやっと気づく。
 スイカ(Suica)という名のICカードを頼んだつもりだったが、夫はスイカを西瓜と思って買ったのだ。この西瓜事件は、わたしのなかに、滑稽なものとは別の何かも植えつけた。その後また、しばらくICカードを持たずに、その便利さにも、無味な一面にも触れずに過したのだった。

 思わぬ滑稽な昔語りをしてしまったが。
 わたしは……、ICカードも、自動改札も、自動販売機もない時代を知っている。コンビニエンスストアも、スーパーマーケットもなかったころを生きていた。けれど、生まれたときからテレビ(白黒の)も、冷蔵庫(冷凍庫はない)も、洗濯機(脱水機はついていない)はあった。電化製品のまったくなかった時代は、知らないというわけだ。
 もっと云えば戦争を知らない。
 自分が経験していないことばかりは、書物や映像や、ひとの話によってしかすることができない。そして、いまほど経験というものの重みを感じたことはなかった。経験を手がかりに、「これから」をさがすという意味において。
 戦争を知る70歳以上の人びとはその経験をもとに、これからのすすむ道、生き方をさがしてゆくのかもしれない。1958年生まれのわたしは、わたしなりの経験をもとに……。子どもたちは……。子どもたちは、この時代の経験を胸に刻みながら、この日日のなか、さがしさがし生きてゆく。

                *

 3月11日から、ひと月をめざして「日日のしおり」を書いてきました。
 その思いは、まさに百度参り。できることがほとんどなかった日日にも、ひと日ひと日を綴ることを祈りとして過してきました。そうすることで、いくらか冷静でいることもできたのではないかと思います。
「日日のしおり」ということばは、末の娘の名「栞」から思いついたものです。現在13歳(中学2年)の子どもも、日日、「これから」をさがしながら生きています。この世に生まれてから10年と少しのこの存在が、いまのわたしと同じ52歳になったころ、どんな日本に……、どんな世界に……なっているか。託す思いもこめて、名前を貸してもらいました。
「日日のしおり」へのたくさんのおたよりにも、感謝しています。学びと、誓いとをここでたしかめ、交わすことができたこと、忘れません。
 ひと月たったので、ここに「日日のしおり」はたたみます。が、百日参りですから、百日、わたしの手もとで記録はつづけるつもりです。
 どうか百日めには、いまの苦難が、それぞれの解決の道筋をみつけていますように。……と祈りながら。
                             山本ふみこ  

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2011年4月11日 (月)

日日のしおり…4月8日(金)~10日(日)

 4月8日(金)
 昨夜、23時半ごろ、また揺れた。
(東日本大震災の)余震……?
 もう床について眠っていたが、揺れるなり目が覚めて、覚めるなりうろたえた。ここが揺れるのはかまわない。けれど、もう、東北地方と北関東は揺らさないでほしい。……と思ってうろたえたのである。揺れは、こちらで引き受けさせてください、と祈りながら、闇のなかでじっとしていた。

 けれど今朝、昨夜の揺れは宮城県で震度6強、震源地は宮城県牡鹿半島の東だと知った。今朝未明時点で、青森、岩手、秋田県の全域と、宮城、山形県の一部で停電しているらしい。先の地震で倒壊しかけた建物に、昨夜の揺れは、さらに打撃を加えた。
 かすかな揺れでも、彼の地の人びとにとって、それはどれほどの恐怖だろうか。自らを励まして立ち上がろうとしているこころを、どれほどがっかりさせただろうか。どうか、昨夜の分の睡眠をどこかでとりもどして、そして……、小さなやすらぎをみつけて……。
 さあ、わたしは仕事だ。
 このところ気がつくとこころが虚ろなものに占拠されている。虚ろは、今朝、さらにひろがっているけれど、なんとか踏みとどまっているのは、休まず書いているからだ。日常のルーティンワークをつづけているからだ。

 朝方、友人夫妻から電話。
 届けたいものがある、と云う。はて、何だろう、と思いながら、待つともなく待っている。
 あたまのなかに、明るいふたりの顔をならべたら、地震のあと、会うのは初めてだと気づく。
 そうして、ふたりは来てくれた。あふれるように花をつけた桜の枝を抱えて。庭の桜を切ってくれたのだ。これを届けてくれようとした思いは、ことしの春の思いである。夫妻とわたしたち夫婦の4人、男同士女同士てんでに話しながら、ひと月前のお互いとはちがうお互いになったことをたしかめ合っている。
 桜の枝を抱くと、湧く。つぎの春、つぎのつぎの春、つぎのつぎのつぎの……。

 4月9日(土)
 このごろ、生姜に凝っている。
 生姜すろうか、刻もうか、という台所での思案のほかにも、紅茶に生姜汁を加えたり、すりおろした生姜をさらしの袋に入れて湯船に沈めたり。
 冬のあいだは少しも寒さを感じなかった。冬といえばこんなものだろうと思っていたし、からだを動かせばすぐ、からだはぽかぽかとあたたまった。腰だけは冷やさないようにしているが、わたしはかなり薄着だ。起きだしてきた家の者たちに「お母さん、きょう、寒い?」と聞かれる朝でも、半袖でいたりするので、「あ、いい、いい。そんな恰好のひとに気温のことを聞いてもはじまらないや」と、云われる。
 配達のひとに呼ばれ、家の前に出てゆくときも、ぎょっとされることがある。「寒」という顔。それで、パーカーを腰に巻いておくことにした。外から呼ばれたら、急いでそれをはおって出る。腰のパーカーは、わたしの唯一の世間体かもしれない。
 それが、どうだろう。
 ことし、春がやってきたと思った途端、寒さを感じた。暖房器具を早ばやと片してしまったからでもあるだろうが、なんだか、やけに冷えるのだ。いろいろ考えて、生姜を思いついたというわけだった。
 何かにすがりたかったのかな、とも思う。

□生姜ごはん〈2人分〉
米(いつもの水加減をしておく)……………………1カップと半分
生姜………………………………………………………1片
酒…………………………………………………………大さじ1
しょうゆ…………………………………………………大さじ1
昆布………………………………………………………10cm1枚
①生姜の皮をむき、薄切りしてそれをせん切りにする。
②米の水加減から、水を大さじ2減らし(加える酒としょうゆの分)、そこに
酒としょうゆ、昆布を入れてひと混ぜする。
③②に、①をのせて、ご飯を炊く。
④米が炊きあがったら、ぬらしたしゃもじで大きく混ぜる。
※生姜の量は、好みでふやします。上記の生姜は、子どもの口にもやさしい
分量です。
※生姜の甘酢漬けをみじん切りにして、炊きあがったご飯に混ぜこむ生姜ご飯も、おいしいです。 

 4月10日(日)
 朝のうちに、うちで選挙権のある4人でぞろぞろ投票へ。
 投票所になっている小学校の校庭では、子どもたちがそろいのユニフォームを着て、野球の練習試合をしている。子どもたちの運動の風景に、しばし立ちどまって見入る。目の前の小さいひとたちのこころも、ひと月あまり前の出来事、その日からきょうまでのことを受けとめているにちがいない。感性を耕して、知恵深くあたたかい大人になっておくれね。
(わたしも耕し耕して、知恵深くあたたかいおばあさんになる。約束ね)。


Photo

ことしの春の、思い。
ことしの春の、さくら。

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2011年4月 8日 (金)

日日のしおり…4月6日(水)~7日(木)

 4月6日(水)
 新年度がはじまる。
 きょうは、末娘も始業式だ。いつもと変わりない白いブラウスに紺色のスーツの制服姿だが、どこかちがって見える。中学1年から中学2年になるそのあいだに、大震災は起こり、それは、この新年度の意味合いにぐっと重みを加えた。子どもたちのこころは傷ついてもいようけれど、どうか大震災の経験が、人格にあたたかみと叡智をもたらすことを祈りたい。 
 娘のはなしによると、登校したらまず、1年のときと同じクラスの教室に行き、そこで、新学年のクラス分けが発表されるのだそうだ。胸のなかでは、中学2年の1年間への思いが駆けめぐっているらしいけれど、口には出さない。顔だけ、やけに上気している。そういう様子を眺めさせてもらうだけで、新年度がわたしのもとにも降りてくる思いがする。
 進級もクラス替えもないわたしの新年度。そこはそれ、自分で「新」を紡ぐほかなさそうだ。そう、自分で。けれど、紡ぎたいことなら、いくらでもある。まわりを不快にさせ、いや、まわりだけではなくて自分自身を密かに悩ませる欠点、悪しき癖をなおすこともそうだし、いろいろの上達や、縁に結ばれた事ごとへの挑戦や。

 午後、呼び鈴が鳴った。
 降りてゆくと、門の前にN氏が立っていた。N氏は、わたしの数少ない男友だちのひとりだ。
「この酒を、ふたりに呑んでもらおうと思って」 
 と、瓶の包みをぐっとさしだす。酒は方便で、何かを告げるためにここへやってきたのだ、彼は。
「3月31日に店を閉めたよ」
「……」
「プー太郎になった」 
「お店、何年つづけたのだった?」
「……親父の代と合わせて、45年かな」
 一家で支えてきた商店が、途中でコンビニエンスストアになり、そうなったが故の苦心もかさねたけれど、昨年閉店を決めたらしいと、風のたよりで知った。けれど、ほんとうにあの店はなくなったのだな。コンビニエンスストアになってからも、部分的に商店時代の名残りの品揃えをつづけていた。それに、おばさんのつくる総菜は、近所の食卓をおおいに助けてきた。
 N氏は、これからのことはまだ決まっていないが、引っ越すことになるだろうと云った。いまはまだ語れぬことをいくつも抱えているらしく、ことば少なだ。彼がつぶやいた「梯子(はしご)をはずされた」ということばが、わたしの胸に刺さる。梯子をはずしたのは、時代の流れだろうか。N氏は、商売を、つづけたかった……?
「だけど、いつか、梯子をはずされたことも、よかったのかもしれないと思えるようにしたいと思うよ」
 玄関先での、10分ほどの会話だった。

 4月7日(木)
 けんちゃん。
 台所の流し台の上に坐って文句も云わずに働いてくれていたけんちゃんを、ひとりで抱き上げ、書斎の机の下に運んだのは、3月15日のことだ。大事なけんちゃんではあるが、おそらくこれまでのようにはもう、働いてもらうことができない。彼は……、けんちゃんは、食器洗い乾燥機であり、電気で動く。
「ごめんね。電気を使えない事態なの。けんちゃんには休んでもらわないと」
 けんちゃんに「ごめんね」と云ったあと、わたしはなぜか、家の誰にも告げずに、えいやっとひとりでこっそり彼を運んだのだった。かかわりというものの空しい一面を思い知らされ、それをことばにすることができなかったからだ。けんちゃんに助けられていた歳月をどう考えたらいいか、考えはじめると、気がふさぎそうだった。
 けんちゃんはそれから、ずっと書斎に隠れるように佇んでいる。
 しかしきょう、思いついたのだ。手もとに毎日がさっと集まってくる印刷物を分類して、ふさわしい場所にしまおうとして、ふと。
 印刷物の多くはぺらっとA4サイズ1枚の紙切れであるのに、わたしをときにぐりぐりと追いつめる。追いつめられた経験から、ほんとうに必要なのか、とっておいたほうがいいのか、あとでよく読もうか、と千千(ちぢ)に思い乱れて、杳(よう)として整理がすすまない。
 こうした印刷物は、仕事関係のものばかりでなく、子どもの通う学校から保護者宛ての資料、PTAの会報などもあって、自分がその内容を把握しているのかどうかいちいち不安になる。
「ING」の箱——進行中の事柄に関する印刷物を入れる——にかさりかさりと入れておくのだが、箱のなかの分類は芳しくない。
 新年度、学校からがさっと持ち帰ってきた印刷物を抱えながら右往左往しているときに思いだしたのが、けんちゃんの存在だった。もともと彼は、皿を1枚1枚区切って体内に収める仕組みをもっている。
 けんちゃんに、また、助けてもらおう。分類したファイルを引き受けてもらおう。先の仕事とはずいぶん異なる仕事にはなるけれど、わたしには、けんちゃんをほかすことはできないし、また、無職のままぼんやりさせることもできないもの。
 さあ、このあたりで筆を置こう。けんちゃんとの仕事が待っている。

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2011年4月 6日 (水)

日日のしおり…4月5日(火)

 4月5日(火)
 気がつくと、息を詰めている。
 仕事をしているときも。誰かと話しているときも。台所で剥いたり切ったり混ぜたりしているときでさえ、知らず知らず(息を)詰めている。
(あ、また詰めてる)と気づいて、自分を観察すると、そういうときは決まって首や肩に、胸に、力が入っている。一日のうち、かなり多くの時間、息を詰め、からだに力を入れて過していることがわかる。緊張の、連続だ。
 呼吸ひとつうまくできずに緊張しつづけているなんて……。現代人の悪癖のひとつだろう。
「あの日」からこっち、緊張の度合いが増したように思う。ますます呼吸が下手になり、息を詰めてばかりいる。詰めた分の息が、被災地のために使われるというなら、詰めた息にも価値があろうけれども、もちろんそんなことはない。こちらの消耗が激しくなって、こころやからだ、自分の過す時間など、いろいろのリズムが狂うばかりだ。久しくひくことのなかった風邪をひいたり、肩や腕が痛くなったのも、そのあらわれではないかと、思いはじめている。
 深呼吸。
 こういうときこそ、深呼吸。
 そうしてからだの力を抜いて考えをめぐらせば、もっとおおらかな知恵が生まれるかもしれない。——朝いちばんに、ふと気がついたこと。

 おととい、白菜のシチュウを大鍋にどっさりこしらえた。しなびかけた白菜を分けてもらったからだったが、白菜は、しなびたっておいしい。ろうそくの灯りの下、5人皆おかわりをして、つまり10皿分食べる。
 昨日は、グラタン。大鍋にまだたくさん残っている白菜のシチュウに、ゆで卵とほうれんそう、蒸し鶏を足して、焼いたのだ。表面にパン粉をふって。器は釜飯の釜だ。
 そして今朝。マカロニクリームコロッケを揚げて、弁当のおかずにする。昨日のグラタンソースに茹でたマカロニ(少し刻んで)とじゃがいもを加え、まるめる。小麦粉、とき卵、パン粉をつけて、じゅっと揚げたのだ。かたちこそいびつでへんてこだが、おいしくてちょっとたのしいおかずができた。
 このたびは、三変化(さんへんげ)だったけれど、白菜のスープからはじめて、途中枝分かれさせてカレー・コースもつくれば、五変化までいけたかもしれない。
 ろうそく——「置きっぱなし禁止」の約束で、もっぱら、ひとのいる食卓と浴室で使っている——の灯りは、不出来やら、ごまかしやらをそっと隠してくれる。へんてこな三変化の献立も、ほの暗い食卓の上で、存分に力を発揮してくれたような。

〈お知らせ〉
 静岡県藤枝市にて、小さなサロンをひらいていただくこととなりました。以前から、わたしが尊敬してやまないハイホームス(建設会社)の代表・杉村喜美雄さんの企画です。
 杉村さんは育暮家(いくぼーや)を名のって、家や暮らしを自分自身に問いかけようと、そっと確かに呼びかけておられます。杉村さんとハイホームスの皆さんが再生させた藤枝市の大沢地区にある古民家「青野さんっち」で、小さな会をひらきます。

日時:2011年4月29日(金)
    第一部…午前10時30分から午後1時(昼食つき)
     みんなでいっしょに竃でご飯を炊き、味噌汁をつくり(あとは
     漬けものや、地元の野菜でこしらえる小さなおかず)、昼食を。
    第二部…午後1時から午後3時30分
     わたしの話や朗読、みなさんとの質疑応答のひととき。
場所:大沢「青野さんっち」 静岡県藤枝市西方字笹畑1999−3
    ※カーナビで検索する場合は「青野さんっち」隣家の住所の
     「静岡県藤枝市西方2066」で実行。
集合:車の方は直接「青野さんっち」へ。駐車場あります。
    電車の方はJR藤枝駅から現地まで車で送迎(約30分)
    ※第一部から参加の方の迎え/JR藤枝駅南口 午前10時発
      第二部から参加の方の迎え/JR藤枝駅南口 午後12時30分発
        終了後の送り/JR藤枝駅南口 午後5時着
参加費:全部参加の方2000円(昼食代+お菓子代ほか)
      第二部から参加の方1000円(お菓子代ほか)
問い合わせ・申しこみ:ハイホームス(杉村さん)
     メールの場合  hihomes@tokai.or.jp
          電話の場合   054−636−6611
締切:4月25日 定員20名

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2011年4月 5日 (火)

日日のしおり…4月4日(月)

 4月4日(月)
「痛」
 この痛み、じつは10日ほど前からつづいていたのだけれど、病院に行くほどではない……と、思いたくて、耐えていた。
 でも、顔を洗おうと、こうして……、両手ですくった水を顔に近づけたとき、痛くて顔を洗うどころではなくなるに及んで、ああ、これは病院だと思い至った。右肩から、腕にかけての痛み。何でもないこともあるのだが、ふとしたときに、堪えがたいほどの痛みに襲われる。「痛」。
 病院の待合室の椅子の上で、(これがどんなにやっかいな病気でも……)と、自分に云い聞かせていた。大震災の、原発被害の、直接ふりかかる皆さんとともに耐えてみせる、と。
「そうですか。かなり痛みがあるのですね。それでは、まずレントゲンを撮りましょう。レントゲンを撮ったあと、また、ここへお戻りください」という医師のことばに見送られて、右肩から腕にかけての写真を2枚(裏表)撮る。
 ふたたび、名を呼ばれ、診察室へ。
「運動をはじめたり、何か、変わったことがありますよね」と、医師。
「はい。2月のはじめから筋トレをはじめまして。毎日30分というのを、つづけてきました」
「痛くなってからも……?」
「ええ。痛くなってからも」
 ちょっと得意げに。
 痛みをこらえて、時には唸りながら運動していた自分を思いだしながら、「ええ、そうです」と。
 医師は咳払いをし、ゆっくりこう云った。
「右肩に、傷があると思ってください。そこで、筋トレをつづけるというのは、傷をほじくっているようなものなんです。……休んでください」
「……」
 医師と、そばに立つ看護師が、笑いを堪えきれずに顔をゆがめている。えー? 笑われているのか、わたし?
 しょんぼり、家に向かって歩きながら、(どうして痛みをこらえてまで筋トレをつづけていたのかというとね)と、誰に云うともなく、つぶやきつぶやき。
(はじめたときは、自分の運動能力を上げ、からだをつくりたいという思いからだったけれど。「あの日」からは、がれきをこう、がっと持ち上げたり、お年寄りをおんぶしたりする自分をイメージして、鍛えていたんだもの)。
 だけど、だけど。ひとに云われる前に自分で云おう。
 阿呆か。

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2011年4月 4日 (月)

日日のしおり…4月1日(金)~3日(日)

 4月1日(金)
 ママレードをつくる。
 仕事がさっぱりすすまなくて、ほんとうなら机に向かっているはずの時間を、捧げて。
 ついさっきまでしようとしていた仕事がわたしにもとめているのは、ひとつ屋根の下に在る甘やかなものについて書くこと。編集者に云わせると、英語の「mellow」という感じだそうだ。わたしが、家族というものに、親子のあいだに、そして夫婦のあいだに期待しているのが、甘みではないことを自分でよく知っているのだが。けれどふと、自分が期待しているものを甘やかに書いてみたい……という思いが湧いた。
 わたしが期待するもの。それは、一見いびつに見えるものが放つ光だ。
 書こうとすると、それはなかなかにむずかしかった。それで、すごすごと逃げだして、ママレードづくりに精をだしている。夫の実家の庭に実った、素朴な夏みかんは、愛想こそないが質実剛健。そんな夏みかんを皮まですっかり食べようと思い、これまでも、実を食べたあと、皮がしなびてしまわないうちに刻んで干してきたのだけれど、とうとうママレードだ。

□ママレード(夏みかん)
夏みかんの皮……………………………………………3個分
夏みかんの実(なかの袋から実を出しておく)……1個分
砂糖………………………………夏みかんの皮の重さの60%
水………………………………………………………6カップ
①夏みかんの皮の内側の白い部分をこそげとり、うすく刻む。
②①をボウルに入れて水をそそぎ、ぎゅっと揉むように洗う。そして絞る。これを3回ほどくりかえす。
③②を鍋に入れて茹でる。煮立ったら湯を捨てて、もう一度水を入れて茹でる。
④こうしてくり返し茹でた皮を水洗いしてよくしぼり、ここ(ホーローの鍋)に夏みかんの実と、分量の水を加えて1時間以上置く(夜やすむ前にこうしておき、翌朝から煮てもよい)。
⑤このまま、30分茹でる(弱めの中火。ふたはしない)。
⑥砂糖を何度かに分けて加えながら20分煮る。この20分間は木杓子で混ぜながら、強めの中火で。火からおろして、さます。
⑦煮沸消毒した瓶につめ、ふたをして保存のための煮沸消毒する(この方法は、「来年、また会う日まで」を参照)。

 朝のうちに、手順①から④までの仕事をし、3時間ばかり夏みかんの実と水と合わせて置いておいた。
 それをゆっくり茹でたり煮たりしながら、わたしはガス台の前をはなれなかった。おそろしくぜいたくな時間を過していることを、おぼえつつ。でき上がりを口にすると、それはまっすぐなママレードだった。甘さのなかにほどよいほろ苦さが混ざっている。
 このほろ苦さが、好きだ。……と満足しながら、ここに逃げだしてくる前に机の前でしていた仕事のことを思いだした。(ああ。ママレードのほろ苦さを、原稿の上にも実現できれば……)。

 4月2日(土)
 夫が朝から、しきりにぶつぶつ独り言をつぶやいている。
 すれちがいざまに「◯◯◯……」、声をかけようとするときも「◯◯◯……」、仕事のとびら越しにまた「◯◯◯……」と、ぶつぶつが聞こえる。
「……何て云ってるの?」
「こうぶんしぽりまー」
「え?」
「こうぶんしぽりまー」
「それを、ずっとぶつぶつ?」
「そ」

 そのことばをつぶやいたとき、友人のシモダさんを思いだしたんだそうだ。シモダさんは芸術家だ。彼の描く絵は、いまや多くのひとに愛されていて、その絵を焼きつけたグラスや皿までできて、うちにも、それはある。シモダさんは「自閉症」で、ここ数年、夫が撮影対象にしてきた「アウトサイダー・アート」(※)の作家のひとりだ。
「最近、気がつくと、シモダさんの真似をしてるんだよね、ぼく」と夫。
 聞けば、シモダさんは、ひとつのことば——おそらく気に入ったリズムの、ことば——を、くり返しくり返しつぶやく。そして、それを真似してみると、気持ちがおちつくんだそうだ。
 他人のリズムに合わせなくてもいいんだと、思えるからだろうか。ふーん。
 さて、「こうぶんしぽりまー」とは、何か。「高分子ポリマー」。
 福島原発2号機の取水口付近にあるピット(立て坑)側面の約20cmの亀裂——ここから高い放射線量の汚染水が海に流出している——を特殊な樹脂等でふさぐ作業を実施するという。この特殊な樹脂がポリマーだ。吸水性のあるポリマーは、分子の網目がひろがることで体積の1000倍程度の水を吸収でき、紙おむつなどに使われている(毎日新聞より)。
 わたしたちに馴染みのある物質が活躍を期待されていることに、なんともいえない気持ちにさせられる。がんばって、こうぶんしぽりまー。

※アウトサイダー・アート
正規の美術教育を受けていない独学の表現者たちが、自分のために創作した作品をさす。1900年代はじめにヨーロッパで「発見」されたこのアートは、20世紀を代表する大芸術家たちに多大な影響を与えた。フランス語では「アール・ブリュット」と呼ばれる。21世紀に入り、日本でもさまざまな場所で「アウトサイダー・アート」の表現者が「発見」され、注目をあつめている。

 4月3日(日)
 昼過ぎから、散歩。
 きょうは、2月上旬の陽気とのこと。寒い。
 けれど、この寒さのなか、通りの桜並木が咲いている。桜のことを忘れていた身からすると、それは驚く光景だった。
 桜花は、不思議だ。
 いつも、咲くころの「とき」を察しているように思える。見上げると、桜花はそっと静かに咲きはじめている。この静かな花を手向(たむ)けたい「無数の人びと」を、数字などでなく、ひとつひとつ魂の重みで思いたい。

Photo
シモダさん=「下田賢宗(しもだ・たかひろ)」
「イクラ模様のパジャマが着たい」というシモダさんの
こだわりは強烈で、とうとう、自分で布にイクラ模様を描き、
縫ってつくっちゃった!
そのイクラ模様のパジャマの絵のついたグラスと、
つい最近、夫がもとめてきた、これまたシモダさんの絵皿です。

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2011年4月 1日 (金)

日日のしおり…3月31日(木)

 3月31日(木)
 3月がおわる。
 ふり返るのが恐ろしい。でも、ゆっくり首をまわして、うしろを……見なければ。忘れてはいけないことがある。確かめなければならないことがある。考えなおさなければいけないことも。
 その日のその瞬間を境に、すっかり存りようを変えざるを得ない目に遭ったたくさんの人びとのことを思えば、決して目を逸らすわけにはいかない。

 きょうは、決算日。
 2月のおわり近く、わたしは経済について考えていた。夫と自分が中心になって営んでいるこの家の経済についてだ。まったくはずかしいことに、この20年、わたしは家計簿をつけなかった。20年のあいだには、経済が潤沢でない日日があったのにもかかわらず。つけたほうがよかったことは、火を見るよりも明らかだ。では、なぜ、それをしなかったか。
「これ以上、仕事をふやしたくない」というのが、理由だった。
 約(つま)しく暮らしてきたつもりだ。が、「ほんとうに?」と問われたら、それを証明することができない。家計簿をつけていないのだから。
「ほんとうに?」と問うたのは、わたし自身だったのかもしれない。自分で自分に「あなたは、ほんとうに約しく暮らしているのか。だとしたら、それを数字で証明したらどうか」と。
 数字が苦手なわたしが家計簿をつけるとなると、つける前からこんがらかるのが目に見えている。けれど、24歳で主婦になってから10年ほどは家計簿をつけていた。それは、会社勤めで収入がはっきりしていた時代とかさなっている。わたしが家計簿をからはなれてしまったのは、独立してフリーランスの立場で仕事をするようになってからだ。収入の時期はまちまちになり、勘にたよって収支の辻褄(つじつま)を合わせてきたのだった。
 いんちきを混ぜながらも家計簿をつけていたころの、あの数字とのやりとり、こんがらかりは、なつかしい。「なぜ、そういう数が出てくるのよ」と自分で計算して出した数字に毒づくことも少なくはなかったけれど、しっくりとおさまって互いにうなずき合うときは、うれしかった。数字がぞろりとわたしを見上げ、「やればできるじゃないか」と云ってくれているようだった。
 よし、また、あれをやろう。……と決心した。数字との親睦をとりもどし、この暮らしの状態をみつめよう。

 わたしがまずしたことは、100円ショップに出かけていき、ファスナー付きの小型の袋7つもとめたこと。
 7つの袋には、それぞれこう記した。
① 食費・住の消耗品
② 衣服
③ 医療・衛生品
④ 交際・娯楽
⑤ 水道・ガス・電気・電話など
⑥ 新聞・本
⑦ 臨時費(交通費、こづかい、寄附・募金も)
※夫とわたしの仕事にかかる経費は、別の決算。

 つまりわたしは、レシート ―レシートの出ない八百屋では、買いものメモに自分で記して― を7つの袋におさめてゆく方式を考えたわけだ。毎日の(家計簿への)記入はせず、月末めざしてレシートを貯める(費目=袋別に)。……そうしてみようと思うんだけど、と相談したとき、夫の目が可笑しそうに見ひらかれたが、気づかなかったことにする。とにかく、できそうなかたちで、やってみないことには。
 さて、きょうの決算は、じつに愉しかった。愉しくこんがらかることができた。20年ぶりの決算を、この月にすることになろうとは。しかし、自分たちのこの月の暮らしぶりが、約しさが数の上にもあらわれていたことには、安堵した。
 この国の復興について、「こう節約ばかりしていては、経済が落ちこんでしまう」とする見方があることを、新聞で知った。なるほど経済は大事だと思う。しかし、「経済大国」と呼ばれていた日本に、わたしはもどらなくてかまわないのではないかと考えている。かまわないどころか、もう、そこは目指さないほうがよい、と考えている。
 ひとつひとつよいものを生みだし、約しくともよいものを選ぶ目をもつに至ったとしても、もう「経済大国」という名では呼ばれないだろうが、「土台頑強国」というのはどうだろう。経済にかぎらず。
 こんなえらそうなことを書いているわたしは、とにかく、決算をつづけよう。

7
7つの袋です。
今月も、つづけます(宣誓)。

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