あらためる
柔軟を装っているが、わたしにはどこか頑(かたくな)なところ、かたまりやすいところがある。それは、父を見ていて、(どうしてこんなことで、これほど頑になるのか……)と思うことが少なくはなく、そういう父にわたしは似ているらしいからだ。父も自分の頑さ、かたまりやすさには気がついているらしい。癖であるのか、気質なのかわからないけれど、それらがあやまちを生まぬよう、自らを戒めてもいるように見える。
それが証拠に、ときどきへんてこなことを云いだすのだ。
「おまえにおしえた雑巾や台布巾の絞り方だが、あれはどうやら逆さまだったようだ。すまなかったね」
という挨拶が、へんてこのはじまりだった。父特有の熱意によっておしえこまれた絞り方を10年近くつづけた揚げ句、あらためよと云われても……。「ええー? 逆さまだったのぉ?」と口をとがらすわたしに向かって、父はこう云った。
「わたしはあらためたよ」
「あらためる」は漢字で書くと、「改める」であり、「革める」だ。「改」はわかりやすいけれど、「革」ともなると、事態は急を告げるようだ。なにしろ革命の「革」だもの。
そうしてこの春、わたしがあらためた事柄は、この「革」の字をあてはめるのがふさわしい「あらためる」だったかもしれない……。
主婦になりたてのころから、この春先まで、わたしは台所の流しに「洗い桶」を置かなかった。「持たない」をめあてに暮らしはじめて、洗い桶については、すぐさま「いらない」と決めこんだ。わたしの最初の本『元気がでる美味しいごはん』(晶文社/1994年)にも、そのことがいともかんたんに書いてある。
「〈持たない主義〉のわたしの家には、台所の洗い桶、生ごみを入れる三角ザル、洗った食器をふせておくカゴ、布巾かけ、テーブルと椅子、ふとん叩き、雑誌ラック、子どもたちの学習机、わたしの机、お手洗いのマット類とスリッパ、がない。ふとんはバドミントンのラケットで叩いているし、学習机はキャビネットに板をわたして代用している。わたしはちゃぶ台で仕事をするか、背の低いチェストの扉をひらいて足をつっこみ(主にワープロ用として)机代わりにするかだ。ええと、ほかにまだあるかなあ」
あのころのわたしは、洗い桶とは何か、なんのためにあるのか、ということを考えてみることをしなかった。そら、それが頑さであろう。かたまりやすさであろう。……と、いまは思う。
さて、初めて書いたその本を読んでくだすった友人のお母上が、「感心しました。あなたのおかげで自分のモノの持ち方を見直したんですよ」と断って、「けれどね、台所の洗い桶だけは持ったほうがいいように思うんですよ」と云われた。
云っていただいたことを忘れたわけではないけれど、それを見直してみる機会を寄せつけないできてしまった。ことしの3月、東日本大震災が、水のありがたみ、電気やガスの使い方ほか、いろいろの見直しを促すまで。
これまで平気の平左でしていたあらゆる無駄づかいに気づいて、恥じつづけた日日。そうして、一度恥じてしまったら、もう、以前のような無駄づかいはできなくなるというわけだった。すぐと気づけたものもあったけれど、ゆっくり知ってゆく無駄づかいも少なくはなかった。
たとえば、台所で。水を使いながら、日に日に違和感を抱くようになってゆく。食器洗い乾燥機の「けんちゃん」は通電せずに仕事を変えたけれど(日日のしおり…4月6日~7日)、わたしの食器洗いは、「けんちゃん」のしてくれていたそれと水の使用量を比べたら、いったい節水になっているのだろうか、と考えさせられることもある。ふと、自分が水を流し放しにしていることにはっと気づくことなど、1日のうち1度や2度ではなかったからだ。
そのときだ。かの日の「台所の洗い桶だけは持ったほうがいいように思うんですよ」というやさしい声がよみがえった。そうだ。洗い桶があれば、そこに水を受けて、あと片づけにも使えるし、ほかにも水の使いみちへつなぐことができる……。何年ぶりの見直しだろうか。なんと、約30年ぶり。やれやれ、何と年月のかかったことか。
けれども、「革める」のに、遅いということはないだろう。気がついたそのときを逃さぬことが何より大事と、いまは思える。
父の真似をして、家の者たちに、挨拶する。
「あらためるよ」
洗い桶。
使わないときには、こんなふうに壁にひっかけておくことにしました。
ブリキのような素材の、軽い洗い桶なのです。
水を張って、そこで下洗いをしたり。
何かを茹でたあとの汁を受けて、あと片づけに
使ったり。
水の流し放しは、洗い桶のおかげで、
ずいぶん少なくなりました。
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