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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2011年5月

2011年5月31日 (火)

あらためる

 柔軟を装っているが、わたしにはどこか頑(かたくな)なところ、かたまりやすいところがある。それは、父を見ていて、(どうしてこんなことで、これほど頑になるのか……)と思うことが少なくはなく、そういう父にわたしは似ているらしいからだ。父も自分の頑さ、かたまりやすさには気がついているらしい。癖であるのか、気質なのかわからないけれど、それらがあやまちを生まぬよう、自らを戒めてもいるように見える。
 それが証拠に、ときどきへんてこなことを云いだすのだ。
「おまえにおしえた雑巾や台布巾の絞り方だが、あれはどうやら逆さまだったようだ。すまなかったね」
 という挨拶が、へんてこのはじまりだった。父特有の熱意によっておしえこまれた絞り方を10年近くつづけた揚げ句、あらためよと云われても……。「ええー? 逆さまだったのぉ?」と口をとがらすわたしに向かって、父はこう云った。
「わたしはあらためたよ」

「あらためる」は漢字で書くと、「改める」であり、「革める」だ。「改」はわかりやすいけれど、「革」ともなると、事態は急を告げるようだ。なにしろ革命の「革」だもの。
 そうしてこの春、わたしがあらためた事柄は、この「革」の字をあてはめるのがふさわしい「あらためる」だったかもしれない……。

 主婦になりたてのころから、この春先まで、わたしは台所の流しに「洗い桶」を置かなかった。「持たない」をめあてに暮らしはじめて、洗い桶については、すぐさま「いらない」と決めこんだ。わたしの最初の本『元気がでる美味しいごはん』(晶文社/1994年)にも、そのことがいともかんたんに書いてある。
「〈持たない主義〉のわたしの家には、台所の洗い桶、生ごみを入れる三角ザル、洗った食器をふせておくカゴ、布巾かけ、テーブルと椅子、ふとん叩き、雑誌ラック、子どもたちの学習机、わたしの机、お手洗いのマット類とスリッパ、がない。ふとんはバドミントンのラケットで叩いているし、学習机はキャビネットに板をわたして代用している。わたしはちゃぶ台で仕事をするか、背の低いチェストの扉をひらいて足をつっこみ(主にワープロ用として)机代わりにするかだ。ええと、ほかにまだあるかなあ」
 あのころのわたしは、洗い桶とは何か、なんのためにあるのか、ということを考えてみることをしなかった。そら、それが頑さであろう。かたまりやすさであろう。……と、いまは思う。
 さて、初めて書いたその本を読んでくだすった友人のお母上が、「感心しました。あなたのおかげで自分のモノの持ち方を見直したんですよ」と断って、「けれどね、台所の洗い桶だけは持ったほうがいいように思うんですよ」と云われた。
 云っていただいたことを忘れたわけではないけれど、それを見直してみる機会を寄せつけないできてしまった。ことしの3月、東日本大震災が、水のありがたみ、電気やガスの使い方ほか、いろいろの見直しを促すまで。  
 これまで平気の平左でしていたあらゆる無駄づかいに気づいて、恥じつづけた日日。そうして、一度恥じてしまったら、もう、以前のような無駄づかいはできなくなるというわけだった。すぐと気づけたものもあったけれど、ゆっくり知ってゆく無駄づかいも少なくはなかった。
 たとえば、台所で。水を使いながら、日に日に違和感を抱くようになってゆく。食器洗い乾燥機の「けんちゃん」は通電せずに仕事を変えたけれど(日日のしおり…4月6日~7日)、わたしの食器洗いは、「けんちゃん」のしてくれていたそれと水の使用量を比べたら、いったい節水になっているのだろうか、と考えさせられることもある。ふと、自分が水を流し放しにしていることにはっと気づくことなど、1日のうち1度や2度ではなかったからだ。
 そのときだ。かの日の「台所の洗い桶だけは持ったほうがいいように思うんですよ」というやさしい声がよみがえった。そうだ。洗い桶があれば、そこに水を受けて、あと片づけにも使えるし、ほかにも水の使いみちへつなぐことができる……。何年ぶりの見直しだろうか。なんと、約30年ぶり。やれやれ、何と年月のかかったことか。
 けれども、「革める」のに、遅いということはないだろう。気がついたそのときを逃さぬことが何より大事と、いまは思える。

 父の真似をして、家の者たちに、挨拶する。
「あらためるよ」


Photo

洗い桶。
使わないときには、こんなふうに壁にひっかけておくことにしました。
ブリキのような素材の、軽い洗い桶なのです。


Photo_2

水を張って、そこで下洗いをしたり。
何かを茹でたあとの汁を受けて、あと片づけに
使ったり。
水の流し放しは、洗い桶のおかげで、
ずいぶん少なくなりました。

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2011年5月24日 (火)

たんころりん

 たにしというのは、何だろう。
 貝かな。貝のような気がするが、思いがけないものの仲間だったりすることもないとはいえないな。
 考えたってわからないので、調べてみる。
  【たにし】田螺。腹足綱 原始紐舌目 タニシ科に分類される巻貝の総称。

 そうか、やっぱり貝だった。
 2年前、たにしをもらうという稀有(けう)な機会にめぐまれたとき、まず思いだしたのが、「木下順二」の手になる民話「ツブむすこ」。主人公のツブというのが、たにしだった。この話には、夫婦の有りようについて、ひとのみかけについて、考えずにおれなくなるような不思議なちからがこもっている。

 もうひとつ思いだしたことがあった。子どものころ、大好きだったカルタだ。
 絵札は段ボールシートに印刷され、読み札のほうは粗悪なボール紙でできていた。読み札にいたっては、裏おもて両面にことばが印刷されているものまであったから、たしかめたしかめ読まないと、ついには、絵札が場にのこってしまう始末。母が、ある雑誌の付録を切りとってもっていたカルタだった。
 そのほかうちには、日本昔話のと、ポパイのと、立派なカルタがあったが、弟もわたしも、そして両親も、なぜかその付録のカルタを贔屓(ひいき)にした。正月になると、「カルタやろう、カルタやろう」と誰彼ともなく云いだし、そうしてやりたいカルタといえば、いつもその付録の、だったのである。
 さて。カルタでも百人一首でも、そしてトランプや花札でも、ひとそれぞれにその札だけは自分の手もとに置きたいというような、気に入りの1枚をもっているものだ。それはわたしももっており、また、付録のカルタのなかにも、そんな1枚があった。

  田んぼでたにしがたんころりん

 たしか絵札には、水田を背景に、たにしがどんと描かれていた。その札だけは、幼ごころにどうしてもとりたかった……。
 大人になってから、(たんころりんとは何だろうか)とふと気になった。これまた、考えたってわからないから、調べる。すると、妖怪の「たんころりん」と、行灯(あんどん)の「たんころりん」とがあることを知った。
 先の「たんころりん」は、実った柿の実をとらずにそのままにしておくとあらわれる妖怪で、あとのは、愛知県豊田市足助(あすけ)に古くから伝わる、竹で編んだ籠と和紙を組みあわせてつくった円筒形の行灯だ。妖怪はちょっと恐ろしいけれど、行灯の「たんころりん」は灯ったところを眺めてみたい。足助では毎年8月のある期間、古い町並み(1.3km)に沿って、夜、「たんころりん」に火をともしてならべるという。
 調べをすすめるなかで、「田圃(たんぼ)にて」という詩にめぐり逢った。山村暮鳥(やまむら・ぼちょう/1884−1924年/詩人、児童文学者)のこの詩は、のちに「中田喜直」(なかだ・よしなお/1923−2000年/作曲家)が曲をつけて童謡としてうたわれるようになっている。

  たあんきぽーんき
  たんころりん
  たにしをつッつく 鴉(からす)どん
  はるのひながのたんぼなか

 ああ、これだ。
 たにしの「たんころりん」は、これだ。

 ところで、2年前、いただいたたにしはどうなったか。
 たにしがうちにやってくるというよすがにわたしは打たれ、たにしを迎える準備にとりかかる。
 わたしの思いを察してくれたものか、たにしの家は夫がぶら下げて帰った。浅草橋の駅前の陶器店でみつけた睡蓮鉢だった。このあたりでわたしは、よすがに打たれるという思いをつい沸かせ、小振りの睡蓮をもとめたり、たにしがさびしくないようにと(?)、折しもめだかを育てていた友人に5匹分けてもらったりした。そうしてとうとう、睡蓮を植えつけた粘土状の土の上に、そっとそっと、たにし6匹を置いたのだ。
 夢のようだった。自分のそばにたにしがいることも、睡蓮の花を見られるかもしれないことも、めだかまでやってきたことも。毎日何かと云うと睡蓮鉢のなかをのぞき、のぞくたびに、たにしたちとめだかたちの数をかぞえた。たにしは、鉢の内側にぴたっとくっついて、そのまま動かない。
 ところが。夢のような世界は長くはつづかなかった。まずめだかが1匹ずつ死んでゆき、つぎにたにしの姿が見えなくなった。見えないだけで、鉢底の土のなかにもぐっていると思いたかった。3か月ほどすると、睡蓮の容態が思わしくなくなり、とうとう……。
 あのときの「うまくいかなさ」は、わたしをしばらくのあいだ虚ろな気持ちにさせた。縁あって、寄ってきてくれた命を自らの落度によってことごとくなくさせたように思えた。しかし、いま思い返してみると、わたしはあのとき、たしかに学んでいた。他者の存在、その命を守ることのむつかしさを。あのときの「うまくいかなさ」は、その後、ひょいと命を引き受けようとする自分を止めはしないが、慎重にと釘をさす。そして、命とは、縁(えにし)のことでもある。

Photo_2

先週お目にかけた瓶(かめ)の
なかみは、これです。
きゅうりと茄子を解禁にしましたので、
夏のあいだ、ここへぬか床をうつすことにしました。

もとは睡蓮鉢で、たにしも、めだかも棲んでいたところを、
ぬか床にするなんて……と、わたしは思わないのです。
いろいろ学ばせてくれた命のすみかに、朝晩手を入れ、
命のおもみ、縁のおもみを、思い返すことにしたいな、と。

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2011年5月17日 (火)

それとこれのつながり〈引用ノート5〉

 けれど、このごろ、私はファンタジー童話は、お料理みたいなものだと思うようになった。腕のいいコックさんは、どんなに月並の材料を使っても、それを、たちまち独創的なすばらしい一品に仕上げるのだ。童話も同じこと。台所の野菜が歌をうたい、おなべがくるくる踊る話だって、できるのだ。
 私の生活の中で、童話と家事はたがいに調和し、助けあわなければならないと思うようになった。「両立させる」という苦しい言葉を、私は好きではない。
 家事も童話も、まだまだ一年生だけれど、これから努力して、どちらも磨きあげたいと思っている。
 
『まよいこんだ異界の話』(安房直子/偕成社)所収のエッセイ「童話と家事と」より

 安房直子(あわなおこ)さんというものがたりの紡ぎ手の存在を知ったのは、20歳代のはじめ、社会人になりたての頃だった。そのころわたしは、先輩編集者といっしょに『少年少女の生活日記』という日記帳をつくっていた。毎年10月に刊行の日記帳づくりは、季節労働である。日常のルーティーンワークである雑誌の編集に携わりながら、一時期、そちらの仕事を最小限にして日記づくりに借りだされるのだ。
『少年少女の生活日記』の著者は、その日記帳を手にしてつけつづける少年少女。だからほんとうは、書籍とはちがう。けれど、「少年少女の生活日記」は、その名を『 』に収めずにはいられないほど、なかみに手をかけた。詩のある毎月のとびらのページ——さまざまな詩人に、12篇の詩を選んでいただいた——にはじまり、各月に2つか3つの記事やおはなしを入れる。
 升目も罫線もない、真っ白な日記部分の両側には、「柱のことば」と名づけた、
ひとくちメモをつけた。日記への愛着が深まるような記事をと、文学、理科、数学、歴史、生活と、偏りのない「柱のことば」をと、ずいぶん苦心したものだった。しかし、ずいぶんといえば、それはずいぶんたのしい仕事であり、当時は気がついていなかったが、わたしにとって勉強でもあったのだ。
 その仕事のなかで、安房直子さんに出会った。相当にお忙しかったことと、
当時のお住まいの関係からだったろうか、お目にかかることはできなかったけれど、こころよく小さなおはなしをつくってくださった。おはなしを注文し、おはなしが届くというそのことが、ひとつのものがたりに思えるような、そんなつながりがそこにはあった。
 あのとき、「安房直子」のものがたりと出合わなかったら、わたしはいつその世界を知っただろう……。まことに心許ない。かの日、「安房直子さんにお願いしてみましょうよ」と思いついた先輩のおかげだ。おかげもおかげ。わたしはその後ときどき、「安房直子」の世界のとびらの前に急ぐようになる。安房さんのものがたりには、人づきあいのうまくない、社会との折りあいのつけにくい人物が少なからず登場する。そんなひとたちが居場所を得て、生き生きと動きだすさまが、つまずいてばかりいるわたしを幾度救ってくれたことか。いやいや、ほんとうは幾度というような回数めいたはなしではない。つねにその世界があることを意識していたからこそ、つまずいたって平気、そこへ行って——逃げこんで?——休めばいいと思えていたのだから。

 掲出の「童話と家事と」は、安房直子さんのエッセイである。
 これを読んで、勇気を得る読者の顔がありありと想像できる。わたしも、そのなかのひとりだ。
 ものがたりのイメージがあたまのなかに生まれても、ペンを執(と)ったとたん、それが露と消えてしまうもどかしさ。しかし、家のなかで無心に洗濯しているようなときに、ふと思いがけない一節がうかんで、すらすら短編がまとまったりするというはなしが描かれている。
 そうだ、そうだ。
 童話と家事とはつながっている。云い換えるなら、「ものを創りだす」ことと、「日日の労作」はつながっている。さらに云い換えるなら、それとこれとのつながりこそ、胸におさめておきたい、だいじな線。
 わたしたちはときどき、日日のことにあんまり忙しくて、ものを創りだす暇(いとま)もないなんかと、文句を云う。自分がいかに夢から遠い存在であるかと、嘆いてみせる。
 日日のことと、ものを創りだすこととは、たしかにそれとこれというそれぞれのかたちをとってあらわれる。それとこれ。あちらとこちら。けれどそれがつながっている、支えあっていることを信じることができたなら……。


Photo

「安房直子」のものがたりのなかには、
床しいすがたで超自然のものが登場します。
とくに小人。
安房直子さんは幼い日、
家にあった木のラジオのなかに、
「小さいひとたち」が住んでいて、
話したり、歌ったりしているのだと信じていたのがはじまりで、
大人になってからも、小人を思う気持ちをもちつづけていたそうです。
結婚して、料理をするようになってからは、
ヨーグルトのなかにも、パンのなかにも、
ぬかみそのなかにも、小人がいて働いていると思わずには
いられなかったといいます。
……素敵ですねえ。
このたびご紹介したエッセイが巻末におさめられた単行本
『まよいこんだ異界の話』には、
お酒のなかに住む小人のものがたり「ハンカチの上の花畑」が収録され
ています
                    *
写真は、うちの台所にこの週末、置かれた瓶(かめ)です。
もとは、台所とは無縁の場所ではたらいておりました。
この瓶のはなしは、また、来週させていただくとしましょう。

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2011年5月10日 (火)

「ま」

 「まがさす」ということばがある。
 漢字で書くと「魔が差す」。魔が入りこむがごとく、不意にふだんは考えられないような悪念を起こす、という意味だ。漢字も意味もそうと知っていながら、このことばを思うときいつも「間が射す」というかたちが浮かぶ。魔というほど悪いものでない何か——間をとるというくらいの、機会——が、胸のうちに射しこんで、ひとに気づきをもたらす。と、なぜかそんなふうに受けとめたくなる。

 その日、いつものように、わたしは早早に床についた。
 玄関脇の部屋に寝にゆくとき、「きょうはちょっと遅くなるかな」と云って出かける長女の背中を思いだし、黄色いボールを上がり框(かまち)に置く。わたしが休むとき、まだ帰宅していない子らの、帰宅の合図のボールだ。さすがに中学生の末の子のボールはまだないけれど、成人した長女と二女の、黄色いのと黄緑色のとが、ある。おそい帰宅のとき、それぞれが「帰っています」の合図に、わたしの寝床に向かってそれを投げる——ほんとうは、そっと掛け布団の上にのせてほしいのだが——約束だ(「豪速球はやめてね」の巻参照)。
 早寝のわたしがひとしきり眠って、ふと目覚めたとき、掛け布団の上にボールのあるのをみつけると、安心する。わざわざ「帰ってきたかしら」とたしかめにゆかずにすむというわけだった。

 ぺたんぺたん。
 常とはことなる足音で目が覚めた。
(誰だろう……。河童でもやってきたかしら)。目覚めたついでにひと口お茶を飲みにゆく恰好で、覗いてやろう。
 部屋の扉をそっとあける。すると……、誰かが上がり框に腰をおろして、こちらに背中を見せている。
(河童?)
 そう思ったのは、ねぼけているせいでもあるけれど、こちらに向いた背中が河童の背中の甲羅のように見えたからだ(それに、わたしは河童が好きである。夢のなかと、ものがたりのなかでしか逢ったことはないけれど)。よく見ると、甲羅は、背中にぴたりと添ってつくられている背負い鞄なのだった。
「おかえりなさい」
 そこに腰をおろしているのは、長女だった。そう云えば、掛け布団の上には、長女の黄色いボールがまだのっていなかった……。声をかけても、長女は背中を向けたままでいる。
「どうかした?」
「ふふふ」
「……ふふふって」
「ころんじゃって、渋谷からタクシーで帰ってきたの。暗がりのなかではころばなかったのにね、明るい店のなかで階段を踏みはずした」
 アルバイト時代の友だち数人と飲みにゆき、ころんで捻挫をしたらしい。肩を支えて立ち上がらせると、痛む右脚をかばった体重のかけ方でしか歩けないのだった。ぺたんぺたん。ぺたんぺたん。

 酔って階段で足を踏みはずすなどとは、と思おうとするが、どうやらわたしは別のことに気をうばわれている。別のこととは、今し方長女が小さくふふふと笑いながらつぶやいた「暗がりのなかではころばなかったのにね」である。
 東日本大震災のあと、夕方電気をつけない生活をつづけている。手まわし充電の電灯のもとで料理をし、ろうそくの灯りのもと晩ごはんをとる。この家の誰も彼もが薄暗がりに慣れて、これまで、調理中に指を刃物で傷つけたり、食卓で何かをこぼすこともなく過してきた。階段を踏みはずすということもなかった。
 暗がりのなかで、身が自然に慎重さを生んだからだと思える。灯りの助けを借りずに動こうとすれば、足もとも手もともそれなりに緊張するし、何より目を凝らす神経がはたらく。
「ま」が「さした」んだなあと思う。魔というほどのものではないが、直接には長女に、そして、間接的にはわたしにも、「ま」は伝達する。

 長女には、速度をゆるめよ、と。
 わたしには……、目を凝らすことをおぼえた意味を悟れ、と。

5

昨年12月にやってきたポインセチアの紅子(べにこ)です。
いまでも、こんなに元気です。
同じ機会にポインセチアをもらった友人が、
紅子を見て、「うちのは、苞(ほう※)がすっかり落ちちゃったのに」
と云います。
友人によると、ポインセチアは夜、真っ暗ななかにいると、
苞も長く元気でいつづけるとか。
……ろうそく生活のおかげかもしれません。
※苞=基本的に、葉でも花でもないもの。


Photo

朝顔(花色=白と青)、夕顔(=白)のタネを植えこみました。
ことしも、夏のあいだ朝顔カーテンになってくれますように。
そしてまた、12月まで花を見せてくれますように。
          *
朝顔も、夜、真っ暗ななかにいることで、
体内時計がはたらき、朝、花を咲かせるタイミングを
はかる植物です。

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2011年5月 2日 (月)

ものがたり

 里の、古い家だ。
 雨戸を開けようとすると、
「その仕事は、あとからやってくるおひとのためにとっておきましょう」といくぼーやさんが云う。
「いくぼーや」——そのことばを、最初に音で聞いたとき、漢字と結ぶことができなかった。それが「育暮家」だと知って、おおいに感心した。そうして、「育」、「暮」、「家」とならんだ3つの漢字をならべ替えても、「いくぼーや」の意味を思うことができるのだという説明に、わたしはもう一度感心する。いまでは、「育暮家」というのほど、組み合わせがよく、だんだんに深まってゆくことばはほかにはなあと思うまでになっている。

 育暮家さんは、この、里の古い家の守り人である。
「ガラスも拭いてもらいたいし、そうだ、薪割りも……」と云いながら、育暮家さんは、そわそわしている。あとからやってくるおひとに、あれもしてもらおう、これもしてもらおうと、そわそわしているのだ。おもしろいひとだなあ。あとからやってくるおひとというのは、お客さんなのにね。そのお客さんに、雨戸をあけてもらい、ガラス拭きやら、薪割りやら。その上、竃(かまど)でお昼ごはんのたけのこご飯を炊いてもらい、味噌汁もつくってもらうのだそうだ。どうなることやら。
 最初のお客さんがやってきた。やってきた順番に、まず雨戸を開けてもらい、つぎに女のひとふたりを廚(くりや)に案内し、育暮家さんは、ふたりのうち片方のだんなさんに、「薪割りと、囲炉裏の火のことを、どうか……」とたのんでいる。お客さんたちはうれしそうに「それじゃ、そうさせてもらいます」なんかと云って、ひと息入れることもせず、持ち場に散ってゆく。これまた、おもしろいお客さんだなあ。
 竃の煙突から細い煙が上がりはじめたころ、つぎつぎとほかのお客さんたちがやってきて、古い家のなかは18人の大人、2人の子ども、1人の赤ちゃんでいっぱいになった。
 わたしは、お膳の仕度をすることにして、棚から人数分の茶碗、お椀、小皿を出して、それを洗って拭く仕事にとりかかる。その仕事をしながら目を上げるたび、箒(ほうき)で座敷を掃いたり、拭き掃除をしたり、育暮家さん期待のガラス拭きをしているお客さんの姿が目に飛びこんでくる。2人の子どもは1人の大人と、庭の奥でたけのこを掘っている。
 廚から、ご飯の炊けるにおいが漂ってきた。

 そのうち、育暮家さんの奥さん——このひとも育暮家なのだけれど、区別をするために「みちこさん」と呼んでいる——が、何人かのお客さんに、上新粉と大きなボウル、木杓子をわたして団子づくりをはじめた。上新粉に熱湯を加えてこね、ちっちゃくまるめる。これは、午後のお茶菓子になるのだそうだ。若い夫婦のお客さんが、前の晩から水につけてあった小豆を鍋ごとわたされて、「あんこ係」になった。
「あんこづくりは初めてなんですけれど」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」というみちこさんの声が聞こえる。

〈昼ごはん〉
  たけのこご飯
 わかめ、玉ねぎ、油揚げの味噌汁
 かつおの角煮
 エシャロット(味噌を添えて)
 はじかみ(金山寺味噌を添えて)
 小さくて黄色いみかん

 質素で見事な昼ごはんのあと、また、みんなで片づけをし、午後1時過ぎ、卓を囲んでふたたび坐る。
〈話のひととき〉 ものがたりの朗読に耳を傾けたり。代わる代わる自分のことを話したり。……ひとの話を聞く。
 ときどきあんこを心配するひと、囲炉裏の火を気にかけているひとが、席を立つ。

〈お三時〉
 ちっちゃい団子6つ(あんこをまぶして)
 新茶(前の日、育暮家さんとわたしが摘んだお茶の葉を手もみにしたもの)

 話のひとときのなかで、聞いたものがたりのさいごのところを、皆で聞く。そして、なんて不思議な話だろうと、ため息をつく。
 誰も彼もため息をつきながら、でも……と思うのだった。でも、わたしたちのきょうも、たいそう不思議だったな、と。初めてのひと同士が出会うなり、一緒に働いたり、となり合って昼ごはんを食べたり。育暮家さんがつくった約束のなかに、この家にやってくるひとは等しく働き、この家を大事に使うというのがある。それがいかに大事で、なおかつ自然なことであるかを、たしかめ合った日。暮らしというのは、家というのは、あらゆる不思議とともにあるものと、思いだすことのできた日。
 子どもたちが掘り上げた、でっかいたけのこを抱えての記念撮影ののち、夕方4時半、さよならをする。

 ものがたりに登場のひとりひとりが、自分のものがたりへとそっと帰ってゆく。

 育暮家さんは、このあと2時間、里にのこった。消した火がほんとうに消えたことをたしかめるため。

                                   *

 以上、4月29日(金)、静岡県藤枝市にある里でひらいていただいた会の、報告です。企画してくださったハイホームス(建設会社)代表の杉村喜美雄さんこそが、「育暮家」の正体です。
 またいつか、あのうつくしい古民家で皆さんにお会いできたら、どんなにうれしいだろうか、と思っています。
 参加してくださった皆さんに、こころを寄せてくださった皆さんに、御礼を申し上げます。杉村さんをはじめ、育暮家・ハイホームスの皆さんにも。


Photo
4月28日。
茶摘みをしながら、のぞむ里の風景です。

Photo_2
4月29日。
「『足りないくらいがおもしろい』サロン」が
ひらかれた「青野さんっち」です。
「青野さんっち」は、主に、
子どもたちの里山体験、竃でのご飯炊き、
民家の知恵を学ぶ家づくり・暮らしづくりの勉強会などに
使われています。
「青野さんっち」のある大沢は、葉梨川の上流にあたり、
上大沢と下大沢の二地区があります。
大沢の家家は、「がけ地近接危険住宅移転事業(藤枝市)」に
指定されています。
そのため、かつては70戸あった住戸が、現在は10数戸に
なってしまいました。
下大沢の一画に移築可能な土地を確保し、
壊す予定の家を譲ってもらってできたのが「青野さんっち」です。
育暮家さんは、古い家を再生にむけて解体し、移築し、よみがえら
せました。
その仕事には、多くの職人さんの志と技が結集しています。

育暮家さんたちが、祭事やしきたりを学びながら、
里の一員として「青野さんっち」を運営している様子に、
訪ねるたび感動させられます。
(撮影は、ハイホームスの太田順子さん)

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