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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2011年7月

2011年7月26日 (火)

あたらしい道

 することが多くてこんがらかる。
 胸に「解決」という漢字二文字をならべて置き唸(うな)る。
 どこか遠くへゆきたいなあと、彼方(かなた)に目を向けることもある。疲れているのかなあ。気がつけば、からだが鉛のように重い。これはからだの疲れなのか、それともこころのほうの、なのか、と考えたりする。心(しん)と身(しん)のあいだに分けて入り、どっちがどうだということに、意味などないことを知りながら。労(いたわ)らなければならないときには、どっちのことも労らなければ。

 ひとは時として、こういう状態に陥る。予告もなしに深い谷にはまるような塩梅で、そなえもしていなかったから、「いきなり」+「すとん」なのだ、たいてい。足を踏みはずしたあたりを見上げて、落ちた、と考えるときには、あきらめがついている。
 ——落ちたなあ。
 谷の深さはまちまちだが、そこから上がろうとするときのきっかけは、深さに関わらず必要だ。何かにつかまらなくてはのぼれない。そうそう、ちょっと休んでからにしないと、どうにも……、ということもある。

                          *

 朝靄(もや)がたちこめていた。
 どうやらそこは山間(やまあい)の谷であるらしい。ボクは落ちて、ここにいる。あはは。
 ——落ちたなあ。
「何かをさがしておいでかの?」
 そう云うのは、仙人のように、白く長いひげを胸のあたりまでのばした老人である。
「そのように、きょろきょろと。さがしものなら、手伝いますぞ」
「……道」
 ボクはそう答えた。正しい答えだと思える。
「道。はて、どんな道をおさがしなのかな?」
「どんなって……、帰り道」
「帰り道。はて。ここには、ないのぉ」
 老人は持っていた竹の筒をボクにさしだすと、からだの向きを変え、
「帰り道という道はないんじゃ。それはないけれど、道は無数にあるな。道なき道というのもあるな」
 と云うと、ふふふっと笑い、歩きはじめた。
「帰り道がないって、どういうことですか?」
「わからんかのぉ。アンタがこの谷から出て、どこかへ行きつく。行きついたとき、そこまでの道のりがはじめて帰り道になるんじゃよ」
 老人の姿は、靄のなかに消えた。
 靄のなかに、声が滲(にじ)んだ。
「道にどんな名をつけてもかまわないが、道は、いつもあたらしいのですぞぉ」
 老人に手渡された竹筒に、口を近づける。
 目をつぶって、ぐっと飲む。
 ——苦い。
 その苦さに、からだがぶるっとふるえた。が、足の裏から活力が湧いてくるのがわかる。
 ——よし、ゆくか。

                          *

 先週、わたしも落ちた。
 多種多様なことにからみとられて、足がもつれ、谷底へすとん。落ちてしまえばこっちのものだ。落ちたところからのぼればいいのだもの。
 落ちることかなわず、ああでもないこうでもないと散らかってゆくことに比べたら、はるかにわかりやすい。
 このたび、わたしにのぼる気にさせたのは、学生時代からの親友だった。久しぶりに会う約束をしたら、とつぜん「足の裏から活力が湧いて」きた。

 再生。
 再生などと云うと、また大げさな……と云われてしまいそう。けれど、わたしたちは日日再生をくり返す存在だと思う。そこには小振りな再生が多く含まれ、大がかりなのはたまの話。
 小振りのときも大がかりのときも、自分が落ちたことに、谷にいることに、気がつくことが、まず肝要だろう。
 そして。帰り道をさがそうなどとは思わないことだ。ひたすらにゆく道は、つねにあたらしい道、再生の道である。

Photo
「再生、再生……」とつぶやいていたら、
「リボーン(reborn)」ということばが浮かんできました。
「リボーン、リボーン……」とつぶやいたら、
こんどは「リボン(ribbon)……」ということばが浮かびました。

ええと。
うちにあるリボンは、これだけです。
こんなふうに持っています。
この袋に入るくらいためておこうという考えです。

Photo_2
リボン、こんなところでも活躍です。
朝顔、夕顔のつるを、誘導したいと目論みながら、
つぎ見たときには、もうその地点がみつからない……。
そのため、目印をつけておくんです。

このつるが、なんとか「こちら」にまいてくれるように。
このつるが、「そちら」にゆかないように。

reborn と ribbon の話でした。
おそまつさま。

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2011年7月19日 (火)

向きあうもの 〈引用ノート7〉

 今日から弟子となった貴子に、王(ワン)はまずスープ作りを教えた。
 緊張している貴子(たかこ)に「貴子さん、冷蔵庫に、鶏のミンチが入っていますから、取り出して下さい」
 「ハイ」
 大きな冷蔵庫から、鶏のミンチを取り出すと「ボウルにあけて下さい」
 「ハイ」
 貴子は言われた事に対してテキパキと動こうと努めた。
 「ミンチは八百グラムあります。三倍の水で、ミンチを溶いて下さい」
 「あの、スープなんですよね?」
 「そうです」
 「鶏ガラとかは?」
 「いりません!」 
 王の声が響いた。
 驚く貴子に「貴子さん、貴方、一杯料理の本を読みましたね」
 「ハ、ハイ?」
 「全て捨てて下さい。これから貴方が相手にするのは目の前にある食材です。本ではありません。良いですね」  
                             映画「しあわせのかおり」より(※)

 映画は、かなり観るほうではないかと思う。とくに邦画が好きだ。
 映像をつくることと、映画製作について若いひとたちにおしえる仕事をしている夫に、「え、それも観てるの?」と驚かれることがあるほど、かなり一所けん命観る。
 映画は、暗闇のなかスクリーンで観てはじめて映画だと云えるとは、長年夫におしえこまれてきたことだし、それにちがいないと、自分でも思う。が、なかなか映画館に出かけられないという都合を抱えるわたしは、年間通じて100本ほど観る映画のうちの90パーセントまでを、書斎の机の上の小さな小さなDVDプレイヤーで鑑賞している。
 書斎にいるときには、この小さな小さな画面に映画世界がひろがっている。ものを考えながら、手をとめてぼんやり眺めていることもなくはないけれど、原稿を書くときもたいてい右方で映画を上映している。読むとき音は困るけれど、書く(描く)ときには、あったほうがいい。
 契約しているある会社の映像レンタル部門から、月に8枚———1週間に2枚ずつ———DVDが郵送されてくる。つねに自分で20〜30作品選んで登録してあるなかから、2枚届くというわけだ。
「ああ、今回はこれとこれか」と思うが、その送られ方が何とも云えず時宜にかなっているのがおもしろく、誰かが、わたしのこころの有り様(よう)をどこかで観察して注意深く作品を選択してくれているのではないだろうか、と思いかけるほどだ。
「ながら」で観ることが多いわけだが、好みの映画はつかまえることができる。つかまえたら、その作品(DVD)を購入することにしている。これは、わたしが「好き」となったら、何度も何度もくり返し観たい質(たち)であるからだけれど、(こんなにすきな映画を)映画館で鑑賞しなかった申しわけなさ無念さを確認する意味もある。

「しあわせのかおり」は、たまらなく好きだと思って、DVDを購入した作品のひとつだ。何度観たか知れない。どこがどんなふうに好きなのかと説明しようとしても、ほんとうのところ、全体的にいいとしか云えないような気がする。映像に関してのわたしの「好き」の条件は、いやなところがないということでもある。それは、映像作品とがっぷり四つに組む立場のひとからすると、まるでなってない見方かもしれないけれど、わたしはそうなのだから仕方がない。まるでなってなかろうが、こうも云いたい。わたしには、映像が恐ろしいのだ。
 いいなあと思う場面がいつまでも記憶に残るのと同様に、(わたしにとって)忌まわしい場面も記憶にとどまり、長きにわたって胸を塞ぎにかかる。本は、それを閉じてしまえば、比較的早く忘れてしまえるけれども、映像のこびりつき方は並大抵でない。
 年をとったら、過去に自分が好きだと思った映画をくり返し観たいと思っている。そんなささやかな夢をもっているのに、映像世界の変貌はかなりめまぐるしくて、VHSがDVDに取って代わったと思ったら、今度はブルーレイだということになって、困る。いっそ、小さなプレイヤーを何台もとめておいて、世のひとがDVDなど忘れ去っても、ひとりDVDで映画鑑賞する婆になろうかと考えている。

 つまらないことを長長書いて、「しあわせのかおり」の話になかなかなってゆかないが、この映画は、わたしに対象と向きあうこころをおしえた。人生、苦労もいっぱいだけれど、誰が何と云おうと、もっともっと自分の思いを尊重していいのではないかという、ほの明るい気持ちにさせてくれた。そうして、こころの赴くままに、聞くべき(聞きたい)声を聞き、向きあうべき(向きあいたい)ものに向きあえばいい、と。

 それから。この映画の凄みは、もののおいしそうなことだ。
 日日の事ごとに疲れたら、「しあわせのかおり」の厨房世界に身を寄せて、お腹をくうと鳴かせてやるのにかぎる。
 トマトの卵炒め、何度つくってみたか知れない。

※「しあわせのかおり」
 2008年/124分
 監督・脚本 三原光尋
 製作 「しあわせのかおり」製作委員会
 配給 東映
 出演 中谷美紀 藤竜也 田中圭 八千草薫ほか

        *

 『しあわせのかおり』(三原光尋/幻冬舎文庫)がある。
掲出のくだりは、文庫より引用した。


Dvd

机上の上映環境です。

きょうの上映。
「おと な  り」
(2009年/119分/監督 熊澤尚人/脚本 まなべゆきこ/
製作・配給 ジェイ・ストーム/出演 岡田准一 麻生久美子ほか)

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2011年7月12日 (火)

ぎりぎり

 忙しくなってくると、深呼吸して……、くっとそこから気を逸らしたくなる。
 何をするときでも、まっしぐらに目的地へ、という気持ちにはなれず、いつも、さてどんなふうに道草を食ってやろうかな、とか、どれほどの遠まわりができるかな、と考えている。
 どこかにおもしろみが混ざっていないとがんばれない。
 簡単に云うなら、そういうことだ。
 そうしてそれは……。わたしにとって、いちばんおもしろくて大事なのは、台所のことだったり、手仕事だったりするから、それをよしてしまってまで忙しさに感(かま)けるのは、具合がわるいという意味でもある。

 どうやら、ちょっと仕事が立てこんできたせいで、こんなふうに理屈をこねはじめていたところへ、愉快なはなしだ。長女の口を通して聞いた、わたしのかつての夫でいまや親しい友人になりきっているひとの打ち明け話だった。

                          *

 ある日、友人宅の草刈りを手伝い、晩には酒を飲んだ。めずらしく度を越して飲んだ帰路、家の近くの陸橋の上で気分がわるくなった。そして、心ならずも陸橋の隅を汚してしまった。失敗、失敗。翌日は日曜だったが、跳ね起きて、昨夜の陸橋に駆けつけた。掃除しようという目論見(もくろみ)だ。が、駆けつけたときには、すでに陸橋はすがすがしく掃除されており、「遅かった」と思いながらも甚(いた)く感動した。

                          *

 そこまでのくだりも、しみじみ聞いたのだけれど、じつは、このはなしにはつづきがある。
 その後、彼は、土曜日か日曜の朝いちばんに、歩道橋の清掃をするようになり、今年14年めになるという。……14年。
 しかし彼の性格を思うと、それを美談としてより、おもしろいはなしとして受けとりたくなる。相当に忙しいサラリーマンである男が、週末に早起きして歩道橋の清掃に出かけてゆくというのは、じつに、じつに……おもしろい。

 どんなに忙しくても、いや、忙しいからこそ道草、というのはこういうことだ。道草を、無用なことに時間を費やすととらえる向きには、端(はな)から通用しないだろうけれど。道草とは、道の上での必要かくべからざる事ごとだと、わたしは考えている。……考えたい。
 そして、道草をしようというときのこころというのは、こうだ。
 ひととの約束もあるから、期日に目的地に到着しなければならない。これまでの経験から見て、ぎりぎり到着できるだろう。しかし、ぎりぎりというのは、いかにも危ない。なんとなれば、「不慮の出来事」の分の時間のゆとりが計算されていないからだ。何ごとかが起きて阻(はば)まれたら、期日の到着はむずかしくなる。……さあ、どうする。
「不慮の出来事」を想定して、保険の時間をとっておくか……。省けそうな事ごとを一切省いて時間をためておくということだが。
 答えは否、である。立派に道草もして、やっとのことで目的地に到着しよう。と、いう決心である。

 そも、わたしのゆく道を思うとき、目的も道草も判然としない。渾然一体。どれも大事なあれやこれやだと思える。ときどき、ひとから「そんなに日常のことに血道を上げていたら、仕事がしきれないでしょう」とか、「家のことなどほどほどにすることにしたら、もっと仕事ができるでしょうに」と、指摘される。そうだね、と思う。
 そうだね、けれど、それはわたしの道ではない。
 わたしの道、それはぎりぎりだ。日常生活をくるみくるまれ、道草を食いながら、ゆく。

Photo_2
忙しいときにかぎって、こういうことをしたくなります。
紙に絵を描いてのりで貼りつけ、
へり紙、耳紙をつけました。
こういう道草は、自分を相当にはずませます。
(やっぱりやればできるじゃない……ね)と思ったり。   


Photo
こちらは、100円ショップでみつけた
白地の扇子です。
出来がいまひとつで、閉じるのに手間取りますが、
気に入りの1本です。
きゅうりが描いてあるなんて……気に入りに決まっています。
ふふ。

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2011年7月 5日 (火)

風が吹いてきた

 夕方、ベランダに出て、朝顔やハーブたちに水やりをする。
 夏はそうやって、日に2度水やりをしないと、植木鉢の植物はもたないような気がする。(喉、渇いた……)と云わぬばかりにうつむいて、ときどきちらっと、こちらを見ている。
 そんなとき、如雨露(じょうろ)を持ちだす時間さえ惜しまれて、台所の洗い桶やボウルに水をため、彼らのもとに急ぐのだ。水を注ぐと、自ら注がれでもしたかのように、たちまち安心する。(ああ、よかった)。
 安心ついでにベランダに佇み、しばし、ぼんやり。わたしは、自分のそれを「草化け」と呼んでいる。ひととき、ひとであることを忘れて——忘れたことにして——草になってじっとしていてみるのだ。すると、ほんとうに草になりかかるのか、常よりも冴える。ふだんは聞こえない遠くを走る電車の音が聞こえたり、ねこをベランダに誘うこともできる。ねこは、ときどき草を食(は)みたいくせに、ふだんは(いいの、いいの、草なんて)と云いながらすましている。ひとの前で草など食んでたまるかいな、というのがねこという存在らしい。
 それが、こんな夏の夕方は、ベランダにいるわたしにかまわず、草に噛みついている。これは、草化けがすすんでいる証拠ではないのか。

 電車の音。
 これが聞こえると、なぜかとてもうれしい。
 JR三鷹駅、いや線路から徒歩12、3分という距離にうちはある。その12、3分のなかには、道や四つ角、民家や、会社らしい建物、店屋がひしめいていることもあって、電車の音は滅多には聞こえない。たまにそれが聞こえるのは、草になったわたしの耳が聡くなっているからだと思いたい。
 けれど、ほんとうはちがう……。風のはたらき。さらには、風向きだ。

 先達て、友人が3人遊びに来てくれた。
 冷たいのと熱いのと紅茶を飲んだり、おみやげにいただいたやけにおいしい烏龍茶を飲んだり、その日の朝焼いておいたおからのケーキを食べてもらったりした。そして、東日本大震災のあと音楽家の新実徳英(にいみとくひで)氏がつくった〈つぶてソング〉のなかの「あなたはどこに」を神妙に歌った。
〈つぶてソング〉(※)は、福島県在住の詩人和合亮一さんの詩をテキストとして新実さんが作曲した歌集である。歌のちからを借りて、全国に「気」をおくりたいという作曲家の思いを、お茶の時間のあとに、実現させてみたわけだった。
 とても静かで、それでいて力強い気のこもった歌だった。うたっているうち、こころが落ちついてきた。満ちてくるものがある。こころを落ちつかせることもそうとうにいいことだわという自信も満ちてきている。

 友人を三鷹駅までてくてく見送り、帰ってきてみると、家のなかの様子が変わっていた。目に見える変化と云えば、友人のひとりが持ってきてくれた黄色いミニバラの鉢が窓辺に置いてあることくらいだったが。ミニバラは315円だったそうだけれど、すっかり窓辺に馴染んで、夕焼けを背景に輝くばかりのうつくしさだ。
 友人たちと過したひととき。うた。ミニバラ。
 これらは風のようにこの家に吹きこみ、そこらじゅうを浄めてしまった。ことしの夏は、こうした不思議な風にも敏感になって、過ごすつもり。

※〈つぶてソング〉
 YouTube(動画共有コミュニティ)にて、新実徳英氏自らがうたう〈つぶてソング〉を聴くことができます。この歌集は、Vol.1(1.あなたはどこに/2.フルサト/3.放射能)につづいてVol.2 が作曲(発表)されています。さらに、つづく予定。

Photo
「いちご」(うちのねこ/14歳)が好んで食むオリヅルランの
鉢に、ネジバナが1本出てきました。
これをみつけたときも、うれしかった……。
なんとも云えぬ励ましを感じました。
こういうのも、風だろうなと思います。
気づきたい風です。

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