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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2011年8月16日 (火)

どこまでもどこまでも…… 〈引用ノート8〉

・その人が、被災体験について話をしているときに、話題を変えないようにしましょう。
・「あなたのお気持ちがわかります」と言ったり、相手が聞いていないのに、あなた自身の体験を話さないようにしましょう。たとえあなたが同じような被災や死別の体験をしていたとしても、今は、その人の体験や感情が重要なのです。
・求められていない時に、アドバイスをするのは避けて下さい。
・守りきれない手助けを、約束しないで下さい。不確かな情報も、提供しないように気をつけて下さい。
・一定期間が経てば悲しみを克服できると考えないで下さい。悲しむことは、人々が予想しているよりもずっと長く続くものです。
・子どもの支援には、その子どもをもつ親への支援が大切です。親が安心して休める場を提供し、親の不安を和らげることが、子どもの支援につながります。
・まずは自分の心身の安全を確保できる事が、支援者として最も重要なことです。そして、支援者自身の過労や燃え尽きに十分に注意して下さい。被災地での活動は、支援したいという気持ちや精神的緊張から、過剰に活動してしまいやすい環境にあります。また、心に傷をもつ人たちのサポートは、強い疲労感や無力感を引き起こすことを覚えておき、自分で休息をとるように配慮して下さい。
     「被災地の外部から被災者を支援する皆様へ」のしおり(※)より

 8月のはじめのある日、遠野にある岩手県ボランティアセンターへ行くや、初めて参加するわたしたち5人は、「受付」でボランティア登録手続きというのをした。左肩をホッチキスで止めた紙の束を受けとる。そこには、いろいろの「注意事項」「約束事」「禁止事項」が記されていた。バスが出発するまでのあいだ、紙の束のなかの「被災地の外部から被災者を支援する皆様へ」の項目に目を通す。わたしたちが配慮すべき事柄が、全部で21ならんでいる。ボランティアとしては、まだ受付をすませて装備をととのえただけだというのに、もう、からだが裏返しになるほど、圧倒されている。
 わたしたちは手伝いをしたいと希ってここへやってきた者にはちがいないけれど、よそ者であることもまた事実なのだと思い知る。ここへ引用した7項目は、とくにこころに響いたものだ。……響いたなんてものじゃない。いきなり鳩尾(みぞおち)あたりに拳固(げんこ)が入った感じ。その衝撃で、自ら着こんだボランティアという名の衣が肩から落ちて、ひととしての自分のいまの有り様(よう)が、頼りなくゆらめいている。これから作業なのだ。作業の心得を読んで、それを日頃自分が抱えるひと同士の問題にあてはめ、ゆらめいている場合ではない。それでも……なんだか。
 ——ああ、ああ。

 何度読んでも、どう考えても、ここに書かれているのはどれも、なるほどと納得することばかりだ。それなのにこれほど衝撃を受け、打ちのめされたような気分になっているなんてね。
 ——ああ、ああ。
 ふと、東京を出発する数日前、近所に住むわたしと同じ名前の友人に云われたことを思いだした。
「岩手県で、ちょっと働いてきます」
 そのとき、ふみこさんが「それはいい。いちばんには、ふみこさん、自分のためね」とつぶやくように云ったのだ。
 ——わたしの、ため……。
 そのことばを受けとっていたため、わたしは鳩尾に拳を受けても、かろうじて倒れないでいられた。端(はな)から自分のための活動なのだ、自分の自信がどうだとか、自分の理解が及ぶか及ばないかという範疇のものではなかった。
 ——どこまでも、どこまでも、学習なんだわ……。

 しかし。バスが出発し、1時間半かけて運ばれた活動場所におそるおそる降り立ったとき、自分が直接被災者に会うのでないことを知って、ほっとした。戒めても戒めても、いまはまだ学習が足らなくて、つい「お気持ち、お察しします」なんかと云ってしまいそうなわたしだもの。がんばってがんばって、これ以上、どうがんばればいいかわからないひとたちに向かって、うっかり「がんばろう」なんかと云ってしまいそうな……。
 ——どこまでもどこまでも、学習なんだわ。

※このしおりの作成は、Japan Tsunami Grief Support Project(JTGSプロジェクト)による、との記述があります。


Photo

陸前高田での作業に活躍した長靴たちです。
ごしごし、ごしごし洗って干して、
やっとしまえます。
また、これを履いて働きたい……。

|

コメント

みいさん

みいさんの作品が、働くのですね。
すごいなあ……。

文化祭のご様子、
いつか、おしえてください。

たのしみにしています。

投稿: | 2011年8月22日 (月) 21時25分

ふみこさま みなさま

おはようございます。
今回のお話 そして みなさんのコメント
ひとつひとつが胸に深く入り込みました。

私は何と言ったら良いのかわからないのですが
やり方はいろいろあって良くて 
ただそこに ”相手への尊重の気持ち”がある事が 
大切なのかな…と思いました。
うまく説明できなくてすみません。

むつかしい事だけど そういう事が大切なのかなと。
私には、なかなかできなさそうですが。
でも そういう事を心に置いて生活できたらいいなと。
家族との間にも 人と人の間にも。

私の後方支援 形になっていきそうです。
ブログで知り合った被災地の方が 
復興のためのちいさな文化祭を計画されています。

その文化祭に針仕事の品を出品させていただこうかと。
一針 一針 心をこめて 作りたいなと思っています。

投稿: みぃ | 2011年8月22日 (月) 09時01分

えぞももんがさん

ほんとうに。
わたしには、衝撃の学びでした。

学びの道をひたすらに……。
大真面目に学び、はたらき、遊びたいです。
ね。

投稿: ふ | 2011年8月21日 (日) 13時31分

はつえさん

弟さんを、いつも大事に、なつかしく
思っていらして、
弟さんのほうも、きっとおなじで。
……うらやましさを感じてしまいました。

ごめんなさいね。
こういうのこそ、
無神経なことばかもしれません。

「がんばりんご」の存在も、素敵。

はつえさんに、おしえていただいたこと、
忘れません。

投稿: ふ | 2011年8月21日 (日) 13時28分

ふみこ様 
おはようございます

「被災地の外部から被災者を支援する皆様へ」のしおり
このしおりは 日々の生活のしおりでもありますね。
悩み事を抱えながら生活しているひと
その悩みの大きさや重さ 痛みは それぞれ違うけれど
たぶん 生きている人みんなが 何かしら抱えながら
歩いている

誰かにしてほしい事はどんなことか?
「ただ側にいてほしい」
「自分のはなしに頷いてほしい」「また来るからねと約束してほしい」
「大丈夫だからね」と言ってほしい
すべての気持ちを 察することはできないし
ずっと そこにいてあげることもできないけれど

そこにいるときは 全身全霊を傾けてあげる

ふみこさん
——どこまでも、どこまでも、学習なんだわ……。
本当ですね。
わたしも 「じぶんのために」 学習の日々です。
 

投稿: えぞももんが | 2011年8月21日 (日) 06時39分

ふみこさま、おはようございます。

しおりのことば、悲しみについて書かれたところに、わたしはとらえられてしまいました。
被災のことから話がそれてしまいますが、死別の体験はいまの自分の中心です。
お盆が終わり、これから10月7日までの日々、実はわたし、こわいのです。
昨年のその日に弟が亡くなりました。
離れて暮らしておりましたので、お盆に帰省してきたときに会ったのが最後になってしまったんですね。
一日一日、ああ、昨年の今日はまだ生きていたんだな、と何度も振り返る。
そして、弟が生きていられた時間を刻々突きつけられる…。
すっかり日常を取り戻したと思っていたのです。
しかし、どうやらそうでもないらしい、と。
しおりの「悲しむことは、人々が予想しているよりもずっと長く続くもの」のところ。この一文にふれて、ああ、そうなのかもと思いました。

悲しみは心に立ち入って和らげようとするものではないのかもしれません。
ゆるりんりんさんもおっしゃっていました。 自分で時間をかけてそっと包んでいくもの、と。
そっと包んで心の中にちゃんと整理したはずなのに、なんだかまた包みを開けてしまいましたかね、お姉ちゃんは。
でも、たぶんだいじょうぶです。
しばらくぐずぐずしているでしょうが、「がんばりんご」でがんばります。
がんばりんご…?
これは一冊のとても私的なノート。
私が弟を亡くして、動揺の中にありながらもしっかりしなければという一心で、心の中の気持ちや頭の中で思うことをとにかく吐き出して綴ったものです。
つらい気持ちを心にためてしまわず、書き出すことによって整理していったセラピーのような存在です。
がんばる、もしくは、がんばろうとりんご。
なんにもつながりはないのですが、がんばることからちょっと的をはずしたようなゆるさ加減がなんだかいとおしく、気に入りです。
またこのノートに気持ちを吐き出して、心をすこしでも軽くしましょ。

先のしおりに書かれていることは、被災に限らず、「心に傷をもつ人たちのサポート」全般に、身近でいえば友人や家族のだれかに悲しいことがあったときにも、心がけたいと思いました。

ふみこさん、ありがとうございました。

投稿: はつえ | 2011年8月21日 (日) 06時26分

ちるちるさん

忘れたりするものですか。

たくさん話したいことをお持ちだということは、
わかるつもりです。
阪神淡路大震災の直後、
自転車で現地に入った、ジャーナリストの友人が、
東京にもどってきたとき、
5時間話しつづけるのに耳傾けたとき、
極限の経験をしたひとのはなしを聞くことのできること、
ありがたく思った記憶があります。
いまも鮮明に。

話しくださいね。
吐き出して。

「ここ」が、そういう場に育っていること、
わたしは信じてもいるんです。

わたしたちにできることがあったら、
それについても、おしえてください。

ふんちゃんより

投稿: ふ | 2011年8月20日 (土) 21時21分

Koujiさん

いつもながら、
ありがとうございます。

そして、
「とらえ方以前の心がけ」という
気づきを示してくださいましたこと、も。

心がけ〜♫
心がけ〜♪

と、ちょっとはずんでおりますが、
明日あたり、またあたらしい学びに
向かわなければならなくなる予感。

心がけというのも、
ときとして、まちがった道に向かわせるものでしょうかね。
善意のむずかしさと同様のものが
潜んでいますかしら。

でも。
それはそれです。ね。


心がけ〜♫
心がけ〜♪

投稿: ふ | 2011年8月20日 (土) 21時13分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。
まず、前回のコメント、私を思い出してくださったこと、うるっときました。
一関インターから平泉までの道中、だいぶ復旧はしましたが、被害の様子、見ていただけたかと思います。私はここに立ち寄らせていただいて、コメントさせてもらいました。
そして、ふんちゃんから(失礼。でも今日はそうよびたいのです)コメントをもらって、うれしかったのです。震災のことになると言葉がとまらなくなり、冷静さをかいてしまいがちですが、ここでコメントをかえしてもらうとうれしいのです。何げない言葉が誰かを傷つけてしまう事はもちろんあるけれど、励まされる人、ほっとする人もいます。うまくはいえないですが。

投稿: ちるちる | 2011年8月20日 (土) 16時38分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。
 
ふみこさんのおっしゃるとおり、いろいろなとらえ方があってよくて、間違いはなくて、間違いがあるとすれば、とらえ方以前の心がけのあり方でしょうか。
しおりの引用文に、ぼくもぼくなりに驚かされました。
その手のもので、記されているのかという驚き。
その内容の深い洞察に。
 
仙台のじゅんこさんは気になさってらっしゃるけれど、反論だとかおもいあがりではなく、ふみこさんの文章への補足のように読んでいます。
矛盾しないし、対立しないとおもいました。
姿勢はおなじなんじゃないですか?
間のとり方がちょっと異なるだけで。
何事も固定化されることではなく、流動的であるべきだとおもいます。そういう意味で、じゅんこさんのご意見は、とても健全だとおもいました。
 
こちらも雷がおち、土砂降りになりました。

投稿: Kouji | 2011年8月19日 (金) 19時34分

仙台のじゅんこ さん

お礼は、ありがたく受けとりますが。
「ごめんなさい」は、お返しします。

この場を大事に思ってくださること、
異議あるテーマをそっと置いてくださること、
ここへきてくださる皆さんが、
感謝していると思います。

だから、「ごめんなさい」を受けとると、
ここの用務担当のわたしが、
叱られてしまいます。

いま、東京は大雨なんです。
久しぶりの雨。
めずらしく、午後、出かけるというのに。
心がけがわるいのかなあ、わたし。


投稿: ふ | 2011年8月19日 (金) 11時48分

ふみこ様
ありがとうございます。涙が止まりません。
皆様
ありがとうございます。
そして…ごめんなさい。

ここに自分の気持ちをしるしながら、初めて自分自身の傷や思い上がりに気づく…その繰り返しです。
繰り返しながら、自分の非力さを思い知りながら、でも生きたいです。
皆さんと一緒に。

仙台は一気に涼しくなりました。
頭も冷えるといいな…。

投稿: 仙台のじゅんこ | 2011年8月19日 (金) 09時29分

仙台のじゅんこさん

仙台のじゅんこさんのように、
災害で被害に遭った人びとを特別視したくないと
希う存在がある……。
被災しなかった自分を
責めるような意識をもつ存在もある……。
自分が、誰のためにもなっていないという
不安にかられる存在もある……。

ほんとうに、いろいろです。
そのときどきの思い、立場、
もっと云えば、変化する思いを抱え、
立場に在りながら、生き抜かなければならないんだと
思うんです。
そういう「いろいろ」を、認め合いながら。

仙台のじゅんこさん、
いまの思い、いまの立場から率直に
書いてくださることに、
感謝しています。

そしてね、
お線香をあげて祈る。
わたしも、それをしたいと、思ったなあ。

投稿: ふ | 2011年8月19日 (金) 09時11分

ふみこ様
優しいお言葉、ありがとうございます。
まだまだ神経質にとがっている自分を、またまたここでさらけだしてしまいました…。

今度の災害で被害にあった人達を、特別視したくないという気持ちがずっとあります。
会って、話すことを怖がってはいけないと。
もしも私が被災地に関わりのない立場だったら(知人がいないという意味で)、そのしおりを読んできっと諦める気がしたんです。
私には無理だと。
もちろんあくまで「私には」です。

たくさんのお手伝いが、これから長い期間必要です。
なるべくいろんな人がいろんな立場で、見たことや聞いたことを広めてほしいです。
ふみこさんのように。

投稿: 仙台のじゅんこ | 2011年8月18日 (木) 19時46分

仙台のじゅんこさん

ある「注意事項」を読んで、
そのときの自分がどう考えるか。
どんな感じ方をするか……。
それも、それぞれだと思います。
そして、それでいいんだと思います。ね。

このたびの、自分の受けた衝撃には、
わたし自身、ちょっとおどろいたのでした。
が、そういう自分をなるほどね、と思ってやれたり、
見直したりしました。
そこには、自分の「現在」も投影されています。

仙台のじゅんこさんの、
とらわれのない綴りに、励まされました。
ありがとう!ござんす(なぜ、ござんすなのかしらね)。

節度をもち、かつのびのびゆければ……なと、
思うようになりました。

ありがとうござんす。

投稿: ふ | 2011年8月18日 (木) 17時32分

大切なこの場をお借りして。
 ぽんぽん様

 感謝です。
 今も、この前も。 ど真ん中で喜んでいます。
 受信、感度最良好です。
 更に、舞い上がっています^^

   3連日、おじゃまさせて頂き、ありがとうござます。

投稿: どりす | 2011年8月18日 (木) 13時15分

(ごめんなさい。切れちゃったので続きです。)私、言っちゃいけないこと言っちゃったなぁ…。

でも!また行くし。お寺にも仮設にも。
何度でも繰り返して「行く」ことが私のしたいことだから。

春から夏にかけて、季節においていかれた気持ちが、ようやく追いつきました。
自分の生活に集中して、淡々と元気に日常を繰り返していきたいです。
急にできること、したいことが起きてもすぐに動けるよう、静かにスタンバってます。

なくしたものは諦めなくてもいいことにしました。ははは…。自分にも優しくしないとね。

投稿: 仙台のじゅんこ | 2011年8月18日 (木) 12時09分

ふみこ様 皆様 こんにちは。
尋常じゃない暑さは今日までだそうです。がんばりましょうね!

「しおり」の言葉、神妙な気持ちで読みました。
私は私ができることを、できるようにしかできないなぁ。もちろん大切なアドバイスとして心に留めておきます。
当たり前ですが人はそれぞれです。タブーとされることをいかにも感じよく、むしろ暖かくできる方もいらっしゃるし、気を遣うあまりに相手まで疲れさせてしまう場合も。相手の方の受け取り方もそれぞれです。
ふみこさんも皆さんも、わかってらっしゃることですよね。
「優しさ」が、自分の行動を制限してしまってはもったいないです。
それに、人は案外強いですよ!傷つけてしまったら謝りましょう。そして失敗にくじけず、何度もトライしましょう。

帰省して、母の実家のある大川のお寺へお墓参りに行ってきました。本堂には、まだお墓に入ってないお骨と遺影が並んでいて。たくさんのお菓子やジュースのお供えが、子供の犠牲者が多かったことを物語っていました。
お線香をあげて祈ったら、少し気持ちが軽くなりました。私はこれがしたかったんだなぁ…とわかりました。


仮設に入った親戚のお姉さんにも会えました。私、言っち

投稿: 仙台のじゅんこ | 2011年8月18日 (木) 12時03分

あいあいさん

被災地を思うときの思い方、についての
文章なのですが、あいあいさん、
わたしも、弱っているところを
くっと突かれました。

もうもう、日頃の自分のダメなところを
指摘されているような気持ちでいっぱいになって……。

あいあいさんは、ここに、
すでに「愛」を感じておられる。
見習いたいです。

チクチクに、イガイガに、
感謝できるわたしになりたいです。

どうもありがとうございました。

投稿: ふ | 2011年8月18日 (木) 10時07分

こんにちは。
コメント、ご無沙汰をしていますが、ブログ毎週、拝見しています。
私、最初の引用部分を読んで、涙が出そうになりました。
個人的なことですが、心が疲れていたみたいです。チクチクイガイガしていたのですが、この文章を読んで、まるで頭を撫でてくれてるように思いました。
人の心に寄り添ったり、自分の気持ちを押し付けすぎないように誰かに協力したりするとき、また、それをする人たちが、こんな気持ちを携えて行動していてくれてる、人の「愛」に、私、ヨシヨシと頭を撫でられた気持ちになりました。
こんな気持ちを抱けたことに感謝したら、チクチクな出来事も、実は感謝すべきことなのかもしれないですね。
ありがとう。とつぶやいてみます。

投稿: あいあい | 2011年8月17日 (水) 22時26分

ぽこはなさん

あ、これを書きはじめたら、
かなかな(ひぐらし)が鳴きはじめました。

いいなあ、夏の夕方って。

しおりのこと、
ほんとうにそうですね。
ときどき、読み返そうと思って、
カヴァをつけ、本棚におさめました。

佳い夏を。

投稿: ふ | 2011年8月17日 (水) 18時21分

どりすさん

ありがとう、ありがとうございます。

でも、
ほら、どりすさんとは、「これから」があります。
だから、無神経も、ゆき届かなさも、
阿呆らしさも、「許してね」と
おじぎしながら、すすめます。

これからも、よろしくお願いします。

もう一度。
これからも、よろしくお願いします。

投稿: ふ | 2011年8月17日 (水) 18時19分

ふみこさんこんにちは

しおりの言葉が心に沁みました。
ほんとにそのとうりですよね。
 
このしおりを作った方は悲しみというものを、よく知っている方なんだなぁとおもい
感動しました。

人との係わり方を教えて頂きました。
ありがとうございました。


投稿: ぽこはな | 2011年8月17日 (水) 17時52分

どりす様
こんにちは

ふみこ様のコメントを読み、私も、いや、私などふみこ様に到底およばぬくらいの無神経さだったなと。

今さら…。

でもね、でも。

つたない言葉ですが、つたなくても発信してみる勇気を持ちたいなと、思います。
ペコリm(__)m

投稿: ぽんぽん | 2011年8月17日 (水) 16時55分

ふみこさま
 無神経などと、とんでもない、とんでもない。
 ふみこさまからのメッセージは
有頂天に嬉しく、何よりの特効薬なのです。
 言葉は不思議ですね。
 考えれば、考えるほど深みにはまって行きます。
 飾りないひとことに救われることもあります。
 それも、かけがえのない出会いなのでしょうか。
 人を 思う ということを しみじみ感じています。
 感謝をこめて、再度おじゃまさせて頂きました。
  
 ・・・と書いている間に、ふみこさまのコメントが。
 ぽおっっっ。 が伝染してきました^^
 

投稿: どりす | 2011年8月17日 (水) 13時26分

ももさん

何と申してようか……。
あたたかいおことばに、ぽおっとなっております。

ぽおっっっ。

「袖振りあうも他生の縁」ということばがあって、
わたしは、それを好きなのですけれど。
ちょっと袖を振りあう……、
すれちがう……、
隣り合わせる……、
という関係の、「ちょっと」だけど決して浅くない縁が
とても愛しく思えて。
でも、ももさんが云われるように、
その縁は短いので、
誤解が生じても修正ができません。
「あのときは、ごめんなさい」と云うことすら
できません。ね。

そこに、
ひととしての実力(いろんな意味での)が問われるなあと
感じています。

わたしは、
そういう実力をつけたいんです。

追伸
どうもありがとう、ございました。

投稿: ふ | 2011年8月17日 (水) 12時27分

ふみこさま、みなさま

 しおり…、実は、私、職場で読みました…。
 何だか、同じような書類がたくさん山のようにあって、時々、目を通します。

 どれも、そうだよなぁ、でも現地に行って、それを意識できるだろうか?
 と、ドキドキしていました。
 
 「どこまでも学習なんだ…」
 ふみこさんのことばが、響きました…。

 でもね、きっとふみこさんは、そういう類のことを文字で学習しなくても、
 そのお人柄で、身にしみていらっしゃるのではないかと思っていました。

 「もしかして、『がんばってね』と言ってしまうかもしれない…」
 もしかして、ふみこさんならおっしゃるかも…と思って読みました。
 (お会いしたこともないのに…、想像で…、すみません…)

 でもね、でもね、ふみこさんが言う「がんばって」は伝わる気がするんです。
 そんなに生易しいことではないとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
 それでもね、ことばではないんだなぁと思って。
 どんな気持ちで、そして、目の前にいる方のことをどこまで想像して、
 一緒にいるのかという、なんて言うか“こころもち”が大事なんじゃないかと…。
 だから、ふみこさんは、ことばで学習しなくても、伝わる方な気がしていました。

 難しいのは、外部から被災地へ向かった場合、一緒にいられる時間が短くって、
 だからこそ、しおりに書いてあるような注意が必要なのかもしれません。
 誤解が生じても、修正する時間がないから…。
 
 でも、やっぱり「お人柄」
 にじみ出る気がするんですよね…。
 だから、毎日を丁寧に生活することが大事なのかな…と考えたりもしていました。
 どんな些細なことも、しっかりと受け取れるようなセンサーをもてるように…。

 なんかね、知ったようなことを書いてしまってい居心地が悪い感じもしていますが、
 ふみこさんは、学習よりも、そのままが…と思って、書きたくなりました。

 よく職場で、人を支えるということについて話し合うことがあります。
 結局、何にもできることなんてないんだということになることが多いのですが…。
 だからね、一緒にいること、一緒に作業することが大事なんだっていう方もいらっしゃいました。そしてね、相手を敬うこと。これは、先輩に教えられました。
 どんな状況の方でも、どんな相手にでも…。
 私は、こういったことを、ふみこさんにも、いろんな文章を通して教えられています。
 いつもどこかで、心にしみます。

 そして…、「後方支援」のおことば。
 これも、また、ありがとうございます。です。
 ほんの少しですが、私なりに後方支援続けています…。
 あとは、子どもたちに伝えることも、大事だなと思うようになりました。
 「後方支援」で、細く長くありたいなと思います。

 ついつい、長くなってしまいました。申し訳ありません。
 では、また…

投稿: もも | 2011年8月16日 (火) 21時56分

どりすさん

どりすさんの「百日」のときも、
かなり学習不足の、
無神経なわたしでした。
許してくださいね。

添う。
ほんとうに、ね。
だまって、ひたむきに添いたい、ですね。

投稿: ふ | 2011年8月16日 (火) 16時58分

しょうさん

しおりの存在が、まず、すごいでしょう?

わたしたちは、
震災後に自分の何かをさしだしたくて、
うずうずしていますが、
学習とともに……ということなんだと、
このしおりに気づかせてもらいました。

投稿: ふ | 2011年8月16日 (火) 16時56分

寧楽さん

そうそう、
そうなんです。

ふだんに生かさなければという思いから、
わたしには、たいした衝撃だったわけなのです。

こころして、読み返したい、と。

投稿: ふ | 2011年8月16日 (火) 16時54分

ゆるりんりんさん

このしおりは、
イギリスのビリーブメントケアのサイトや、
兵庫県こころのケアセンター 
 サイコロジカルファーストエイド実施の手引きなどを、
参考資料としてつくられているそうです。
そして、作成のプロジェクトには、
多くの専門家が参加しています。

こういうことに、知恵が注がれるのは、
たいした進歩だと思えます。
阪神淡路大震災の経験が生きているのですね。

ゆるりんりんさん、
ありがとうございます。
おやさしいことばを。

投稿: ふ | 2011年8月16日 (火) 16時52分

ぽんぽんさん

忘れない……ということ、
わたしもとても大事だと思います。

そこを飛び越して、できることは
ひとつもないですもの。ね。

投稿: ふ | 2011年8月16日 (火) 14時13分

ふみこさま、みなさま、こんにちは。
 このしおりを 教えていただいたこと、
わたしも、ありがたく思います。
 自分の体験を その方の体験や苦悩になぞることなど
おもいあがりだった・・・
 約束は、果たしてこその約束・・・
 自分の錯覚に気付くことが出来ました。 
 まったく、わかっていなかった。
 自分の地震での体験を振りかざし、ズカズカと踏み込んで行こうとしていました。

 「添う」という言葉が浮かびます。
 百日咳の折、伴走していただいた心丈夫さを 今、反芻しています。
 その先は見据えにくいかもしれませんが、そこにいない自分ができることを
リアルタイムで添って行きたく思います。
 できない約束ではなく。

 活躍した長靴たち、頼もしい姿ですね。
 
 


 

 

投稿: どりす | 2011年8月16日 (火) 12時49分

ふみこさま

このしおりを作られた方、すごいなあと思います。

本当に、人の苦しみや悲しみに寄り添うことの難しさをひしひしとかんじます。
距離、かけることば、むけるまなざし…

教えていただきありがとうございます。大事に心にとめておきます。

投稿: しょう | 2011年8月16日 (火) 12時39分

ふみこさま

そっと見守るという難しさと大切さを
思いました。

これは日常の生活においても
非常時においても
心にとめておきたいことだなと。

教えてくださったこと感謝いたします。

投稿: 寧楽 | 2011年8月16日 (火) 10時39分

ふみこ様
 
阪神の地震で被災した時のことを思い出しました。
被災者同士の間に距離ができて行った時のことです。

起きてしまった出来事や人の苦労や悲しみを
吸い込まないように気をつけよう。
それをしてしまうとやれることまで、
日常をおくるということさえもできなくなってしまうから。

悲しみは消したり忘れたりするものじゃなく
人にどうにかしてもらうものではなく
自分で時間をかけてそっと包んでいくもの。

当時のメモに書いたことです。
しおりをつくられた方
たくさんの人のお話しを丁寧に聞いて
つくられたのだと思います。

何年かして普通の暮らしがもどった時
ふみこ様の書物に出会い、
わたしはホッとしたんです。
その時にやっとわかった普通の暮らしのありがたさを
山本さん言う人はすでにわかっておられ
日々を重ねておられる。
わたしも今から始めるぞと
決心を引き出していただいたんですよ。
どこまでもどこまでも……
ふみこ様でいてくださいね。

投稿: ゆるりんりん | 2011年8月16日 (火) 10時32分

ふみこ様 皆様
おはようございます

しおりに書かれていること、本当にもっともだと。
そして、どこまでもどこまでも続く学びの道なのだと。
私に出来ること、あれからの、そしてこれからの出来事を忘れないこと、なのかなと感じています。

全く、この国を支える一員としては頼りない私だけれど。

改めて。
心に刻みます。

しおりのこと、教えていただいてありがとうございました。

投稿: ぽんぽん | 2011年8月16日 (火) 10時06分

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