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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2011年8月

2011年8月30日 (火)

素振り

「今度の『しないちゅう』、見にきてもいいよ」
 と末の子どもが云う。
「しないちゅう」って何だろうかと思っていたところへ、折りたたんだ刷りものを渡され、その題名が「武蔵野市中学校総合体育大会のお知らせ(ソフトテニス部)」となっている。

 末の子ども(以下S)は中学2年だ。
 中学に上がった春、どのクラブに所属するかまよいにまよっていたのが、きのうのことのよう。小学6年のときには「中学に入ったら、バスケットをやろうと思う」と云っていたが、実際に中学生になり、部活動を見学してまわるうち、いろいろの考えが湧いたものらしい。運動をしようということだけは決めていて、水泳、バスケット、陸上、卓球、バドミントン、ソフトテニスと、見てまわるうち、運動との相性ということのほかに、部の雰囲気のなかに自分を置いてみて「やっていけるかどうか」、「つづけることができるかどうか」を考えるようになったそうだ。
 その様子を、わたし自身のなかに乏しい「慎重」と見て、こそばゆくなった。わたしなら、たいしてよく考えてもみないで、友人の考えやなりゆきにひきずられて入部を決めてしまっただろうなあと思って(じっさい、中学のときの硬式テニスクラブへの入部は、そんなふうであった)。何を選ぶのか、そっと観察をつづけていたところ、「入部申しこみ」の期限の前日、やっと「ソフトテニス部に決めたよ」と云って、「入部申しこみ」用紙の保護者サインと捺印を頼みにきた。
「いいねえ、テニス。ソフトテニスっていうのは、軟式のこと?」
「うん、そう。ボールはぽわぽわのやわらかさ」

 入部後は、「練習も試合も、見にこなくていいよ」と云っていた。「見にこなくていい」というようなのを、ことば通りに受けとることにしているわたしは、そうか、と思い、「見にきてよくなったら、知らせてね」と頼んだ。
 ソフトテニス部は、水曜日と日曜日を除く5日間(日曜日には、ときどき試合が入る)、練習がある。Sの一所けん命さと、たのしそうさだけをよすがに、そっと応援した。わりあいおとなしい性格だし、強気になるところを見たことがないから、坦坦とラケットを振っているところを想像していた。
 1年以上たって、やっと「見にきてもいいよ」の日がきたわけだった。午前9時試合開始だという。
その日締切の新聞の原稿が書き上がったら出かけることにする。こういう決心のもとではじめたせいかさくさくとすすみ、1時間ほどで書き上がったので夫に読んでもらう。原稿は、書き上がると、夫がいれば読んでもらう。もう長いことそうしてきた。見てもらっても、夫が「ここは、ちょっとわかりづらい」と云うのに、「それはそのままでいいことにさせて」なんかと、批評を反映させないことも少なくはないのだけれど、見てもらう安心は手放せない。夫がいないときには、自分が夫になったつもりで原稿を読み返し、「いいんじゃない?」と云ってみたりする。

 市営コートには、もう球音(たまおと)が響いている。
 夫とふたり、コートの外側の金網越しに見学する。到着するや、Sの出番がきた。緊張する。ペアのRちゃんはやさしく、おっとりとしているが、技術のある選手だ。Rちゃんと組めたことがうれしいという話を、何度も聞いている。
「あ」とわたしは、いきなり驚いている。
 Sが素振りをしている。その素振りに、驚かされているのだ。おとなしい子が腰を低めにかまえて、ひゅん、と音が離れたここにまで伝わりそうな勢いでラケットを振っている。こちらは、猛獣に威嚇された小動物のような気分だ。
 その様子をひと目見ただけで、Sがどれほど部活動を好きで、どれほど熱心に取り組んできたかがわかった。わたしの知らない動作を、自ら学びとっていることがまぶしくて、不覚にも瞳に膜ができる。
 

Photo

わたしの知らない動作をするS に
尊敬の念を抱きつつ、
わたしの知っている昔ながらの動作を
おしえてやらなられば……とつよく思いました。

軽く缶詰類をあけることができる缶切りを、
被災地への荷物に(缶詰ともども)入れました。
それで、いまうちにあるのは、この昔ながらの缶切りです。
これを使うの、初めてだったそうです。
 

Photo_2

マッチを擦って、火をつける。
これは、したことはありますが、
なんとなくぎこちない。
……練習。


Photo_3

ごまをほうろくで煎る。
これも、練習しました。
このほか、かつお節削りや、ぬか床のかき混ぜも
してもらっています。
忘れたくない動作、所作が、いっぱいありますね。
        *
本文の「しないちゅう」で、Sの中学は優勝しました。

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2011年8月23日 (火)

大人の仕事

 土曜日の夕方。
 長女が台所にやってきて、「ああ、料理したいな」とつぶやいた。たしか、夕方から出かけると云っていたから、そう云ってみているだけなのだろう。こういうときは、黙っているのにかぎる。この手のつぶやきへの返答をしくじると、思わぬ事態に陥ることがある。
 家族という機関のはたらきのなかで、もっともはっきりしているのが「あたる」(=八つあたり)だと考え怖れるわたし(そして、わたしもする)は、ときどき、こんなふうに身をかわす。そうでなくても、このところ忙しくしている長女の「〜したいな」というような願望は、そっと静かに見守るしかない。
「料理したくても、台所はお母さんの砦(とりで)だからね。そう自由にはできないね」てなことを云われたとして、そのことばをど真ん中で受けとめ、まっすぐ返球する体力が、いまのわたしにあるかどうか。
 長女は、ひとことつぶやいただけで、冷蔵庫のなかの冷たいお茶を飲むと、行ってしまった。やれやれ。

 ——「ああ、料理したいな」か。わかるなあ……。
 と思った胸のなかに、「でもね、」という接続詞が浮かんだ。
 ——でもね、料理というものは、自分のつくりたいものを煮たり焼いたりすることではないのよ。

 こんなふうに——、
 ガス台を磨いたり。
 ヨーグルトをつくるガラスの容器を、煮沸(しゃふつ)消毒したり。
 お茶をガラスのポットにつくって冷蔵庫に入れたり。
 ゼリーをつくったり。
 明日の弁当のブロッコリを茹でたり。
 明日の弁当の鶏の唐揚げに下味をつけたり。
 ぬか床の調整をしたり。
 いちご(猫)に缶詰のごはんをやったり。
 残りわずかになった「かえし」(※)をつくったり。
 胡麻を炒ったり。
 「かぼちゃ、切ってくれない?」と夫にたのんだり。

 そうした雑用や下準備の揚げ句の、料理である。
 その料理にしたって、つくりたいものを自在に、というのではない。冷蔵庫にのこった野菜をぜんぶ使いきる企てをしたり、豚肉と卵でつくる最善のおかずを考えたり、わかめをもどし過ぎてぎょっとしたりしながら、兀兀(こつこつ)働くのだ。でもそれは、台所の事情をすべて背負っているからこその働き方だ。
 残念ながら、わたしにはもう「ああ、料理したいな」という夢見の料理はできない。残念でもあるが、そこには誇りもある。

 夏なのだし、きょうだって、これから台所で働くのだし花火のように、打ち上げてしまおう。
 ——それが、大人の仕事というものなのさ。

Photo
夫とわたしが家にいるときは、
昼にたいてい蕎麦を食べます。
いつ飽きるかなあ……と思うのですが、
飽きないんですね。不思議。

そばつゆに活躍の「かえし」(※)です。
日本料理(新宿割烹 中嶋)の中嶋貞治さんに
テレビ番組でおそわった万能調味料です。
しょうゆと砂糖、みりんを合わせて火にかけ、
みりんのアルコールをとばしたこれは、冷蔵庫で1年だって
保存がききます(つくれば、すぐ使い切ってしまいますが)。
これが、うちのめんつゆの素です。

Photo_2

「かえし」を、だし汁で薄めます。
かえし1:だし3の割合です。

だしは、このような陶製のだしとりポットで
朝いちばんにつくります。
昆布とかつお節でとったり、
あごや干ししいたけを加えたり……その日の気分と計画によって、
いろいろなだしがつくれます。
だしとりポットのなかには、こし器がついていて、
そこへ昆布やかつお節を入れて、湯を注ぐだけです。
それをガラスのポットにうつして、冷蔵庫へ。

そうして、だしとりポットでもう一度だし(二番だし)を
とっておきます。
若い日、ほしいなあと思っていた、
ひねると、だしの出てくる蛇口にも似た便利さです。
このだしのおかげで、茶碗蒸しでも、
だしでつくる即席漬けでも、煮ものでも、
気軽につくれます。

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2011年8月16日 (火)

どこまでもどこまでも…… 〈引用ノート8〉

・その人が、被災体験について話をしているときに、話題を変えないようにしましょう。
・「あなたのお気持ちがわかります」と言ったり、相手が聞いていないのに、あなた自身の体験を話さないようにしましょう。たとえあなたが同じような被災や死別の体験をしていたとしても、今は、その人の体験や感情が重要なのです。
・求められていない時に、アドバイスをするのは避けて下さい。
・守りきれない手助けを、約束しないで下さい。不確かな情報も、提供しないように気をつけて下さい。
・一定期間が経てば悲しみを克服できると考えないで下さい。悲しむことは、人々が予想しているよりもずっと長く続くものです。
・子どもの支援には、その子どもをもつ親への支援が大切です。親が安心して休める場を提供し、親の不安を和らげることが、子どもの支援につながります。
・まずは自分の心身の安全を確保できる事が、支援者として最も重要なことです。そして、支援者自身の過労や燃え尽きに十分に注意して下さい。被災地での活動は、支援したいという気持ちや精神的緊張から、過剰に活動してしまいやすい環境にあります。また、心に傷をもつ人たちのサポートは、強い疲労感や無力感を引き起こすことを覚えておき、自分で休息をとるように配慮して下さい。
     「被災地の外部から被災者を支援する皆様へ」のしおり(※)より

 8月のはじめのある日、遠野にある岩手県ボランティアセンターへ行くや、初めて参加するわたしたち5人は、「受付」でボランティア登録手続きというのをした。左肩をホッチキスで止めた紙の束を受けとる。そこには、いろいろの「注意事項」「約束事」「禁止事項」が記されていた。バスが出発するまでのあいだ、紙の束のなかの「被災地の外部から被災者を支援する皆様へ」の項目に目を通す。わたしたちが配慮すべき事柄が、全部で21ならんでいる。ボランティアとしては、まだ受付をすませて装備をととのえただけだというのに、もう、からだが裏返しになるほど、圧倒されている。
 わたしたちは手伝いをしたいと希ってここへやってきた者にはちがいないけれど、よそ者であることもまた事実なのだと思い知る。ここへ引用した7項目は、とくにこころに響いたものだ。……響いたなんてものじゃない。いきなり鳩尾(みぞおち)あたりに拳固(げんこ)が入った感じ。その衝撃で、自ら着こんだボランティアという名の衣が肩から落ちて、ひととしての自分のいまの有り様(よう)が、頼りなくゆらめいている。これから作業なのだ。作業の心得を読んで、それを日頃自分が抱えるひと同士の問題にあてはめ、ゆらめいている場合ではない。それでも……なんだか。
 ——ああ、ああ。

 何度読んでも、どう考えても、ここに書かれているのはどれも、なるほどと納得することばかりだ。それなのにこれほど衝撃を受け、打ちのめされたような気分になっているなんてね。
 ——ああ、ああ。
 ふと、東京を出発する数日前、近所に住むわたしと同じ名前の友人に云われたことを思いだした。
「岩手県で、ちょっと働いてきます」
 そのとき、ふみこさんが「それはいい。いちばんには、ふみこさん、自分のためね」とつぶやくように云ったのだ。
 ——わたしの、ため……。
 そのことばを受けとっていたため、わたしは鳩尾に拳を受けても、かろうじて倒れないでいられた。端(はな)から自分のための活動なのだ、自分の自信がどうだとか、自分の理解が及ぶか及ばないかという範疇のものではなかった。
 ——どこまでも、どこまでも、学習なんだわ……。

 しかし。バスが出発し、1時間半かけて運ばれた活動場所におそるおそる降り立ったとき、自分が直接被災者に会うのでないことを知って、ほっとした。戒めても戒めても、いまはまだ学習が足らなくて、つい「お気持ち、お察しします」なんかと云ってしまいそうなわたしだもの。がんばってがんばって、これ以上、どうがんばればいいかわからないひとたちに向かって、うっかり「がんばろう」なんかと云ってしまいそうな……。
 ——どこまでもどこまでも、学習なんだわ。

※このしおりの作成は、Japan Tsunami Grief Support Project(JTGSプロジェクト)による、との記述があります。


Photo

陸前高田での作業に活躍した長靴たちです。
ごしごし、ごしごし洗って干して、
やっとしまえます。
また、これを履いて働きたい……。

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2011年8月 9日 (火)

12センチ

 日本地図を開いて、眺めている。
 長くて細くて、ひょろりとしている。そうだ、日本列島は細長い。印刷された日本国は頼りなげで、ぽきりと折れてしまいそうにも見えるけれど、なんという慕わしさ、なつかしさだろうか。
 地図帳のつぎのページは「日本北東部」。北は北海道——国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう)も入っている——南は、瀬戸内海に浮かぶ小豆島と、四国高松(どちらも香川県)、鳥取まで収まっている。おもしろいのは、青青とした太平洋が、ひとところだけ地図帳の版面(はんづら)の枠からはみだして、八丈島(東京都/伊豆諸島)がかろうじて入っているところだ。
 現在わたしが住んでいるのもこのページだが、今回3日間、このページのなかで旅をしてきた。東京から陸前高田。地図帳に定規をあててみると、その長さは12センチ。
 ——12センチか。

 12センチの旅。
 ボランティアセンターとの交渉はじめ、一切のめんどうをみてくれた友人一家との総勢8人の旅。
 東京を出発し、一関(岩手県)まで東北自動車道をひた走り、平泉(岩手県)でさきごろ世界遺産になったばかりの中尊寺、毛越寺(もうつうじ)を見学。遠野(岩手県)へ向かう。遠野駅前に宿をとり、早寝。
 翌早朝、金曜日仕事を終えてから深夜バスでやってきた長女と合流し、岩手県災害ボランティアセンターへ急ぐ。ここ遠野総合福祉センターでは、泊まりこみのひとも、すでに身支度を終えている。夏休みということもあるのだろう、大学生もたくさんたくさん集まってきた。
 建物の入口のホワイトボードに、本日の活動先が三か所書かれている。大槌(おおづち)と釜石と陸前高田。陸前高田の瓦礫(がれき)の片づけの欄に名前を書いた。
 陸前高田。震災後、何度も何度もその地名を聞いたし、被害の大きかったことでも記憶に染みついている。バスを連ねて——総勢180人——1時間半かけて気仙町(けせんちょう)——ここは陸前高田でもっとも宮城県寄りに位置し、気仙沼にもほど近い——向かう。窓の外には、瓦礫(がれき)と呼ばれる地震によって壊れ元のかたちを失ったものたち、崩れかけたもの、あり得ない場所に運ばれたもの——畑のなかの船、山に叩きつけられた建物など——が、つぎつぎと過ぎてゆく。気仙町の、ある集落に降り立った。ここは津波に襲われた際の地域であるとのこと、津波の跡がつづき、あたかも等高線のようだ。
 暑い暑い日だった。立っているだけで、汗が流れ落ちてくる。わたしたちの持ち場は一見拓けた地面だが、コンクリートでつくったいしずえがあり、そこにかつて家があったことを知らせる。
 さあ、作業開始。
 土のなかに埋まったものを半ば掘りだすようにして、燃やせるもの、燃えないもの、ガラスや瓦(かわら)、の3種類に分けて積んでゆく。作業をはじめるや、3種類の山では足りないことがわかった。この場所から3キロも海に寄った魚の加工場から津波が運んだ、無数のさんまの詰まった木箱。つまり、こうしたいわば元さんまの片づけが必要になったのだ。強烈な匂いを放ち、銀蝿がたかっている。口を布やマスクで覆わなければ、だんだん堪えられなくなる、そんな匂いだ。
 それでも、5月に同じ場所で作業をしたという友人は、「あのときに比べて、どれほど片づいたことか」と、海に顔を向けて感慨深げだ。そのときには、あたりはさんまだらけだったそうである。
 ビニール袋の端だと思って引っぱると、それは木箱のなかに敷かれたもので、もれなくさんまがついてくる。あのぴかぴかの姿を失った、おいしいさんまとは似ても似つかぬ、かつてさんまだったもの。
 わたしたちのグループは、元さんまの片づけにかかった。どろどろになったさかなの身を扱うのには苦労したが、スコップを突き立てては一輪車にのせ、山に積みにゆく。
 そんななか、スコップが生活を掘りあてたときの、なんともいえない気持ち。これは、元さんまの強烈な匂い以上に、きびしいものだった。台所で使う密閉容器らしきもの。模様もうつくしい皿の欠片(かけら)。ちゃんちゃんこ。おままごとの海老フライ。ブロックでつくったロボットの頭。マニキュアの小瓶。ああ、この家には、女の子と男の子が暮らしていたんだな、子どもの遊ぶ傍らでは歳若いお母さんが爪を染めたりしていたんだな、と思ったとき、目の前が暗くなった。同情はいくらでもできそうだったけれど、どんなふうに思ってみても、当事者でなければわからないことばかりだという気がした。作業に集中するしかなかった。
 結局、午前午後合わせて3時間ほどで、作業は終了となった。もっともっと働きたかった。が、無事に活動を終えること、体調管理に責任をもつことがボランティアの鉄則である以上、無理は禁物なのだ。
 帰りのバスから見た光景が、行きとはまったくちがって見えたのには心底驚いた。3月11日のあの日まで、そこにたしかにあった暮らしを目の当たりにした身は、行きにはもち得なかった、ちぎれるような悲しみを宿していた。
 翌日、盛岡で用事をすませ、帰途につく。

 被災の事実めがけて出かけていったつもりだったが、そこにあるのは無数の暮らしであり、無数の人生でありいのちだった。その実感をもつことができただけでも、ありがたかった。
 12センチ向こうとこちらは、つながっている。

Photo
東日本大震災から5か月がたとうとしています。
たった一日ボランティアとして作業しただけですが、
させてもらえたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。
被災地のためというより、自分のためだったと、
感じています。
5か月たっても、まだまだ、いろいろの片づけが必要とのことでした。
わたしも、また、出かけてゆきたいと思います。


Photo_2
実際には、軍手の上に厚手のゴム手袋をはめて
作業しました。それでも、軍手はこんなです。
よく働いてくれました。

Photo_3
暑くても、長袖、長ズボンで働きます。
持ちものも最小限に。
長靴(金属の入った中敷も)も、必需品でした。
ものすごい匂いを放っていますが、
一緒にがんばった衣類が特別のものに思えます。
記念撮影。

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2011年8月 2日 (火)

ちょっぴり悪い

 中学1年から短大の2年まで8年間、同じ学校で、わたしたちはずっと友だちだった。それも、ものすごく親しい友だちだった。親友ということばは使わないようにしていたし、そうでなくても、わたしたちが通っていた学校には「親友はつくらない」(=誰とでも親しくしよう)という不文律(ふぶんりつ)があった。「あなたたち、くっついてる」とからかわれるのくらいは仕方ないとしても、「親友はつくっちゃいけない」と居丈高(いたけだか)な云い方をする級友もいて、ほんとうにめんどうくさかった。
 わたしたちは、人前では、そんなには親しくない……という顔をして、よそよそしくふるまったりした。反対に、むくむくと手むかいたい気持ちが湧いて、「親しいけど、それのどこがわるい?」と開きなおることもあったな。ともかく、あまりに親しかったために、苦労したわけだった。
 なんだかまるで……、人目を偲ぶ間柄みたいだった。

 なぜそんなことになったのか、てんでわからない。
 が、学校を卒業して数年がたったころ、実際に会うということをしなくなったのは、事実だ。
 それがこの夏、ひょんなことから電話で話す機会が降ってきて、「会おう!」という相談になり、先週、彼女Rちゃんが家にやってきた。この年になって「Rちゃん」でもないのかもしれないが、目の前のRちゃんは、どうしたってRちゃんだった。変わらないなあ……、と驚く。が、もっと驚いたのは、会わないでいた年数だ。「何年ぶりかな」と云うと、「17年ぶり」とこともなげにRちゃんが答えた。
「……17年」
「そうよ、下の子が生まれたあと、会いにきてくれたでしょう。それが最後だもの。その子がもう17歳だからね」
「……」
 17年のあいだにあったことは、お互いあまり話さなかった。ただ向かいあって——まっすぐ向かいあうのは照れくさかったから、椅子ひとつ分ずらした——坐って、近況だけを語りあった。

 むかし、ふたりで「地球は自分中心にまわってるよね」と話したことを思いだして、笑う。日頃から「自己中心」を戒める当時の先生が聞いたら、目をまわすような「思想」だ。
「それでもさ、あのときからいまに至るまで、ずっとそう思いつづけてきたかなあ」と、Rちゃんがそっと云う。
 同感だった。
 中学のころから、たしかにわたしたちはふたりとも、自己中心であったかもしれない。だけど、ほんとうは、こういう希いももっていた。地球のまんなかで、自分の責任において生きてゆきたいという希い。
 たのしいこともいっぱいあったけれど、たまには、たのしくないこと、辛いことも降りかかってきた。たのしいことが降りかかってきたときには自分の手柄や運のよさだと考えるくせに、たのしくないこと、辛いことが降りかかると、ひとはなんだか自分以外の誰か、あるいは何事かのせいにしたくなる。中学生のころ、Rちゃんとわたしは、「そういう考えはヤだね。したくないね」と話しあった。その決意みたいなものが「地球は自分中心にまわってる」につながるのだが、それは、なかなかにひとにわかってもらいにくい考え方だった。
 ああ、その考え方がつづいていたんだな。会わないでいたあいだも、ずーっとつづいていたんだな。17年間も。

「ねえRちゃん、それにわたしたちって、いつもちょっぴり悪いよね」
「うん、悪い悪い」
 反省し過ぎないように、とは要心している。けれど、「ちょっぴり悪い」という自覚はしていたい。なぜって、よかれと思ってしたことですらひとを傷つけてしまうことがあるというのが、この世の仕組みだもの。ぼんやりしているというだけで、困ったことをひき起こすこともあるのだもの。

 Rちゃんがやってきてくれた日、あらためてこう思ったなあ。
 どんなことも、ひとのせいにせずに生きてゆかれますように。

 ところで。
 なぜ、17年間も会わずにいて平気だったのかわからないけれど、もう、会わなくても平気という実験は、おしまい。おしまい。

Photo
このひもを解くと、なかからけむりが……。
「そして17年分年をとります」
なんてことだったら、困りますね。

冗談はさておき。
これは、この夏の弁当スタイルです。
大きめの保冷剤1個を入れています。


Photo_2
きょうの弁当。
初めてパスタ弁当をこしらえました。

弁当は、朝つくって、しばらく冷蔵庫か冷凍庫に入れておき、
包んで、さきほどの保冷袋へ。
夏の弁当。
がんばりましょう……ね。

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