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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2011年11月

2011年11月29日 (火)

とくべつの日

 目が覚めたら、5時だった。
 すこしはなれたところで、いちご(うちの猫。16歳)がまるくなっている。
「おはよう」
 いちごは、ああ、と鳴く。おめでとうと、鳴いてくれている。
 きょう、わたしの誕生日。
 53歳おめでとう、の日。ずいぶんたくさん生きてこられたものだ。感謝。
 そしてきょうは、土曜日。三女が中学校へソフトテニスの部活に出かける。眠そうな顔で台所にやってきた三女、「おはよう。きょうはお天気? 気温は何度くらいかな」と云い、とつぜんはじかれるたように「おたんじょび、おめでとう」と叫ぶ。
 NHKの連続テレビ小説「カーネーション」をひとり見る。主人公の糸子に赤ちゃんが生まれた。あら、おめでとう。きょうのわたしは、のんびりしていられない。たーくさん仕事をしないといけない。「カーネーション」の糸子は、夫に向かって「わたしは仕事が大好き」と云っていたけれど、わたしは好きだろうか。……好きだと云えるだろう。
 机のパソコンに向かって、メールを確認する。「お誕生日おめでとう」が5つならんでいる。1つは、同じ日生まれの友人から。急いでこちらからも「おめでとう」とメッセージを送る。
 さあ、仕事。……しかし待てよ。そうだ、あのひとたちにも「オメデトウ」を云ってもらおう。「嵐」のファンクラブの窓口(サイト)から「そこ」へゆく。誕生日の日いちにちだけ、嵐の5人におめでとうと云ってもらえる「そこ」へ。云ってもらいにこちらから出かけてゆくにしても、このはずみ方はどうだろう。「ありがとう、ありがとう」と云いながら、もう一度見る。それから「アリガトウ、アリガトウ」と云って、もう一度。「有難う、有難う」と云って……。画面の下には「このメッセージは、本日の24時まで見ることができます」とある。
 原稿にとりかかる。よくよく考えないと、最終地点に着地できないというような内容で、書きはじめている。今し方ゆるんだ口元が、きゅっと締まる。ああでもない、こうでもないと苦心の末、書き上がる。
 書いている途中で二度、家の門の呼び鈴が鳴った。
 ひとつめは、西村佳哲(よしあき)さんの新刊だった。『わたしのはたらき』 (※1)。「自分の仕事を考える3日間Ⅲ」としてことし1月、奈良県立図書情報館で開催されたイベントから生まれた本である。8人のゲストと数百人の人びとが全国から集まって、仕事や働き方をめぐって、話を聞いたり語り合ったり。わたしはゲストのひとりとしておかしな話をしたが、何よりも自分の勉強の機会と出会いをもたらしてもらった。そんななつかしい本がきょう届くなんて。ありがたいにもほどがある。
 ふたつめの呼び鈴。やってきたのは12月はじめ発売の拙著(※2)だった。いつものことだが、カヴァも帯も見るのは初めて(本が出るまで見ないことにしている)。へえええと感心する。本の誕生と、自分の誕生日が重なったのは、たぶん、初めてのこと。
 上のふたりの娘たちを起こしにゆく。ふたりがふたりとも、布団のなかから「お誕生日おめでとう」と云う。にょきっと腕をさしのべて。
 つぎの原稿にとりかかる。こちらは、何を書くかまだ決まっておらず、どうしたものかなあと考える。目につくものを手にとったり、机まわりの片づけをしたりしながら考える。
 午後1時、部活から三女もどる。散歩がてら買いものと昼食に出る。女ばかり4人でぞろぞろと。靴を修理したいと、長女は2足の靴が入った袋を下げている。靴を預けてから、三鷹駅近くの寿司店の客になった。あおさの味噌汁がおいしい。烏賊と小肌がおいしい。三女が、
「ね、好きなものは先に食べる? あとにとっとく?」
 と皆に訊いている。
「わたしは先に食べちゃう」
 と長女が答える。
「とっておくと、食べられちゃうもの」
 これは、ひとのおかずをねらうことのある(ことに弁当)長女ならではの答えである。
 会計をし、店の外に出て歩きはじめたが、なんだか落ち着かない。たったいま、支払いをすませた金額が、少なすぎるように思える。店にとって返してたしかめてもらう。思ったとおり、ひとり分計算から抜け落ちていた。気がついて、とって返せてよかった。こちらにその気がなくても、一部ただ食いをするところだった、誕生日の日だと云うのに。
 前から行ってみたかった三鷹駅南口から10分ほどの「山田文具店」を覗きにゆく。なつかしいモノ、実直なモノ、慕わしいモノが、厳選されてならんでいる。子どもたちがそれぞれ、誕生日プレゼントを買ってくれる。原稿用紙の升目のあるはがき大の便箋や、紙のシール、グーチョキパーのかたちのクリップなど。
 帰りに、いつも行く文具店「NIHON-DO」の客になる。文具店へのときめきは、子どものころからすこしも変わらない。年賀状の版画の道具をもとめる。
 帰宅してもうひと仕事。子どもたちは台所に入りこんで、晩ごはんの仕度をしてくれている。昨日、何が食べたい?と尋ねられ、咄嗟に「パクチー(香菜)」と答えた。たぶん、パクチーを齧れるだろう。たのしみ。やっとのことで仕事にきりをつけ、風呂に入る。これ(晩ごはん前の入浴)も、若い日から変わらない日課。
 湯上がりに書斎で本を読んでいて、くしゃみをする。この部屋の暖房、どうしよう。北向きの部屋なので、暖房なしというわけにはいかない。先週、寒い日に新聞の挿絵を描いていたら、線がまっすぐに引けずぐにゃりと曲がった。どうしたんだろうと思ったが、手がかじかんでいるのだった。あらま。
 晩ごはんに呼ばれる。
 卓の上に見たこともない紅いランチョンマットが敷いてある。
「これね、いつもの赤紫のを裏返したの。おめでたい感じでしょう? ね」
 と三女。たしかに、おめでたい感じだ。
 シャンパン
 野菜スープ
 シンガポール風鶏飯(けいはん/チキンスープで炊いてある、蒸し鶏添え)
 パクチーのサラダ
 トマト
 プディング
 長女をリーダーに、3人でつくってくれた。どれもよくできている。ありがとう。昼間山田文具店でもとめたプレゼントとカードを受けとる。ありがとう。
 夫は仕事で旅先にいて、きょうをともに過ごせなかったが、いい日だった。

 とくべつの日。
 でも……。明日も明後日もその先も、きっと、とくべつの日はつづく。毎日毎日がとくべつの日なんだと、わからせてもらった、きょう。おめでとう、わたし。


Photo

誕生日の日、
ミニシクラメンの花が咲いているのに気づきました。
……ぽっと。
昨年もとめたミニシクラメンです。
名前は不二子(「ルパン三世」に登場の「峰不二子」から名前を
もらいました)。
不二子は、たくましいです。
下のほうに、つぼみ、たくさん。
うれしいなあ。

※1『わたしのはたらき』(西村佳哲/弘文堂) 本体1800円+税
※2『そなえることは、へらすこと。』(山本ふみこ/メディアファクトリー)
 本体1200円+税

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2011年11月22日 (火)

課題

 夫が13日間、仕事で家をあけることになった。
 10日間以上留守にするのは、久しぶりのこと。ちょっと心細い。
 わたしは、夫に対してなんというか……、威張っている。威張りながら、頼っている。頼るなら、威張ったりしなければよいのに、つい、威張る。
 つまり、13日のあいだ、わたしは誰に対しても威張れず、頼れずということになるわけだ。心細くもあり、つまらなくもある。

 仕事の目的地から夫が、「無事到着」のメールをよこした。自分でくるまを運転して出かけたので、ほっとして、無事をよろこぶ。
 メールには、「早くも寂しくなっています。留守が長くなるけれど、よろしくお願いします」とあって、思わず笑う。「寂しい」などと云うことの、滅多にないひとである。こころのなかに起こったことを、そのままことばにできる心境というのは、いいなあと、思える。
 こちらも、同じようにゆきたい。そして、こう返信した。
「留守のあいだのことは、大丈夫、まかせてください。さて、わたしが機嫌よく1日を過ごすため、大事だと考えていること、それは何でしょうか。明日の朝までに、この課題を考えて答えてください。ふ」

 つぎの朝、メールで「答え」がくる。
「課題の答え。朝、いちご(うちの16歳になる猫)に『おはよう』を云うこと」
 なるほど、それはいい答えだ。そしてそれも当たっている。が、答えてほしかったのは——

 朝、みんなでその日の分の家事を大方してしまうこと。

 それが、答え。
 どうして課題を出す気になったものか。
 わたしにしたら、夫が13日間留守をすることになったのをきっかけに、この家の1日について考えてみたというわけだろう。考えてみて、1日の家事の大部分(75パーセントほど)を皆で手分けして片づけてしまっていることに、あらためて気がついたのだ。
 残り(25パーセントということになる)の家事は、洗濯もののとりこみや片づけ、晩ごはんの仕度、後片づけ。夕方の家事は、25パーセントという数値よりも楽だと思える。1日のおわりに、それはたいていわたしが担うことになるが、それは労働というより一種のやすらぎである。
 ひとりごとをつぶやきながら台所で働いたり、とりこんだ衣類をたたんだりしながら、縮こまった神経をのばしてゆく。

 わたしが夕方の家事をやすらぎと思えるのも、朝の一同のはたらきによるところが大きい。
 いちばんに起きるのはわたしだけれど、つぎつぎに起きだして、忙しく働く。夫は植物の水やりや味噌汁づくり(、ときに掃除)、長女はトイレと洗面台の掃除、二女は風呂掃除(、ときに掃除)、三女は外まわりというふうに、たびたび役をとりかえたり、「きょうはできなーい」と叫んだりしながらも、とにかく働き、平均して1日の家事の75パーセントを片づける結果となる。わたしは、そのあいだに朝ごはんと弁当の仕度、洗濯と洗濯干しをする。
 朝がこんなふうにはじめられると、わたしは機嫌よく書斎に入ることができ、待ちかまえている予定に向かえるというわけだ。

 夫に、課題の答え(朝、みんなでその日の分の家事を大方してしまうこと)を知らせるメールのおしまいに、こうつけ加えた。
「仕事で夜更かししたり、たとえば二日酔いで朝起きられないときには、『ご、ごめんね、起きられないや』と云ってください。けんかしたときも、とにかく朝、わたしがいる台所にきてください」

Photo_2
夫が13日間の旅仕事に出かける数日前のことです。
「裁縫箱、貸して」と云います。
裁縫箱を、夫が自分で使おうというのは、
初めてのことのような気がします。
しばらく、太い針でちくちくやっているようでしたが、
夕方、こんなのができていました。


Photo_3
こら、こんなふうに。
業務用のビデオカメラの吊り紐になりました。
近所の自転車店で、タイヤのチューブをもらってきて、
古いかばんの提げ紐と、縫いあわせたそうです。

チューブだと、ビデオカメラがすべらず(カメラは
固定が原則なので)、具合がいいというわけです。
先輩カメラマンがつくったのを真似たとのことですが、
男のちくちく、なんていいんだろうと感心しました。
(この写真、ビデオカメラをかまえているのは、わたしです。
思っていたよりビデオカメラは重かった……)。

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2011年11月15日 (火)

尻餅と靴擦れ

 雨の夜だった。
 コンクリートの地面が濡れ、ぬらぬらと光っている。なんだか物悲しい。が、それが夜行にふさわしくも思える。
 深夜バスの発車時刻を告げる幾通りかの声を聞き分けようと、うろうろしかけたとき、ぺたんと尻餅をついた。こういう事態に陥ったときの常として、一瞬、何が起きたかわからなくなる。
 ——え、何?
 というふうに。まるで、時空の穴に落ちこんだようだ。が、その一瞬が過ぎると、こんどは事態が飲みこめて、ああ、尻餅をついたのだなと自覚する。このときの感覚が、もっともひとによってちがいがでるところだ。
 さあ、どう感じるか……。
 わたしは、こんなふうに感じた。
 ——尻餅。なんだか、すとんとついたな。正調尻餅。
 そして、着地地点は、ここだ。
 ——これでよし。この旅は、うまくゆく。

 デニムのお尻をさすりさすり立ち上がると、まわりの驚いた顔、心配して、声をかけようかそうしないでおこうか迷うような顔に囲まれているのに気がついた。これもいつものこと。わたしは、自分の尻餅や転びに馴れっこになっていて、どうとも思わないけれど、いつもここで、反省する。まわりを驚かせてしまったことに対して。
「あ、大丈夫です。すみません」

 学生時代(中学、高校、短大と8年間)の同級生の個展が奈良で開かれる案内をもらって、とつぜん出かけることにした。行動力があるとはとても云えないわたしには、めずらしい冒険だ。しかも、行き帰りの交通手段を、深夜バスと決めた。
 冒険を前に、片づけておかなくてはならないことを片端から片づけ、仕事の約束も守ろうと(また、帰宅した日に焦って仕事をしなくてよいように)、それはもう大忙しであった。自分にめずらしい冒険への緊張からか、かなり切羽詰まっていた。ただし、切羽詰まったのは3日間のことだ。行こう、と決めたのが出かける3日前だったから。
 冒険への緊張。それは端(はた)にも伝わったらしく、「お母さん、緊張してるね」と長女に云われる。
「うん。深夜バスも初めてだしね。ちょっと、き、緊張してる」
 深夜バスに乗ることも、度重なる地方への取材も、ものともしない勇敢な長女(雑誌の編集部に勤めている)は、「大丈夫。いまの深夜バスは進化しているからね。早朝到着して、深夜出発でしょう? スーパー銭湯を調べておくといいよ。時間がつぶせるから」と云う。
 そして、首枕(息を吹きこんでふくらませ、首に巻きつける枕)と、アロマオイルを染みこませたアイマスクを手渡してくれた。うれしかったが、これで、また緊張が募る。

 深夜バスの集合場所で尻餅をついたところにはなしを戻すけれど、そのとき、やっと緊張がほどけたのである。尻餅でどうして緊張がほどけるかと尋ねられても困るけれど、ほどける。ああ、この尻餅が、この旅のあいだの困ること全部を引き受けてくれたなあと思うからである。
 そして、ほんとうにいい旅になった。
 まず、深夜バスがわるくなかった。首枕とアイマスクが威力を発揮した。かなたの長女に向かって、「ありがとう、ありがとう」と云いながら眠りにつく。
 さがしておいたスーパー銭湯もいい塩梅だった(到着の朝と、出発前の夜と、つまり同じ日に2度同じスーパー銭湯の客になった)。
 そうして。友人の個展、「樫本素子 展」がすばらしかった。
 およそ20年ぶりの再会だというのに、とつぜん出かけていったので、たいそうおどろかせてしまったが、絵は大作も小さな作品もみな、こころに響いた。20年会わないあいだ、わたしの知らないいろいろのことが起こったのにちがいなくても、作品から、素子さんがずっと明るい気持ちで過ごしてきたことが伝わった。
 個展会場でばったり会った、2人の級友(こちらは30年ぶり)と、近くの店で目がとび出るほどおいしい天ぷらを食べる。
 べつの友人と近鉄奈良駅の行基(ぎょうき)さんの銅像前で待ち合わせをし、ふたりで「磯江毅=グスタボ・イソエ 展」(見ることができて幸いであった/奈良県立美術館)と「正倉院 展」を見、釜飯を食べた(このとり釜飯がまた、おいしい)。
 仕事を終えた友人のだんな様が車で来てくれ、若草山に上がる。頂上から眺めた奈良盆地の夜景。それをこころに刻みながら、死ぬ間際この光景を思いだすかもしれないなあと、ふと考える。暗がりのなか、鹿が鳴く声を聞いた。鹿を2頭ばかりバスに乗せ、連れ帰りたいようだ。
 という奈良での1日。すばらし過ぎる1日。
 出がけ、バスに乗りこむ前についた尻餅のおかげで、無事冒険ができたのだ。友人夫妻と別れたあと、足のかかとに靴擦れができているのに気づく。夜、その日2度めのスーパー銭湯に入ったとき、見ると、皮が剥けてそうとうにひどい靴擦れであることがわかった。どうりで、痛いはずである。
 いつも履いているスニーカーで、これほどの靴擦れができるとは。
 ——ああ、そうか。
 と、こころづく。
 この旅のよろこびと無事がもたらせるのに、尻餅という災難だけでは足りず、靴擦れも加わったのだなあ。と、こころづく。

Photo
靴下(三女の)のかかとがすり切れたので、
あたらしいのを買いました。
左の靴下、3回は繕いました。

尻餅、転び、靴擦れのようなのも、
わたしには「お守り」に思えますが、繕いも、
そうとうに「お守り」になると信じています。

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2011年11月 8日 (火)

何を足すか 〈引用ノート11〉

 日本中のひとが、昨日より今日の方が少しでも美しくなったとしたら、日本中は昨日より今日の方が美しい国になるのです。今日よりは又明日がもっと美しくなったとしたら、日本中は又ずっと素晴らしい、美しい国になっている訳です。
 日本中の女性——といっても、それは、実はあなたがた一人々々が、自分をもっと美しくしようと考えて、ほんの少しでも努力して心がけてゆけば、結局はそれが日本中を美しくする……ということになるわけです。
 もっと美しくなろうと考えることは、それは何もこれ以上お金をかけるということではなくて、今のままでも、例えば、どんなふうに着るものの調和を考えたらいいか、あるいはどんな組合せをしたら美しいのか、またこんなところには何を着て行ったらいいか、といったようなことを、一番効果的な結果になるための工夫をするのです。また女性が「美しく」見える時は、美しい着物を着ていることだけではなくて、そのひとのほんのちょっとした女らしい心づかいから、思いがけない美しさが見られるものだということも知っていて下さい。   
       『あなたがもっと美しくなるために。』(中原淳一/国書刊行会
※1)所収

 「中原淳一」(※2)は、女性たちのこころをときめかせる(励ます、ともいえる)世界観をつくった人物である。ほんとうは、わたしのひとつ前の世代が、「中原淳一」の存在との実時間を生きていた。わたしはといえば、姉さん格の友人や先輩の部屋で「それいゆ」や「ひまわり」(※3)に出合ったクチである。坐りこんで、時がたつのも、日が暮れるのも忘れて読みふけった。
 そのまばゆさは、遠い世界のはなしのようでありながら、そのじつ努力によって、自分もそこへゆき着くことができるという気持ちにさせられるのが常だった。うつくしいが華美ではなく、豊かだが贅沢ではなかった。
 久しぶりに「中原淳一」に会いたくなって、本棚をさがすのに、1冊もみつからない。さがしながら、そういえば……と、頼りない気持ちになってゆくのがわかる。
「中原淳一? 知らないなあ」とか、「何をしたひとですか?」と云われるたび、野蛮なこころになって「これをあげるから、読んでみて!」と叫んでは本を押しつけている自分を思い返して。そんなことでいちいち野蛮なこころになったりするのは、「中原淳一」を幻滅させる振る舞いであることをわかっているつもりだ。それでも、知らないという若いひとに、どうしても知らさなくては、と思うあたりで、突如野蛮に、どうかすると獰猛になってしまう。

 本棚に「中原淳一」の本が(あんなにたくさんあったのに)なくなってしまったことを知ったわたしは、また野蛮なこころになりかかって、書店に本をさがしにゆく。とりあえず、かつて自分が持っていなかった本を1冊さがしあてて、やっと野蛮から解放されたのだった。
 その本『あなたがもっと美しくなるために。』のまえがき(掲出の)を読んで、唸る。これは野蛮、獰猛系統のものでなく、しみじみ感じ入っての唸りである。
「中原淳一」を好きなのは、「日本中のひとが、昨日より今日の方が少しでも美しくなったとしたら、日本中は昨日より今日の方が美しい国になるのです」と、堂堂と云いきるところであり、価値基準を「お金をかける」に置かないところ、すがたかたちのおしゃればかりでなく「なかみ」を大事に考えるところだ。
 この本には、主に、おしゃれについての考え方、工夫について書かれている。帽子のかぶり方。替カラー(衿である)のはなし。ハンカチのはなし。端切れでつくる家着。1着の服を何通りにも着る方法。セーターをよみがえらせる方法。などについて書かれている。そればかりではない、あいだに、電話のかけ方、文字を書く練習、坐ったときの姿勢、うつくしい歩き方、清潔な手、ということについてのエッセイもはさまっていて、はっとさせられる。
 その昔、先輩の本棚からひっぱり出した「それいゆ」には、オーバーを2年に1度、3回仕立て替えたなら、6年に3度あたらしい型のオーバーが着られるというはなしがのっていた。また、1着しかないオーバー(グレーか黒を選んで)の衿のあしらいを変えたり、ベルトをするなどしていろいろに着ることができるというはなしも読んだ。
 そういうはなしは、いつしか自分のなかに棲みつくものである。わたしが、30年以上も1着のコート(紺色のロングコート)を気に入って着つづけているのも、「中原淳一」の導きによるような気がする。途中、仕立てなおしの専門家に頼んで肩幅を詰めてもらったり(肩パットもはずして)、裏地をなおしたり(これは自分でした)しながらの30年である。
 紺色のコート。その存在は、わたしに何かを告げている。
 あるモノをいいなあと思う、気に入る。この選びは成功だったなあ、などとも思ってよろこぶ。大事に、できるかぎり長く使いたいなあと希う。
 ここにあるのは、おしゃれのこころ、約しいこころだ。が、それだけでは足りない、と紺色のコートは告げている。おしゃれ単独でも成りがたく、約しさ一辺倒でも成りがたい有り様(よう)を、紺色のコートは告げている。
 何を足すか。それは、手をかけるということだろうなあと思う。ワードローブに置きつづけ、ひたすらに「大事大事」と思おうとしても、やがて着飽きて(見飽きて)しまうだろう。が、修繕や手入れを加え、小物の工夫をすることで(仕立て替えるところまでゆかなくとも)、おしゃれと約しさが手をとり合うことができる。愛着が生まれる。

 なんだか、また、冬のやってくるのがたのしみになってきた。あのコートを着るたのしみがある。ことしは、どんなふうなことを加えよう。昨年は、若い友人から贈られた、渋みの効いた青系のマフラーがコートの衿もとを引き立ててくれた。
 そうそう、そのコートは丈が長いので、駅の階段を上るときなど、前立てをすこうし持ち上げるようにしないと、裾(すそ)で階段掃除をすることになる。そんなことに気を配るのも、愉快。そうしてまた、長さ故に姿勢をよくして着ないと、折れまがった案山子(かかし)のようになってしまう。ぴんと背筋をのばして、歩かないといけない。そんなことでも、冬の相棒とも云えるコートは、わたしを励ましてくれている。

                     *

 長年の気に入りをある日とつぜん失う悲しみのあることを、ことし知りました。そのような目に遭った人びとのもとに、気に入りの1着がまたやってきますように。

※1 『あなたがもっと美しくなるために。』
1958年(昭和33年)ひまわり社発行の『あなたがもっと美しくなるために』を原本にした作品。

※2 中原淳一
1913−1983 画家、人形作家、ファッションデザイナー、スタイリスト、ヘアアーテイスト、作詞家ほか。著述作品も多数ある。

※3「中原淳一」が自ら企画編集した雑誌に「それいゆ」(1946年)、「ひまわり」(1947年)、「ジュニアそれいゆ」(1954年)、「女の部屋」(1970年)がある(カッコ内は、創刊の年)。「それいゆ」は、フランス語のひまわり。 

Photo
左側が、ここへご紹介した『あなたがもっと美しくなるために。』です。
そして、もう1冊、『夫 中原淳一』(葦原邦子/平凡社ライ
ブラリー)がうちにはあります。この本は、若い友人にも渡さず、持ちつづけて
いました。
葦原邦子(あしはら・くにこ)さんは、戦前の宝塚の大スターです。
退団後、あこがれのひとと結婚、夫を支えつづけました。
出版社時代、幾度かお目にかかる機会を得ました。
あたたかいあたたかい、方。おふたりの夫婦愛は、ひまわりのように
思い出のなかに咲いています。

「中原淳一」の本は、どの本を見てもよいと思っています。
これがおすすめ、と選びきれず、「とにかく」手にとってみてほし
いなあと希っています。

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2011年11月 1日 (火)

ともだち

 先週のつづきで、「不便」と「便利」のことを考えている。考えずにはいられない。なぜと云って、暮らしをどうにかくりまわしてゆこうという立場のわたしたちにとって、「不便」と「便利」は大問題だからだ。
 暮らしをどうにかくりまわしてゆこうという立場のわたしたち、と書いて、可笑しくなる。暮らしをどうにかくりまわしてゆこうという立場でないひとというのは、この世には(ほとんど)いないことに突きあたって。(ほとんど)と記したのは、この世には思いがけないことがいくらでもあるからだ。そして、わたしには、その思いがけなさがまだまだわかっていないからだ。

 さて、「不便」と「便利」のはなし。
 わたしが小学校から短大まで14年間かよった自由学園という学校は、不便な学校だった。どんな学校でしたか? と尋ねられたときには、「うつくしくて、不便な学校でした」と答えることにしようと決めているくらいだ。
 残念ながら、そういう問いを受けたことはない。自由学園のことをすこしは知っているひととのあいだでしか自由学園のことは話題にならず、話題になるときには、たいてい相手が「おもしろい学校」、「変わった学校」というふうに云ってはなしが終わる。
 いつか、「うつくしい」というほうのはなしも書いてみたいと思うけれど、きょうは「不便」のほうのはなしを。

 自由学園は、羽仁吉一・もと子夫妻の創立した(1921年)学校である。ことしの4月、創立90周年を迎えている。
 羽仁吉一せんせいの著作に『雑司ヶ谷短信』(上・下巻/婦人之友社)がある。月刊誌「婦人之友」の巻末に、1932年(昭和7年)以来23年間書きつづけられたものだが、そのなかに「教育は不便なるがよし」という一文がある。
 なんと潔いことばだろうか、「教育は不便なるがよし」とは。
 学生生活のなかには、たしかに不便なことがたくさんあったけれど、このことばを胸のなかで唱えることによって、その値打ちをわかる者になりたいと考えていた。その意味では、健気な学生であったとも云える。が、そういう方向で考えないと、このめずらしい学校生活をたのしむことはできないだろうという切実な思いがあったのも、また確かだ。
 昼食づくり(当時は当番の25人ほどで約600人分の食事をつくった)。後片づけ。掃除ほか、多くの事ごとが生徒の自治でおこなわれた。
 そのひとつひとつに、ほとんど昔ながらの方法で立ち向かってゆく。リヤカーでの荷物運び(坂道はあったし、あれはほんとうに重かった)、薪を使っての竃(かまど)のご飯炊き、サカナも600尾下処理して炭で焼いた(高校1年の1年間、サカナ料理だった。初めて焼いたサカナはトビウオで、そのときは、サカナ嫌いの友人に代わったのだった。そうしてその後1年間、当番のたびにサカナを焼く羽目になった)大鍋での煮炊き(おかずばかりでなく、ジャムやミンスミートもつくった)、学校じゅうの雑巾洗い、カーテンの洗濯、繕いもの。堆肥もつくったし、芝刈りもした。
 冬は寒かった。
 学校のある東久留米市は、同じ東京でも23区に比べると1度か2度気温が低い。その上、学校の正門を入り、坂を下りて女子部にたどり着くとまた1度か2度気温が下がっている。わたしが生徒でいたころは、各教室石炭ストーブだった。当番が朝早く登校して、石炭バケツで石炭を運び、ストーブを焚く。ストーブのなかで空気(気流)がうまく上昇するように焚ければ拍手喝采だが、ときどきうまくゆかずに、教室じゅうがもくもくと煙だらけになった。休み時間になると、皆がストーブのまわりに集まり暖をとる。そんなときに、はずみでスカートやセーターを焦がすというようなことも、1度や2度ではなかった。
 なつかしい日日を思い返しながら、ふと思う。
 あのころ、わたしの目には「不便」と「便利」が見えていた。ただし、そのふたつは相反するものではなくて、そう、ともだち同士のようなものだった。

「不便」は「便利」に向かって云う。
「あのさ、どうしてそこまでしてくれるの?」
「便利」は「不便」に向かって云う。
「キミが大事だからに決まってるじゃない。いなくなってもらっちゃ困るからね」

 ともだち同士が、こんなこと云い交わすなんてこと、ないと思う。云う場面があるとしたら、そうとうに切羽詰まった場面ということになるだろう。が、このたびは、暮らしをどうにかくりまわしてゆこうという立場のわたしに、確かめる必要があったので。
 おかしな会話をさせたこと、「不便」と「便利」にあやまりたい。

 ところで。
 あのころくっきりと見えていた「不便」と「便利」が、いまはよく見えない。「便利」があたりまえになり、そうなると「不便」もまた、見えなくなくなっている。ふたりはもうともだちでもなく、お互いの顔も見えない場所に立っている。

Photo_4
ナイフの写真なんか出してきて、
驚かせたら、ごめんなさい。

これは、結婚して実家をでるときそろえた
ナイフです。
西洋料理を食べるとき、使いましょうと思って。
フォークとスプーンは6本ずつそろえましたが、
ナイフは2本。必要になったら買い足すつもりでした。
ところが。ナイフを買い足すことはなかった……。
出番がくると、ナイフだけは使いまわします。
肉を切ったら、「はい、つぎのひと」というふうに。
さいごはたいてい、ナイフとフォークの両方を使って食べるのが
好きな三女とわたしが使いつづけます。
きっと、これからも2本のままだろうなあと、思います。

ナイフが2本というのなんかは「不便」のうちには入りませんが、
この、じゅうぶんでない感じが、わたしはちょっと好きなのです。

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