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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2012年1月

2012年1月31日 (火)

偵察散歩

 東京に雪が降った。
 まだ降っていなくて、「降るでしょう」と天気予報士が告げているときすでに、全身が雪でいっぱいになる。雪の記憶を、ひとつ残らず目の前にならべてみたくなる。雪だるまのように。
 雪だるまのように、とは、子どものころ雪が降り積もるたび(そうたびたびは積もらない)、気がつくと小さいだるまをつくってならべた思い出が、書かせている。目の前に勢ぞろいした雪のだるまに、雪郎、雪二、雪三、雪太、雪夫と、名を(なぜか男の名ばかり)つけてゆく。
 東京の雪は溶けてしまうのも早く、翌朝には、雪郎たちの姿は変わっている。どうかすると、末の弟たちなどは、いなくなっている。兄から順に、少しずつ小さくつくるからである。
「雪郎、雪二、学校からもどったら、また遊ぼう」

 このように、わたしが子どもだった時分には、東京にも、いまよりも頻繁に雪が降り、いまよりもたくさん積もった。記憶のなかには、弟とした雪合戦、つっかけ式の「板」に長靴の先をひっかけてするスキー、かまくらづくりといった情景がしまわれている。上ふたりの子ども時代にも、校庭での雪合戦の思い出があり、大雪による休校も、めずらしくはあったが、経験している。
 上ふたりの子どもと年のはなれた三女のときには、雪が遠のいていた。たくさんの雪の思い出をつくってほしかったけれど、そうはならなかった。

 思いのほか早くきりがついた仕事からも、子どものころの雪の記憶からもはなれて、茶の間に行くと、かごにパンが山になっている。パン店を営む友人がたくさんのパンを送ってくれたものだ。前に同じことがあったとき、おすそ分けしたマリ子さんが、「こんなにおいしいくるみパンは初めて」と云ってくれたのを思いだす。
 ——そうだ、マリ子さんに届けがてら、偵察散歩に出かけるとしよう。
 わたしは、ときどき「偵察散歩」という大仰なる呼び名の「てくてく」に出かける。そういう大仰の後押しを得て、なんとかして外に出るようにしないと、わたしはときどきほんものの「居たきり」になる。
 外を眺める。うれしや、おもては、いまだ白の国であった。
 マリ子さんは、長年の友人であるが、3人の子どものピアノの師でもあるひとだ。子どもたちがピアノをおしえていただいている世界では、マリ子せんせいとお呼びし、これは友情世界のことだなあと思えるときには、マリ子さんと呼びかけることにしている。呼び方なんか、どうでもいいという向きもあろうけれども、そこを呼び分けることには意味があり、そしてたのしい。幾重にも関わりのあるたのしさである。
 そういうわけで、きょうはくるみパンに、黒豆のパンを加えてた袋をかかえて、長靴を履く。長靴を履くと、エルマー*になったのも同じ。わたしは、すっかり冒険のおばさんである。財布? そんなものは持たない。パンだけを抱いてゆく。
 家を出ると、前の雪かきをしなかったため、門の前でつるりとすべった。おお、いけない。夫は関東出身、わたしも道産子二世なので、こういうところがにぶい。雪かきを平気で怠るのも、歩きだし方が下手なのも。
 中央公園を抜けてゆこう。そこは、広い広い、もひとつ広い原っぱで、この地域の拠所(よりどころ)のような場所である。白い原っぱに、大きな雪だるまが3人ならんでいる。まわりに、母子(おやこ)3組の姿がある。雪だるま3人、お母さん3人、子ども3人。眺めたかったのは、これだなあと、うれしくなる。
 マリ子さんの家のぴんぽんを鳴らすが、お留守だった。驚く顔がひと目見たかったけれど、マリ子さんも、白い国への偵察散歩に出かけているのかもしれない。門のなかの柵にパンの袋をぶら下げる。

 家に帰ってから、実家の母に電話をする。たしかめたいことがあったのだ。
「おとうちゃまは、今朝、雪かきをした?」
 と訊く。
「そりゃあ、もう」
 母は、あたりまえのことを尋ねられたという声で、答える。
 北海道苫小牧育ちの父(現在88歳)と、函館育ちの母(父の5つ下)は、雪、というと、なんとはなしにうかれている。ことに父は、起きるなり耳当てのついた帽子までかぶってあらわれる。雪が降り、積もりかけるやおもてに飛びだし、手慣れた手順で雪をのけてゆくのである。雪の量がどんなに少なくても、そうやって、雪のなかに道をつくって初めて、安心できるらしい。
 電話で「そりゃあ、もう」と聞き、あわてて、夕方おくればせの雪かきをする。雪はまばらに、凍っている。 

* エルマー
『エルマーのぼうけん』(ルース・スタイルス・ガネット作 ルース・クリスマン・ガネット絵 わたなべしげお訳/福音館書店)の主人公の少年、エルマー・エレベーター。はるかかなたのどうぶつ島にいるりゅうを助けるため、エルマーは冒険の旅に出ます。……黒いゴム長靴を履いて。

Photo
せっかく外に出たのに(偵察散歩)、
「財布? そんなものは持たない」
と云って出かけたので、買いものもできずじまい。
それで、夫の実家から届いた
ほうれんそうばかり食べました。
写真は、「炒めもの」です。

①ほうれんそう1把をざくざくと切る。
②オリーブオイル(大さじ2)を熱したプライパンに
 ほうれんそうと塩(小さじ1)を入れて炒める。
③ほうれんそうに油がまわり(二~三分通り炒めたら)
 熱湯(1カップ)と酒(少し)を加える。
④さっと混ぜて、沸騰したら、鍋のふたでほうれんそうを
 おさえながら、水気を切る。
※この方法は、中華料理のやり方ですが、
 おいしい青菜炒めができます。
※いろいろの青菜のほか、きゃべつ、レタスも
 おいしく炒めることができます。

★ お知らせ
昨年11月に、東京池袋で、
小さなおはなしの会をおこないましたが、
ご好評につき、3月もおこなうことになりました。
日時は、3月14日(水)13時半~、
場所は、東京・池袋の「自由学園明日館」です。
ご興味のある方は、どうぞお出かけください。
詳細は、こちらへ。

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2012年1月24日 (火)

決断 〈引用ノート14〉

 花森さんは、
「君はどんな本を作りたいか、まだ、ぼくは知らないが、ひとつ約束してほしいことがある。それは、もう二度とこんな恐ろしい戦争をしないような世の中にしていくためのものを作りたいということだ。戦争は恐ろしい。なんでもない人たちを巻きこんで、末は死までに追い込んでしまう。戦争を反対しなくてはいけない。君はそのことがわかるか……」
 続けて「君も知ってのとおり、国は軍国主義一色になり、誰もかれもが、なだれをうって戦争に突っ込んでいったのは、ひとりひとりが、自分の暮らしを大切にしなかったからだと思う。もしみんなに、あったかい家庭があったなら、戦争にならなかったと思う……」そんな意味のことを話されました。
「わかります」ときっぱり答えたら、
「よし」と言われて「なるべく早くやりましょう」
              『「暮しの手帖」とわたし』(大橋鎮子/暮しの手帖社)より

「暮しの手帖」は、母が毎号欠かさず読んで、わたしも子どもの頃からページを繰った雑誌である。このブログを見てくださる読者の多くも、同じだったのではないだろうか。読んでいたのがお母さまでなく、おばあさまだった方も含めて。
 引用したくだりは、花森安治(はなもりやすじ)と大橋鎮子(おおはししずこ)*が「暮しの手帖」創刊を決めた日の、すこしあとのやりとりだ。花森さんは34歳、大橋さんは25歳だったと、ある。ときは敗戦(太平洋戦争)直後、東京の街は焼け野原、食べものは配給制で、それとて、ほとんどが芋や小麦粉などの代用品だった。
 そんな時代に、「暮しの手帖」は産声を上げた。
 女のひとに役立つ雑誌。暮らしが少しでもたのしくなり、気持ちが豊かになる雑誌。できるだけ具体的に、衣・食・住についてとりあげる雑誌。というふうに方針が立てられ、女性、ことに主婦が、そして脇からはわたしのように子どもが、こころ踊らせて読んだのだ。この方針は、現在の「暮しの手帖」にもつながっているし、あとから生まれた雑誌にも受け継がれているといえる。
 が、この方針が、「国が軍国主義一色になり、誰もかれもが、なだれをうって戦争に突っ込んでいったのは、ひとりひとりが、自分の暮らしを大切にしなかったからだ」という逃げ道のない反省から生まれたことを知って、驚く。「自分の暮らしを大切にする」ことがそれほど力をもっているということも、あらためてわからせてもらった。
 もうひとつ、忘れてはならないことがある。
 花森安治が、「誰もかれもが、なだれをうって戦争に突っ込んでいく」有様(ありさま)を、ひとりひとりの責任として考えているところだ。わたしたちの現在にも、同じことがあてはまる。現在の過ちが現在のわたしたちを苦しめるだけならまだしも、100年先、200年先のひとたちを苦しめるとしたら……。

 この本を読んでゆくと、「暮しの手帖」が生まれるにあたってものをいったのが、タイミングと決断だったことがひしひしと伝わってくる。
「いまだ!」とわかっても、理由をつけて(もっとひどいときには、何かのせいにして)なまけたり、決断をあとまわしにするのは、いけないなあと、思わされる。そも、わたしたち市井(しせい)の生活者に「いまだ!」の瞬間など滅多にめぐってはこないと決めこんだり、決断もひとまず棚に上げることにしたり。けれど、ほんとうは、わたしたちこそが鍵を握る者だと思える。
 自分の暮しを大切にしたいと希っているわたしたちだ。突っ込んでいってはいけない場所の前で、踏みとどまるこころをもちやすいわたしたちだ。
 あとは、小さな決断を実行にうつす癖をつけるだけだわ。と、思う。

 きょう1月17日は防災とボランティアの日。
 1995年に発生した阪神・淡路大震災において、ボランティア活動がさかんに行われたことから、この日が生まれた。
 家の非常持ちだしのかばんのなかみを点検。水を入れ替え、板チョコを加える。
「天国にぶっ放せ」(3月10日——震災の前日、ここにいるわたしたちは元気ですと、天国の人びとに伝えるために花火を上げる/宮城県泉ヶ岳スキー場/スコップ団)に資金協力のため、チャリティー・バザーを開く友人に役立ててもらうモノをあつめる。(1月17日記す)

*1946年(昭和21年)3月に、花森安治(1911−1978)と大橋鎮子(1920−)は、暮しの手帖社の前身、衣裳研究所を創業。服飾の提案雑誌「スタイルブック」をつくり、1948年(昭和23年)9月に「食」と「住」の要素を加え、「美しい暮しの手帖」を創刊する。のちに「暮しの手帖」に変更し、これと同時に社名も暮しの手帖社とする。


Photo

1月17日はそして、おむすびの日でもあります。
うちの5人それぞれが、おむすびをつくりました。
おむすびはいいなあ、とあらためて思いました。
ことしは、若い友だち(とくに子ども)におむすびを
つくってもらうとしましょう。
おむすびをつくれることは、そうとうの財産になりますから。

写真のおむすび、
上から夫、わたし、長女、二女、三女作。


Photo_2

海苔は、偉大です。

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2012年1月17日 (火)

バッグひとつで 〈引用ノート13〉

  ハルナ ずいぶん大きな荷物ですね。
  タエコ そうですか。
       とりあえず必要なものだけ持ってきたんですけど。
  ハルナ 必要なもの?
  タエコ  読もうとしてた本とか。
  ハルナ 本。でも、ここじゃ読めないでしょ。
       サクラさんはね、毎年バッグひとつでここへ来るんです。
       ちょっとそのへんに買い物にでも行くような感じで。
                           映画「めがね」※より

 ことしがはじまって早早、名古屋に出かけた。長女とふたりでの、1泊2日の小さな旅である。
 これまで、自分は出かけるときには比較的身軽なほうだと思っていた。ところが、出かける日の朝、靴を履こうとしていたときにあとからやってきた長女を見たら……。わたしよりいっそう身軽で、隣町まで本をさがしに行くときと、そうは変わらない出で立ちで靴を履こうとしている。なんだか、御株(おかぶ)を奪われたような気がして、ちょっとくやしくなるけれども、もう間にあわない。靴を履いてしまったし。
「身軽だね」
 と云う、くやしい気持ちをおさえて。
「ああ、ラオスに行ったときに、荷物なんか、ほんとうに少しでいいなあ。持っていなくてもへっちゃらだなあと思ったんだ」
 と、長女が答える。
 長女は昨年の暮れからことしの正月にかけてラオス(通称はラオスだが、正式にはラオス人民民主共和国)へ一人旅をしてきた。帰ってきてから、ときどき、ぽろっぽろっと旅先のはなしを聞かせてくれるが、彼女の様子を見ていて、いい旅をしてきたのだなあということがわかり、それ以上は何も聞かなくていいような気がしている。聞かなくても伝わり、何かが伝染する。
 旅の経験のなかでも、「荷物なんか、ほんとうに少しでいいなあ。持っていなくてもへっちゃらだなあと思ったんだ」の経験は、かなり大きいものであるらしかった。

 そんな長女とふたり、新幹線の乗客になる。
 東京駅でも、名古屋駅でも、コロコロと車のついた鞄(キャスター付きスーツケース)を引きずって歩いているひとの多さに、仰天する。なかでも、若いひとがコロコロと行くのを見ると、なんとなく違和感をおぼえる。スーツケースのなかには、何が詰まっているのだろうか。
「流行(はやり)なのよ」
 と長女が説明する。
「流行って、荷物をたくさん運ぶのが……?」
 と驚いて訊く。
「キャスター付きのスーツケースを持つことが」
「ああ。鞄の流行……」
 何にしても、と思う。
 旅は、荷物のこともべんきょうである。旅の荷物を少なくできたら、日常の持ち方も変わるような気がする。
 どんなふうな荷造りをするかで、そのときの自分を知ることもできるだろう。
 持ち過ぎているようなときには、徒(いたずら)に心配性になっていることが疑われるし、持たないことは自由に近づいている証かもしれないし。まるきり持たない、つまり持たな過ぎるときは、虚ろな時期をあらわしたり、あるいはまた、ひと頼みになってのことだったりするだろうか。
 荷物が少ないのばかりがいいわけではないけれど、わたしは、少ないのが好みだ。身軽がいいなあと思う。
 名古屋への小さな旅のあいだ、荷物を預けることもなく肩にかけ、ふたりであちこち歩きまわった。まるで、地下鉄にもバスにも乗るのを忘れたひとになって。
 歩いていると、旅人だというのに、たびたび道を尋ねられる。名古屋駅に降りたってすぐ、総合案内所でもらった地図を見ながら、もとめの行き先を答えたりするのは、なんとも愉快。道を尋ねるときにひとは、正しい道標をほしがっているのにちがいないけれど、そのじつ、いっしょになって道をさがす相手をもとめているのだなあ。

 映画「めがね」に出てくるサクラさん(もたいまさこ)は、バッグひとつでその島にやってくる。その佇まいの潔さ、浄らなのには、あこがれを禁じ得ない。素敵だ。
 たそがれたい(これは、映画「めがね」の鍵を握ることば。ご興味の湧く方は、映画でたしかめられたし)、自由に近づきたいというときに、荷物はいらないということだろうな。

※ 「めがね」(日本映画/106分)公開2007年
脚本・監督 荻上直子
配役 小林聡美(タエコ)、市川実日子(ハルナ)、加瀬亮(ヨモギ)、三石研 
  (ユージ)、もたいまさこ(サクラ)

*毎月第3週に書いてきた「引用ノート」、ことしは第3週と決めず、いいことばに出合ったときに書きたいと思います。どうか、おたのしみに。

Photo
小さい旅の効能でしょうか。
ずっと大事にしまっていた末の子どもの産着を
出してきて、階段の踊り場にある小さな窓に飾ることを
思いつきました。
友人が、佐渡の染色家にたのんでつくってもらったものです。
ときどきとり出しては、眺めるほか、
どうすることもできずに、ただ持っていました。
産着が、わたしを励ましてくれます。窓辺で。


Photo_2

背中は、こんなふうです。
このうつくしさ、産着に込められたこころが、
わたしを励ますのだと思えます。


Photo_3

前身頃をめくったところに、
金文字で、招き猫が染められています。
こんな「いいもの」が「隠れて」たしかに「在る」ということも、
わたしを励ますのだと思えます。

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2012年1月10日 (火)

陰のしごと

 「仕事」という漢字。
 書くたびに、かすかに惑うのである。
 それというのも、この二文字が、職業、業務を指すように思えるからで、たとえば家のことや、小さな雑用をしたというはなしのとき、「仕事」と書くと、どうもおもしろみが薄くなるような気がする。
 ああ、そうだ、家のことや手先の働きは、これから「しごと」と、ひらがなで書こう、と思いつく。
 漢字とひらがなの区別ということでは、ほかにも、わたしのなかに密かなとり決めがある。
「持つ」や「使う」。
 これは、どちらも、物質について書くときは漢字で、目に見えないものについて書くときはひらがなにしよう、と決めている。かばんは持つけれど、志はもつ、というふうに。手ぬぐいは使い、こころはつかう、というふうに。

 昨年の暮れ、夫の実家(埼玉県熊谷市の農家である)の餅つきに行った。
 ほとんどははがしてくれるのだが、子どもたちが竃(かまど)の火の番をしたり、つきたての餅をボウルのなかでちぎりながら、大根おろし(しょうゆと、砂糖少少で味つけ)で和える役をする。
 竃の火の番は餅米を蒸すしごと。餅を大根おろしで和えて出来上がるのは、からみ餅である。
 一方、夫とわたしはちちを手伝って、作物の収穫だ。
 その日あとからやってくる夫の弟一家と、うちと、もう2軒、合わせて4軒分の野菜を穫っておこうというのである。
 まず、ほうれんそう。
 オータムと、まほろばの2種類を、分けて収穫する。オータムは葉の丈が高く、まほろばは背は低いが色が濃い。これをちちが根元から大きな鎌で切ってゆくのを、わたしが荷運び用の一輪車にそろえてのせる。一輪車がいっぱいになったところで、夫が庭に運ぶのだ。
 ほうれんそうのあとは、長ねぎ、春菊(刃先を鎌で切って収穫)、にんじん、大根、ブロッコリ、ごぼうだ。柚子、キウイフルーツ(脚立に上がって、さいごまで残った上のほうのを)も穫る。
 庭に積み上げられた野菜は、壮観。
 ビール瓶を入れるケースを伏せて置き、そこへ坐って、作業を開始する。何の作業かというと……。
「この作業のこと、何と云うの?」
 と、ちちに訊く。
「……そうだねえ、昔っからここらでは、『野菜をつくる』と云うねえ」
 と、ちちは云い、つづけて、
「いまは、農家のお嫁さんのなかにも、『野菜をつくる』のがめんどうだから、といやがるひともあるんだよ。せっかく育てた野菜をもらってもらえないって。ほら、スーパーでは、きれいに『つくってある』野菜を売ってるでしょう。そのほうが楽でいいからって。まったく張りがないと、じいさまやばあさまが嘆いてるん」
 と話してくれた。
 しみじみと聞く。
 田んぼもことも畑しごとも、ほんの少ししか手伝えないわたしたちだが、せめて「野菜をつくる」ことくらい、ありがたく、うれしくしなければ。……と思って聞く。
 夫の実家はもとから米は出荷しているが、野菜は自分たちと親類縁者のためにつくっている。夫といっしょになってから、米、じゃがいも、玉ねぎを買ったことがないわたしは、しあわせ者である。
 さて、「野菜をつくる」とは、ほうれんそうなら、根の部分をはさみで切りそろえ、葉のあいだに紛れこんだ枯れ葉や傷んだ葉をとり、適量束ねてひもでしばるしごとだ。長ねぎはいちばん外側の土のついた皮をとって、長い根を切りそろえる。大根にんじんは土を落とし、春菊もきれいに束ね……。
 4軒分の野菜をつくる作業に、優に1時間かかった。
 野菜と云えば栽培と収穫、そうして調理だと思いがちである。が、収穫と調理のあいだに、もうひと手間があるというわけだ。
 これは、隠れた、陰のしごとと云えるだろう。農作業にあるこうした陰のしごとが、じつは、あらゆるしごとにあって、そこのところを疎(うと)んじたり、人任せにしてきたことが、日本のしごと風景を変えたのかもしれない。
 陰のしごとを厭(いと)わずすることは……、大事なものをとり戻す手がかりになりそうだ。
 それにしても。
「仕事」と「しごと」を書き分けることは、してみるとむつかしい。どちらの肩をもとうとしてもそんなことはできないし、つまるところ、どんなしごと(仕事)も、それをする者の心がけと熱心でなかみが決まるのだと思える。

Photo
正月には、熊谷から
大きな大きな白菜をもらってきました。
半分は鍋にして食べました。
残りの半分は、こうして重しをして、
白菜漬けにしました。

Photo_2
白菜………………………………………………1/2株
塩……………………………………………白菜の2.5%
水……………………………………………………100cc
柚子(厚さ5mmの輪切りにする)…………………1/2個
唐辛子(たて半分に切り、タネをとる)…大きめのもの1本

つくり方
①白菜をたて半分に切り、そのまた半分に切る。
②ボウルに白菜を半量入れ、柚子と唐辛子の半量をのせ、塩も半量ふる。
③残りの白菜を、②の上に芯の部分を逆向きにして置く。
④残りの柚子、唐辛子、塩、水を加える。
⑤白菜の上に皿を伏せて置き、重しをする。
※水が十分、上がったら、重しは取ってもよいのです。
※4日めにおいしい白菜漬けになります。
※漬けるときは、寒い部屋に置きます。

写真は、漬けたあくる日の朝です。
水が上がってきています。たのしみ。

 

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2012年1月 3日 (火)

いつも通り

 味噌汁をつくる。
 味噌汁をつくるのは馴れたものだから、失敗を恐れる気持ちもなく、坦坦とした気持ちで、鍋の前に立っている。坦坦という境地より、もっとぼんやり寄りだったかもしれない。「み」は、きゃべつと油揚げ。子どものころから、好きな「み」だ。
 それなのに。どういうわけか、どうもいいふうにできない。いつもの煮干し、いつもの昆布、好きな「み」たち(油揚げも油抜きした)、自分でこしらえた味噌が登場の、云ってみれば変化などつけようのないしごとである。それでも、なんだか、うまくゆかない。味がねぼけている。ねぼけていると思って、味噌をちょっと足したら、こんどは、味がとんがった。
 深く深く、ため息をつく。いろいろのうまくゆかなさのなかで、いつもしていることをいつも通りにできないときの気持ちというのは、納める場所をみつけにくい。それで、思わずついたため息も、深く深くなるというわけだった。

 なぜ、味噌汁しごとがうまいことゆかなかったのだろう。
 わたしに変化があったろうか。そういえば、昨夜入浴のとき、左足の第二指にしもやけができているのを発見した。足の指のしもやけと味噌汁とのあいだに因果関係は……。ないな、と思う。
 しもやけをみつけたとき、昔なじみと逢ったときのような心持ちになった。思わずしもやけに向かって、「お元気でしたか?」と声をかけてしまったくらいだ。
「あなたを知らないというひとがいたら、ずいぶん気の毒だとも思うんですよ」
 と、しもやけに云う。
 しもやけはそれには答えず、顔を赤くしている(しもやけの顔は赤いものと相場が決まっている)。
「うちの子どもたちはどうでしょう。とくに栞(末の子14歳)はどうでしょうね。あなたを知らなかったら……」
 と云っているところへ、栞が入ってきた。
「何、ひとりでぶつぶつ云ってるの? 怖いなあ」
 と云う。
「これ、しもやけ。アナタ、しもやけになったことある?」
 と、あわてて訊く。
「あるよ。去年の冬もなったじゃない」
「ああ、そうか。それはよかった……」
 足のしもやけに向かって、「大丈夫でした。あなたを知っているそうですよ」と報告する。

 さて、味噌汁のところへはなしをもどさないといけない。
 味噌汁がどことなくうまくつくれなかったというはなし。いつもしていることがいつも通りにできないときというのは、ずいぶんじりじりするものだ。自らの状態を見直そうとしてゆくのが、わかる。不調? 不健康? 不安? 不満?という具合に、「不」のつくことばが、ぽわんぽわんと浮かぶ。
 そのうちこんどは、「いつも通り」というのが、どれほど慕わしいものであったかということが、胸に迫ってくる。「いつも通り」というのに対して、いちいちありがたい気持ちなど抱かなかったけれど、たまには、ありがたがらないといけないなあ、と。ああ、すると。あれは、「感謝知らず」が招いたうまくゆかなさだったのだろうか。

 ことしは、「いつも通り」に、もうすこし、敏感になろうと思う。「いつも通り」が、「いつも通り」としていつまでもつづくのでないことは、わかってきたのだし。
 「いつも通り」をいくつかもっていることにも、「いつも通り」をきょうもできたということにも、敏感になって、ありがとうと思いたい、ことし。

Photo

あたらしいとしです。
ことしも、よろしくお願い申し上げます。

昨年、「いつも通り」をいきなり奪われるという経験を
余儀なくされた方に、「いつも通り」がもどってきますように。
と、祈ります。

写真のうどんの汁、                                          
昨年、クリスマスイヴの「鶏のまる焼き」を
すっかり食べたあとの骨でだしをとり、つくりました。                       
この写真は、そのときのもの。

「まる焼き」(鶏さん、ありがとう)は、
お腹にご飯をぎゅうと詰めて(※)焼き上げました。
すっかり食べ尽くしましたが、まだまだ。
骨にも、もうひと働きしてもらうというわけです。

○○タッキーチキンだって、
サカナの中骨だって、とことん働いてもらいます。

※鶏のお腹のなかのことを忘れていて、あわてました。
冷や飯(2杯分)と、
玉ねぎ・にんじん・干しぶどう(それぞれみじん切り)を                      
かるく炒め合わせ、
塩こしょうして鶏のお腹に詰めて焼き上げました。

ことし、「とことん」ゆきましょう。
骨の髄まで。                 山本ふみこ

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