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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあい、娘3人、黒猫との、5人と1匹暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。
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2012年2月

2012年2月28日 (火)

あたまと尻尾

 目には見えないはずのものが、見えるような気のすることがある。
 と云っても、わたしに超能力があるわけではない。見えないものは見えないものとして、不思議なものは不思議なものとして、ただ、感じるだけだ。

 ごく最近もこんなことがあった。
 見えないもののあたまと、尻尾が追いかけっこをしている。わたしは、追いかけっこを眺めるところに位置しているのだが、それは……、そうだ、あれに似ている。虎たちの様子を、やしの木のかげに隠れて、「いったい、どういうことに なるのかしらと おもいながら、そっと のぞいてみている」さんぼに似ている。
『ちびくろ・さんぼ』の主人公のさんぼである。

                     *

 おかあさんのまんぼがつくってくれた赤いきれいな上着と青いずぼん、おとうさんのじゃんぼが買ってくれた緑色の傘と、底が真っ赤で内側も真っ赤な紫色の靴を、4頭の虎にとられてしまったさんぼです。泣きながら歩いていると、「ぐる・る・る」という恐ろしい声が聞こえてきました。
 それはなんと、4頭の虎が「おれが、いちばん立派な虎だ」と云って、けんかをしている声でした。しまいに虎たちは、けんかのきっかけになった、さんぼからとり上げた上着、ずぼん、傘、靴をほうり出して、自分のとなりの虎のしっぽに食いついて、ぐるぐるかけまわりました。すると、木のまわりに虎の輪ができました。
 そのすきにさんぼは、虎たちがほうりだした上着とずぼんを身につけ、靴を履き、傘をさして帰りました。
 あんまりぐるぐる、ぐるぐるまわっているうちに、とうとう虎たちは溶けてバタになってしまいました。そこへ、さんぼのおとうさんが大きなつぼを持って通りかかります。バタをつぼにいっぱい入れて、うちに帰りました。
 おかあさんはバタを使って、おいしい「ほっとけーき」(※)を山のようにつくってくれました。

                     *

 わたしに見えた(ような気のする)、見えないはずのものとは、時間のあたまと尻尾だった。時間の尻尾が、自らのあたまを追いかけている。それをこっそり見ているわたしは、むなしさとおかしみの混ざる気持ちを抱いている。
 ふと、忙しさから逃れたくて、ぐる・る・る・る・る・る・る・る・る・る・ると、自分の時間に追いかけっこをさせてしまったなあと、思ったら、むなしさとおかしみが同時に湧き上がってきたものらしい。
 ——むなしさやおかしみなんかより、バタのほうがよかったなあ。

 半年ほど前のことだ。
 朝の家事の時間にゆとりをもたせるため、洗濯を夜のうちにすることを思いついた。長年、洗濯は朝してきたのだったけれど。朝にしようと、夜にしようと、洗濯には変わりがないし、その変化も決して大きいものではない。それなのに、なんだかものすごいことを思いついたような気持ちになるのだった。これこそが家のしごとの特質だと、わたしには思える。そして、些細なことを掻き抱きながらすすんでゆくのは、一種の醍醐味とも云える。
 そのことはうまくいった。
 とくに初めは快調だった。
 ところがそのうち、洗濯かご(洗濯したいモノを入れておくかご)に衣類がたまっているのを見ると、朝であってもつい、洗濯したくなってきた。ことに夜、洗濯をすませたあとに帰宅した者たちが大物の洗濯ものを出したときなど、そんなことになるのだった。
 おかしなことに、いつしか、夜の家事の時間にゆとりをもたせたくなってくる。朝の家事の時間にゆとりをもたせるためにはじめた、夜の洗濯だというのに。このあたりで、時間の追いかけっこがはじまったのだ。時間の尻尾が自らのあたまを追いかけている……? いや、時間の頭が尻尾を……? 何にしても、ぐる・る・る・る・る・る・る・る・る・る・ると、やっている。
 忙しさから逃れたい気持ちが、あたらしい忙しさを生むというわけだった。
 ほんとうは、朝生まれたゆとりのなかで、「ほっとけーき」を焼いて、みんなでたーくさん食べたりするはずだったのに。

※ 「ほっとけーき」
ものがたりのさいごに、おとうさん、おかあさん、さんぼの3人が「ほっとけーき」をたくさん食べる場面が出てくる。さて、それぞれが食べた枚数は?
(答えはキャプションのおしまいに)。


Photo

洗濯と云えば、先週初めてこういうものを洗いました。
三女が、中学の授業で使わせていただいた柔道着です。
干しているときも、たたむときも、どきどきしました。
柔道着、小さくたたんで帯でしばり、その帯を肩にかけて
(かついで)運ぶのですね。
そのことにも、どきどきしました。

          *

「ほっとけーき」の答えです。
おかあさんのまんぼ、27。
おとうさんのじゃんぼ、55。
ちびくろ・さんぼ、169。

※お知らせ
2012年6月1日 13:00 - 15:00
新宿の朝日カルチャーセンターにて、
「エッセイを書いてみよう」という講座(1回)の講師を
つとめることになりました。
ご興味のある方は、朝日カルチャーセンター
(03-3344-1945)に
お問い合わせください。

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2012年2月21日 (火)

こびとのしごと

 昨年の秋のこと。
 英文翻訳の課題で、「Christmas Every Day」※を訳した。アメリカでは知らないひとはないというくらい、有名なものがたりだという。毎日がクリスマスになりますように、というひとりの女の子の希いがかなってしまう……、ちょっと怖いものがたり。怖くはあるけれども、アメリカのクリスマスの様子が伝わってきてたのしくもある。
 ものがたりのおしまい近く、
“What’re your shoes made of?”
 という問いかけが出てくる。「あなたの靴は何でできてるの?」という問いかけである。靴のはなしなど、どこにも出てこないというのに、いきなり“What’re your shoes made of?”と。いきなり問われた相手(クリスマスの妖精)は、あわてず騒がず、“Leather.”(革で)と答える。
 何? 何? 何? とこちらは、思いきりこんがらかる。何かの暗号だろうか、と考える。
 このくだりがグリム童話の「こびとの靴屋」のものがたりをさしているというのは、授業のとき、高橋茅香子せんせいの説明によって初めてわかった。わたしにしたら、「へええええ」である。
 もしもわたしが、たとえばブログに脈絡もなくとつぜん、「あなたの靴は何でできているの?」と書いたなら、編集のNさんが、すぐさま電話をかけてきて、「山本さん、いくら有名なおはなしでも、『グリム童話の「こびとの靴屋」のものがたりより』と註をつけるか、文中で説明したほうが、親切ではないでしょうか」と云うだろう。と、そんなことを想像して、アメリカの文学の謎めいた一面を噛みしめた。

“What’re your shoes made of?”が「こびとの靴屋」縁(ゆかり)の一文だと知って「へええええ」となったのには、もうひとつわけがある。それは、このものがたりを大好きだったからで、再会は唐突ではあったものの、なつかしさうれしさに包まれたのだった。
「こびとの靴屋」のものがたりは、ある靴屋の家がだんだん貧しくなり、とうとう靴1足分の革しかなくなってしまったところから、はじまる。

                        *

 靴屋は革を裁つと、明日それを縫うことにして寝床に入りました。翌朝、しごとにかかろうと思って机に向かうと、そこには靴ができあがっているではありませんか。見事な出来映えの靴でした。その靴は高く売れ、そのお金で靴屋は靴2足分の革を仕入れることができました。
 その夜も、靴屋は革を裁って寝床に入りました。ところが。朝になると、また靴ができていたのです。そんなことがつづいた、クリスマスも近いある晩、靴屋とおかみさんは、いったい誰が靴を縫ってくれるのか、隠れて見ていることにしました。真夜中に、裸のこびとがふたりあらわれて、驚く速さで靴を縫い上げ、いなくなりました。
 あくる日、おかみさんはこびとたちに下着と上着とズボンとチョッキを、靴屋は小さな靴をつくりました。

                        *

 というものがたりである。
 お礼の洋服と靴をもらったこびとは、大喜びしてそれを身につけると、家を出てゆく。そのあと、こびとはもうやってこなかったけれど、靴屋の店は大きくなり、しあわせにしごとをつづけるのだった。
 誰もが幼い日、幾度か目にしたり耳にしたものがたりだろう。
 わたしは、「こびとの靴屋」のおはなしを知るや、朝起きたら、宿題の答えが書かれた帖面が机の上に置いてあるところやら、縫いかけのワンピースが縫い上がっているところやらを想像するようになった。いまでも、忙しい日がつづくようなとき、朝、弁当ができて置いてあるとか、おいしそうなおかずができているとか、そういうことはないかなあ……と、ふと考えたりする。
 そんな夢のようなことは起こらないと、相場は決まっているのだけれど、想像するだけで、忙(せわ)しなさでいっぱいになったこころがほぐれる。

 ところが。きのうの朝のことだ。
 うちにもこびとがやってきた。
 この冬、金柑(きんかん)の甘煮がほしいけれども、どうにもそれをつくる余裕がないなあ、どうしよう、がんばって煮るかなあ、あきらめるかなあ、と揺れつづけていた。つねづね、弁当の隙間に詰めるちっちゃくておいしいものを、心づもりしていて(弁当の隙間に詰めるちっちゃなものがないばかりに、そこらにある小さな置きものや、箸置きなんかを詰めそうになる。弁当の隙間を埋めることというのは、切実)、弁当の隙間に詰めるちっちゃくておいしいもののなかでも、金柑の甘煮は最たるものだからだ。しかし、どうやらことしは手がつきそうになく、あきらめかけていたのだった。
 朝、寝床から出て2階の台所に上がってきて驚く。鍋のなかに何かできていて、それが金柑の甘煮のように見える。まさかね。きっとわたしは寝ぼけているのだ。目をこする。
 ガス台のほうを見ないようにして、顔も洗う。おそるおそる、ガス台の上に目をやる。そこにあるのは、やっぱりつややかにふっくらと煮えた金柑だった。食べてみたかったけれど、そんなことをしてはいけないような気がして、そっとしておく。
 頭の隅で、考えている。
 ——もしも、もしもこれがこびとがしてくれたしごとなら、わたしは、お礼に何をしよう。

※ 「Christmas Every Day」(毎日がクリスマス)
 William Dean Howells(ウィリアム・ディーン・ハウエルズ/米国の作家、
 編集者。1837−1920)作


Photo
鍋のなかの金柑の甘煮は、
金柑には包丁を入れず、まるのまま煮てありました。
起きだしてきた長女が、
「金柑をたくさんいただいたから、夜中に煮たの」
と云います。
(なんだ、そうか。でも、ありがとさん)。

①金柑にぷすぷすと竹串をさす。
②①を茹でて、ざるにあげ、水にさらす(15分ほど)。
③②を鍋に入れて、金柑がかぶるくらい水を注ぎ、
 砂糖(金柑の6割ほど)を加えて中火で煮る。
④沸いたら弱火にして、煮汁がとろっとするまで煮る。
⑤さいごに醤油(少し)を加える。
※煮汁がなくならないようにする。途中差し水をしてもよい。

というふうにつくったそうです。

          *

先週お知らせした『不便のねうち』が発売になりました。
刊行を記念して、3月14日に、小さなおはなしの会をひらきます(応募締め切りは2月28日午前10時)。
どちらも、よろしくお願い申し上げます。 
                                 山本ふみこ 

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2012年2月14日 (火)

雛(ひいな)

 立春の翌日。
 そわそわしながら、夫に、「あのさあ」と云う。
「あのさあ、あのさあ……あのさあ」
 と云う。
「何か、ぼくの出番?」
 と夫が訊くので、「箱をね、出してもらいたいの」と答える。
「ああ、茶箱ね」
 夫は、めずらしく勘がいい。そして仕事部屋の奥地(夫の部屋に隣接している納戸を「奥地」と呼んでいる)に置いた茶箱から、大小まちまちの箱を3つ出してくれた。
「ふたりで、あの日にしまったんだったな」
 と云いながら。
 そうそう、それを云いたかった。ひとりで「あの日」を思いだすのは、いやだった。3つの箱は、長女、二女、三女がそれぞれに持っている箱である。なかにはひな人形が納まっている。

 昨年の3月11日、ふたりでテレビの画面に映しだされる驚くべき光景を横目に、ひな人形をしまったのだった。
 そのときのことを、わたしはこう書いている。

   テレビ画面を凝視しながら呆然といている自分に気がついて、とつぜん
  ひな人形をしまうことにした。(中略)おひなさま方に、この状況をくわし
  くは知らさずにおきたいという思いが湧いた。これから先、どんなに過酷
  なことになっていったとしても、来年、またお出ましいただくころにはお
  だやかな日々がもどっているように、あたたかな日射しのなか坐っていた 
  だけるように、と。
   はっと我に返った夫も、それを手伝ってくれた。ひな人形のことをして
  もらうのは、これが初めてである。     (『不便のねうち』※より)

 あの日、「来年、またお出ましいただくころには」と思っていた、その日がめぐってきたわけである。
 おだやかな日々とはまだ云えないいま、未来に向けての大問題も山積しているいま、だが。
「この家の者たちは、なんとかやっています」
 と挨拶する、おひなさま方に。

 そのまた翌日、母が電話の向こうで云う。
「ふと思ったんだけど、うちにあるおひなさまは、アナタのおひなさまよねえ。山本のおじいちゃまが、アナタの初節句に買ってくださったのよねえ。ことしは、アナタに飾ってもらおうかなあと思うの」
 母の口調は、いつもながらおっとりとしているけれど、アナタ、というところだけは「ア、ナ、タ」というふうに、一語ずつ区切って念を押すように云っている。
 わたしのひな人形は七段飾りで場所をとるということもあって、実家に置いたままにしている。その上、この5年ほど、それを自分の手で飾っていない。母と子どもたちにまかせきりにして。
「ことしは、飾りに行く」
 と約束する。

 つぎの日曜日。実家へ行き、おひなさまを飾る。
 わたしの初節句というのは1959年(昭和34年)だから、このおひなさまも、50歳を越している。
「ずいぶん、長くやってまいりましたね、お互いに」
 と思わず、挨拶。
 五人囃子の5人のうち、2人までが額髪を広く剃りあげているので、烏帽子をかぶせるのに苦心しながら笑う。かぶせるとき、いつも苦心し、五人囃子の面面に文句を云うのがならいだったことを思いだして、笑う。
 それにしても。わたしは半日はかかる飾るしごとと、しまうしごとを、母にまかせきりにしてきたのだなあ。段段をつくるのなんかは、かなり重労働だ。「あ、そこ、押さえてて」ともうひとりに頼まなければ、自分の足で押さえていなければならない。
「これからは、自分で飾って、しまうからね」
 と、両親にお辞儀する。
 おひなさま方にも、お辞儀する。

 おひなさまは、不思議だ。
 何もかもを、見通しているように思える。すました顔で、何もかも。


Photo_6

飾りかけのときの写真です。
屏風もまだだし、髪も乱れていますが、
ああ、うつくしいなあと思わず、シャッターを切りました。
昭和34年の「ご成婚」の年だったので、
お顔を美智子さまに似せてつくられたという人形だそうです。

Photo_7
おひなさまのお道具が、好きで、
子どもの頃は、こっそりおままごとに拝借しました。
とくに、気に入りの火鉢です。

※『不便のねうち』(山本ふみこ/オレンジページ)
2月17日、このブログから5冊目の本が刊行されます。
どこかで見かけたら、どうか手にとってご覧いただきたく、
お願い申し上げます。

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2012年2月 7日 (火)

課外活動

 朝、15分くらい走るつもりで足を踏みだしたところが、左足のくるぶしあたりがにぶく痛んだ。走れば治るだろうと思って(そういう思い方をしがちである)、そのまま走る。
 同じ日の夕方、くつしたを脱いで驚いた。左の足首あたりが腫れている。
「腫れた腫れた」
 とちょっと得意になって(そういう思い方をしがちである)云う。すると、3人の子どもたちが、「病院へ行って!」と口をそろえて云う。
「え、病院?」
 と、たじろぐ。病院に行くなどとは露ほども考えなかったからだった。

 翌朝、いつもしている運動を休み、特急で家のしごとを片づけて、病院へ向かう。このあたりではいちばん大きな病院で、あたらしく、気持ちのいい建物。
 病院と云えば、待ち時間だ。分厚い本を鞄に入れる。大好きな本だが、寝転んで読むのが好きな行儀のわるいわたしが、開けないまま持っていた本、『懐かしきオハイオ』(庄野潤三/文藝春秋)だ。束(つか)に定規を当てて計ったら、3.6センチもある。
 診察の申しこみをし、整形外科の診察室の前のソファに腰をおろす。窓辺の、陽当たりのいい場所である。大きな窓の向こうに、みどりが揺れている。
 分厚い本を開く。2009年9月、「庄野潤三」が亡くなったときはさびしかったなあ。何より「……これから、どうしよう」という切実な不安にとらえられた。「庄野潤三」の本を頼りに暮らしているからだ。世知辛いものにからめとられそうになったとき、嫌気がさしたとき、「庄野潤三」の本がわたしに立ち直るきっかけをつくってくれるからだ。ところで、同じように身を寄せたくなる本に『星の牧場』(庄野英二/理論社)がある。この本の著者「庄野英二」は、「庄野潤三」の兄だ。なんというきょうだいだろう。ことばが、ない。
『懐かしきオハイオ』は、「庄野潤三」がロックフェラー財団の研究員として、米国オハイオ州ガンビアで暮らした1年間(1957年秋から翌年夏まで)をふり返り綴った作品だ。前編に、『シェリー酒と楓の葉』(文藝春秋)がある。この米国滞在の機会は、まことに恵まれたものではあったが、ただひとつ、3人の幼い子どもを日本に残して夫婦で渡米するという、何よりも家庭を大事にしている庄野夫妻にとって、どうにも難儀な条件がついていた。たしか、長女の夏子さんが10歳、長男の龍也さんが7歳、末っ子の和也さんが2歳だった。
 病院の待合室のソファの上で、オハイオ州ガンビアの、「白塗りのバラック」と呼ばれる教職員住宅の台所の水がなかなか落ちないのをなおしてくれたカレッジ(のメンテナンス・オフィス)のデイヴィッドスンさんが「テイク・イット・イージイ」と云って帰ってゆくところまで読んだわたしは、いきなりオハイオ州ガンビアから引きもどされた。「ヤマモトさん、ヤマモトフミコさん、4番にお入りください」というアナウンスが耳に飛びこんできたからだ。
 わたしの左足首あたりの腫れを診察した医師が、「お身内にリュウマチの方はありませんか?」と訊く。長年リュウマチとつきあってきた親しい友人の顔が浮かぶ。その意味でわたしにとって、リュウマチは身近な存在であり、「はい、あります」と答えそうになるも、友人とのあいだに血縁はないのだと思いなおす。
「ありません」
 医師は、ゆっくりうなずいたあと、こんどは、
「最近、蜂とか、虻(あぶ)のような虫に刺されませんでしたか?」
 と訊く。
 そういえば一昨日、蜂に刺されたひとのはなしを聞いたなあ。そうだ、長女だ。興味をもっていたニホンミツバチの養蜂の見学がかない、よろこびのあまり蜂に近づき過ぎて刺されたのだった(蜂はとても用心深い。攻撃のためいきなり人を刺したりはしない。よほど近づき過ぎたものと思われる)。しかし、それは長女の体験であって、わたしのではない。
「刺されてはいません」
 医師から、わたしの足首の腫れが、捻挫や打撲によるものとはちがうように思えるから、血液検査とレントゲン撮影をすると告げられる。また待ち時間がやってくる。こんどは本を開いても、すぐとはオハイオ州に飛んではゆけない。
 もし、リュウマチだったとしても……と考えているのである。もしそうだったとしても、わたしは絶望してはいけない、と考えているのである。長年、リュウマチとつきあってきた友人の明るさ、潔い生き方を間近で見ている者として、それはできない。わたしも、そうなってゆけるように努めなければならない。すくなくとも、医師の口からその病名を聞いたくらいのことで、怖じ気づきたくない。そんなことを、ぐるぐる考えて、オハイオ州に行けないのだった。
 そんな耳に、「前立腺がんだそうだよ。だが、落ちこんじゃいられないよ。命あるかぎり生きるってことさ」という、男声が届く。顔を上げると、70歳代とおぼしき男性が、同じ年頃のふたりの男女に話している。しばらく様子を見ていると、入院室から外来に診察を受けにきた男性が、待合室で出会ったふたりの友人に、「落ちこんじゃいられない」と話したのだ。彼(か)のひとの発言にもこころ動かされるが、もうひとつ、同じ病院内の入院室からやってきたというのに、チェックのシャツにコール天のズボンという姿でやってきていることにも感じ入る。

 家に帰りついたのは、昼だった。
 病院へとつよくすすめてくれた子どもたちに、感謝している。血液検査とレントゲン撮影によって、わたしの左足首の腫れは、過度な運動が引き金になっての炎症だとわかった。しかも、同じ病院の過去のカルテに、「過度な筋トレが引き起こした腕の炎症」という記録が残っており、医師から、「くれぐれも、ほどよい運動をお願いします」と釘を刺されたというわけだった。感謝したのは、原因がはっきりしたこともだけれど、それより何より、病院で考えたり、見聞きしたことがありがたかった。その機会をあたえられたことを感謝している。
 その日はわたしの、課外活動のような学びの機会だったのである。

Photo_10
毎年、「立春」に2回めの新年の祝いをと、
決めています。
屠蘇を用意しておくだけ、という年もありますが。
ことしは、病院に行くことをすすめてもらったお礼の気持ちで、
もう一度重箱をとりだし……。
煮〆と、子どもたちの好物の「鶏の唐揚げ」を詰めました。

A

かまぼこ、伊達巻きならぬ卵焼き、黒豆も。

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