七夕まで
さあ、七夕。
地上での七夕のものがたりは、「笹」からはじまる。昔は、そこにも、ここにも、笹がさわさわと揺れていたし、そうでなくても、近所のお宅に行き、
「いただけますか?」
と言いさえすれば、笹の1本や2本、すぐに手に入った。
しかし、年年、笹を手に入れることはむずかしくなっていく。
近年は、花屋でもとめている。
店先にはならんでいない。笹は、時間がたつとあっけなく萎(しお)れ、瑞瑞しさをうしなうから、花屋の冷蔵室のなかで、声のかかるのを待っているのだ。
何年か前の、あのときもそうだった。
笹を手に入れることができないまま、7月7日が近づいていた。仕事で出かけた谷中(やなか/東京都台東区)の花屋で、笹をみかけた。
「ああ、笹」
と、うれしさのあまり、後先を考えずに1本もとめた。
夕暮れがそこまでやってきていた。
そろそろ混みはじめた電車に、笹を持って乗ることはいかにも憚(はばか)られたが、わたしは、その年の七夕を想って、えいっとばかりに笹を抱いて乗客になった。
「そういえば、もうすぐ七夕。いいお母さんなのねえ」
それが、なつかしそうに笹を見る老婦人のコトバだと気づくまで、じっと肩をすくめていた。
「いいお母さんだなんて、とんでもないことです」
と恥じ入りながら、周囲の視線が七夕に染められていくことに、驚く。
「いいなあ、笹」
「うちも、うちも」
と呟く子どもの声も聞こえる。
最寄り駅で電車を降りてからは、肩に笹をかついで、胸を張って歩く。
そうそう、皆さん、七夕の願いをかけましょうよ、てな気分(お調子者)。
6月の終わりになると、うちにやってくる子どもはみんな、短冊にてんでに願いごとを書く。一応ひとり3枚という約束だけど、
「ことしはピアノの発表会があるの。それが無事にいきますようにっていうの、別に1枚書いていいことにして」
という申し出があれば、あっさり、いいことにする。
この期間、自分がまるで願いごとを天に届ける番人のように過せるのが、うれしい。
しかし、ちょっとは弁(わきま)えてもいるつもり。
それぞれ書いた願いごとを、公言したりはしない。そっと、天に届ける日まで、色紙の短冊を預かり、緊張している。
1階から2階への階段の踊り場に
「七夕コーナー」は、あります。
棚の上、
左側がすでに願いごとを書き込んだ短冊、
右側が、新しい短冊です。
子どもばかりでなく、
大人の友だちも書きます。
もちろん、わたしも。
短冊は、7月7日の、前の日曜日にいっぺんに
笹の葉に和紙のこよりで吊るすことにしています。
七夕の数日後、
番人が願いごとの短冊を燃やし、
天にそれを伝えるんです。
なにしろ短冊の数が多いので、
七夕飾りは、毎年これ1本。
ことしはタイの古新聞紙と紅い色紙で
こしらえてみました。
七夕の料理は、そうめんなんだそうです。
天の川に見立てているのかもしれませんね。













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